護衛任務を終えた翌朝。
クランツ街には、いつもと変わらない朝が訪れていた。
市場では住民たちが商品を並べ、工場からは機械の稼働音が響き、街のあちこちで人々が忙しそうに働いている。
交易隊も無事に帰還し、昨日の任務は成功に終わった。
しかし――。
「……うぅ」
役所の一室。
レミリア・スカーレットは、椅子に座ったまま額に手を当てていた。
「……頭が痛いわ」
いつもなら、朝から書類を片付けたり、クサリと街の開発について話し合ったりしている時間だ。
ところが今日は、どうにも身体が重い。
昨夜は十分に休んだはずなのに、目覚めた時から身体の調子がおかしかった。
それでも、レミリアは普段どおりに仕事を始めようとしていた。
「……これくらい、大丈夫よ」
自分に言い聞かせるように呟き、机の上の書類へ手を伸ばす。
しかし、文字がうまく頭に入ってこない。
視界がぼんやりと霞み、こめかみには鈍い痛みが残っていた。
「……あれ?」
レミリアは不思議そうに目を瞬かせた。
そして、もう一度書類を読み直す。
「……駄目ね。全然、頭に入らないわ」
小さく溜息を吐いた、その時だった。
「お姉様?」
部屋に入ってきたフランドールが、レミリアの顔を覗き込んだ。
「……どうしたの? なんだか顔色が悪いよ」
「そうかしら?」
「うん。いつもより元気がない」
フランは心配そうにレミリアの額へ手を当てた。
「……お姉様、今日は休んだ方がいいよ」
「大丈夫よ。少し疲れているだけだから」
「昨日の護衛任務の疲れが残ってるんじゃない?」
「それくらいで仕事を休むわけにはいかないでしょう?」
レミリアはそう言って、無理に微笑んだ。
しかし、フランは納得しなかった。
「駄目!」
「……フラン?」
「お姉様、昨日だって帰ってきてからずっと仕事してたでしょ? ちゃんと休んでないじゃない!」
「そ、それは……」
レミリアは言葉に詰まった。
実際、昨日は帰還してからも護衛任務の報告書を書き、住民たちからの相談にも対応していた。
自分が引き受けた仕事なのだから、最後までやり遂げなければならない。
そう考えていたのだ。
「……少しくらいなら、休んでもいいんじゃない?」
フランは姉の手をそっと握った。
「私、お姉様が心配なの」
「……フラン」
「お姉様が頑張ってるのは知ってるよ。でも、無理して倒れちゃったら、もっと大変でしょ?」
レミリアは妹の顔を見つめた。
真剣な表情だった。
いつもは無邪気で、どこか子供っぽいフラン。
けれど、今の彼女の瞳には、姉を本気で心配する気持ちがはっきりと表れていた。
「……分かったわ」
レミリアは、ようやく折れた。
「今日は少し休むことにするわね」
「本当!?」
「ええ。約束するわ」
「絶対だよ!」
「はいはい」
レミリアは苦笑しながら、フランの頭を優しく撫でた。
その直後。
コンコン、と扉が叩かれた。
「入るぞ」
クサリが部屋に入ってきた。
「……おや?」
レミリアの顔を見るなり、クサリの表情が変わった。
「どうした、具合が悪いのか?」
「少しね。大したことはないわ」
「その顔で大したことがないと言われても、説得力がないんだが……」
クサリは呆れたように肩を竦めた。
「フラン、レミリアを休ませてやってくれ」
「うん!」
フランは勢いよく頷いた。
ところが、レミリアはすぐに口を開いた。
「待って。私が休むとしても、街の開発はどうするの?」
「……そこか」
クサリは思わず額に手を当てた。
「今は自分の身体を心配しろ」
「でも、北西区の開発計画もあるし、住居の増設についても話し合わないといけないでしょう?」
「それは分かっている。だが、体調の悪い人間に無理をさせるわけにはいかない」
「……そう」
レミリアは少しだけ俯いた。
自分が休んでいる間に、仕事が滞ってしまうのではないか。
そんな不安が、胸の中に広がっていた。
すると、フランが一歩前へ出た。
「だったら……」
二人の視線が、フランへ向けられる。
「私が代わりにやる!」
「……え?」
レミリアが目を丸くした。
「フランが?」
「うん!」
フランは胸を張った。
「お姉様が休んでる間、私が街の開発を進めるよ!」
「ちょ、ちょっと待って、フラン……」
「大丈夫! 私だって、ちゃんとできるもん!」
その言葉に、レミリアは困惑した。
確かにフランは、いざという時には頼りになる。
しかし、街の開発となれば話は別だ。
住民との話し合い、資材の確保、建設計画の調整、予算の管理。
考えなければならないことは山ほどある。
「……フラン、本当にできるの?」
「できるよ!」
即答だった。
「……」
「……」
レミリアとクサリは、思わず顔を見合わせた。
「……クサリ」
「……なんだ?」
「どう思う?」
「本人はやる気満々だな」
「そうね……」
フランは二人の視線を受け、少し頬を膨らませた。
「なに? 二人とも、私じゃ無理だと思ってるの?」
「そ、そんなことはないわよ?」
レミリアは慌てて否定した。
「ただ、街の開発は大変だから……」
「お姉様だって、最初は分からないことだらけだったでしょ?」
「それは……そうだけど」
「だったら、私もやってみる!」
フランはレミリアの手を握った。
「お姉様が今まで頑張ってきたんだもん。今度は私が頑張る番だよ」
レミリアは、言葉を失った。
妹はいつの間に、こんなにも頼もしくなったのだろう。
かつては自分が守らなければならない存在だと思っていた。
けれど今は、自分を守ろうとしてくれている。
「……フラン」
「なぁに?」
「ありがとう」
レミリアは微笑み、妹の頭を撫でた。
「……でも、無理はしないこと。分からないことがあったら、必ずクサリに相談するのよ?」
「うん!」
「それから、住民の話は最後まで聞くこと」
「うん!」
「それと……」
「お姉様、注意事項が多いよぉ!」
フランが頬を膨らませる。
レミリアは、思わず小さく笑った。
「ごめんなさい。心配なのよ」
「もう……大丈夫だってば!」
フランは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
クサリは、そんな姉妹を微笑ましそうに眺めていた。
「よし。それじゃあ、決まりだな」
クサリは机の上から書類を数枚取り上げた。
「今日からしばらく、フランに街の開発責任者を任せよう。俺も可能な限り手助けする」
「本当!?」
「ああ。ただし、最終的な判断が必要な案件については、俺と相談して決める。それでいいな?」
「もちろん!」
フランは嬉しそうに頷いた。
「よーし! 頑張るぞー!」
拳を高く掲げるフラン。
その勢いに、レミリアは少しだけ不安になった。
「……あの、クサリ」
「なんだ?」
「フランが張り切りすぎないように、見ていてくれる?」
「ははっ、分かったよ」
「ちょっと、お姉様! 私、そんなに信用ないの!?」
「信用しているわよ?」
「絶対、今の間に何か考えたでしょ!」
フランの抗議に、レミリアはくすくすと笑った。
久しぶりに、心から笑えた気がした。
その様子を見て、フランも嬉しそうに微笑む。
――お姉様が笑ってくれるなら、私は頑張れる。
そう、心の中で誓った。
◇ ◇ ◇
その日の昼過ぎ。
フランはクサリと共に、北西区の開発予定地を訪れていた。
そこには、まだ整備されていない土地が広がっている。
崩れた建物。
雑草に覆われた道路。
長い間、人の手が入っていない空き地。
ここを新しい居住区にすることが、当面の目標だった。
「……すごいね」
フランは周囲を見渡した。
「ここに、新しい家がいっぱい建つんだ!」
「ああ。住民が増えれば、それだけ住居も必要になるからな」
「じゃあ、まずは家を作ろう!」
「その前に、道路と水道の整備が必要だ」
「……え?」
「それから資材の搬入経路も確保しないとな」
「……ええ?」
「住民が暮らすなら、排水設備も考える必要がある」
「えええっ!?」
フランは思わず頭を抱えた。
「街を作るって、こんなに大変なの!?」
「今頃気づいたのか?」
「お姉様、こんなこと毎日やってたの!?」
「ああ」
「……お姉様って、すごかったんだね」
フランは、しみじみと呟いた。
今まで、レミリアが机に向かっている姿を何度も見てきた。
書類と睨めっこして、住民の相談に乗り、クサリと話し合いを続ける。
時には夜遅くまで仕事をしていた。
その大変さを、フランは本当の意味では理解していなかったのかもしれない。
「……よし!」
フランは顔を上げた。
「絶対に、いい街にしてみせる!」
その瞳には、強い決意が宿っていた。
「お姉様が安心して休めるように!」
クサリは小さく笑った。
「……その意気だ」
こうして、フランドール・スカーレットの初めての大仕事が始まった。
姉の代わりとして。
そして、一人の責任者として。
フランは、まだ誰も知らない新しい街の未来へと、第一歩を踏み出したのだった。
◇ ◇ ◇
一方、その頃。
レミリアは自室のベッドに横になっていた。
「……フラン、大丈夫かしら」
天井を見つめながら、ぽつりと呟く。
心配なのは、街の開発だけではない。
妹が責任を背負いすぎてしまわないか。
困っている人を見つけるたびに、自分のことを後回しにしてしまわないか。
自分と同じように、無理を重ねてしまわないか。
「……あの子は、昔から頑張り屋だから」
レミリアは、小さく息を吐いた。
それでも、今は信じるしかない。
フランなら、きっと大丈夫。
そう思いながら、目を閉じた。
すると、不思議なことに、いつもより心が落ち着いていた。
「……ありがとう、フラン」
誰もいない部屋で、レミリアはそっと呟いた。
その声は、静かな部屋に溶けていった。
壊れた世界の片隅で。
姉は妹に支えられ、妹は姉の背中を追いかける。
二人の絆は、今日も確かに深まっていた。
次回 第17話「フラン、初めての大仕事!」
街の開発責任者となったフランは、さっそく住民たちの要望を聞くことに。
ところが、住民たちの意見はバラバラ!
住宅を優先するべきか、それとも工場や農地を整備するべきか。
初めての大きな決断を迫られたフランは、姉のように街をまとめることができるのか――?