役所を出る支度を終えると、クサリは飲み干したコーヒーカップを机へ静かに置いた。
「では、俺の街を案内しよう」
穏やかな声に、レミリアは小さく頷く。
「えぇ、そうね」
扉へ向かって歩き出すレミリアの後ろで、フランはぱっと表情を輝かせた。
「街の散策だぁ~!」
その無邪気な声に、クサリは苦笑しながら頭を掻く。
「そんなに期待するほど良い場所じゃないけどな」
「まぁ、それより行きましょう?」
どこか楽しげに微笑むレミリアに、クサリも笑みを返した。
「ああ、そうだな」
そうして三人は、役所の外へと足を踏み出した。
◇
街を歩きながら、レミリアは周囲を見渡す。
復興途中とは思えないほど整備された道路。
行き交う住民たち。
崩壊した幻想郷とは違う、人々が確かに生きている街だった。
「それで、このクランツ街は、どういう造りになっているのかしら?」
レミリアの問いに、クサリは頷く。
「この街は全部で九つの区画に分かれている」
そう言って、一枚の簡易地図を取り出した。
「まず、ここが中央区――アレサンブレラ区だ。役所がある場所で、移住者の受付や住居建設の申請なんかを行っている」
地図の中央を指差しながら説明を続ける。
「君たちが住む屋敷も、ここで申請できるぞ」
「この散策が終わったらお願いしようかしら」
レミリアは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「東へ行けばサンブレラ区だ。農業や酪農が盛んな地区で、この街では一番広い」
青々とした畑が遠くまで続き、家畜の鳴き声が風に乗って聞こえてくる。
「南東にはサンクターラ区。研究施設や工房が集まっていて、工場で作られた部品をここで完成品へ組み立てる」
さらに歩みを進める。
「南にはサンナナ区。武器や生活必需品を生産する工場街だ」
ちょうど工場から作業員が姿を現し、手には金属製の部品を抱えていた。
クサリはその一つを受け取り、レミリアへ見せる。
「これは……何の部品なの?」
興味深そうに覗き込むレミリア。
「拳銃のスライド部分だ。ここで加工して組み立てる」
「なるほど……」
レミリアは小さく頷いた。
「南西にはツイクル区。そこは主に居住区だ。西側も同じく住宅街になっている」
地図をなぞりながら説明は続く。
そして、指先は北西で止まった。
「ここだけはまだ未開拓だ」
クサリは静かに言う。
「だから、おそらく君たちはこの区域の区域議員になってもらうことになる」
「区域議員?」
レミリアは首を傾げる。
「その区域をまとめる責任者みたいなものだ。住民の意見を聞き、必要な設備を整えたり、安全を守ったりする役目だな」
「うわぁ……面倒くさそう」
フランが露骨に顔をしかめる。
その反応に、クサリは思わず笑った。
「私は……案外、得意かもしれないわ」
レミリアは少しだけ胸を張る。
「そうか。それなら適任だな」
クサリは安心したように笑う。
だが、その笑顔とは対照的に、レミリアの表情は少しずつ曇っていった。
「……でも」
彼女は足を止める。
「責任を背負うのは、あまり……」
その言葉は、風に溶けるほど小さかった。
脳裏を過ぎる。
咲夜。
美鈴。
守れなかった紅魔館。
自分の判断が、多くの命を失わせたあの日。
「……お姉様」
フランは、その理由を知っている。
だからこそ、心配そうに姉の横顔を見つめた。
クサリは、その事情までは知らない。
ただ緊張しているのだと思い、穏やかな口調で言った。
「そんなに気負わなくていいさ。放っておいても住民同士で上手くやる区域だってある。実際、最低限しか顔を出さない区域議員もいるくらいだからな」
その言葉に、レミリアは少しだけ表情を和らげる。
「お姉様」
フランは姉の手をそっと握った。
「私が代わろうか?」
優しい提案だった。
けれど、その瞳には姉を守りたいという強い想いが宿っていた。
「それは……」
レミリアはフランを見る。
大切な妹。
この子だけは、危険な立場に立たせたくない。
短い沈黙のあと、レミリアは静かに首を横へ振った。
「いいえ……私がやるわ」
その声には迷いがあった。
本当は怖い。
また誰かを守れなかったらどうしよう。
また失ったらどうしよう。
そんな本音は胸の奥へ押し込み、気高い笑みだけを浮かべる。
「……そう」
フランは無理に笑った。
「お姉様が、それでいいなら……」
その笑顔の裏で、不安だけが大きく膨らんでいく。
「本当にいいんだな?」
クサリが念を押すように尋ねる。
レミリアはゆっくりと頷いた。
「えぇ」
そして、真っ直ぐ前を見据える。
「私が、この区域の区域議員になるわ」
その瞳には決意が宿っていた。
けれど、その決意の奥にある恐怖に気づいた者は――
フランだけだった。
レミリアの過去の傷は深い、だがそれを克服しようと奮闘する決意を決めたがその横で不安そうなフランが眺めていた