その隣にはフランがレミリアを応援する眼差しで見ている。
クランツ街を一通り見て回った翌日。
朝日が街を照らし始める頃、レミリアは一人、役所の屋上から街並みを見下ろしていた。
静かな朝だった。
煙突からは薄く煙が立ち昇り、農地では朝早くから働く人々の姿がある。
子どもたちは笑いながら走り回り、大人たちは互いに挨拶を交わしている。
「……平和、ね」
レミリアは小さく呟いた。
幻想郷では、もう二度と見ることができなくなった光景だった。
だからこそ、その穏やかさが眩しかった。
「お姉様!」
背後から元気な声が聞こえる。
振り返ると、フランドールが小走りで駆け寄ってきた。
「もう朝ご飯できるって!」
「そう。ありがとう、フラン」
レミリアは優しく微笑み、妹の頭を撫でた。
「えへへ……」
フランは少し照れくさそうに笑う。
その笑顔を見るだけで、レミリアの心は少しだけ軽くなった。
──この子だけは、守らなければ。
それだけは、何があっても変わらない。
朝食を終えると、クサリが書類を抱えて部屋へ入ってきた。
「レミリア、少し時間はあるか?」
「ええ、大丈夫よ」
クサリは机に何枚もの地図を広げる。
「昨日話した北西区域の件だ」
そこには、まだほとんど開拓されていない土地が描かれていた。
「ここを任せたい」
レミリアは静かに地図を見つめる。
森。
川。
小さな丘。
まだ誰も住んでいない場所。
「住民は?」
「今はいない。これから移住者が来る予定だ」
「つまり……ゼロから街を作るのね」
「ああ」
クサリは真剣な表情で頷いた。
「責任は重い。だから無理なら断っても構わない」
その言葉に、レミリアは少しだけ目を閉じる。
──また、誰かを守る。
その言葉だけで胸が締め付けられる。
紅魔館。
咲夜。
美鈴。
パチュリー。
あの日の光景が脳裏をよぎる。
拳を握る。
少しだけ震えていた。
「お姉様……」
フランが心配そうに袖を掴んだ。
レミリアはゆっくりと妹を見る。
不安そうな赤い瞳。
その瞳を見ていると、不思議と心が落ち着いた。
「大丈夫よ」
優しく笑う。
「今度は、一人じゃないもの」
フランも、少し安心したように笑った。
「私もいるから!」
「ええ」
その一言だけで十分だった。
クサリも穏やかに微笑む。
「……なら安心だ」
「条件が一つあるわ」
レミリアが真面目な表情になる。
「住民を守るためなら、私は遠慮しない」
「もちろんだ」
「必要なら武器も訓練もする」
「それも構わない」
「でも、力だけに頼る街にはしたくない」
その言葉にクサリは少し驚く。
「どういう意味だ?」
「人は恐怖だけじゃついてこない」
レミリアは静かに続ける。
「安心できる場所だから、人は帰ってくる」
幻想郷にはもう帰れない。
だからこそ。
誰かにとっての帰る場所を作りたい。
そんな想いが、自然と口をついて出ていた。
クサリは数秒黙った後、大きく笑う。
「ははっ!」
「?」
「いや、やっぱり頼んで正解だった」
レミリアは首を傾げる。
「普通は武器や兵士の話しかしない」
「でも君は最初に『安心』を考えた」
「そういう街なら、きっと人も集まる」
レミリアは少し照れくさそうに視線を逸らした。
「……褒めても何も出ないわよ」
「いや、十分だ」
クサリは立ち上がる。
「今日から正式に、北西区域担当区域議員に任命する」
そう言って、一枚の認可証を差し出した。
レミリアはそれを受け取り、小さく息を吐く。
「責任重大ね」
「でも、お姉様なら大丈夫!」
フランは満面の笑みで言う。
「困ったら私も手伝うから!」
「ありがとう、フラン」
レミリアは妹を抱き寄せた。
その腕は優しかった。
失いたくないものを、確かめるように。
窓の外では、新しい一日が始まっていた。
誰も住んでいない北西区域。
だが、もうすぐそこにも人が集まり、新しい暮らしが始まる。
それは幻想郷を失った吸血鬼姉妹が、初めて手にする「未来」だった。
しかし、この穏やかな日々の裏では、誰も知らない脅威が静かに動き始めていた。
街の外れ。
深い森の中。
朽ち果てた研究施設の地下で、一つの機械が赤い光を灯す。
そして、モニターには無機質な文字が浮かび上がる。
《Zウイルス変異種 反応確認》
誰も、その警告を見る者はいなかった。
新たな戦いの幕開けは、すぐそこまで迫っていた。
話の裏に潜む、恐ろしい事がこれから起ころうとしていた。