ふざけやがって
俺は今、冗談抜きで――命の危機に瀕している。
喉がひりつく。
呼吸が浅い。
心臓が、うるさいほどに脈打っている。
ほんの数時間前まで、こんな状況に陥るなんて、想像の欠片すらしていなかった。
きっかけは、放課後だ。
校舎は夕焼けに染まり、窓ガラスがオレンジ色に反射していた。
部活帰りの生徒たちの声が廊下に残響し、グラウンドからはボールの乾いた音が響いてくる。
コンビニに寄るか。
それとも真っ直ぐ帰るか。
――そんな、どこにでもある、どうでもいい選択肢。
そこで俺は、今世の友人たちに声を掛けられた。
『なあ、今日ヒマ?』
『夜さ、肝試し行かね?』
その瞬間、胸の奥が、ひやりと冷えた。
嫌な予感は、はっきりあった。
呪霊が見えるようになってからというもの、俺の直感は、やたらと正確になっている。
断ろうとした。
本当に、ちゃんと断ろうとした。
『いや、俺そういうの苦手だから』
『明日、早いしさ』
言葉は、正しい。
だが――返ってきたのは、軽い笑いだった。
『行こうぜ〜』
『ノリ悪ぃな〜』
『大丈夫だって、ビビりすぎ』
悪意はない。
ただの冗談。
ただの軽口。
だからこそ、厄介だった。
笑いながら背中を叩かれ、
『ほらほら』と輪に引き戻される。
場の空気が、逃げ道を塞いでくる。
断れば「つまらない奴」になる。
それだけの話。
……結局、俺は。
嫌々ながら、首を縦に振ってしまった。
……結果が、これだ。
夜の廃墟。
かつて何かの施設だったのだろう。
だが今は、用途も名前も忘れ去られた、ただの“残骸”だ。
朽ちたコンクリート。
剥がれ落ちた壁材。
割れた窓から吹き込む夜風が、湿った埃の匂いを運んでくる。
月明かりは弱く、
懐中電灯の白い光だけが、頼りない。
光が揺れるたび、
影が歪む。
何もないはずの場所で、何かが動いたような錯覚が走る。
そのたびに、心臓が跳ねる。
『ほら、なんもねーじゃん』
『ビビりすぎだって』
そんな声を背中で聞きながら、
俺は、じっとりと嫌な汗をかいていた。
この場所は、…まずい。
直感的にそう感じていた。
悪寒が止まらないのだ
街中にいた呪霊の様な気配じゃない。
もっと
濃い、何か
――来るな。
――頼むから、来るな。
そう願った瞬間だった。
その願いはあっさりと打ち砕かれた。
気づいた時には、遅かった。
俺の真横にいるのは、
どう見ても――準一級はある呪霊。
人形のような体躯。
不自然なほど細く、歪んだ四肢。
骨格のバランスが、明らかにおかしい。
人の形を模しているくせに、人間を理解していない。
腹部には、縦に裂けた巨大な口。
皮膚を引き裂くように開いた裂け目の奥では、
歯とも肉ともつかない何かが、ぐちゃぐちゃに蠢いている。
口は、一つじゃない。
顔のあるべき位置にも、
ありえない角度で歪んだ“笑み”が張り付いていた。
唇は裂け、
歯は不揃いで、
目は、感情のない光を湛えている。
――ニタニタと。
楽しそうに。
獲物を見つけた子供みたいに。
そいつの視線は
俺に固定された。
――あ。
これ、やばい。
理解した、その瞬間。
視界が、跳ねる。
足が地面を離れ、
身体が宙を舞い、
何が起きたのか理解する前に――
背中から、地面に叩きつけられた。
ここで俺はようやく理解した。
蹴り飛ばされた。
息が、詰まる。
肺の中の空気が、一気に吐き出され、
喉が鳴り、
声にならない悲鳴が漏れた。
反射的になのか、
それとも、備えとして呪力を練っていたおかげなのか。
蹴られる直前、腹の奥に溜まっていた呪力が咄嗟に、全身へと巡った。
そのおかげで鋭い痛みだけで済んでいる。
骨が折れていない。
内臓も、致命傷は免れている。
クソが。
呪力がなかったら、絶対即死だぞ。
ふざけやがって。
視界の端で、
友人たちが叫び声を上げ、
蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見えた。
呪霊は、逃げる彼らに興味を示さない。
ニタニタと歪んだ笑みを浮かべたまま、
ゆっくり、
だが確実に――俺との距離を詰めてくる。
コツ。
コツ。
足音は軽い。
なのに、一歩ごとに、圧が増していく。
――死ぬ。
また、死ぬ。
いやだ。
クソ、クソ、クソ……!!
さっき思い切り蹴り飛ばされたせいで、脚に力が入らない。
立てない。
逃げられない。
また、死ぬ。
死ぬ。
また――
……ふざけんな。
その時だった。
違和感に、気づいた。
――手の中に、何かある。
「……は?」
一枚の、カード。
見覚えがあった。
何年も握り続けてきた。
何度も、何度も使ってきた。
デュエル・マスターズのカード。
(なんで……?
さっきまで、無かっただろ……!?)
死が目前に迫っているというのに、
俺はカードから目を離せなかった。
今際の際で、
「なんのカードか確認しよう」としている自分に、
思わず笑いそうになる。
……一回死んでも、カードバカは治らないらしい。
指先が、震える。
寒さのせいじゃない。
恐怖だけでもない。
このカードは――
それを“正しく”認識した瞬間、
俺の中で、何かが噛み合った。
歯車の歯が、
カチリ、と正しい位置に収まる感覚。
今まで空回りしていた思考と感覚が、
一気に繋がる。
――ああ。
そうか。
俺は、ようやく理解した。
ダメ元だが、やることは決まった。
これでダメなら、その時はその時。
どうせ、何もしなければこのまま死ぬんだ。
だったら――
足掻いてやる。
呪いを込めろ。
呪力を、練れ。
腹の底で、熱をまとめろ。
恐怖も、焦燥も、全部燃料にしろ。
死にたくないなら――
「……召喚」
腹の奥が、爆ぜるように熱を持つ。
今まで感じていた呪力とは、明らかに違う。
粘度が変わり、質量を持ち、
“形を取ろうとする”感覚。
呪力が、
ただのエネルギーから、
明確な“意味”を帯びていく。
脳裏に浮かぶ、二枚のカード。
一枚は、悪魔神。
その名が示す通り、
顕現すれば世界は闇に覆われると言われる存在。
一度その姿を現せば、
敵味方の区別すらなく、
闇以外のすべてを蹂躙し、葬り去る。
秩序を否定し、
光を喰らい、
世界を"闇"に染め上げる――
悪魔の中の悪魔。
【悪魔神 ドルバロム】
もう一枚は、精霊王。
顕現すれば、
世界は救済の光に包まれると言われる存在。
武を司る聖霊王。
その光威の前では、
光以外のすべてが意味を失う。
闇は祓われ、
邪は裁かれ、
世界は“光”に塗り替えられる。
究極の天使。
【精霊王 アルファディオス】
イメージしろ、俺の術式を!
この呪いが廻る!!クソッタレな世界で生きるために!!!
【悪魔神 ドルバロム】
×
【精霊王 アルファディオス】
【術式連結】
闇と光が、今、同時に降り立つ。
本来なら、決して交わらないはずの概念。
相反し、排除し合う存在。
それを――
無理やり、力ずくで、
一つに“繋ぐ”。
「……来い」
俺は、ただその名前を叫ぶ。
『聖魔連結王 ドルファディロム!!』
瞬間。
天から、廃墟へと一筋の光が突き刺さった。
爆音。
衝撃。
地面が揺れ、空気が裂ける。
視界が、完全な白に染まる。
光が収まった、その場所に――
“それ”は、いた。
廃墟の中心に降り立っていたのは、
人の理解を完全に逸脱した異形の王。
宙に浮かぶ黄金の蓮台が姿を現し、その上に“王”は降臨していた。
その王は肉体の至る所に『連結』するため、ジッパーが取り付けられている。
ジッパーで金色に連結された、悪魔のような六本の腕。
左右に大きく広がる、白と紅を織り交ぜた翼。
その背は、天を覆うかのようにそびえ立ち、
一対ではなく、複数の翼が幾重にも重なっている。
金色に輝く正のエネルギーを浴びた六つの剣。
それらを携えた黄金の腕が、
王の周囲を護衛するかのように浮遊していた
そして、黄金に輝く騎士を連想させる精霊王の頭部。
――そこには、本来あるはずのない“もう一つ”が重ねられていた。
悪魔神の頭部。
だが、それは完全な形ではない。
下顎は存在せず、残されたのは歪んだ上顎のみ。
その上顎は、
ジッパーによって精霊王の頭部へと無理矢理『連結』され縫い止められている。
黄金の装甲に包まれた身体は、
光と闇、聖と魔――
本来、決して共存しない概念を、
無理やり一つに連結された証。
『連結王』の名を冠するディスペクター
《聖魔連結王 ドルファディロム》
〔■■■■■ォォォォオオオオッ!!!〕
咆哮が、空気を震わせる。
空間そのものが、悲鳴を上げているみたいだった。
同時に。
身体の中の何かが、
ごっそり持っていかれた。
……やばい。
呪力、持ってかれすぎだ。
内側が、空っぽになっていく感覚。
視界が揺れる。
視界が霞み、膝が笑う。
だが、倒れるわけにはいかない。
生きるために。
生き残るために。
『――EXライフ』
その言葉に呼応するかのように、
ドルファディロムの体から、赤い魂のようなものが現れる。
EXライフ。
それは、合成獣――
ディスペクターが所持する共通能力。
二体の存在が合体して生まれたディスペクターは、
“命を二つ”持つ。
今、宙に浮かぶ赤い魂こそが、
そのもう一つの命。
合成獣の、第二の魂。
それは、一直線に――
俺の元へと飛来し。
弾けた。
次の瞬間。
俺の身体を包み込むように、
赤い光の膜が形成される。
熱はない。
だが、確かな“守り”がある。
守られている。
理屈じゃない。
直感で、そう分かった。
EXライフという名の盾で
『登場時能力!』
震える声で、
それでも確かに、俺は宣言する。
『多色以外のクリーチャーを――
“全て”破壊する!!』
〔■■■■■ォォォ………!!〕
ドルファディロムが、両手を掲げる。
黄金の光が、収束する。
闇を呑み込み、光を凝縮し、
一点へと集約されていく。
そして――
〔■■■■■ォォォォォオオオッ!!!!〕
閃光。
周囲を吹き飛ばさんとするほどの光が、
廃墟全体を呑み込んだ。
呪霊が、確かに“そこにいた”はずの場所には――
何も、残っていなかった。
肉片も、
黒煙も、
消し炭すら。
ただ、焼け焦げた廃墟だけが、
静かに、無言で佇んでいる。
『は、はは……』
喉から、乾いた笑いが漏れる。
『ざまぁ、みろ……ク、ソッタ……レ……』
その言葉を最後に。
俺の視界は、
完全な闇に沈んだ。
ちょっと盛りました。ディスペクターの描写が難しい…