『双氷の加護 ―世界で一番可愛い弟が、最強の精霊と姉に甘やかされる理由―』 作:can'tPayPay
ユリウス・ユークリウスが訪れる直前、ロズワール邸の午後は、ある「事件」によって完全に時が止まっていました。
稽古の合間、あまりの陽気に誘われて、アルヴは庭の大きな樹の根元でうたた寝をしていました。その頭上では、テンションが上がりすぎて知恵熱を出しかけていたパックが、ふかふかの毛並みをアルヴの頬に寄せて、一緒に丸くなっています。
「う、ん……」
やがて、アルヴがゆっくりと瞼を持ち上げました。まだ意識は夢と現(うつつ)の間。
目の前で自分を心配そうに覗き込む、灰色のふかふかな毛玉を見て、アルヴは無意識に手を伸ばし、その小さな体を抱き寄せました。
「……ん。あと五分、パパ……」
その瞬間、庭園にいた全員が石化しました。
窓から身を乗り出して監視していたエミリアは、持っていたティーカップを地面に落として粉砕し、庭の草むしりをしていたスバルは自分の指を鎌で刈りそうになり、お茶を持ってきたレムは銀のトレイをひっくり返しました。
そして、呼ばれた本人は。
「…………ぱ……ぱ……?」
パックの瞳が、これまでにないほど大きく見開かれます。
「お父さん」という丁寧な呼び方ですら爆発しそうだったのに、まさかの「パパ」。それも、寝ぼけた無防備な状態での親愛の告白。
「り、リアアアアアアア!! 聞いたかい!? 今、アルヴが! ボクを!! パパって呼んだよ!! ママじゃなくてパパだよ!!」
「パック、そこはママでもおかしいわ! っていうかズルい、ズルすぎるわよ! 私だって一度も『ねえたん』なんて呼ばれたことないのに!!」
エミリアが二階の窓から文字通り飛び降りてきました。
「アルヴ! 起きて! アルヴ、今なんて言ったの!? もう一度、もう一度だけお姉ちゃんの方を向いて、今度は私のことをもっと可愛く呼んでみて!」
「……わっ、姉さん!? パックも、急に騒がないでよ……。え、僕、何か言った?」
完全に目が覚めたアルヴが顔を赤くして後ずさりしますが、もはや手遅れです。
パックは涙(のような魔力の滴)を流しながら、アルヴの周りを高速で旋回し始めました。
「今日という日をルグニカの祝日にしよう! ボク、もう決めたよ。アルヴ、パパが君を最高の男にしてあげるからね! 誰にも君の指一本触れさせない。たとえ騎士だろうが王様だろうが、パパが全部蹴散らしてあげる!」
そんな「親バカ精霊」が狂喜乱舞し、エミリアが「ずるい、ずるい」と地団駄を踏んでいる異様な光景の中に、ユリウス・ユークリウスは足を踏み入れてしまいました。
「……失礼する。騎士ユリウス・ユークリウスだ。……ええと、私は何か、見てはいけない儀式の最中に来てしまっただろうか?」
流石の「最優の騎士」も、エミリアがアルヴの頬を両手で挟んで「ねえたん、って言って!」と迫り、大精霊が「パパだよー!」と叫んでいる惨状には絶句するしかありません。
「ユリウス……ちょうどいいところに来たわね」
エミリアが、アルヴを背中に隠しながら、冷徹なまでの笑顔でユリウスを振り返りました。
「アルヴに手合わせをしたいんですって? いいわよ。でも、もしアルヴの服に少しでも土がついたら……私と、あそこにいる『パパ』を自称する大精霊が、あなたを全力で相手するわ」
「……あ、ああ。覚悟しておこう。……(この少年、なんて過酷な環境で生きているんだ……)」
ユリウスは、アルヴに同情の眼差しを向けつつ、静かにレイピアを抜きました。
最強の姉と、パパ呼びで覚醒した最強の精霊。二人の熾烈な視線が突き刺さる中、アルヴとユリウスの、あまりにも「やりづらい」手合わせが始まろうとしていました。