頭のおかしい全肯定娘が、事故で過去に飛ばされて自分の時代を救うまで 作:土縁屋
──17番の脳裏には、この研究所で過ごした日々が再生されていた。
いいことは、なかったように思う。
悪いことは──どうだろう。17番にはわからない。
黒い器具。
針。
石ころみたいな瞳。
“ポイッ”とされていく仲間達。
──そして、
──正気を取り戻す。
17番は管に構わず、指先で頬を吊り上げた。引きつった、へたくそな笑みを浮かべて、床を強く、強く、踏みつけた。
少女は無我夢中で管を引っ張った。
結晶トカゲは宙へと舞い上がり、引き寄せられる。逆さまになって落ちてくる、透き通った石ころ頭に──頭突きを食らわせた。
鈍く伝わる衝撃。視界が赤く染まる。
管から流れ込む蒼い色と、思考を揺らす赤い色が混ざり合って溶け合う。
──大丈夫。こんなの痛くない。
気持ち悪くなんかない。
流れ込む浸食が、意思の赤色によって圧し潰されていく。震える膝で、それでも揺らぐことなく床を踏みしめる。
戦い方なんてわからない。
都合のいい必殺技なんて持ってない。
──でも、痛さに負けたことは一度だってないんだ。
──だから、前に進むだけ。
キリキリとトカゲが鳴く。
その黒い眼差しは、17番を個として捉えていた。
──けれどもう、そんなのはどうだっていい。
──あの笑顔を護る……それだけなんだ。
──けれど。
トカゲは確かに17番を見ていた。
無機物のように冷ややかで、狩人のように酷薄な視線──。
だからこそ──。
「──ァ」
──51番が狙われた。
愛玩具もどきは、きわめて冷酷に、合理的に、17番の拠り所をへし折りに来た。
白髪の少女は止めようとした。
真紅の瞳を焦りと怒りで燃やし、自分に突き立てられた管を使って引き寄せようとする。51番がやられるより先に、結晶人をやっつけようとした。
間に合え……。
──いや、間に合わせてみせる。
──けれど……
「ァアッ!」
間に合わなかった。管が桜色の少女に突き刺さる。
51番は小さく悲鳴を上げると、痙攣した。
──まだだ。
──まだ間に合う。
17番にだって管が刺さっている。けれども、身体は動かせた。意識だってはっきりしている。なら、自分が平気な内は、51番だって平気なはずだ。
願うようにそう結論して、釣り上げたトカゲへ、もう一度頭突きを叩き込んだ。
軋む頭蓋。
廻る視界。
こみ上げる吐き気。
ぜんぶ──全部、無視をして、拳を握り込む。
そして、一撃。二撃。
結晶の頭でっかちへ何度も何度も拳を叩きつける。皮が破け、肉が露出し、拳が砕けても止まらない。止まることなどできるわけがない。
「────ッ!!」
そして。
ついに全身全霊の一撃が、乾いた音と共に、石ころ頭を叩き割った。
──17番は気を失ってしまいたかった。
このまま倒れ込んで、深い眠りへ落ちてしまいたかった。けれどもなんとか身体を動かして、51番の元へ向かう。
「……ゥ、ァ──」
桜色の少女は──手遅れだった。
生きてはいる。
息はあった。
抱き起こした身体は、ちゃんと温かかった。
──けれど。
けれども、浸食だけが止まらなかった。
少女の白い肌が少しづつ、ゆっくりと結晶へと変貌していく。どうにかせき止めようと手のひらを押し付けて防壁にするが──まったく意味はない。
どうしてか、頬に熱いものが伝っている。なにか、よく分からないものが流れていた。
それは涙だった。
笑顔しか持たなかった17番が、生まれて初めて初めて流した、感情の雫だった。
51番は、必死に結晶化をせき止めようとしている白髪を見て、しばらく戸惑っていたが、やがて。仕方なさそうな笑みを浮かべた。──それは、17番を安心させるような微笑みだった。
自分の方が痛いのに。ずっと怖いのに。
そして、かすれた声で、
「──ねぇ。……笑って、いてね……」
優しく、
「あなたの笑顔って……」
願うように言った。
「みんなに元気をあげられるから──」
17番は頷く。頷くしかなかった。
噛み締めるみたいにして、その言葉を、願いを、心に刻み込んで、鍵をした。──忘れてしまわないように、失くしてしまわないように。
「──これ……。持ってってほしいの……。私が……私って子がいたんだって……忘れないでほしいの……」
震える指先が、そっと黒いリボンを差し出す。
蒼い瞳には恐怖が揺れていた。
それでも、17番に見せまいとする優しい気遣いがあった。17番はリボンを受け取ると、結晶化の進む彼女へ、なんとか言葉を贈ろうとした。
きっと言いたかったのは、忘れないよ、とか。
ありがとう、とか。
助ける、とか。
そんな陳腐な言葉の羅列だった。
けれども、そんな言葉さえ、今の17番は知らなかった。
──何も言えないまま、時だけが過ぎ去った。
見るも無残な数分間だった。後にも先にも二度とない、最低の時間。
やがて、51番は完全に繭となった。
それを見届けると、白髪の少女は静かに立ち上がる。その真紅の瞳には、悲壮にすぎる決意が宿っている。
──大丈夫。
忘れないよ。
17番を侵していた青い光が、紫ともピンクともつかない色へと変わる。少女は身悶えするように蹲ると、自らの内を満たす強い光を、強く掻き抱いた。
──そして。
光が収まった時、17番の白髪には侵食するような桜色がまじり、左目が蒼へと変わっていた。
──私が、持ってく。
貴女がいたんだ、って痕跡を。どこまでも。
──17番は、笑顔を作った。
指先で頬を吊り上げて、涙にまみれた一番下手くそな笑顔を必死で作った。
───
17番は研究所を脱出した。
気が付けば、一人きりだった。
どうにか部屋の鍵をこじ開け、踏み出した研究所の中はまるで結晶の森。あの残酷な青い繭でびっしりだった。
17番は近くに潜んでいるかもしれない結晶人を警戒しながら、出口を目指した。
──初めて歩く外は薄暗かった。
17番は
──そこにあったのは、満天の夜空。小さく光りを放つ星という名の宝石だった。
その中でいっそう煌めく一等星に、17番は目を奪われた。何故だろう。そんなわけないのに、救われたような気さえした。
遠くて──。
静かで──。
けれど確かにある。
そんな輝きが網膜に焼き付いた。
──私も、あんな風になりたいな
ソレは何もかも持たない少女の内に、一欠片の星が生まれた瞬間だった。