頭のおかしい全肯定娘が、事故で過去に飛ばされて自分の時代を救うまで   作:土縁屋

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五十六話 逆風ブレイブ・後

「こんにちは☆ なんだか凄いことになってますね。ヒイナちゃんにもお手伝い出来ること、ありますか?」

「い、いや……。こっちは大丈夫だ。その……あんたは子供達の相手でもしててくれ」

 

 葛藤するアワキの耳に、場違いに明るい声が滑り込む。それはほんの数日前から村に滞在している旅人の声だった。

 答えた男の声には、戸惑いと、どこか呆れたような色。桜色の混じった白髪を揺らし、ニコニコ顔で話すのは場を和ませようとしているのか、それとも単に空気が読めないだけなのか。

 聞くところによると、ソウザンに向かう旅の途中らしいが──あそこはジョウヒの反対側だ。迷子にもほどがあった。

 

 ヒイナは大人へ「オッケーおまかせっ☆」と軽快に受け流すと、子供達へと歩み寄った。顔には陽だまりのようなにっこり笑顔。

 ゴソゴソと懐から取り出したのは、星の形をした小さな石ころ。どこにでもあるような安っぽいなオモチャだが、その形と鮮やかな染色は子供達の興味をひいたようだった。

 

「見て見てっ。これ、ヒイナちゃんの宝物。星の石だよ☆ 綺麗でしょ。いっぱい持ってるから、みんなにもわけてあげるね☆」

「わぁ……」

「ありがとう! お姉ちゃん!」

「やったねハッピー☆ どういたしまして☆」

 

 そこで一瞬、ニコニコ顔が真顔に戻るのをアワキは見逃さなかった。

 蒼と真紅のオッドアイは強すぎる感情をたたえ、燃え盛るようにギラついた。

 そこに見出すのは果たして決意なのか、修羅めいた殺意なのか……。あるいは希望か。気弱な村娘には判断がつかなかったが……。

 そしてヒイナは再び笑顔に戻ると、

 

「……きっと大丈夫だからね。怖いことにはなんないよっ☆」

 

  ……アタシがさせない、と。

 明るく言った。けれども最後の方は小さく、独白するように。

 運命さえも砕き潰してしまうように、強く、強く決意の込められた声だった。

 

(……あの人。どうしてあんな風に笑えるんだろう)

 

 逃げてしまえばいいのに。

 縁もゆかりも無い集落の子供達に、笑顔を振りまく義理なんか何にもないのに。ここに留まることはすなわち、命を縮めることに等しい。

 アワキ達にとっては故郷だ。

 心の底では死にたくないと思っても、郷土を護るためだと言って自分に言い訳ができる。けれど、彼女はそうじゃない。単なる旅人だ。

 

(──逃げるべきなのは、ボクじゃない。彼女だ)

 

 子供達へ手を振って、踵を返した背中を追いかける。

 何を言うべきかは決まっていた。

 だから、喉の奥に張り付いた震えを、無理やり言葉に変えて叩きつける。

 

「──逃げてください!」

「んぇ? ん? なんで?」

「それは……」

 

 言葉に詰まった。

 だって村の大人達がしていることは、心に決めた覚悟は、静かに首を差し出して待つことに等しい。軍隊の助けもなしに魔族に勝てるわけがない。

 言ってしまえば村を挙げての無理心中だ。それでも、その残酷な事実を口にすることは躊躇われた。

 魔族は必ず来るのだろう。襲い来て、蹂躙する。

 それが明日か、今日か──あるいは一時間後になるかはわからない。

 けれども確実に、この平穏は紙のように引き裂かれて、滅び去るだろうということ。

 そして、その滅びに義理のない人を付き合わせるのは道理が通らない。そんな不条理は許されてはならないことだった。

 

「それはっ! ……もう少しで、この村が滅ぶからです。何もかもみんな、みんな踏み潰されてしまうから……っ。

 貴女は……ヒイナさんは、旅人でしょう? ボク達に付き合って、一緒に死ぬ必要はないんです!」

「んー……。でもでも、もしかしたら何とかなっちゃうかもしんないし……」

 

 喉を潰す勢いで声を張り上げても、彼女は何処吹く風。困ったように首を傾げるだけだ。

 

「ならないですよ! 道理で考えてよっ!」

 

 ついに、アワキの理性が決壊した。

 震える拳を握りしめ、自分を縛り付けていた恐怖と、届かぬ託宣への怒りを、目の前の“楽天家”にぶちまける。

 

「──希望なんか、いったいどこにあるって言うの! ……ないよ! どこにもないっ!」

 

 あの魔族をどうにか出来るなら、本当の本当にそんな都合のいい力があるのなら、それは素晴らしいことだ。醜悪な鬼共を打ち祓い、人の世界へと平和をもたらす。甘く芳しい──夢物語だ。

 感情的に任せた大声がヒイナを貫いた。けれども白髪の少女は静かに微笑んで、たじろぎさえしなかった。

 

「あるよ」

 

 それは、道に迷った子供を抱擁するような、慈しみと思いやりに満ちた声だった。

 

「みんな持ってるよ、希望。おいしいご飯を食べたいな、とか。明日はもっといい日になりますように、とかね。……ぜんぶ、ぜんぶ綺麗で素敵な希望なんだよっ」

 

 そして、ヒイナはあの底抜けに能天気なニコニコ顔を浮かべた。夜闇に小さく光を放つ、星のような笑顔を。

 

「……だから、だからね。ヒイナちゃんは戦うんだよ。だってヒイナちゃんは、みんなの希望なんだものっ☆」

 

 彼女の言いようは、あまりに傲慢で──あまりにも純粋だった。道理を、理屈を知ったことではないと宣言するような。そして迫りくる絶望さえも、笑顔で抱きしめて抱え続けてしまうような。

 その笑みに、アワキは言葉を失うしかなかった。

 

 同時に、胸中に去来するのは、これまで“当たり前”すぎて見落としていた平穏の記憶。

 煮物の湯気、友人の笑い声、両親の掌の温もり。

 特別なものなんて何ひとつなかった。──何もかもがなんでも無くて、だからこそ尊いものだった。

 

 逃げることばかり考えていた。

 命を守ることばかり、保身ばかり考えていた。ソレは確かに道理で、根源的に正しいこと。断じて間違いではない。

 けれども滅びを目前にしてもなお、大切な“何か”を護るために命を投げ出す。それもまた、人間が持ちうる尊い道理の一つなのだろう。

 胸中に流れるのは、女神の朗々たる声音。

 

 アワキは垂れ目を吊り上げて、目の前のオッドアイを強く睨みつけた。

 この心の──胸の内側から溢れてくる衝動が、少しでも伝わるよう祈って。

 

「……ボクも連れてってください」

「ダメ」

 

 ヒイナは頷かなかった。

 主語のない、突拍子もない村娘の言葉に真っ向から向き合って、その上で切り捨てた。

 アワキは気が付いていた。……いや、今にして思い至ったといってもいい。

 子供達の前で見せた、あの強い瞳──“燃え盛るような眼差し”。その意味に。

 戦うつもりなのだ、彼女は。

 全ての絶望を、小さく華奢な背中で引き受けて、希望という名の傲慢な決意を胸に抱いて。

 迫りくる滅びも、血の涙も、何もかもをなかったことに、起きなかったことにするつもりなのだ──たった独りきりで。

 

「……それでも、ボクは勇者です。大土様から魔王を倒せと託宣を受けた、英雄なんです!」

 

 鼻で笑われるのだろうと思った。そんな嘘はよせと、また罵られるのだと思っていた。

 けれども、白髪の少女は驚くほど素直に頷いた。

 

「……そっか。

 でも、ごめんね。ヒイナちゃんは誰にも傷ついてほしくない。だから、そのお役目盗んじゃうね」

 

 少女の言葉には、声音には、瞳には、一切の疑いがなかった。アワキ自身さえ、半信半疑の荒唐無稽な“託宣”を、彼女は呼吸をするように肯定した。

 けれど──肯定した上で、「来てはいけない」と、続く道を塞いでみせた。

 

「大丈夫。大丈夫だからね。……なんにも起きないよ。

 ……だって、全部ヒイナちゃんがやっつけちゃうからね」

 

 柔らかな温もりがアワキを包んだ。

 耳元に甘やかな少女の声が優しく囁かれ、本能的な安堵を覚えてしまう。

 ──それじゃ、いけないのに。

 やっと、信じてくれる人が出来たのに……。

 

「ぁ……」

「じゃあ、行ってくるね☆」

 

 体を離すと、ちょっぴり背伸びして頭を一撫で。

 その手は温かくて、頼りないほどに小さい。

 止めに入る間もなく、彼女はひらひらと手を振りながら歩き出してしまう。伸ばした手のひらが、行き場を失って宙をさまよった。

 

(……無力だ。ボクは、無力だ。弱虫で、剣さえ満足に振れなくて──)

 

 でも。それでも。

 

(勇者だ。……たとえ、あの託宣が夢に過ぎなくったって、少なくとも一人、信じてくれる人がいる)

 

 それは門兵の嘲笑も、己の卑屈さも、すべてを吹き散らすほどに温かな“肯定”だった。

 勇者は、力があるから立つのではない。信じてくれる誰かがいるからこそ、泥を啜ってでも立ち上がるのだ。

 なら──ならば。

 その最初の理解者を、ここで失うわけにはいかない。失いたくはない。だからこの衝動に満ちた気持ちもきっと、道理なのだ。

 俯いた顔をゆっくりと、けれども確かに真っ直ぐに上げる。

 視線の先。彼女が消えていった村の入り口、その向こう側に広がるのは不吉な地平。

 

(追いかけよう。追いかけて、一緒に戦うんだ)

 

 膝の震えが止まったわけではない。

 いきなり強くなったわけでも、特別な何かに目覚めたわけでもなかった。

 ──怖い。死にたくない。

 けれども、勇者の卵は誰に命じられた訳でもなく、自らの足で一歩を踏み出した。

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