大学の帰り道。俺は気だるそうに駅へ向かって歩いていた。
別に俺は特別目立つわけでもない。
運動が特別出来るわけでも、勉強が飛び抜けているわけでもない。
どこにでもいる普通の大学生。
あ、そうそう。名前は……凛馬。
「今日の晩飯どうしようか……」
財布の中身を思い出しながら、小さく呟いた。
「家には……帰らなくていいか」
安いとこで済まそうか?
それともコンビニで適当に買うか?
そんな平和な悩みを抱えながら歩いていた。
「明日も一限……」
ため息を吐きながら空を見上げた。
その瞬間だった——
「……っ!?」
突然、胸の奥が熱くなった。
まるで心臓を直接焼かれているような感覚が俺を襲う。
思わず足を止めてしまった。いや、止めざるを得なかった。
次第に息が苦しくなり、視界が揺れ始める。
(なんだよ……これ……!?)
心臓が暴れ、全身を熱が駆け巡る。
周囲の音が遠ざかっていく気がした。
信号機の音も、車の走る音も、あらゆる環境音のすべてが歪む。
「っ……!」
次の瞬間、視界が強い光に包まれた。
「……?」
——何かが、胸の奥へ流れ込んでくる気がした。
温かくも冷たくもない、不思議な感覚。
まるで、“もう一つの鼓動が自分の心臓と重なった”ような。
(……なんだ、今の)
一瞬だけ——誰かが俺の肩にそっと手を置いた感覚がした。
けれど振り返っても、そこには誰もいなかった。
まぁ、見えるはずもなかった。
だが一つだけ確かなのは、肩に残る温もりだけは不思議と消えなかった。
「……」
そして、俺の意識は光の中へ飲み込まれた。
◇◇◇
目を開けると——そこには見慣れぬ景色。
街も建物もさほど変わりはなかったが、どこか異質だった。
そして何より——
「……ッ!?」
目の前の光景を見て、俺は戦慄した。
通りを歩く影のいくつかは明らかに人ではなかった。
そして空気には、獣の様な匂いが混じっていた。
「夢……か?」
そう思いたかったが——足裏に伝わる石畳の冷たさだけはやけに現実的だった。
戸惑いながらも、とりあえず歩みを進めてみた。
——常に妙な視線を感じる。
通りを歩く連中が、やけに俺を見ている気がした。
(なんだ……?)
けれど、その理由を考える余裕はなかった。
もう自分の事で手一杯なのだから。
俺はなるべく下を向いて歩いていた。前も構わず、歩みを進める。
すると——
「にゃっ!?」
ドンッ——
誰かと肩がぶつかってしまった。
「痛ぇ……」
俺からぶつかったはずなのに何故か少女はびくもとしていなかった。
いや、そんな事考えてる場合じゃない。
とりあえず謝らなくては……
そうして顔を上げると、そこには赤い髪をした少女が立っていた。
「にゃっ!? 君……」
すると少女は目を丸くした。
俺の頭を見つめ、次に腰元へ視線を落とす。
その表情が、みるみる驚きに染まっていったのが分かった。
「み、耳が……ないにゃ」
「え?」
「しっぽも……」
少女は小さく息を呑む。俺は意味が理解できなかった。
「……人間!?」
「……は?」
本当に何を言っているんだと思った。
人間なんて当たり前だろ。
そう思いながら少女の顔を見つめる。
その瞬間——俺は息を呑んだ。
頭の上には、猫のような赤い耳。
腰のあたりでは、同じ色の尻尾が小さく揺れている。
「……え?」
思わず周囲へ目を向ける。
通りを歩く人々にも、少女と同じ様な獣耳と尻尾が生えていた。
そして凛馬は確信する——
“少なくとも、ここは俺の知っている世界じゃない”
その事実だけが、嫌というほど現実だった。
俺は言葉が出なかった。ただ目の前の少女を見つめることしか出来ない。
すると次々と周りに人(?)が集まってきた。
「え! 人間!?」
まず初めに金髪の狐の様な耳を持つ少女が、興味深そうに近づいてきた。
「……本物?」
次に黒髪の豹柄の獣耳を持つ少女が、無表情のまま、ジト目で俺を見つめてきた。
「本当だ! 僕人間見るの初めて!」
青緑色の丸い耳を持つ少女が、目を輝かせながら俺の周りをぐるぐる回っていた。
「ちょ、ちょっと……!怖がってますよ......!」
最後に白く長い耳を持つ少女が、慌てて割って入ってきた。
「にゃはは〜! 人間なんて初めて見たにゃ!」
赤い猫耳の少女は目を輝かせると、何の躊躇もなく俺の手をぎゅっと握った。
「大丈夫大丈夫! 怖くないにゃ〜。
私がお家まで連れてってあげるにゃ!」
まるで迷子の子猫に話しかけるような優しい口調だった。
だが俺は反射的に、その手を引いてしまった。
だが——
「……え?」
確かに、力を込めて引いたはずなのに——
その小さな手はびくともしなかった。
まるで鉄の輪で繋がれているようだった。
「どうしたにゃ?」
赤い猫耳の少女はきょとんと首を傾げる。
「……その、悪いんだけど」
俺は声を絞り出して言った。
「とりあえず……手を離してくれないか?」
「……にゃ?」
赤い猫耳の少女は目をぱちぱちと瞬かせた。
「しゃ、喋ったにゃ!?」
「……え?」
またまた理解に苦しんだ。人間が話すなんて当たり前だろう。
「え、えっと……人間って、お話できるにゃ!?」
凛馬は思わず辺りを見回した。無数の視線と目が合う。
向けられる視線は様々だった。
好奇心、観察、畏怖、そして——警戒。
少なくとも、歓迎されている空気ではない
――どうして、そんなに驚かれているんだ。
「警戒心はあるんだ。へぇ〜……」
金髪の狐耳少女は目を細めながらつぶやいて近づいてきた。
「でもさ、人間が一人でいるのは危険だよ?ペットとして飼われちゃうか……」
すると急にぐっと距離を近づけられた。
「食べられちゃうかもよ〜!?」
金髪の狐耳少女がからかうように言った。
その言葉に、俺の心臓が自分でも分かるぐらい跳ねた。
「……え?」
本当に言葉が出なかった。
(冗談だよな……?)
俺の人生、こんな奴らに喰われて終わるのかよ……
「……脅かすな」
すると今度は黒髪の豹耳少女が言い放つ。
(なんだ冗談か……)
とも思いたかったのだが——目の前の状況を見るに、本当でもおかしくない気がした。
俺の体は分かりやすく震えた。
「でも、事実ではある。
人間なんて初めてからな。
どうなるかわからない」
この一言に、凛馬の背筋は凍った。
(俺……どうなっちまうんだ!?)
そこで、白く長い耳を持つ少女が優しく話しかける。
「と……とにかく! まずは落ち着いて話しましょう!
えっと……名前は?」
「凛馬……です」
「私は兎原ミナ、兎族です。
あの赤い子が紅葉ミケ」
「紅葉ミケにゃ! 猫族にゃ!」
「それからあの青い子が森下アオ」
「熊族だよ! よろしくね!」
「あの意地悪な人は金城コハクです」
「ちょっと!?」
「後ろの黒い子は黒瀬ヒョウカです」
「……豹族だ」
「あぁ……よろしくお願いします」
いきなり自己紹介されても、何のことだがわからないが——
ここまで律儀に話せるなら、すぐには喰われないだろう。
まぁ結局、喰われるかもしれないって疑念は晴れそうに無いが……
「僕たち、悪い人じゃないから!ね、信じて?」
アオが心配そうに俺を見上げているのが分かった。
その心配すらも、俺にとっては信用できなかった。
その笑顔や耳と牙、爪の先が妙に目についた。
さっきまで可愛く見えていたはずの笑顔が、どんどん恐ろしくなって来た。
(猫族やら熊族やら……なんだよそれ)
一旦——ここは、人間の世界じゃない。
俺はそう確信した。
見れば分かることだが……いざ実際こうなってしまうと判断が鈍ってしまうものだ。
(……一か八か逃げてみるか?)
だが仮に逃げ切った後、俺はどこへ行けばいい?
考えてみた。
何度考えてもそう簡単には出ない。
そして俺の脳内を過ぎった未来は——
得体も知れない人間の姿をした獣たちに食い荒らされる自身の姿。
(絶対に嫌だ!!!)
再び思考を巡らせる——
(……一旦逃げる案は捨てよう。)
あまりにもリスキーだ。
それに、さっき手を引こうとした時に感じた、あの力の差。
そして俺からぶつかったのに、俺が弾き飛ばされたように転んだ。
“勝てない”。
それだけはどんなバカでも分かった。
そして目の前の5人に視線を移した。
「……」
俺の判断を待つかのように全員俺を見ていた。
急かされてる様にも見えたし、
期待されてる様な気もした。
俺は一旦冷静に状況を考えた。
そして——今この場で唯一頼れるのは目の前の彼女たちしかいなかった。
その事実がなにより嫌だったが。
(俺は賭ける……賭けるぞ!)
一か八か賭ける事にしてみた。
最悪、喰われてもいい。
……まぁ、可愛い子になら。
——そんな煩悩を慌てて押し込んだ。
「……分かった。そこまで言うなら信じてみる」
そういった声は震えていた。
そしてこの時はまだ知らなかった——
その判断が——自分の運命を大きく変えることになるなんて。
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