この2日間は生きた心地がしなかった。それでも窓の外では、虫の声が静かに響いている。
凛馬は、布団の上で仰向けになったまま、天井を見つめていた。
今日、門が開く。帰れる。
その言葉だけが、心臓の奥で何度も跳ね返っていた。
「…帰れる、か」
小さく呟く。目を閉じると、元の世界の風景が浮かぶ。
通い慣れた道。家の玄関。弟の背中。
きっと、何も変わっていない。自分がいなくても、回っていた世界。
「…俺が戻ったところで」
言いかけて、言葉を飲み込む。
違う。それは、ただの言い訳だ。
戻れば、やり直せるかもしれない。今度はちゃんと、向き合えるかもしれない。
―それでも、ここで過ごした日々が浮かぶ。
屋上の昼休み。名前を呼ばれる声。
どうでもいいはずの時間が、何より大事だった。
「…怖いんだよ」
誰に言うでもなく、吐き出す。帰るのも怖い。残るのも怖い。
帰れば、また“足りない自分”と向き合う。残れば、もう二度と戻れない。
どちらを選んでも、何かを失う。
やがて、ゆっくりと身体を起こした。そして窓の外を見る。この世界の夕焼け空。
最初は異物だった景色が、今は少しだけ落ち着く。
「…俺」
拳を握る。
「俺は、どうしたい」
"正しい方"じゃない。"楽なほう"でもない。
心の奥にある、本音。
しばらく考えて。ふっと、力が抜ける。
「…そっか」
小さく笑う。帰れることが嬉しいかと聞かれたら、答えは曖昧だった。
でも、この世界を失う想像をしたとき、胸がはっきり痛んだ。
それが、"答え"だった。
「…俺は」
まだ声には出さない。けれど、もうほとんど決まっている。怖いから残るんじゃない。ここで、生きたい。
必要とされる自分を、逃げずに続けたい。
ドアの向こうから、足音がする。
「凛馬、準備できたにゃ?」
ミケの声。凛馬は、一瞬だけ目を閉じる。そして、いつもの声で返す。
「…ああ、できてるよ」
門の前で言う言葉は、もう決まっている。怖さは消えない。
でも―逃げないと、決めた。
夕暮れの神殿跡は、静まり返っていた。
崩れた石柱の中央。空間がゆらぎ、淡い光が円を描く。向こう側には、凛馬の元いた街並みがぼんやりと映っている。
空は茜色に染まり、長い影が石畳に伸びていた。
校長が一歩前へ出る。白いたてがみが、夕風に揺れた。
「まもなく刻限だ。門は日没とともに閉じる」
低く、重い声で校長は言った。
「凛馬くん。これが最後のチャンスだ」
六人が、凛馬の後ろに並ぶ。誰も、無理に笑っていない。
ミケは、凛馬の隣に立つ。手は繋がない。ただ、触れられる距離にいる。
「…凛馬」
その声は、震えていない。震えないようにしている。
「選ぶのは凛馬にゃ。私は、どっちでも誇りに思うにゃ」
コハクが拳を握る。
「どっちでも、友達だよ」
アオは静かに頷く。
「……後悔だけは、しないでね」
ミナは自分の胸に手を当てる。
「…あなたが決めた未来なら、応援します」
ヒョウカは短く言う。
「胸張れ」
校長が凛馬を見る。
「帰れば、元の人生が待っている。残れば、君はこの世界の一員として生きることになるどちらも、正解だ。だが―選ばなければならない」
門の光が強くなる。凛馬は、一歩踏み出した。足先が光に触れる。
懐かしい匂い。遠い記憶。弟達の背中。いなくても困らない自分。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
―帰れば、楽だ。
迷わなくていい。ここで築いたものを、背負わなくていい。
でも―
振り返ると、夕陽を背にした仲間たちがいる。確かに自分を見ている人たちがいる。待ってくれている人たちがいる。名前を呼んでくれる人たちがいる。
―それだけで、十分だった。
「…俺は」
声が掠れる。怖い。本当は、どちらも怖い。
それでも。
「俺は、もう―」
ゆっくりと、門から足を引いた。光がざわめく。
「“余る”場所に戻るのが怖くて残るんじゃない」
凛馬は震える手を抑えるように拳を握る。
「ここで、ちゃんと必要とされる自分になりたい」
視線をまっすぐ前に向ける。
「逃げるんじゃない。選びたい」
そして、はっきりと言った。
「俺は、この世界で生きます」
一瞬の静寂。次の瞬間―
門が大きく軋み、光が弾ける。空間がひび割れるような音を立て、向こう側の景色が崩れていく。空の端で、太陽が地平線に沈んだ。
校長が静かに目を閉じた。
「…そうか」
門は完全に閉じ、神殿跡には赤く残る夕焼けだけが残った。
帰り道は、消えた。
「…はは」
震える笑いがこぼれる。
「帰れなくなったな」
それなのに、不思議と息はしやすかった。
次の瞬間。
「にゃああああ!!」
ミケが泣きながら飛びついた。
「ばかにゃ!かっこつけすぎにゃ!!」
胸に顔を埋めて、泣きじゃくる。凛馬は、ゆっくりとその背に手を回した。
「…姉ちゃん」
初めて、自分からそう呼ぶ。
コハクが安堵のため息を吐き、アオが小さく笑う。
ミナは目元を押さえ、ヒョウカは「やれやれ」と呟いた。
校長が、厳かに告げる。
「本日をもって、凛馬くんはこの世界の住人だ」
朝日が差し込む。凛馬は、もう門を見なかった。迷いは、消えていた。
最後まで見てくださりありがとうございます!
これからの凛馬の人生、どうなって行くのか、、、要注目です!
反応くださると励みになります!