「さあ、みんな。もう帰ろう」
凛馬がそう声をかけると、ミケが一瞬きょとんとした顔をしてから、勢いよく頷いた。
「にゃ!そうにゃ!早くお母さんに報告するにゃ!」
ミケは凛馬の手を引いて飛び出す。その足取りは軽く、尻尾も楽しそうに揺れていた。さっきまで泣きそうだったとは思えないほど、足取りは軽かった。
「ああ、少し待ちなさい。」
校長の低い声が、静かに呼び止める。
振り返ると、校長はすでに一式の書類を整えていた。まるでこの結果になることが分かっていたかのように。
「え…」
凛馬が目を瞬かせる。
「君がどちらを選んでも動けるよう、準備はしておいた」
校長は淡々と告げる。
「選択とは、覚悟だけでなく手続きも伴うものだ」
差し出されたのは、想像以上に分厚い書類の束だった。
「養子縁組の正式書類だ。紅葉さんのお母様に渡して、署名をもらってきなさい。それと…これもだ」
小箱が開き、仮の学生証が現れる。
「明日から使用できる。写真は後日撮影だ」
「にゃ!ありがとうございますにゃ、校長先生!」ミケは深々と頭を下げ、凛馬も慌ててそれに倣った。
夕日が街を朱色に染めていた。昼間とは違う、どこか柔らかな光に包まれながら、六人は自然と横一列になって歩き出す。
夕焼けの中を歩きながら、凛馬は何度も名札に触れた。本当にここにいていいのかを、確かめるみたいに。
「じゃあ、今日はミケの家でお祝いかな?」
コハクが提案する。
「ふふ、盛大にやらないと」
「…俺も行く」
「私も、ご一緒させてください」
そんな会話を聞きながら、ミケは凛馬の手をぎゅっと握る。
「にゃ!凛馬、今日から本当の家族にゃ!」
その言葉に、凛馬は小さく息を吸った。
「…ああ」
道行く獣人たちが、人間の少年に驚いたような視線を向ける。それでも、凛馬はもう俯かなかった。首元の名札には「飼い主:紅葉ミケ」と刻まれている。
その文字は、かつて感じていた息苦しさを伴わない。ただ、ここに帰る場所があるという事実を示しているだけだった。
「お母さん!ただいまにゃ!大ニュースにゃ!」
玄関から飛び出してきたミケの母は、全員の顔を見渡して目を瞬かせた。
「まあ、今日もずいぶん賑やかね。どうしたの?」
ミケは息を切らしながら、凛馬がこの世界に残ること、家族として迎え入れられることを一気に説明する。
母はしばらく黙って聞いた後、凛馬の前に立った。
「…そう。凛馬くん、私たちを選んでくれてありがとう」
その言葉が、真っ直ぐ胸に落ちた。そして、迷いなく抱きしめられる。
「これからは、本当の家族ね」
その温もりに、胸の奥がじんわりと熱くなる。抱きしめられるという行為が、こんなに安心するものだとは知らなかった。
「にゃ…お母さん…」
ミケも抱きつき、三人で小さな輪ができた。その様子を、仲間たちは誰も邪魔せず、静かに見守っていた。
その夜、食卓にはごちそうが並び、笑い声が途切れることはなかった。皿を取り分けられ、名前を呼ばれ、当たり前のように話しかけられる。その全部が、まだ少し不思議だった。
凛馬は何度も周囲を見渡しながら、心の中で確かめる。
―帰ってきた。胸の奥がそう言っていた。
食事も終盤に差し掛かり、笑いも落ち着き食器の触れ合う音だけが残っていた。
その時―凛馬はぽつりと口を開いた。
「…なあ。せっかくこの世界の住民になったなら、俺も獣人になれたらいいのにな」
その瞬間、箸の音が止まり、空気が張りつめる。
誰もすぐには言葉を返せず、ただ静寂だけがその場を支配していた。
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