二人が学校に向かう途中、いつもの合流地点に差し掛かると――
「凛馬ー!! おっはよー!! にゃー!!」
ミケが凛馬に飛びつく。赤い猫耳がぴょこぴょこと揺れていた。
「おはよう、凛馬!今日は能力測定だね!楽しみだよ!」
アオが笑顔で手を振る。その青緑色の髪が朝日に輝いていた。
――その無邪気な笑顔に、凛馬の胸がわずかに温かくなる。
「おはようございます。凛馬君、ヒョウカさん。今日はしっかり測定に臨みましょう」
ミナが真面目な表情で挨拶する。三つ編みが静かに揺れた。
「あら〜?凛馬、ヒョウカの家、どうだった?ちゃんと楽しめた〜?」
コハクがニヤニヤしながら二人を交互に見る。金色の瞳が悪戯っぽく光っていた。
「……普通だ。別に何もなかった」
ヒョウカが素っ気なく答える。だが頬がわずかに赤い。
「本当に〜?なんか怪しいにゃ〜!」
ミケが疑いの目で二人を見る。
「まあまあ、今日は能力測定だよ!凛馬、どんな結果が出るか楽しみだね!」
アオが話題を変える。その声を聞くだけで、不思議と肩の力が抜けた。
凛馬たちが研究施設に到着すると、灰谷リョウと数人の研究員が準備を整えていた。
「おはようございます、凛馬君。そして付き添いの皆さんもようこそ」
研究員達が微笑む。
そして次の瞬間。灰谷が六人の元へ歩み寄ってきた。
「よう来たな……まあ、そんな固ならんでええよ。今日はちょっと体借りるだけや」
柔らかい関西弁が混じった。
「……え?」
ミケ達が思わず目を見開く。
(クセ強!?)
研究者らしい雰囲気とのギャップに、一瞬思考が止まった。
「なんかこの感じ、ちょっと前も見たなぁ…」
灰谷は気にした様子もなく続ける。
「ほな、さっそく始めよか。まずは基礎体力測定や。握力、ジャンプ力、走力あたりから見ていくで」
「へぇ〜、数値で見れるんだ〜。楽しみ〜♫」
コハクが腕を組んで笑う。
「凛馬君、無理はしないでくださいね」
ミナが心配そうに言う。
「凛馬なら大丈夫にゃ!! 頑張れ〜!!」
ミケが全力で手を振る。
――その声援だけで、力が湧く気がした。
凛馬は体育の時間と同じように、圧倒的な身体能力を見せた。そして結果が出る。
「……なんやこれ。ほんまに初測定か?」
灰谷が結果を見て目を見開く。
「握力は熊族の2倍、ジャンプ力は兎族の2.5倍、走力は豹族の2倍……持久力は猫族の3倍て……」
研究員たちがざわめいた。
「ちょっと待って!? 全部上回ってるってこと!?」
コハクが驚く。
「すごいにゃ凛馬!!」
ミケが抱きつく。
「凛馬、本当にすごい……!」
アオの目が輝く。
「歴史的記録です……」
ミナが涙ぐむ。
「……やっぱり規格外だな」
ヒョウカが小さく笑った。
「次は感覚測定や。視力、聴力、嗅覚な」
測定は続き――
「視力は狐族の1.5倍、聴力は猫族の2倍、嗅覚は……」
灰谷が資料を見直す。
「……あかんな。これ測定不能や。値ぶっ壊れとる」
ざわめきが広がる中、凛馬は自分の手を見下ろした。握った指先に、確かな力が宿っている感覚がある。
――本当に、もう人間じゃないんだ。
胸の奥がわずかに震えた。怖さと、少しだけの高揚が混ざっていた。
「最後に特殊能力やな。なんか変わった感覚あったりせぇへん?」
「いえ、特に……」
「ほな試してみよか。目ぇ閉じて、周りの気配感じてみてや」
凛馬が目を閉じる。――静かになる。
視界が消えたはずなのに、世界は消えなかった。
何かが“広がる”。空気の流れ。床を踏む重さ。体温の揺らぎ。鼓動のリズム。
姿ではない。音でもない。
それでも確かに――そこに“いる”と分かる。
ミケが左前。落ち着かない呼吸。アオが右前。少し前のめりな期待の気配。コハクが正面。楽しんでいる軽い重心。ヒョウカが左後。動かず、静かに見守る存在。ミナが右後。規則正しい呼吸。
位置が、輪郭として頭の中に浮かび上がった。まるで世界が立体図になったみたいに。
「分かるか?」
「……はい」
自分の声が、少し遠く聞こえた。
「ほな、わいの位置指してみ」
考えるより先に、腕が動いた。迷いはなかった。
凛馬はまっすぐ指差す。ざわめきが起きる。
灰谷が静かに息を吐いた。
「……完璧やな」
「凛馬君。君、“全方位索敵能力”持っとるわ。千人に一人レベルの能力や。正直、わいも実物見るん初めてやで」
「え…元人間なのに……?」
コハクが困惑する。
「……おかしい」
ヒョウカの眉が寄る。
「普通な、獣人化いうんは一種族の特性しか出ぇへん」
灰谷は続ける。
「せやけど君は違う。五種族全部がケンカせんと共存しとる」
少しだけ優しく笑った。
「つまりな――君は“例外”やない。“始まり”なんや。前も言うたやろ?」
――始まり。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。怖いはずなのに、不思議と拒絶感はなかった。誰かに否定される響きじゃなかったからだ。
「でも凛馬は凛馬だよ!」
アオが袖を握る。
「あなたはあなたです」
ミナが肩に手を置く。
「凛馬は凛馬だにゃ!!」
ミケが抱きつく。
「……なによ、その顔」
コハクが少し呆れたように笑った。
「私たちが一緒にいる理由に、そんなの関係ないわよ」
コハクが肩を軽く叩いた。
ヒョウカが一歩近づく。
「……お前は変わってない」
短く、それだけ言った。
「だから、怖がる必要はない」
その声は小さいのに、不思議なくらい真っ直ぐ胸に届いた。
その瞬間――胸がいっぱいになった。
さっきまで“測定される存在”だった自分が、今はただの凛馬として触れられている。能力も、種族も、意味も関係なく。
ただ――ここにいていいと言われた気がした。
言葉が出ない。理由も分からない。ただ、温かかった。
気づいた時には、涙が頬を伝っていた。
「凛馬、泣いてるにゃ!?」
「泣かないで……!」
「可愛いとこあるじゃない」
「……泣くな、バカ」
「私たちは一緒です」
五人の温度が重なった。孤独だったはずの心が、今は満たされていた。
「ありがとう……皆……」
「凛馬君。君はな、人間と獣人が一緒に生きられる可能性、そのものや」
灰谷は一度言葉を切った。資料を閉じ、ゆっくりと凛馬を見る。さっきまでの“研究対象を見る目”ではなかった。
少しだけ困ったように笑う。
「……まあ、なんや」
軽く頭を掻いた。
「さっきから“凛馬君”て呼んどるけどな」
研究員たちが不思議そうに顔を上げる。灰谷は肩の力を抜いて言った。
「もうええか。堅苦しいわ」
そして、まっすぐに視線を合わせる。
「――凛馬」
名前だけを呼んだ。それは確認でも、呼びかけでもなく。“個人”として認める響きだった。
その瞬間――ヒョウカだけが、わずかに目を細めた。
(……今の目)
さっきまでの研究者の視線じゃない。結果を見る目でも、興味でもない。
――守る側の目だった。
ヒョウカは何も言わない。ただ静かに灰谷を見つめ、そして小さく視線を逸らした。
(……この人、きっと――)
ヒョウカはそこで思考を止めた。言葉にすると、嫌な予感が形になってしまいそうだったから。
「けどな、無理だけはすんな。ええな?」
凛馬は一瞬、返事が遅れた。胸の奥が、妙に熱くなる。さっきまで“研究される側”だったはずなのに。
今は――守られている気がした。
「……はい」
自然と、そう答えていた。
「とりあえず君が君でおること。それが一番や」
(それでも――俺は、俺でいたい)
視線の先には、五人の大切な存在がいた。
測定室の扉が閉まり、六人の気配が完全に遠ざかる。静寂だけが残った。
研究員たちは結果データの整理を始めていたが、
灰谷は一人、窓際に立っていた。夕焼けがガラスに反射し、資料の文字を赤く染める。
『観察対象:五種族混血個体』
『経過観察任務:市政府特別指定』
灰谷はしばらくその文字を見つめ――小さく息を吐いた。
「……観察対象、か」
自嘲気味に笑う。ポケットから端末を取り出し、通信を開く。画面には政府直属機関のロゴが表示された。
『定期報告を要請します』
灰谷は入力欄を開き、指を止めた。今日の光景が頭をよぎる。
笑う少女たち。抱きつく猫族の少女。
「凛馬は凛馬だ」と言い切った声。
そして――名前を呼んだ瞬間の、あの少年の顔。
「……あんなもん、実験体ちゃうやろ」
小さく呟く。入力欄の文章をすべて消した。
代わりに、短く打ち込む。
『対象は安定。危険性なし。以降の詳細観察は縮小を提案』
と送信した後、灰谷は端末を閉じ静かに笑った。
「これでええ」
研究員の一人が戸惑った声を上げる。
「灰谷部長? 観察レベルを下げるんですか?」
灰谷は振り返らない。
「せや」
少しだけ間を置いて言った。
「わいはな、あいつを“見る側”やない――」
窓の外、夕焼けの向こうを見つめる。
「見守る側になるわ」
静かな決意だった。
「大人はな……子供が前向いて歩けるように、
後ろで支えるためにおるんや」
誰に聞かせるでもなく呟く。測定室の灯りが一つ、また一つ消えていく。
灰谷リョウは、その日初めて、研究者ではなく――ただの“大人”としてそこに立っていた。
その選択が、後に何を変えるのかも知らずに。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
次回、強さと想いの重さが同時に押し寄せます。凛馬の心が徐々に…