BEAST BLOOD   作:ruemtrnmdxxx

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凛馬への想いを抱えながらも、それぞれが「友達」として隣にいる道を選び始める。誰も口には出さないまま、静かに恋が終わっていった。


39話 You Don’t Know What Love Is

夕焼けに染まる帰り道。

凛馬たちと別れたあと、コハク、ヒョウカ、ミナの三人は並んで歩いていた。

しばらく、誰も口を開かなかった。足音だけが静かに重なる。

いつもなら、コハクが何か冗談を言って、ヒョウカが呆れて、ミナが苦笑する――そんな流れになるはずだった。

けれど今日は、誰もその役を引き受けなかった。

やがてコハクが、小さく笑った。

「……なんかさ。普通に戻った感じ、しない?」

夕焼けが長く影を伸ばす。三人の影は足元で重なり、歩くたびに少しずつ形を変えていった。

「普通、か」

ヒョウカが短く返す。

「ええ。少なくとも、凛馬君はそう見えましたね」

ミナが穏やかに頷いた。

今日の凛馬は、よく笑っていた。無理をしているようにも見えなかった。それが、なぜか少しだけ胸に残る。

コハクは何か言いかけて、やめた。

――前みたいに戻れたらいいね。

その言葉を、飲み込む。

「……あいつ、楽しそうだったな」

ヒョウカの呟きに、二人は何も返さなかった。

否定する理由がなかったからだ。

風が吹き、沈黙が落ちる。

気づけば、さっきまで赤かった空がゆっくりと色を失い始めていた。

何か話すべきことがあった気がした。けれど、誰も口にしなかった。

ミナがふと視線を落とす。

「……それが、一番ですね」

静かな声だった。三人の影はさらに長く伸び、

一度だけ重なって、やがて静かに離れていった。

コハクが空を見上げる。夕焼けが、少しだけ眩しかった。

「……まー、いっか」

軽い声だった。けれどその言葉は、諦めでも投げやりでもなく、どこか優しい終わり方のように聞こえた。

三人は、そのまま歩き続けた。同じ方向へ。

まだ誰も、それが小さな区切りだったことに気づいていなかった。

 

玄関の扉が開くと、キッチンの方から声が飛んできた。

「おかえり。なんだか凛馬くん久しぶりね?」

「あ、はい。ただいまです」

「ふふ、もう慣れたわね」

鍋の蓋が鳴る音と、味噌汁の匂いが漂ってくる。

いつもの光景だった。まるで最初から、ここにいたみたいに。

靴を脱ぐ音。鞄を置く音。テレビのリモコンを探す小さな物音。全部、いつも通りだった。

「今日、楽しかったね」

凛馬がソファに腰を下ろしながら言う。

「にゃ…」

「なんかさ、普通っていいなって思った」

その言葉に、ミケの手が一瞬だけ止まった。

背中を向けたまま、小さく息を吐く。

「そっか」

凛馬は気づかないまま続ける。

「みんなと笑って、帰って……ああいうの、すごく好きだ」

その笑顔は、穏やかだった。守られている顔ではなく、安心している顔だった。

ミケは静かに目を伏せる。

――ああ。そういうことなんだ。

この家に帰ってきて、当たり前みたいに「ただいま」と言えること。

それが、凛馬にとっての幸せなんだ。

自分が望んでいたのは、隣に立つことじゃなくて、この笑顔だったのかもしれない。

しばらくして、ミケは振り返り、いつもの笑顔を作った。

「凛馬くん、先にお風呂入っちゃいなさい」

母が促す。

「はーい」

凛馬が立ち上がり、部屋を出ていく。

扉が閉まる音が、やけに静かに響いた。さっきまで聞こえていた生活音が、一瞬だけ途切れる。

ミケはその場に立ったまま、小さく息を吐いた。

 

夜。それぞれの部屋、それぞれの時間。

隣の部屋から聞こえる物音に、ミケは小さく笑った。

恋人じゃなくてもいい。こうして同じ家に帰ってきて、同じ時間を過ごせるだけで、十分だったのかもしれない。

言葉にしなかった気持ちは、消えたわけじゃない。

ただ、今はもう伝えなくていいと思えた。

「……おやすみ、凛馬」

届かない声で呟いて、ミケはそっと目を閉じた。

廊下に、小さな足音が響く。

水を取りに来た母が、半分だけ開いたミケの部屋の扉に気づいた。

眠っている娘の横顔を、しばらく静かに見つめる。

枕元に置かれたスマートフォン。握ったままの毛布。何も聞かなくても、なんとなく分かってしまった。

母は小さく微笑むと、そっと扉を閉めた。

「……おやすみ」

誰にも聞こえない声で呟き、明かりを消して、廊下を戻っていった。

 

コハクの部屋。

部屋の灯りを消したあとも、コハクはしばらく目を閉じられなかった。天井をぼんやり見つめながら、小さく息を吐く。

「……楽しかったなあ」

思わず零れた言葉に、自分で少し笑ってしまう。

叶うとか、叶わないとか。そんなことより――

あの時間が確かにあったことの方が、ずっと大事だった気がした。

凛馬と過ごした日々は、誰かの物語の脇役みたいで、でもちゃんと、自分の中では主役だった。

好きだった気持ちも、笑った時間も、全部、嘘じゃない。

だからきっと、終わりってほどでもないんだろう。

「……ま、いっか」

軽く呟いて、寝返りを打つ。

胸の奥の熱は、まだ少し残っていたけれど、それを無理に消そうとは思わなかった。

この恋も、自分の物語の一ページとして残しておけばいい。

そう思えた瞬間、ようやく眠気が訪れた。

 

ヒョウカの部屋。窓を少しだけ開けると、夜の空気が流れ込んできた。ヒョウカは制服のまま、しばらく立ち尽くしていた。

街の灯りをぼんやり眺めながら、小さく息を吐く。

「……楽しそうだったな」

誰に向けたわけでもない言葉。今日の凛馬の顔を思い出す。無理をしていない笑顔だった。

それで、十分だった。最初から分かっていた気がする。

あいつは、“守るべき存在”で、“奪い合う相手”じゃないって。

好きだったのかと問われれば、たぶんそうだ。

けれど――手に入れたいと思ったことは、一度もなかったのかもしれない。

ヒョウカは窓を閉めた。小さな音が、やけに大きく響く。

「……これでいい」

呟いた声は、ほとんど夜に溶けた。

胸の奥に残る感情は消えていない。ただ、もう名前をつける必要がなくなっただけだった。

ベッドに腰を下ろし、灯りを消す。暗闇の中で、ヒョウカは目を閉じた。

明日もきっと、いつも通りだ。それでいいと、静かに思えた。

 

ミナの部屋。机の上に広げたノートを、ミナはゆっくり閉じた。部屋は静かで、時計の音だけが響いている。

今日の帰り道を思い出す。皆が笑っていた。凛馬も、自然に。あの笑顔を、守りたいと思った自分がいた。

それを見て、安心した自分もいた。

「……これで、いいんですね」

誰に確認するでもなく、小さく呟く。胸の奥には、確かに感情が残っている。消えたわけではない。

手放そうとするほど、胸の奥の重さだけが増えていく気がした。

けれど――その気持ちを優先しない未来も、選べるのだと気づいてしまった。

選ばれなくても、そばにいられる形があるのだと。

好きだった時間は、本物だった。だからこそ、無理に続ける必要はない。

ミナは眼鏡を外し、目を閉じる。少しだけ、息が震えた。それでも涙は落ちなかった。

「……大丈夫です」

自分に言い聞かせるように呟き、机の灯りを消す。暗くなった部屋の中で、胸の奥の想いをそっと置いていく。

忘れるのではなく、持ったまま前に進むために。

――もう、行かなくちゃ。

明日もきっと、同じように笑えるだろう。そう思えたことが、答えだった。

 

夜はとっくに更けていた。部屋の灯りを消しても、アオは眠れずにいた。

天井を見つめながら、何度も寝返りを打つ。目を閉じるたびに、今日の光景が浮かんだ。

凛馬の笑顔。皆で歩いた帰り道。「普通っていいな」と笑って言った声。

胸の奥が、きゅっと締め付けられる。

……普通。その言葉を、頭の中で繰り返す。

本当は、嬉しかった。あの時間が戻ってきたことが。

でも同時に、どこかで分かってしまった。皆が、少しずつ前に進もうとしていることを。

「……なんでだろ」

小さく呟く。

同じ時間を過ごしたはずなのに、自分だけ取り残されている気がした。

忘れようとした。友達として笑おうとも思った。

なのに――

凛馬の名前を思い浮かべるだけで、胸が熱くなる。

「……まだ、好きなんだ」

言葉にしてしまってから、アオは慌てて口元を押さえた。誰も聞いていないのに、秘密を漏らしてしまった気がした。

諦めた方がいい。きっとその方が、皆と同じ場所に立てる。

分かっている。それでも、心だけが前へ進もうとしてしまう。止まってくれないんだ。

アオはゆっくり身体を起こし、カーテンを少し開けた。

夜風が頬を撫でる。遠くの街灯が、静かに揺れていた。

「……もう少しだけ」

誰に向けた言葉でもなく、自分自身に許すように呟く。

あと少しだけ、この気持ちのままでいさせてほしい。

窓を閉め、布団に戻る。胸の鼓動はまだ速いままだった。

けれど不思議と、涙は出なかった。

終わらせる夜ではなく、

始まってしまった夜だった。




最後まで読んでくださりありがとうございます!
皆が恋心を諦めた今、残ったのはまだ気づかない一人の心でした。
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