凛馬は一人で登校していた。
昨日の夕焼け。アオの涙。震える声。それらが、まだ胸の奥に残っていた。
「……アオ」
名前を口にしただけで、心がわずかに揺れる。
想いは本物だった。疑いようもないほどまっすぐで、痛いほどだった。
「俺は……どうしたいんだろう……」
答えだけが、見つからない。考えれば考えるほど、胸の奥が重くなる。
その時――
「……おい、凛馬」
後ろから声がかかった。振り返ると、ヒョウカが立っていた。
「……昨日、アオと話したんだろ」
それは問いというより、確認だった。
「……ああ」
凛馬は短く答える。ヒョウカは小さく息を吐いた。
「あいつ、ずっと限界そうだったからな」
朝の光を見上げながら、静かに続ける。
「みんなが前に進もうとしてる中で、一人だけ置いてかれてるって顔してた」
凛馬は黙ったまま歩く。ヒョウカが横目で見る。
「それで、お前はどうするんだ」
その言葉に、凛馬の足が少しだけ遅くなった。
「……分からない」
それは正直な言葉だった。
「アオは大切だ。でも……それが恋なのか、自分でも分からなくて」
少し長い沈黙が流れた。しばらく歩いたあと、ヒョウカが小さく笑った。
「……まあ、そう言うと思った」
そして前を向いたまま言う。
「お前は、アオと一緒にいる時どう感じる?」
凛馬の中にアオとの思い出が蘇る。
笑った顔。隣にいる時間。泣きそうな表情。
「……なんだか安心する」
自然に言葉が出た。
「嬉しくなるし……守りたくなる」
ヒョウカは頷いた。
「……それが何かは、俺は言わない。決めるのはお前だ」
その声は静かだった。
「誰かに答え教えてもらって決めたら、お前はあとで絶対後悔する」
ヒョウカは少しだけ視線を凛馬に向ける。
「逃げるなよ。それだけだ」
ヒョウカはそれ以上何も言わず、校門へ向かって歩き出した。背中が、いつもより少しだけ優しく見えた。
教室へ入ると、いつもの声が飛んできた。
「あ! 凛馬おはよーにゃ!」
ミケだった。いつも通りの笑顔。いつも通りの距離。それが、なぜか少しだけ安心した。
「……凛馬」
ミケが小さな声で呼ぶ。
「ちょっといい?」
廊下側へ引っ張られる。
「昨日、アオと話したんでしょ?」
凛馬は驚いた。全てが見透かされている様だった。
「……顔に書いてあるにゃ」
ミケは笑う。でも、その笑顔は少しだけ大人びていた。
「ねえ、凛馬。悩んでる理由、分かるよ。誰かを選んだら、今の関係が壊れる気がしてるんでしょ?」
それは図星だった。凛馬は言葉が出なかった。ミケは少しだけ視線を落としたあと、優しく笑った。
「でもね」
ゆっくり顔を上げる。
「誰かを選ぶって、別に誰かを捨てることじゃないにゃ」
凛馬の胸が、強く揺れた。
「私たち、もう大丈夫だから」
その言葉は、決して軽くなかった。恋を手放した側だけが言える声だった。
「だからさ」
ミケは背中をぽん、と叩く。
「ちゃんと好きな人のところ行ってきなよ!」
凛馬が言葉を失っていると――
「やっぱりここにいた〜!」
軽い声が廊下の奥から聞こえた。振り返ると、コハクとミナが並んで立っていた。
「……聞いてた?」
凛馬が思わず言うと、コハクは肩をすくめる。
「全部じゃないよ〜? でもまあ、大体はね〜」
悪びれもせず笑う。ミナは少しだけ困ったように微笑んだ。
「偶然通りかかっただけです。……ですが」
ミナが一歩近づく。
「凛馬君がまだ悩んでいることは、皆なんとなく分かっていましたから」
凛馬は再び言葉を失った。コハクがくるりと前に回り込む。
「ねえ。凛馬」
珍しく、からかいのない声だった。
「私たちさ、もう大丈夫なんだよ」
金色の瞳がまっすぐ向けられる。
「だから安心して悩みなよ。ちゃんと好きになっていいんだからさ」
ミナも静かに頷く。
「誰かを選ぶことは、関係を壊すことではありません。私たちは、変わらずここにいます」
その言葉は、押しつけではなく、ただの事実のように落ちた。
「ほらほら、主人公。行ってきな?」
コハクがいつもの笑顔で笑った。そして凛馬の背中を軽く押した。
「……なんだよ、それ」
凛馬は思わず笑ってしまった。胸の中の重さが、少しだけ軽くなる。
そして今、許された気がした。選んでもいいのだと。逃げなくていいのだと。
凛馬は深く息を吸った。胸の奥で、何かが静かに形になる。
「……俺」
小さく呟く。そして凛馬はアオのいる教室へ歩き出した。
凛馬の背中が教室へ消えていった後、廊下にはしばらく誰も言葉を発さなかった。
「……行ったね」
コハクが小さく呟く。ヒョウカがゆっくり歩いてきて、三人の隣に立った。
「……終わったか」
ミケが少しだけ笑う。
「まだ終わってないにゃ。これからだよ」
そう言いながらも、尻尾の動きはどこか静かだった。
ミナが窓の外を見る。朝の光が差し込み、校庭が明るく輝いている。
「……不思議ですね」
「何が〜?」
「少しだけ、寂しいのに……安心しています」
その言葉に、誰も否定しなかった。ヒョウカが壁にもたれる。
「まあ、あいつなら大丈夫だろ」
ヒョウカがぶっきらぼうに言った。
ミケが小さく息を吐いた。
「ちゃんと幸せになってほしいにゃ」
少しだけ沈黙が流れた後――
コハクが投げ出す様に笑った。
「私たち、ちゃんと失恋したね〜」
冗談みたいな言い方だったけれど、その声は優しく、震えていた。
ヒョウカが鼻で笑う。
「……今さらだろ」
ミナが静かに頷く。
「ええ。でも――好きだった時間は、なくならないですから」
四人は同じ方向を見る。教室の扉の向こう。そこにいる誰かを思いながら。
「……行こっか」
ミケが言い、四人は歩き出した。
もう追いかけるためではなく、同じ日常へ戻るために。
教室の窓際。アオが不安そうに外を見ていた。
その姿を見た瞬間――
凛馬の足は、迷わず動いていた。
「アオ」
名前を呼ぶ。アオが振り返る。尻尾が不安そうに揺れていた。
「凛馬……おはよう」
凛馬はまっすぐ見つめた。
「放課後……もう一回、話そう」
アオの瞳が大きく揺れる。
「……う、うん」
アオが小さく頷いたその瞬間――
凛馬はようやく、自分が前へ進んだのだと気づいた。
選択の時は、もう始まっていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
迷いの先で凛馬が選ぶ未来とは?