そう気づいた二人の関係は、ついに恋人へと変わった。
選択の先にあったのは、失う未来ではなく、静かに始まる新しい日常だった。
アオと別れたあと、凛馬はゆっくりと家へ向かって歩いていた。
夕焼けはもう消えかけていて、空は群青色に染まり始めている。さっきまで繋いでいた手の温もりが、まだ指先に残っていた。
「……恋人、か」
小さく呟くと、少しだけ照れくさくなる。昨日までと同じ道なのに、景色が違って見えた。
この世界で特別なことが起きたわけじゃない。ただ――隣にいる存在の意味が変わっただけなのに。胸の奥が、静かに温かかった。
やがて家に着き、玄関の扉を開ける。
「ただいま」
「おかえりにゃ〜」
リビングからミケの声が返ってきた。テレビの音と、湯気の立つマグカップ。いつも通りの光景。けれど今日は、その「いつも」が少しだけ違って感じた。
「……顔、分かりやすすぎにゃ」
ミケがくすっと笑う。
「今までで一番、安心した顔してる」
凛馬は思わず苦笑した。
「……そっか」
それ以上は何も言わなかった。言葉にしなくても、もう伝わっている気がしたから。
「お風呂先どうぞにゃ。今日は長めに入った方がいい顔してる」
「どんな顔だよ」
笑いながら、凛馬は風呂場へ向かった。
湯船に身体を沈める。熱がゆっくりと身体に広がる。
天井を見上げると、自然と今日の出来事が浮かんできた。
アオの涙。震える声。抱きしめた時の温度。
「……俺、ちゃんと答えられたんだな」
ずっと逃げていた気がする。誰かを選ぶことが怖かった。関係が壊れると思っていた。
でも――違った。
選んだから失ったんじゃない。選んだから、みんなが背中を押してくれた。
ヒョウカの言葉。コハクの笑顔。ミナの静かな肯定。
そして――
「ミケ……」
湯の中で、小さく名前を呟く。
一番近くで見守ってくれていた存在。恋じゃなくなっても、離れなかった人。
胸の奥に、感謝が静かに積もっていく。
「……ちゃんと、前に進めてるかな」
湯気の中で目を閉じる。
答えはまだ途中かもしれない。でも、もう迷ってはいなかった。
風呂から上がると、リビングの灯りは少し落とされていた。ミケがソファに座り、スマホをいじっている。
「おかえり、長風呂だったにゃね」
ミケがくすくす笑う。
「ほんとに考え事してたよ」
隣に座ると、ミケがちらりと横を見る。
少しの沈黙。
「……ねえ凛馬」
「ん?」
「幸せ?」
まっすぐな問いだった。凛馬は少し考えてから、笑った。
「……うん。たぶん、すごく」
ミケは小さく頷いた。
「そっか。それならよかったにゃ」
それだけ言って、背もたれに寄りかかる。その横顔は、どこか誇らしそうだった。
凛馬は一瞬だけ言葉を探した。
ありがとう、と言いかけて――やめた。まだ早い気がした。
その言葉は、もっと先で伝えたいと思った。
だから代わりに言った。
「……ミケ」
「にゃ?」
「これからも、よろしくな」
ミケは少し目を丸くしてから、笑った。
「当たり前にゃ」
部屋に戻り、ベッドへ倒れ込む。身体が軽い。
今日一日を思い返す。告白。涙。笑顔。繋いだ手。胸の奥に残るのは、不安じゃなく安心だった。
「……明日、一緒に登校か」
思い出して、少し笑う。もう迷いはなかった。
選択の先にあったのは、大きな変化じゃない。
――ただ、少し優しくなった日常だった。
凛馬は穏やかな気持ちのまま、眠りに落ちていった。
「……凛馬! おはよう……!」
朝の支度をしいていると、約束通りアオが家の前で待っていた。その表情は朝から隠しきれないほど幸せそうだった。
「おはよう、アオ。早いな」
「えへへ……凛馬と一緒に登校したくて……早く来ちゃった……」
照れたように笑うアオの尻尾が、落ち着かない様子で揺れている。
「あ、アオ!早いにゃ〜!おはよう!」
ミケが家から出てきた。
「じゃあ、三人で学校行こうにゃ!」
自然に並んで歩き出す三人。昨日までと同じ道なのに、空気だけが少し違っていた。
教室の扉を開けると、3人はすでに席についていた。コハクがちらりと二人を見る。
「おはよ……あれ?なんか雰囲気違くない?」
金色の瞳が細められる。ヒョウカも視線を向けた。
そして――二人の距離、視線、空気を一瞬で理解する。
「……ああ。なるほどな」
短く呟いた。
ミナは眼鏡を直し、柔らかく微笑む。
「凛馬君、アオさん……何か、良いことがありましたか?」
――本当は、もう分かっているはずだった。それでもミナは、あえて問いかけた。
「あ……えっと……その……」
アオが真っ赤になって俯く。尻尾がそわそわ揺れる。
そして凛馬は小さく息を吸い――
「……俺たち、昨日付き合うことになった」
一瞬、教室の音が止まった。
「……」
「……そうか」
「……やっぱり」
三人とも驚きはしたが、どこか納得した顔だった。
最初に笑ったのはコハクだった。
「ふふっ、そっか!やっぱりね〜!おめでとう、二人とも!」
駆け寄って肩を叩く。
「……よかったな、凛馬。アオも」
ヒョウカが小さく笑う。
「おめでとうございます。お二人とも、お幸せに」
ミナが優しく頭を下げた。
「みんな……ありがとう……!」
アオの目が少し潤む。
「アオ、泣くなよ」
ヒョウカが呆れたように言うが、その声は優しかった。
「でもさ〜、これからは正式カップルか〜。青春だねぇ」
コハクがにやにや笑う。
「私たちはこれからも友達ですからね」
ミナが静かに続ける。
「そうだよ!ずっと友達にゃ!」
ミケが力強く頷いた。
六人の関係は――形を変えて、また繋がった。
その少し後。
「……ちょっと飲み物取ってくる」
凛馬が立ち上がった。
祝福の空気に包まれながらも、どこか落ち着かない気持ちが残っていた。
嬉しいはずなのに、少しだけ照れくさくて。視線から逃げるように、教室を出る。
一瞬の沈黙。
そして――コハクが小さく息を吐いた。
「……行ったね、主人公」
ヒョウカが鼻で笑う。
「昨日から分かってただろ」
ミナが穏やかに頷く。
「ええ。ほぼ確信していました」
ミケがアオを見る。
「……アオ、よかったにゃ」
アオは少し戸惑いながらも頷いた。
「……うん。でも……みんな……本当にいいの?」
その言葉に、少しだけ空気が静まる。コハクが肩をすくめた。
「そりゃちょっとは寂しいよ?」
笑いながら言う。
「でもさ、それ以上に――安心した」
ヒョウカが腕を組む。
「アイツ、やっと前向いた顔してた」
ミナが静かに微笑む。
「好きだった時間は否定しません。でも、今は応援したいです」
ミケが明るく笑った。
「凛馬が幸せなら、それでいいにゃ!」
アオの目が少し潤む。
「……ありがとう」
その声は、とても小さかった。
「ただいまー」
凛馬が教室へ戻ってくる。四人は何事もなかったように席へ戻った。
コハクがにやっと笑う。
「遅いよ〜?主人公さん?」
「……その主人公ってやめて?」
凛馬が苦笑しながら言った瞬間――
一拍遅れて、教室に笑い声が広がった。
「ははっ、確かにそれは恥ずかしいにゃ!」
ミケが机を軽く叩きながら笑う。尻尾が楽しそうに揺れていた。
「いやだってさ〜、完全に主人公ムーブだったじゃん?」
コハクが肩を揺らしながら笑う。
「……否定はできないな」
ヒョウカが小さく吹き出し、珍しく声を漏らして笑った。
「ふふ……皆さん、本当に仲が良いですね」
ミナが口元を隠しながら静かに笑う。その目はどこか優しかった。
アオも少し遅れて笑い出す。
「えへへ……凛馬、ちょっと照れてる……」
「うるさいなぁ……」
凛馬が顔を背けると、また笑いが広がった。
笑い声が落ち着いたあと、コハクは少しだけ視線を逸らしながら続けた。
「あ〜……ごめんね、凛馬」
「え?」
「なんか応援してるって言いながら、からかってばっかだった気がして」
けれど次の瞬間、いつもの笑顔に戻る。
「でもさ、ちゃんと幸せそうで安心した」
金色の瞳が、まっすぐ凛馬を見た。さっきまでの空気が、ふっと軽くなる。
その瞬間、何かが終わって何かがちゃんと始まった気がした。
アオはそっと凛馬の袖を握る。
その仕草は――もう迷いのないものだった。
六人の絆は、形を変えながら続いていく。恋になった想いも。届かなかった想いも。
すべてを抱えたまま――
彼らの日常は、次の一歩へ進んでいった。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
次回、第二章最終回です!