一方で、凛馬にも静かな揺らぎが芽生える。
重い衝撃音が、広大な訓練場に響いた。
ドォン――。
石床が低く震える。中央で拳を振り抜いた男が、ゆっくり息を吐いた。
獅子王レオン。
上半身には無数の古傷が刻まれている。だがその動きに迷いはない。踏み込み、拳を打ち込むたび空気が裂ける。
ドンッ!!
鋼鉄製の訓練柱が歪み、鈍い音を立てた。背後で控えていた部下が口を開く。
「獅子王様、観測結果が出ました。対象――紅葉凛馬。覚醒反応、現在も継続中です」
レオンは振り返らない。
「……そうか」
怒りも焦りもない返答だった。ただ、事実を受け入れる声だった。
「対象の周囲には常時同行者が確認されています」
拳を下ろす。
「仲間、か」
小さく呟く。レオンはしばらく黙考した。
「対象の同行者は四名だったな」
「はい」
金色の瞳がわずかに細まる。
「……あの者たちが戦闘に加われば、状況は複雑になる」
部下が首を傾げる。
「脅威、ということでしょうか?」
「違う。未熟な戦士が混じれば、守るべきものが増える」
静かにそう告げた。
「戦いが乱れると互いの成長を歪める」
レオンは窓の外へ視線を向けた。
「……これは、彼女らのためでもある」
部下が息を呑む。
「少しの間、じっとしてもらおう」
視線が戻る。
「拘束準備を進めろ」
部下がわずかに戸惑う。
「我々が、ですか?」
レオンはゆっくり振り返った。金色の瞳が静かに向けられる。
「ああ」
一歩、近づく。
「少しは役に立て」
厳しい言葉だが侮蔑はない。任務を与える声だった。
部下が姿勢を正す。
「能力抑制装置を展開します」
レオンは頷く。
「私は少年と話をしに行くだけだ」
一拍。
「虐殺に行くのではない」
訓練場の空気が引き締まる。
「戦士は、戦士として立たせろ」
低く、揺るがない声。
「仲間を盾にした勝利に価値はない」
「非殺傷拘束へ移行します」
「不要な流血は避けろ」
部下がケースを差し出した。中に収められていたのは一本の鎖。
鈍い銀色。ただの金属ではない。
周囲の空気がわずかに重くなる。
「獣人封鎖鎖です。対象の獣人因子を一時的に沈静化させます」
レオンはそれを手に取った。触れた瞬間、鎖が低く共鳴した。
「……古い遺物か」
「はい。暴走個体制圧用に保管されていたものです」
レオンはしばらく鎖を見つめる。そして静かに言った。
「――備えは礼儀だ」
部下たちが深く頭を下げた。レオンは再び訓練柱の前へ戻る。
拳を軽く握る。
「私は――あの少年を試す」
振り抜く。
ドォォン!!
鋼鉄が大きく歪んだ。
その頃。森下家。
部屋の灯りはまだ消えていなかった。アオは静かな寝息を立てていた。
その横の椅子に、凛馬が座っていた。腕を組み、壁にもたれている。
凛馬はしばらくその寝顔を見つめる。
“守れた”。そう思うはずなのに、胸の奥のざわつきは消えない。
窓の外へ視線を向ける。夜の住宅街は、何事もないように静かだった。
「……」
ふと、工場の光景がよぎる。倒れていた敵。震えていた仲間たち。自分達だけが立っていた場所。
無意識に拳を握る。
(もし――)
思考がよぎる。
(みんなが、もう少し戦えたら……)
すぐに首を振った。
「……いや」
危険な考えだ。巻き込みたくない。
そう思っているはずなのに——
胸の奥で、別の感情が小さく残った。
一人では、届かない瞬間が来るのかもしれない。
凛馬は息を吐き、椅子にもたれた。
「……守るって、難しいな」
小さく呟く。
アオの手をそっと握り直した。眠っているようで、眠っていない。
わずかな物音に視線が動く。
「……」
理由は分からない。だが胸の奥が落ち着かない。
無意識に拳を握る。
瞳の奥に、ほんの一瞬だけ赤が揺れた。だがすぐに消えた。
「……大丈夫だ」
小さく呟く。守るように視線を落とす。
そして再び外を見る。言葉にできない予感だけが残っていた。
高層ビル最上階。青白い光が静かに広がる。能力抑制装置が起動を開始する。
レオンが夜景を見下ろしていた。
「……混血は、いずれ世界を歪める」
わずかな沈黙。
その瞬間――脳裏に光景がよぎる。
砂煙の舞う戦場。背中合わせに立つ一人の獣人。
血に濡れながらも笑っていた。
『背中は任せたよ、レオン』
拳を交え、共に敵を打ち倒した記憶。
そして――崩れ落ちる影。
赤く染まる大地。伸ばされた手が、届かなかった。
レオンの瞳がわずかに揺れる。だが次の瞬間、感情は消えた。
「だからこそ――」
目を閉じる。
「消さねばならんのだ」
その声に怒りはない。ただ、揺るがぬ確信だけがあった。
夜景の光が、金色の瞳に静かに燃えていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
レオンの脳裏によぎった獣人は、一体何者なのでしょうか?
次回、凛馬が新たな戦い方を得そうです。