その手に握ったのは、二つの刃。
朝の光が、森下家のリビングを柔らかく照らしていた。
「……もう大丈夫だよ、凛馬」
ソファに座るアオが、少し照れくさそうに笑う。
顔色はまだ万全ではない。それでも昨日までの不安な影は薄れていた。
「無理するなよ」
「してないって。お母さんが凛馬の心配しだしてるよ」
キッチンからアオの母が顔を出す。
「本当にありがとうね、凛馬くん。ずっと付き添ってくれて」
「いえ……当然の事をしたまでです」
軽く頭を下げる。
玄関で靴を履きながら、凛馬は一度だけ振り返った。
アオがこちらを見ている。
「凛馬」
「ん?」
「……来てくれて、嬉しかった」
凛馬は少しだけ笑った。
「また来るよ」
ドアを開ける。朝の空気が胸に流れ込んだ。
久しぶりに、一人だった。
帰り道。足は自然と、近くの公園へ向いていた。
昼下がりの公園は賑やかだった。子供たちの笑い声。ボールを追いかける音。ベンチでは親たちが談笑している。
凛馬は少し離れた場所のベンチに腰を下ろした。
周囲は騒がしいのに、不思議と音が遠く感じる。
(……守れた)
そう思う。だが胸の奥のざわつきは消えない。
戦闘の光景がよぎる。倒れている敵。震えていた仲間たち。
そして――止まれなかった自分。
無意識に拳を握る。その時——
「いけー!」「やられたー!」
元気な声が響いた。
視線を向けると、子供たちが木の棒を手にチャンバラをしていた。
「二刀流だぞ!最強なんだからな!」
一人の子供が、棒を両手に構える。
右手で打ち込み、左手で受け止める。ぎこちない動きだった。
それでも――
攻撃と防御が同時に成立していた。凛馬の視線が止まる。
踏み込み。距離。体の軸。
(……両手が、空いていない)
攻めながら、守れる。止められる。選べる間合い。
子供が気づいて振り返る。
「あ、虹色のお兄ちゃん!お兄ちゃんもやる?」
無邪気な問い。凛馬は少し考えた。
そして――
「……良いな。二刀流。」
小さく呟いた。その言葉は、自分自身への答えだった。
子供たちの笑い声が遠ざかっていく。凛馬はしばらく動かなかった。
(……できるかもしれない)
ポケットからスマホを取り出す。
少し迷い――発信した。
『どうした、凛馬』
灰谷の声。
「……灰谷さん、今大丈夫ですか」
『珍しいな、君から連絡て』
凛馬は公園を見渡した。子供たちが走り回る、何気ない光景。
「戦い方のことで、相談したくて」
『ほう?』
「両手で戦えたら、止められる気がするんです。攻撃しながら、守れるっていうか……」
電話の向こうで小さく息を吐く音。
『……武器か?』
凛馬が少し驚く。
「わかるんですか」
『まあな。そう考える奴は、だいたいそこに辿り着く』
そして――
『一回学園来い』
「え?」
『面白いもん見せたるわ』
通話が切れた。凛馬はスマホを下ろし、小さく息を吐く。
「……いってみるか」
そう言って学園に歩き出した。
夕暮れの学園。
校舎の窓が橙色に染まり、人の気配はほとんどなかった。
「こんな時間に入って大丈夫なんですか」
凛馬が小声で聞く。灰谷は肩をすくめる。
「心配すんな。こういうのはな、見つからんように歩くのがコツや」
警備員の視線が一瞬こちらを向いた――気がしたが、そのまま通り過ぎた。
「……今、見られませんでした?」
灰谷が笑う。
「昔からな。視線掻い潜るん、ちょっと得意やねん」
それ以上は語らなかった。
校舎の奥。使われていない資料室の扉が開く。
中は部屋ではなく、地下へ続く階段だった。
「……?」
「驚くのはまだ早いで」
降りた先には扉があった。
その扉が開いた瞬間――
広大な空間が現れた。
「男の子はな、こう言うの好きやろ?」
壁一面に並ぶ武器。
剣、槍、斧、棍、盾。床には無数の傷跡。
静かな照明だけが空間を照らしている。
「学園の裏訓練室や。表には出とらん」
凛馬は思わず息を呑んだ。
「……こんなの、あったんですね」
「教師いうんはな、見えへん所も守る仕事や」
灰谷は壁際へ歩く。
「ほら。好きなん選べ」
「……俺が?」
「戦い方は人に決められるもんちゃう」
凛馬は武器棚の前に立った。
大剣を持つ。重い。振る。
破壊力はあるが、動きが止まる。しっくりこなかった。
槍。距離は取れる。だが守る時、遅れる。これも違う。
拳。握る。
――昨日の自分がよぎる。
止まれなかった拳。これはダメだ。
ゆっくり息を吐く。
視線が止まった。棚の端。並ぶ二振りの剣。
手に取ると、軽かった。
構えるとぎこちないが――
体の中心が自然に残る。一歩踏み込む。
右を振る。左が自然に防ぐ様に前へ出た。
凛馬の目がわずかに開く。
(……守れる)
灰谷が腕を組んだまま言う。
「それ選ぶか」
「……なんか。止められる気がします」
灰谷が小さく笑った。
「ええ理由や」
凛馬は構え直し、振る。
――ガンッ。
剣同士がぶつかり、体勢が崩れた。
「うわっ!」
よろけて、転げてしまった。その様子を灰谷が笑った。
「最初から上手くいくかいな」
凛馬は苦笑し、もう一度構える。
何度も振る。何度も失敗する。
夕焼けの光が地下へ差し込み、剣が淡く光った。
段々息が荒くなり、汗が落ちる。
それでも止めない。
「……難しいな」
「せやろ」
灰谷が静かに言う。
「せやけどな」
少し真面目な声になった。
「守るための戦い方は、時間かかるもんや」
凛馬は剣を握り直した。もう一度、踏み込む。
今度は――少しだけ動きが繋がった。
灰谷の口元がわずかに緩む。
「……ちょっと形なってきたやん」
双剣の軌道が、初めて“形”になった。
何度目かの振り下ろした後。凛馬の呼吸が荒くなる。剣先がわずかに震えていた。
灰谷が壁にもたれたまま言う。
「……今日はこの辺にしとき」
凛馬が顔を上げる。
「もうですか?」
「焦ってもしゃーない。体に覚えさせるもんや」
灰谷は凛馬に近づき鍵を見せる。
「また言うてくれたら開けたる。いつでもええ」
静かな声だった。押し付けるでもなく、突き放すでもない。
凛馬は双剣を見下ろす。まだぎこちないけど、確かに手に馴染み始めていた。
「……ありがとうございます」
「礼はいらん。強なってくれたらそれでええねん」
照明が落ち、訓練室が薄暗くなる。二人は静かに階段を上がった。
夜。凛馬は家の前に立っていた。
玄関の明かりが、静かに足元を照らしている。
少しだけ迷ってから、インターホンを押した。
――ピンポーン。
「はーい……」
扉が開く。
「……え?」
ミケが固まった。
「り、凛馬!?」
「ただいま……って言っていいのか分かんないけど」
次の瞬間——
「おかえりにゃーー!!」
勢いよく抱きつかれ、凛馬が一歩後ろによろけた。
「ちょ、落ち着けって」
「帰ってきたにゃ!帰ってきたにゃ!」
尻尾がぶんぶん揺れている。奥から母の声が聞こえた。
「どうしたの、そんな大声出して――あら」
キッチンから顔を出した母が微笑む。
「凛馬くん。久しぶりねぇ」
「ただいまです。急にすみません」
「何言ってるの。ここはあなたの家みたいなものでしょう?」
温かい匂いが玄関まで流れてくる。シチューの匂いだった。
「今日はご飯あるにゃ!絶対食べてくにゃ!」
「いや、悪いよ」
「何も悪くないにゃ!」
腕を引かれ、半ば強引に中へ。リビングの灯りが柔らかかった。
ソファやテレビの音。食卓の湯気。
凛馬はふっと息を吐いた。
「……なんか、久々に帰ってきた感じするな」
小さく呟く。胸の奥の張りつめていた何かが、ようやくほどけた気がした。
ミケの母が優しく笑った。
「おかえりなさい」
その一言が、静かに胸に落ちた。凛馬の喉が、わずかに詰まった。
ミケは嬉しそうに隣へ座る。
「今日はいっぱい食べるにゃ!」
凛馬は少しだけ笑った。
「……じゃあ、遠慮なく」
窓の外では、夜が静かに更けていった。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
凛馬の双剣スタイルが確立されました。これで本格的にアオや、ミケ達を守れそうです。
次回、訓練所にとある人影が……?