守るための選択が、凛馬を限界の先へと追い込む。
双剣を構えた凛馬を見て、レオンは静かに息を吐いた。
「……武を持ったか」
その声に、わずかな変化があった。レオンはゆっくりとコートの内側に手を入れる。
黒い金属の塊。拳を覆う重厚な鉄具。内側には細かな刻印が走っている。
カチリと手に嵌める。装着音が静かな校門に響く。
「本来は、使うつもりはなかった」
淡々とした声。
「暴走個体制圧用。政府時代の遺物だ」
黄金の瞳が凛馬を射抜く。
「だが――」
一歩踏み出す度、地面が沈む。
「剣を持つ相手に、素手では無作法だ」
拳が構えられる。重みと圧が圧倒的に違う。
「第二ラウンドだ、紅葉凛馬」
双剣を握った凛馬が、低く構える。レオンは鉄拳を静かに打ち鳴らした。
カン、と重い金属音。
「来い」
凛馬が踏み込む。今度は迷いがない。右の剣が走る。
ギィン!!
鉄拳と衝突。火花が散る。だが凛馬の剣はたまらない。
左の剣が滑り込む。
ザシュッ!!
レオンの上腕が裂ける。血が飛ぶ。
「片方忘れてもらっちゃ困るな」
レオンは表情を変えず、拳がを振り下ろした。凛馬は半身で躱すが、脇腹を掠めてしまう。それでも踏み込み直した。
凛馬は一歩、横へ流れた。刃を真正面に当てずに、角度を変える。
二撃目。下から斬り上げる。
ザッ!!
レオンの肋骨下を浅く裂く。だが鉄拳が即座に振り下ろされる。
凛馬、膝を折って沈む。風圧が頭上を裂いた。地面が砕ける。
その隙に――
三撃目。身体ごと捻る。
ザンッ!!
肩口を掠める。血が増える。レオンの足は動かない。ただ拳だけが最短距離で戻る。
凛馬は退かない。刃を押し込まない。すぐ引いて、また角度を変える。
四撃目。五撃目。
浅いが、確実に傷を負わせていた。
「……刻むつもりか」
レオンの声は低い。凛馬は息を荒く吐く。
「ちょっと違うな」
汗と血が頬を伝う。
「削ってんだよ」
踏み込みの勢いを殺し、反撃の瞬間を奪う。一太刀ごとに、重心の流れを測る。
拳の戻りを読む。差を削ってゆく。
レオンが静かに言う。
「剣筋が整ってきたな」
次の瞬間——
ドォン!!
鉄拳が振り抜かれる。凛馬は双剣を交差させて受ける。
ギャリィィン!!
耳を裂く金属音。衝撃が腕を貫く。双剣にヒビが走る。
「……まずい!」
レオンの追撃の拳が飛ぶ。
ガキィンッ!!
双剣の片方が――折れてしまった。刃が宙を舞い、地面に転がる。
凛馬の目が見開く。
「……くそっ」
レオンが言う。
「武の相性は悪いようだな」
鉄拳が振り下ろされる。だが凛馬は避けない。
踏み込む。拳が肩にめり込み、骨が軋む。
それでも距離を詰める。
(振り終わり――)
再び隙が見えた。重心が、ほんの僅かに流れる。
折れた剣を捨て、残った一振りを逆手に握る。
「——もらったァ!」
全体重を乗せた斬撃。
ズバァァッ!!
レオンの脇腹が深く裂けた。
今までとは違い、明らかに深傷だった。血が大きく噴き出す。
レオンの身体が、初めて大きく揺れた。
半歩、いや、一歩下がる。
凛馬が膝をつきながら笑う。
「……いまのはキツイだろ」
血を吐きながらも睨む。
レオンから大量の血が滴る。その事実を静かに受け入れていた。
(深い……)
裂けた脇腹は明らかに致命圏に到達していた。だが思考は止まらなかった。
(技量ではない。適応だ)
凛馬は戦闘中に変化している。拳の癖を読み、間合いを修正し、被弾すら利用して踏み込んでくる。
――異常な速度。だが、それだけではない。
レオンの視線がわずかに動く。
背後にミケの声。ヒョウカの位置取り。コハクのセンス。仲間の呼吸に合わせ、凛馬の動きが僅かに安定している。
(単独ではない)
理解する。
(支えられている)
凛馬は強い。だが――
完全ではない。
視線がミケへ向く。最も近く、無防備な距離にいた。
そして――凛馬が無意識に守ろうとしている存在。
レオンはほんの一瞬静かに目を閉じた。
(……許せ)
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
目を開く。黄金の瞳から、迷いが消える。
(戦闘終了を優先する)
「……なるほど」
低く呟く。次の瞬間、爆発的な踏み込み。
一直線に――凛馬へ。
凛馬が迎撃姿勢を取る。
「……来る!!」
あと一歩の距離まで来たその瞬間——
レオンの軌道が沈んだ。
「……ッ!?」
角度を切る。地面を砕き、軌道を変えたのだ。
そして次目の前に現れたのは――
「え……?」
ミケの前。既に拳が振りかぶられる。
殺す威力ではない。だが、躊躇もない。
「待っ――!」
最初に動いたのはコハクだった。理屈より先に足が反射で出る。
(間に合え――!)
だが距離が遠い。一瞬で理解する。
(……届かない)
ヒョウカも即座に動く。でも間に合わない。
レオンが低く言った。
「戦場ではな」
静かな声で続ける。
「守るものを残した時点で、敗北は始まっている」
一瞬だけ、瞳が揺れる。だが止まらない。
「――これも戦士の戦い方だ」
拳が振り下ろされる。
「やめろォォ!!」
凛馬が割り込む。
ドォォォン!!
鉄拳が胸に直撃した。
「ガハッ……!!!」
空気が止まった。凛馬の身体が宙に浮き、双剣が地面を滑る。
ミケの目が見開かれる。ヒョウカが息を呑む。
コハクの足が止まった。目の前で起きた現実に、言葉が出ない。
(……これが、王の戦い方)
怒りが湧く。
だが全員が同時に理解してしまう。
冷酷でも――それが正しい戦術だと。
凛馬は地面に叩きつけられ、数メートル転がる。
呼吸ができない。視界が暗くなる。
レオンがゆっくりと視線を落とす。ほんの一瞬だけ、目を伏せた。だが次の瞬間には、もう戦士の目に戻っていた。
「仲間を庇うか」
静かな声。
「悪くない判断だ」
そして、淡々と告げる。
「だが、それが敗因だ」
夜風が吹き抜ける。凛馬はもう動けなかった。地面に血が広がる。
「凛馬!!」
ミケが駆け出した。
だがその瞬間——
視界が揺れる。足が浮いていた。
「……え?」
レオンの腕が伸びていた。ミケの喉元を片手で掴んでいる。指が、喉に食い込み、呼吸が制限された。
「……っ……!」
喉が潰れる。空気が入らない。指が腕を掴むが、びくともしない。
「……り……ま……」
レオンの表情は変わらない。ただミケを見ている。
ヒョウカが飛び込む。
「放せ!!」
拳が頬を打つ。
確かに当たっているのにレオンの首はわずかに傾いただけ。
コハクが横から蹴りを叩き込む。
「離しなさいよ!!」
ドンと音だけが響く。全くと言っていいほど効いていない。
レオンは淡々と言う。
「動くな」
ミケの呼吸が荒れる。
「や……め……」
ヒョウカの拳が震える。
(力が……通らない)
レオンの締める力が少し強くなった。
その行為が――
何よりも卑怯だった。本人は気づいていない。
合理的判断、最短手段だと思っていた。
だがそれは、家族を“戦術に組み込んだ”行為だった。
凛馬の指が、地面を掴む。爪が石を削る。
音が、その時から消えた気がした。
途切れ途切れの視界の端には宙吊りのミケ。喉を押さえられたまま、必死にこちらを見る。
その瞬間——何かが、壊れる。
凛馬は震えながらゆっくり立ち上がる。前髪を、血に濡れた手でかきあげた。
露わになった額には、血管が浮き出ていた。深く沈んだ赤い瞳。
レオンの腕が、ほんのわずかに止まる。空気がその場の全員を押し潰すほど重かった。
ヒョウカが息を呑む。コハクの背筋が凍る。
凛馬は、低く言った。
「……敗因?」
一歩、踏み出す。
「お前が伝説?」
もう一歩。
「その闘い方が伝説かよ」
声が震えている。
だが――底が抜けている。
ミケの苦しそうな呼吸。その音だけが、やけに大きく聞こえた。
——ぷつん。
何かが、完全に切れた。
「……死んじまえ」
凛馬の喉が、小さく鳴る。その言葉は呟きだった。けれど、その言葉は確実に“殺意”だった。
自分でも止められない本音。空気が更に凍る。
レオンの黄金の瞳が、初めて明確に警戒へ変わる。
深淵の赤が、王を射抜く。
「お前ら、全員死んじまえ」
吐き捨てるように言った。理性は残っている。
だが、限界を越えた。
――その頃。森下家。
夜の気配が静かに部屋を包んでいた。時計の針の音だけが響く。
アオはベッドの上で、本を開いたまま止まっていた。ふと、ページが進まなくなった。
「……?」
胸の奥がざわつく。理由は分からない。音もない。
気配もないのに――
嫌な予感だけが、はっきりとある。心臓が強く跳ねた。
アオの手が胸元を押さえる。
「……凛馬?」
名前が、自然に零れる。窓の外を見ても夜の街はいつも通りだった。
それなのに空気が重かった。まるで遠くで嵐が起きているみたいに。
「……変だ」
立ち上がる。迷いはない、勘だった。でも、今まで一度も外れたことのない感覚。
クローゼットから上着を掴む。玄関へ向かう足が速くなる。
「……待ってて」
小さく呟く。靴を履き、扉を開けた。
夜風が吹き込む。アオは振り返らない。一直線に走り出す。
向かう先は――
学園。遠く離れた校門の空に、わずかに赤い気配が揺れていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
家族を傷つけられた凛馬は再び赤に染まってしまいました。全てが終わってしまう前にアオは学園まで辿り着けるのでしょうか?