そしてそれはひとつの思想へと繋がる。
砂煙が、空を覆っていた。
焼けた大地。崩れた防壁。遠くで獣の咆哮が重なる。
獅子族第一軍団は、前線を押し上げていた。
「右翼、突破しました!」
「押し込め。退くな」
低く指示を出す男――獅子王レオン。
まだ若いが、その背にはすでに“王”の気配があった。黄金の鬣が血に濡れ、拳には敵の血が乾き始めている。
敵は――狼族連合軍。
機動力に優れ、連携を得意とする部族。厄介なのは数ではない。統率だった。
「……妙だな」
レオンが呟く。
狼族の動きが異様に滑らかだった。個々ではなく、まるで一つの生き物のように動いている。
その時――
背後から風が走った。
「右、来るよ!」
軽い声。次の瞬間、レオンの死角へ飛び込んできた敵兵が弾き飛ばされた。
バキッ!
鋭い打撃。敵が地面へ転がる。
レオンが振り向く。そこに立っていたのは――
長い髪を風になびかせた少女だった。狼耳。だが、瞳は金色。レオンの目が細まる。
「……狼族か」
少女は剣を肩に担ぎ、にっと笑った。
「半分ね」
軽い調子だった。
「初めまして、獅子族の英雄さん」
戦場とは思えない声色。レオンは警戒を解かない。
「所属は」
「んー、どっちだろ」
少女は少し考える仕草をしてから言った。
「狼族生まれ、獅子族混じり。そう――」
胸を指差す。
「混血だよ。シオンっていうの」
まるで自己紹介でもするように笑う。周囲では戦闘が続いているのに、その場所だけ空気が違った。
レオンは無言で観察する。
足運び。呼吸。視線の動き。――強い。
しかも、戦場慣れしている。
「なぜ獅子側に立つ」
率直に問う。シオンは首を傾げた。
「立ってるわけじゃないよ」
そして剣を構え直す。
「どっちも死んでほしくないだけ」
次の瞬間、敵兵が突撃してくる。シオンが前へ出る。
狼の速さで踏み込み、獅子の力で斬り伏せる。無駄がない。だが――殺意が薄い。
急所を外し、戦闘不能だけを狙っている。レオンの眉がわずかに動いた。
「甘いな」
「あは!よく言われる!」
笑いながら敵をいなす。
「でもさ、王様」
振り返らず言う。
「全部倒したあとに誰も残ってなかったら、勝ちって言える?」
レオンは答えない。その問いは――
戦場に不要だった。それなのに、なぜか耳に残った。
シオンが軽く跳ねて、レオンの背中へ並ぶ。
「背中、任せていい?」
当然のように言う。
レオンは一瞬だけ迷い――
「好きにしろ」
短く答えた。シオンが笑う。
「了解、相棒さん」
その言葉が、後にレオンの人生を縛ることになると。この時、誰も知らなかった。
砂煙の向こうで、戦争はまだ続いていた。
夜の戦場は、昼より静かだった。遠くで燃える炎の音。時折響く砲声。その合間に、小さな焚き火が揺れていた。
レオンは岩に腰掛け、剣の刃を布で拭いている。
火の向こう側に、シオンが座っていた。靴を脱ぎ、膝を抱え、炎を見つめている。
「ねえ、レオン」
「なんだ」
「王様ってさ。ずっと一人で戦ってたの?」
レオンは手を止めない。
「国が必要だっただけだ」
「ふーん」
シオンは枝を火にくべた。炎が少し強くなる。
「私はさ、一人じゃ戦えないんだよね」
レオンが視線だけ向ける。
「弱いわけじゃないの。守りたいものが多いだけ」
炎が彼女の瞳に映る。
「獅子族も狼族も、どっちも怖がってるじゃん」
レオンは淡々と答える。
「戦場では区別が必要だ」
「うん、分かってる」
即答だった。
「でもさ、それを決めるのが戦争でしょ?」
少しだけ声が落ちる。
「戦争のルールで、生き方まで決めたくないんだよね」
風が吹く。火が揺れる。
レオンは黙ったまま聞いている。シオンは続けた。
「私、混血でよかったと思ってる」
その言葉に、レオンの手が止まる。
「どっちにも居場所がないって言われるけどさ」
少し笑う。
「だから両方に行けるんだよ」
焚き火の音だけが響く。
「牙が違うだけで、殺し合うのって変じゃない?」
レオンは短く答える。
「戦場では死ぬ考え方だ」
シオンは怒らない。ただ頷いた。
「うん。そうだよね」
そして、少しだけ前を向く。
「でもさ。誰かがやらないと、ずっと終わらないでしょ」
火の向こうから、まっすぐレオンを見る。
レオンは何も言えない。それを見てシオンが笑う。
「だから私がやるんだよ〜」
冗談みたいに軽く言った。でもそれは本心だった。
「レオンは強いからさ。私はその隣で、違うことするよ」
枝で火をつつきながら続ける。
「……違うこと?」
「うん。人を減らすんじゃなくて、残す役」
火が静かに揺れる。レオンは視線を落とした。
「理想論だ」
「知ってるよ」
シオンは即答した。
「でもね」
小さく笑う。
「レオンがいるなら、現実になる気がする」
その言葉に、レオンは答えられなかった。
「真ん中に立てる人が一番必要なんだから……」
焚き火が小さく弾ける。しばらくして、シオンが袋を差し出した。
「ほい、甘いよ」
「いらん」
「はい半分」
強引に渡される。レオンは受け取ってしまう。
甘さが口に広がる。戦場に似合わない味だった。
シオンが満足そうに笑う。
「ね、まだ世界悪くないでしょ」
レオンは火を見つめたまま言った。
「……生き残れ」
シオンは首を傾げる。
「命令?」
「いや、忠告だ」
シオンは笑った。
「じゃあ、レオンもね」
火が揺れる。その夜、焚き火は長く消えなかった。
――そして翌日。
煙の匂いが、風に混じっていた。そこは、焼けた村だった。
建物は半分崩れ、火がまだ燻っている。
「……遅かったか」
レオンが周囲を見渡す。戦闘は既に終わっていた。倒れているのは獅子族兵。そして、狼族部隊の痕跡。静寂だけが残っていた。
その時――かすかな音。
「……っ……」
小さな泣き声。シオンの耳が先に動いた。
「子供だ」
迷いなく走り出す。
「待て、罠の可能性がある」
レオンの制止を聞かない。崩れた家屋の下。瓦礫の隙間から、小さな手が見えていた。狼族の子供だった。
煤だらけの顔。震える瞳。シオンが膝をつく。
「大丈夫、大丈夫だよ」
優しい声。
「もう怖くない」
瓦礫をどける。子供が怯えて後ずさる。
「……黄色い目……」
その言葉に、シオンは一瞬だけ止まった。
そして――笑った。
「ただのお姉さんだよ」
手を差し出す。子供は震えながらその手を取った。レオンは後ろから見ていた。
(なぜだ)
敵対種族だ。助ける合理性はない。
その時——遠くで銃声。レオンの視線が鋭くなる。
「追撃部隊だ。撤退するぞ」
だがシオンは立たない。子供を抱き上げ、周囲を見渡す。
「まだいる」
「何だと?」
瓦礫の奥。さらに小さな声。
二人目。三人目。地下室に隠れていた子供たちだった。
「……全員連れていく」
レオンの声が低くなる。
「不可能だ」
「できる。私なら」
「時間が足りない。優先順位を決めろ」
シオンは子供たちを見る。震えている。血の匂いの中で、必死に息をしている。
そして――
「じゃあ、決まってる。この子たちが最優先」
銃声が近づく。レオンは舌打ちした。
「囲まれるぞ」
「レオン」
名前を呼ばれる。まっすぐな目だった。
「少しだけ、時間ちょうだい」
その目を、レオンは知っていた。焚き火の前で見た、理想を語っていた時と同じ目。
レオンは背を向け、構えを取る。
「……三分だ」
シオンが笑う。
「十分だよ」
戦闘が始まった。レオンは入口に立つ。敵を殴る。飛ばす。倒す。だが数が多い。
背後で、シオンが子供を外へ逃がしている。
「走って!止まらないで!」
優しい声。戦場に似合わない声だった。
その瞬間——銃声が背後から鳴った。レオンの背筋が凍る。
振り向くと——シオンが立っていた。子供を庇うように。
心臓を撃たれていた。本来なら避けられた距離だった。だがシオンは動かなかった。
背後の子供を完全に覆うため、わずかに前へ出た。
「……シオン?」
彼女は倒れない。血を流しながら、子供の背を押す。
「行って」
笑っていた。でも泣きそうな顔だった。
「早く」
子供が走る。ようやく膝が崩れる。
レオンが駆け寄り、抱き止める。血が温かかった。
シオンの呼吸が浅くなる。レオンは血に濡れた身体を抱き寄せた。
「なぜ退かなかった」
シオンは小さく笑う。
「だって……子供だよ?」
「狼族とか関係ない……どっちも助けたいじゃん」
レオンの瞳が揺れる。
「それでは戦争は終わらない」
静かな否定だった。シオンは少し困った顔をした。
「うん。知ってる」
咳き込み、血が零れる。
「でもさ……どっちか消したら、きっとまた歪むよ」
その言葉に、レオンの思考が止まる。
「均衡ってさ」
震える手が、レオンの胸を掴む。
「片方が強すぎても壊れるけど、真ん中にいるものが消えても壊れるんだよ」
呼吸が乱れる。
「私は……混血だから……」
初めて、弱さが滲む。シオンから涙が零れた。
「どっちにも寄れない……」
シオンの声が掠れる。命の燈が消えようとしている。
「だから……支えられると思ったんだけどな……」
声が消えかける。
「……ごめん、レオン」
遠くで爆発。両軍が互いを撃ち始める。救ったはずの場所で、再び争いが始まる。
レオンは見る。均衡が崩れる瞬間を。
どちらも救おうとした結果、両方が戦い続ける世界を。
その瞬間——シオンの手が落ちた。
レオンは、しばらく動かなかった。腕の中の温もりが、ゆっくりと消えていく。
遠くでは獅子族と狼族が再び刃を交えている。守ったはずの命の先で、また誰かが倒れる。
炎が上がる。叫び声と、終わらない循環。
レオンの視線が、シオンの顔へ落ちた。穏やかな表情だった。
まるで――戦争など最初から存在しなかったかのように。
「……違う」
初めて、声が震えた。
「お前が間違っていた」
抱き寄せる力が強くなる。
「優しさでは、世界は止まらない」
血が指の隙間から落ちる。
「均衡は……守らねばならない」
ゆっくりと立ち上がる。黄金の瞳から、感情が消えていく。
「誰かが、境界を固定し続けなければ」
その瞬間。
王ではなく――“管理者”が生まれた。
「二度と、お前のようにはさせん」
静かに、レオンは決断した。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
レオンの過去が明らかになりました。シオンの優しさが、彼を王にしました。
次回、凛馬とレオンの戦いに決着がつきそうです。