だが、世界は終わらない。
純血と混血。均衡を巡る議論は、今も続いている。
あの夜から、いくつかの朝を越えた。世界は変わっていないようで、確かに少しだけ傾き直していた。
消毒液の匂いが、静かに鼻を刺した。目を開けた瞬間、白い天井が滲んで見える。
(……生きてるのか)
身体が重くて、胸が軋む。腕が上がらない。視線を横に向けると——
アオが椅子に座ったまま、ベッドに突っ伏して眠っていた。目元は赤く、指は凛馬の袖を握ったまま離していない。
凛馬は小さく息を吐く。
「……泣きすぎだろ」
声は掠れていた。その声で、アオの睫毛が震える。
「……凛馬?」
顔を上げた瞬間、涙が溢れる。
「ばか……」
拳で軽く胸を叩こうとして、包帯の多さに気づいて止まる。
「死ぬかと思った」
凛馬は少しだけ黙る。そして、ぽつりと呟いた。
「……俺がさ」
アオが顔を上げる。
「俺が、あの人殺したのか?」
空気が止まる。アオは、すぐには否定しない。
その代わり、凛馬の手を強く握る。
「凛馬」
まっすぐ見つめる。
「それは違うよ。凛馬は止めたんだよ」
「……え?」
「だってあの時、壊すのやめたでしょ」
赤が消えた瞬間を思い出す。
「もし凛馬が殺してたら、あの人は立って死なないよ」
静かな声だった。
「普通なら逃げたかもしれない。恨んだかもしれない。呪ったかもしれない。」
アオが何かを思うように上を見上げた。
「でも、あの人は笑ってた」
凛馬の喉が動く。アオが続ける。
「それってね、負けた人の顔じゃないと思うよ」
少しだけ微笑む。凛馬の目が揺れる。
「……俺は、止めれたのか」
「うん」
即答だった。
「凛馬は、止めて、受け取った」
長い沈黙が流れた。凛馬はゆっくり目を閉じる。
「なんか……重いな」
アオは少しだけ困ったように笑う。
「一人で持つからでしょ」
指を絡める。
「前にも言ったでしょ」
握る手に力を込める。
「全部背負わなくていいから、僕にも預けてよ」
逃げ場のない、まっすぐな距離でそう言った。
凛馬が小さく息を吐く。
「……離れないで」
「当たり前じゃん」
空気が柔らかくなった。その時――
病室のドアが勢いよく開いた。
「っしゃあああ!!やっと退院やーーー!!!」
灰谷が両手を広げて入ってくる。
灰谷は2人を見て沈黙した。凛馬とアオまだ手を握っていて、顔の距離が近い。
灰谷、固まる。
「……邪魔した?」
アオが慌てて手を離す。
「ち、違います!」
凛馬は顔を逸らす。灰谷がニヤッと笑う。
「いや〜〜〜??いい空気やったやん??」
枕が飛ぶ。
「空気察してよ!!!」
病室に、久しぶりの笑い声が響いた。窓の外では、風が静かに揺れていた。
テレビの音が小さく流れている。
『先週発生した大規模衝突事件について――』
画面に映るのは校門前。立ったまま倒れなかった獅子王の姿は、映像にはない。既に処理された後だった。
『純血思想を掲げていたと見られる組織の実働隊は壊滅』
『一方で、一部では獅子王レオンを“戦争終結の功労者”と再評価する声も上がっており――』
「混血政策の見直しを!」
「レオンは危険思想だ!」
声が交錯する。凛馬は静かに画面を見つめる。
(まだ、終わってない)
レオンは死んだ。だが、均衡の議論は今も揺れている。
夕方。学校終わりの4人がお見舞いに来てくれた。
ミケはベッドの足元で尻尾を揺らし、コハクは腕を組み、ヒョウカは窓の外を見ている。ミナは資料を抱えたまま黙っている。
空気が重い。最初に口を開いたのはミケだった。
「……なんか、勝った感じしないにゃ」
誰も否定しなかった。コハクが小さく呟く。
「ラスボス倒した感、ゼロなんだけど」
ヒョウカが低く言う。
「獅子王は死んだ。でも思想が残った」
ミナが静かに頷く。
「世論は割れています。混血政策の再議論も始まりそうです」
凛馬はゆっくり目を閉じる。そして言った。
「……あいつ、間違ってなかった」
全員が凛馬を見る。
「え?」
コハクが素で聞き返す。凛馬は続ける。
「守るって言いながら、あいつは壊すことを恐れてた」
喉が少しだけ震える。
「でも俺は……壊す気で行った」
拳を握る。
「守るだけじゃ足りない。でも壊すだけでもダメなんだ」
レオンの言葉が蘇る。
――更新する者だ。
凛馬は静かに言う。
「止めるんじゃない。進める」
部屋が静まる。その沈黙を、アオがそっと受け止めるように口を開いた。
「更新、ってさ。壊したものの上に立つことじゃないと思う」
凛馬を見る。
「隣に立ち直すことだよ」
ミケの尻尾が止まる。
「……隣?」
アオは頷く。
「一人で進むと、また均衡は崩れる。だから、みんなで進むんでしょ」
静かに、でもはっきりとそう言った。
コハクが小さく息を吐く。
「……なんか、難しい話だね」
ヒョウカが短く言う。
「だが間違っていない」
ミナも頷く。
「なら、私たちも始めるべきです」
その時、不意に低い声が混ざった。
「それが社会というものやな……」
全員が一斉に振り向く。
ベッド脇の壁にもたれ、腕を組んでいたのは――灰谷だった。
「……そうですね……」
頷きかけて、凛馬は一瞬固まった。
「――ってなんでいるんですか」
コハクが吹き出す。ミケが笑いを堪える。
灰谷は続ける。
「理想だけでは世界は動かん。だが理想がなければ、世界は変わらん」
静かに凛馬を見る。
「お前ら、ちょうどええ位置に立っとるわ」
凛馬は少しだけ目を細める。
アオが小さく笑う。空気が、ほんの少し軽くなった。
灰谷がカルテをぱらりと閉じる。
「そういえば凛馬。退院は一週間後らしいで」
「は?」
凛馬が素で返す。
「世界更新する前に、まず傷更新せぇ」
病室に笑いが広がった。窓の外では、夕陽が沈みかけている。
戦いは終わった。だが――
進む準備は、もう始まっていた。
夜。5人は帰り、灰谷はそそくさと退院して行った。
病室に風が入り、カーテンが揺れる。
その足元に、ふわりと一枚、紫の花びらが舞い込んだ。
凛馬はふと、顔を上げた。
――そこに。
街灯の淡い光の中に、誰かが立っていた。
長い髪が夜風に揺れる。狼耳。柔らかな笑顔の少女だった。
一瞬だけ、凛馬と目が合う。驚きはない。
ただ――安心したように笑った。
そして、小さく頷く。
「……ありがと」
声は聞こえなかった。だが確かにそう言われた気がした。
次の瞬間、風が強く吹いた。
視界が揺れ――もうそこには誰もいなかった。
「……見てろよ、獅子王」
小さな声。
「ちゃんとやるからな」
風が止む。花びらは床に落ちたまま動かない。
だが物語は、止まらない。
――均衡は、更新される。
三章エピローグです!最後まで読んでくださりありがとうございました!
「更新する者」として生きていく凛馬はこれからどのような選択をするのか?次章から注目です!
【報告】
私情ではありますが、しばらくの間作品の更新日を、毎日投稿から毎週土曜日、日曜日に変更させていただきます。
今後とも凛馬達をよろしくお願いします!