世界は揺れたまま、次の時代へ進もうとしている。
教室の窓から、朝の光が差し込んでいた。
いつもと同じチャイム。いつもと同じ机。いつもと同じ、ざわめき。
――のはずだった。
凛馬は自分の席に座っている。だが、空気の流れが、ほんのわずかに違う。いつもと違う視線が凛馬を刺した。
前の席の女子が小声で囁く。
「ほんとに凛馬が……?」
「ニュースで見たよ」
斜め後ろから、別の声。
「英雄だろ?あの獅子王倒したの」
「でもさ……あの時、敵をボコボコにしたって……」
笑いも、賞賛も、距離も、全部混ざっている。
称賛する目。恐れる目。測る目。そのどれも何故か怖かった。
凛馬は黒板を見ているふりをする。ペンを持つ指が、わずかに震えていた。
「……紅葉?聞いてるか?」
教師の声に、はっと顔を上げる。
「あ、すみません」
教室に小さな笑いが起きる。その瞬間、胸の奥がざらついた。
――戻ってきたはずなのに。
何かが、まだ戦場に置き去りのままだ。
休み時間。アオが迷いなく隣に座る。
「今日、ちゃんと寝れた?」
いつもの柔らかい声だった。凛馬は少しだけ視線を逸らす。
「……まぁな」
嘘なのが丸見えだった。だがアオはそれを指摘しない。ただ、小さく言った。
「隣、いるから」
その言葉は大げさでも特別でもない。ただ、当たり前のようにそう言った。
凛馬は小さく息を吐いた。
「……ありがとな」
教室の窓から風が入り、カーテンが揺れる。
その時——
ほんの一瞬、凛馬の耳が微かに動いた。
誰も気づかないような気配。でも確かに、何かが空気を撫でた。
凛馬は無意識に窓の外を見る。
青空。穏やかな昼。何もない。それでも——
「……来る」
ぽつりと呟いた。アオが首を傾げる。
「なにが?」
凛馬は少し考え、首を振る。
「いや……なんでもない」
けれど、違う。あれは敵の気配でも、殺意でもない。それはもっと、静かなものだった。
凛馬は気持ちを整理できず、夜まで歩き回っていた。
辺りにはもう、夜の街灯が柔らかい円を地面に落としている。公園のブランコが風に揺れて、きぃ、と小さな音を立てた。
凛馬はベンチに腰掛け、両肘を膝に乗せている。
静かな場所だけど、胸の奥は静かじゃない。
あの夜の光景。赤い視界。拳の衝撃。
「死んじまえ」と吐き捨てた自分。
喉の奥が、わずかに軋む。凛馬は、拳を握る。
だが力が入らなかった。
その時——
「やっぱりここだった」
アオが隣に座る。
「アオ……」
少しの沈黙が流れる。そして、凛馬がぽつりと言う。
「今日さ、クラスのやつにちょっと距離取られてた」
軽く笑う。
「怖いってさ」
アオは何も言わない。すぐに否定もしない。ただ、隣にいる。
凛馬は続ける。
「今思い返すと、自分でもちょっと怖かったよ。仕方ないよな」
凛馬の胸にあの時の光景が去来した。
アオが静かに言う。
「それでも、僕はあの時の凛馬も知ってる」
凛馬が、わずかに視線を動かす。
「あんな状態になっても僕たちを守ろうとしてたでしょ」
それは凛馬にとって核心をつく言葉だった。
「怖いのと、悪いのは違うよ」
その言葉は、押しつけじゃない。事実みたいに、落ちる。
「……あいつもさ」
小さく呟く。
「守ろうとしてたのかな。やり方が、違っただけで」
「うん。きっとそうだよ。」
胸の奥にあった“何か”が、静かに崩れていく。怒りでもない。恐怖でもない。
ただ、固まっていたものが、溶けるようにほどけていく。
凛馬は、深く息を吸った。肺の奥まで夜が入る。
そして、吐き出したその息と一緒に、胸の奥の重さが、抜けていった。
あの戦いの音は、もう聞こえない。レオンの瞳も、赤い自分の視界も、今はほど遠い。
凛馬は空を見上げる。
「……もう、大丈夫だ」
誰に向けた言葉でもない。でも確かに、自分に向けた言葉だった。
凛馬が言う。
「守られてる気、しないか」
アオは少し考えて、笑う。
「ちゃんと、見てくれてる感じするね」
凛馬は小さく息を吐く。
「じゃあ、今度は俺たちの番かもな」
凛馬とアオは歩き出す。公園の街灯が、背中を照らす。
凛馬の足取りは、もう迷っていない。胸の奥は、静かだった。怒りも後悔ももうそこにはない。
残っているのは、“守る”という、選択。
凛馬は、ふと立ち止まる。振り返らずに、ただ小さく呟いた。
「……見てろよ」
誰に向けたのかは自分でも分からない。けれど、確かに届く気がした。
その瞬間——
見えない場所で、長い髪が、ほんの少し揺れた。ブランコが、きぃ、と小さく鳴る。
夜は静かに、更けていく。
――守る予感がする。
それは、恐怖の気配ではない。新しい物語が、始まる気配だった。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
四章プロローグでした。凛馬が感じたもっと静かなものとは何なのか。次回に期待です!
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