翌日。凛馬達は朝早くから集まっていた。
アジトの空気は、いつもより少しだけ静かだった。その中心で、灰谷が腕を組んでいた。
「……で」
低い声に、アオの丸い耳がぴくりと動いた。
「お前ら、ホンマにどこも怪我してへんのか?」
視線の先には、アオとミナ。二人は顔を見合わせたあと、同時に首を振った。
「うん。大丈夫だよ」
「まぁ、ちょっと擦り傷が……」
灰谷は眉間にしわを寄せた。
「……ほんまに?」
「ほんとだよ!」
アオが少し笑う。
その瞬間、丸い耳がまたぴくりと揺れた。無事を喜ばれているのが、少し照れくさい。
灰谷はしばらく二人を見ていた。そして、深く息を吐いた。
「……やっぱ俺の読み通りか」
「読み通り?」
凛馬が聞き返す。灰谷は椅子にもたれた。
「俺の理屈が正しいなら、2人が傷つかへん思ってた。せやけど……」
灰谷はアオを見る。
「まさか本当に無傷で帰ってくるとはな」
ミナの耳が分かりやすく揺れた。
ミケがそれを見て、にやっと笑う。
「ミナ、耳が喜んでるにゃ」
「えっ」
ミナが慌てて耳を押さえる。
「喜んでないです!」
「いや、めっちゃ喜んでるよ」
「うぅ……」
ミナは真っ赤になって俯いた。その様子に、アオと凛馬は少しだけ安心する。
ちゃんと戻ってきた。張り詰めた空気が、少しずつ日常へ戻っていく。その感覚だけは分かった。
「それで」
灰谷が話を戻す。
「レイナの戦い方、詳しく聞かせてくれ」
その一言で、空気が少し変わった。
アオの耳がゆっくり下がる。ミナの目が細くなる。灰谷はその変化を見て、表情を引き締めた。
「一応な?聞かせてくれ」
アオは少し考えてから口を開いた。
「とりあえず、僕らは逃げるしかなかったよ」
ミナが続ける。
「全て見透かされてるようでした……」
「罠だけじゃないよ。こっちの動き方を誘導してくる感じ」
アオが言うと、灰谷は目を細めた。
「誘導?」
「うん。なんか未来見えてるんじゃないかなって」
「最悪やな」
灰谷が即答した。ミナが静かに頷く。
「いつでも殺されそうでしたよ……」
灰谷は頭を抱えた。
「……嫌な奴やな」
「いや……それはちょっと違うかも」
ほぼ同時だった。灰谷が眉をひそめる。
「ん?」
アオは少し困ったように笑った。
「戦い方はまぁ……否定できないけど」
丸い耳がぴくりと動く。
「でも」
ミナが続ける。
「レイナさん自体は、いい人だと思うんです」
部屋が少し静かになった。灰谷が固まる。
「え?」
ミケが飲んでる飲み物を吹き出した。ツキノも目を丸くする。
「今の話聞いてたにゃ!?」
「聞いてたよ」
灰谷が言う。
「撃ってくるんやで?」
「撃ってきた」
「嫌な奴やん」
アオが苦笑する。
「でも、無駄に傷つけようとはしてなかった」
灰谷が少し黙る。
アオは思い出すように言った。
「本当に倒そうと思ってたなら、もっとやれたと思う」
ミナも続ける。
「撃てる場面も殺せる場面もあったのに……」
ミナの耳がピン、と立つ。
「それでも彼女はやらなかった。試されていた感覚に近いです」
灰谷は顔をしかめた。
「それが余計怖いわ」
全員が少し笑う。コハクが腕を組んだ。
「私もちょっとだけ話したよ」
全員の視線がコハクに向く。
「でも……確かに嫌な感じはあんまりしなかった」
ミケの尻尾が揺れる。
「もしかしていいやつなのにゃ?」
「どうだろうな……」
凛馬も頷いた。
「仲間に手を出してる時点で、俺は嫌だけどな」
一瞬、全員が黙った。
「まぁ……」
見事に意見が一致する。ヒョウカが小さくため息を吐いた。
「仕方のないことだな」
その空気が落ち着いた頃。
灰谷がアオを見る。
「お前らはアイツどうや?」
2人は少し考える様に窓の外へ視線を向ける。昨日の戦いを思い出しているようだった。
丸い耳が小さく揺れる。そして——
「……たぶん」
静かな声だった。
「これから先、僕達だけじゃ届かない場所が出てくると思う」
灰谷は黙って聞いている。アオは続けた。
「強さとか、立場とかそういうの全部含めてさ」
ミナも隣で頷く。その瞳は真っ直ぐだった。
「その時、レイナさんは」
アオとミナが顔を上げる。
「良くも悪くも鍵になると思う」
誰もすぐには言葉を返さなかった。灰谷ですら黙っている。
昨日戦った相手。本来なら敵と呼ぶべき存在。それなのに二人は迷わずそう言った。
凛馬はそんな二人を見ていた。不思議と否定する気にはならなかった。
むしろ、こんなこと言える様になったのかと感心すら覚えた。
そして、レイナという人物がどういう未来を選ぶのか。それはまだ分からない。
あの人はただ強いだけじゃない。何かを背負っている人だった。だからこそ――
もしかすると本当に、いつか大きな意味を持つ日が来るのかもしれない。
そんな予感だけが、静かに胸の中へ残った。
「まあ」
灰谷が手を叩く。
「とにかく、お前らが無事ならそれでええ」
その声には、いつもの軽さの奥に、本気の安堵があった。
「今日は学校行ったら、あとはゆっくりしとけ。こっちの処理は俺がやる」
「いいの?」
アオが聞く。
「ええ。学生は学生らしくしとけ」
灰谷はそう言って、少し笑った。
「戦った次の日くらい、普通に飯食って、普通に笑ってくれや」
その言葉に、アジトの空気が少し緩んだ。ツキノが不思議そうに灰谷を見る。
「普通に笑う……」
その額の角が、ほんの少しだけ青白く光った。
まだこの場所の“普通”を掴みきれていないような、そんな光だった。
ミケの尻尾が元気よく揺れる。
「放課後、どっか寄ろうにゃ!」
コハクの狐の尻尾も楽しそうに揺れた。ヒョウカは無表情のまま立ち上がる。
「騒がしくなりそうだな」
「とか言って来るんだ?」
「行かないとは言っていない」
いつものやり取り。その音が、妙に心地よかった。
放課後。
「よーし!」
コハクが勢いよく立ち上がった。狐の尻尾が楽しそうに揺れている。
「コンビニ行こ!」
「賛成にゃ!」
ミケが即座に手を挙げた。
「新作のお菓子見たいにゃ!」
「僕も行く!」
アオも鞄を持つ。
「ヒョウカは?」
「行こう」
「珍しく乗り気だな」
「甘いものがあるなら行く」
「甘党だったっけ?」
凛馬が笑う。
そして、最後にツキノを見る。
「ツキノも行く?」
ツキノは首を傾げた。
「……こんびに?」
その場が静かになった。コハクが目を丸くする。
「え?」
「こんびにって何だべ?」
さらに静かになった。
ミケの尻尾がぴたりと止まる。
「知らないの?」
コハクが聞く。ツキノは真顔で頷いた。
「知らないべ」
凛馬は一瞬黙った。そして、ゆっくり頷いた。
「……よし」
「何がよしなの?」
アオが聞く。
「今日はツキノに文明を見せる日だ」
「大げさにゃ」
「いや、コンビニ知らないのは大事件だ!」
ツキノの耳が不安そうに少し下がる。
「そんなすごい場所なんだべか……?」
凛馬はニヤリと言った。
「どうだろうな?」
コハクも乗る。
「世界の全部があるよ」
「全部!?」
ツキノの目が見開かれた。
角が一瞬、変な色に光った。青白い光の中に、なぜか薄い紫が混ざる。
「ツキノの角なんか変だにゃ!」
ミケが笑う。ツキノはますます混乱した顔になった。
「うわぁ〜恥ずかしいべ……」
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
その瞬間、ツキノは止まった。完全に、止まった。一歩も動かない。
目だけが、忙しく動いている。
右には色とりどりの菓子。左には様々な飲み物。
前にはボリューム満点弁当。奥にはキンキンに冷えたアイス。
横には雑誌。さらに横には日用品。
「……なんだべ……」
小さな声が漏れた。角が淡く明滅する。
「いや、なんだべこれ……」
凛馬は思わず笑いを堪えた。
「コンビニだぞ、ツキノ」
「これが……こんびに……」
ツキノの耳がぴんと立つ。瞳は完全に未知の世界を見ていた。
「なんか……多すぎるべ」
「何が?」
「全部全部」
「あぁ、全部か」
コハクは腹を抱えて笑いそうになっていた。ミケも尻尾を揺らしながら、にやにやしている。
「まず何見るにゃ?」
「何を見ればいいんだべ……?」
「やっぱりお菓子?」
「お菓子だけで棚が一つあるべ……」
「飲み物?」
「カラフルすぎて怖いべ……」
「アイス?」
「氷菓子まで!?」
ツキノの角が激しく明滅した。
「コンビニでバグる人初めてにゃ……」
ミケが感心したように言う。
「いや、ツキノだけだと思う」
アオが苦笑する。その間も、ツキノは真剣だった。弁当コーナーの前で立ち止まる。
「これは……ご飯?」
「弁当だよ」
弁当を手に取ってみる。その弁当は冷たかった。
「……これって食べれるんだべ?」
「温められる」
「ここで?」
全員がうん、と頷いた。
「すごいべなぁ……」
角の先が、ふわっと光った。今度は穏やかな光だった。
本当に感動している。
コハクが小声で言う。
「ツキノって、かわいいとこあるよね」
「分かるにゃ」
「聞こえてるべ?」
ツキノの耳が動いた。怒っている割に、目は少し嬉しそうだった。
結局、ツキノは店内を三周した。
一周目は驚き。二周目は確認。三周目は迷走。
凛馬達は適当に飲み物を選んだ。だがツキノだけは、まだ悩んでいた。
「決まった?」
凛馬が聞く。
ツキノは真剣な顔で頷いた。
「……決めたべ!」
その手にあったのは、百円のバニラアイスだった。
全員が沈黙した。
「……それ?」
コハクが聞く。
「これだべ」
「三周して?」
「これだべ」
ミケが耐えきれず吹き出した。
「にゃははは!ツキノ、かわいいにゃ!」
「な、なんで笑うんだべ!」
ツキノの耳がぴんと立つ。角が焦ったように点滅する。
「だって1時間くらい悩んでアイス一個にゃ!」
「そんな悩んでないべ!」
「三十分くらいは経ってるぞ」
ヒョウカが訂正した。
「それでも長いよ……」
アオも笑っていた。
無理して作った笑顔じゃない。ちゃんと、今この瞬間を楽しんでいる笑顔だった。
凛馬はそれを見て、胸の奥が少し温かくなる。
昨日まで戦っていた。怖い相手と向き合っていた。それでも今日は、こうしてコンビニで笑っている。
それが、どうしようもなく大事なことに思えた。
会計を終え、外に出ると、夕暮れの空が街を柔らかく染めていた。
ツキノは買ったアイスを両手で持っている。まるで宝物みたいに。
「そんな大事そうに持つのか?」
凛馬が聞く。
ツキノは少しだけ目を逸らした。
「……初めて自分で選んだべ」
その言葉に、皆が少し黙った。ツキノの角は、穏やかな青白い光を灯していた。
さっきまでの変な明滅ではない。静かで、澄んだ光。
アオが優しく笑う。
「そっか」
ミケの尻尾がゆっくり揺れる。コハクもからかうのをやめた。ヒョウカは何も言わなかったが、少しだけ目を細めていた。
凛馬は空を見上げる。戦いは、まだ終わっていない。
きっとまた、嫌なことも起きる。傷つく日も来る。
それでも、こういう時間があるから前に進める。
「じゃあ次は」
ミナが言った。
「街中にでも行きましょうか」
ツキノの目が丸くなる。
「……まちなか?」
角が、また変な光り方をした。あおが
「僕達が全部教える!」
全員が笑った。
夕暮れの帰り道。その笑い声は、戦いの後の街に、少しだけ長く残っていた。
最後までよんでくださりありがとうございます!
突然なんですけど、BEAST BLOODの更新スケジュールを変更します。
土日18時更新→水曜1話・日曜1話の午前0時更新
更新頻度は変わらず週2話予定です。今後ともBEAST BLOODをよろしくお願いします!
あと今週も遅れて申し訳ないです!!!