それぞれの思惑が交錯する中、レイナは一つの決断を下す。
薄暗い部屋だった。
壁一面に並ぶモニター。映し出されているのは、一人の少年だった。
紅葉凛馬。能力測定の記録、学園での日常、戦闘映像。そして、レオンとの戦い。
様々な映像が次々と流れていく。
その前に立つのは、獅堂カイルだった。そして、その隣には神城コクヨウ。
黒い瞳が静かにモニターを見つめている。
「見ろ」
低い声が響く。モニターの中で、凛馬が仲間達と笑っていた。
ミケと話し、アオと肩を並べて歩いている。
コハクに振り回される、どこにでもいるような学生の日常。
だが、コクヨウは鼻で笑った。
「騙されるな」
映像が切り替わる。今度は戦闘記録。
構成員の喉を切る凛馬。レオンの手首を切り落とした凛馬。そして、傷だらけになりながら前へ出る凛馬。
「こんなものは、偽善者だ」
コクヨウが言う。
「綺麗事を並べる」
映像がまた変わる。獣人達に囲まれる凛馬、仲間達に支えられる凛馬。
「そして」
コクヨウの声が少しだけ低くなった。
「全てを奪ってゆく……」
カイルは黙って見ていた。拳が少しずつ握られていく。
「いつかはお前の故郷も、お前の家族も……」
コクヨウはモニターを見つめたまま言う。
「全ての元凶は紅葉凛馬だ」
カイルの視線はモニターから離れない。画面の向こうで笑っている凛馬。その笑顔が妙に気に入らなかった。
その時、部屋の扉が開く。
「失礼します」
聞き慣れた声。2人が振り向く。そこに立っていたのはレイナだった。
長い白髪に、冷静な表情。いつも通りだった。
「帰ったか」
レイナは短く答える。
「報告に参りました」
「話せ」
レイナは一度頷いた。
「対象との接触に成功しました。対象の実力確認も終了しています」
コクヨウは静かに聞いている。
カイルも耳を傾けた。
「結果は?」
レイナはほんの僅かに沈黙する。誰も気付かないほどの間。
だが——カイルだけは何故か気になった。そして、レイナは答える。
「放置でいいでしょう」
静かな声だった。
「計画への影響もありません」
コクヨウは少しだけ目を細めた。だが何も言わない。
「そうか」
ただそれだけだった。
「ご苦労」
「それでは、失礼します」
レイナは一礼し、そのまま部屋を出ていく。
扉が閉まる。再び静寂が訪れた。
コクヨウは何も言わない。モニターの中では再び凛馬が笑っている。
カイルはその映像を見た。そして、ふと立ち上がる。
「どこへ行く」
コクヨウが聞いた。カイルは振り返らない。
「少し」
短く答え、そのまま部屋を出た。
「……甘いな」
カイルが出ていった後、小さく呟いた。
誰に向けた言葉だったのか。それは誰にも分からない。コクヨウはゆっくりと立ち上がる。
そしてモニターへ近付いた。映し出されているのは凛馬の顔。その笑顔を見て、コクヨウは僅かに目を細めた。
「レイナ」
静かな声だった。
「お前もか」
怒りも、失望もない。ただ事実を確認するような声音。
レイナが嘘を吐いたことも、評価を偽ったことも、その理由までコクヨウは最初から理解していた。
だからこそ何も言わなかった。モニターへ手を伸ばす。
指先が凛馬の顔に重なる。
「……醜い」
その声だけは、今までと少し違う気がした。
「奪われても、傷付いても、裏切られても」
映像の中の凛馬は笑っている。仲間達と肩を並べている。コクヨウには理解できなかった。
いや、理解したくなかったのかもしれない。
「何故そこまで獣人を信じられる」
答える者はいない。モニターだけが淡々と映像を流し続ける。
しばらくして、コクヨウは静かに笑った。それはどこまでも冷たい笑みだった。
「まあいい」
モニターから手を離す。
「いずれ分かる」
その瞳の奥に黒い感情が揺れる。
「お前も、アイツらも」
そして、コクヨウはモニターに映る凛馬“以外”を見つめた。
「全員な」
部屋の灯りが僅かに揺れる。
その瞬間だけ、コクヨウの表情は獣のように歪んで見えた。
だが次の瞬間には消えている。代わりに残ったのは孤独の静寂だけだった。
長い廊下。
レイナは一人で歩いていた。規則正しい足音だけが響く。
「待て」
強い声が飛んだ。レイナが立ち止まる。振り返ると——
そこにはカイルがいた。真っ直ぐこちらを見ている。
レイナは表情を変えない。
「……どうしたの?」
カイルは数歩近づく。そして——
「さっきの、嘘だろ」
開口一番だった。レイナは瞬き一つしない。
「何の話?」
「とぼけるな。問題ない訳がない」
レイナは黙っている。カイルは続けた。
「お前は戦ったんだろ、紅葉凛馬の仲間と」
声色に怒りが滲み出す。
「それで問題ないだ?」
廊下に声が響く。レイナの眉が僅かに動いた。
「俺を舐めるな」
カイルは睨む。
レイナは数秒だけ黙った。だがすぐに視線を逸らす。
「……この件は難しいわ」
「は?」
レイナは視線を逸らさない。
「私にも分からないことが多いから、今は答えられません」
カイルの声が強くなる。
「分からない?」
「戦ったんだろ!何が分からない」
レイナは少しだけ考えるように目を伏せた。
そして静かに答える。
「彼……いや、彼らが敵なのか、味方なのか。まだ判断できません」
カイルは即座に言い返した。
「そんなもの関係ない」
拳を握る。
「紅葉凛馬は敵だ!コクヨウ様もそう言っていた」
「俺達から『あの人』を奪った張本人だ!」
レイナは否定しない、ただ静かに聞いていた。
そして。
「カイル」
カイルが顔を上げる。レイナは振り返らずそのまま言った。
「あんたも気付いてるよね」
カイルの眉がひそめられる。
「何をだ」
レイナは少しだけ目を閉じた。そして——
「『奴』の胡散臭さに」
空気が変わる。カイルの目が見開かれた。
「……何?」
レイナは続ける。
「あんたは賢い。だからこそ分かるはず」
そしてレイナが振り向く。
「本当に全てが真実なのか?はたまた嘘なのか」
カイルは何も言い返せなかった。レイナはその沈黙を肯定とも否定とも受け取らなかった。
ただ静かに言葉を続ける。
「“無駄な犠牲を減らせ、真の敵を見極めろ”」
その言葉だけは、今までより少しだけ強かった。
「……あの人は、ずっとそう言ってたでしょ」
カイルは納得していない。それが表情だけで分かった。
「じゃあ、いつまで待てって言うんだ」
「私の結論を待って」
その声は珍しく強く、迷いはなかった。
カイルが目を細める。
「結論?」
レイナは頷く。
「あんたが行ったら彼らの怒りを買うだけ、軽率に行動はできないわ」
カイルは一歩前へ出る。
「それは……」
声に怒りが混じる。
「俺は――」
「それが、今の私の答えなの」
それ以上は何も言わない。そして、踵を返す。
規則正しい足音が廊下に響いた。カイルはその背中を睨み続ける。
やがて姿が見えなくなっても。拳だけは握ったままだった。
「……チッ」
胸の奥に残った違和感は消えなかった。
レイナは嘘を吐いているようには見えなかった。だからこそ腹が立つ。
本当に分からないと思っているのだとしたら。それは、自分自身まで揺らがせる言葉だった。
カイルはゆっくりと顔を上げる。廊下の先には誰もいない。
それでも——
「紅葉凛馬……」
低い声が漏れる。
「お前は何なんだ」
答えの出ない苛立ちだけが、静かに胸の中へ残っていた。
カイルとの会話を終えたレイナは、一人で廊下を歩いていた。
規則正しい足音だけが静かな施設に響く。やがて窓の前で立ち止まる。
ガラスの向こうには夜の街が広がっていた。レイナはただ静かに夜景を見つめている。
脳裏に浮かぶのはこの前の戦場——
森下アオ。兎原ミナ。そして、殴られた感触。
戦った、確かに戦った。でも——
『私も、一緒ですから!!!』
『普通に学校行って!!皆で笑って!!仲良くしたかっただけなのに!!』
『こんなの……したくなかった……』
『……“希望”です』
彼女達の言葉をどれだけ思い返しても、“敵”という言葉がしっくり来ない。
「……なんなのよ」
小さく呟く。
コクヨウの言葉と、自分の見た現実。全てが噛み合わない。
だからこそ、自分自身の目が1番信用できる。
レイナは小さく息を吐いた。
「単身で敵地に乗り込む……って」
誰もいない廊下で呟く。
「私馬鹿なことを考えるわね」
口元が僅かに緩んだ。
もし失敗すればどうなるか考えなくても分かる。
ノクスからも追われるかもしれない。最悪の場合、その場で殺される可能性だってある。
レイナは静かに空を見上げた。
「死ぬかもしれないわね」
声は驚くほど落ち着いていた。
しばらく考え、そして——
「……遺書でも書こうかしら」
真顔で呟いた。
「カイルと、ガイにでも」
誰も、何も返事もない。自分で言った言葉に小さくため息を吐く。
(何1人で言ってんのよ)
レイナは苦笑した。
「だから嫌なのよ」
窓ガラスに映る自分を見る。
「こういう時、一緒に悩んでくれる人がいないのは」
その言葉は夜の中へ消えていった。だが、迷いはもうない。
レイナは窓から離れ、長い廊下の先へ向かって歩き出した。
誰かの命令でも、任務でもない。
“それでも私自身の答えを見つける”
その瞳には確かな意志が宿っていた。
昔の記憶が脳裏をよぎった。
数年前、レオンが自分を見ていた。
『レイナ、お前の目は、全てを見透かす』
『だからこそ誰かの言葉だけを信じるな。自分の目で見ろ』
そこで記憶は途切れる。レイナは小さく目を閉じた。
「……そうでしたね」
そして、静かに歩き出した。
もしコクヨウが正しいなら凛馬達は敵だ。もし凛馬達が正しかったなら、何かが違う。
ならば、自分で確かめるしかない。あの人がそう言った様に。
レイナは歩く。一歩、また一歩。
その足取りは静かだった。
だが確かに、“神城コクヨウの示した道”を歩いてはいなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
今回はレイナの視点の話でした。レイナだけは、真実に向かっていってる気がしますね。
そして次回、2度目の接触?