だからこそ、その違和感はよく目立った。
放課後。
校門を出ると、夕陽が街を橙色に染めていた。
あの戦いから1週間ほど過ぎていた。アオとミナの傷もすっかり治っている。
凛馬達は並んで帰り道を歩いていた。特に急ぐ理由もない。だから自然と会話が続いた。
「そういえば」
コハクがふと思い出したように言った。
「最近ノクス機関?全然出てこないね」
その言葉に全員が少し考える。確かにそうだった。
レイナとの一件以来、妙なほど静かだ。
ミケが尻尾を揺らす。
「まぁいいことにゃ〜」
「そうだべな」
ツキノも頷く。角の先がほんのり光った。
アオが苦笑する。
「逆にちょっと怖いけどね」
「……まぁな」
凛馬も頷く。
何も起きないのは良いことだ、だが大人しくしているというのも違和感があった。
そんな空気を吹き飛ばすようにコハクが笑う。
「もしかしてさ」
全員がコハクを見る。
「アオとミナが頑張ってくれたから改心したんじゃない?」
一瞬静かになる。そして——
「ん?」
ミナが真顔で返した。アオも目を丸くする。
「そんな訳ないでしょ!?」
「いやいや」
コハクは笑う。
「レイナはきっと感動したんだよ」
わざとらしく手を広げる。
「私達、間違ってました〜!って」
ミケが爆笑した。
「じゃあ謝りに来るべきだにゃ!」
尻尾がぶんぶん揺れる。
「菓子折り持って!」
「お菓子が食べたいだけだろう」
ヒョウカが真顔で頷く。
「最低でも高いやつじゃないとな」
凛馬まで乗っかる。
「いや待って」
アオが慌てる。
「なんで皆その流れなの!?」
「改心したなら誠意を見せるべ」
アオの耳が忙しなく動く。コハクは楽しそうに笑った。
「もしかしたら、今日来たりしてね?」
「はは、ないない」
凛馬が即答した。
「まぁ、来ないとは言えませんが……」
ミナも頷く。
「えぇ〜やだよ……」
アオも苦笑する。
「まぁ来るなら菓子折りは期待してますにゃ」
ミケが笑う。
ヒョウカが小さくため息を吐いた。
「それは……フラグか?」
「なんで!?」
全員が笑った。
夕陽の下。いつも通りの帰り道。誰も本気でそんなことが起きるとは思っていなかった。
しばらく歩いた後、それぞれ帰路に着く。
「じゃあまた明日!」
アオが手を振る。
「また明日だべ!」
ツキノの角がほんのり光る。
「遅刻しないでねー!」
コハクが大きく手を振る。
「また明日」
ヒョウカも小さく手を振る。
「気を付けて帰ってくださいね」
ミナも小さく頭を下げた。
それぞれが分かれ道へ進んでいく。さっきまで賑やかだった空気が少し静かになる。
残ったのは凛馬とミケだけだった。ミケが大きく伸びをする。
「そういえば、こうやって二人で帰るの、久しぶりにゃ〜」
猫耳がぴこぴこと動く。凛馬も少し考えた。
「言われてみれば……そうだな」
昔は当たり前だった。同じ家に帰り、同じご飯を食べるそんな毎日が。
けれど最近はこうして二人でのんびり帰る時間も減っていた。
「なんか変な感じにゃ」
ミケが空を見上げる。
「何が?」
「凛馬がこうやって皆と仲良くしてるの」
「どういう意味だよ」
「だって昔はもっと頼りなかったにゃ」
「おい」
即座に返す。ミケはけらけら笑った。
「こっちに来た時とか覚えてる?」
「あー……」
思い出したくない記憶だった。
「めちゃくちゃ慌ててたにゃ」
「うるさい」
「私が助けてあげないとダメだったにゃ」
「あれは仕方ないだろ!」
「知らないにゃ〜」
即答だった。凛馬は思わず吹き出す。
「お前は……ホント」
本当に変わらない、ミケはずっとこうだった。だから少しだけ安心する。
ミケがふと笑うのをやめた。
「でもさ」
その声に凛馬は顔を向ける。ミケは真っ直ぐ前を見ていた。
「今の凛馬は頼りになるにゃ」
夕陽が横顔を照らす。冗談じゃない声だった。
凛馬は少しだけ視線を逸らす。少し照れくさくなる。
「姉孝行だよ」
そう返した。ミケは笑った。
「じゃあ、もっともっと頼るにゃね?」
しばらく二人で歩く。どこか遠くで子供達の笑い声が聞こえた。
本当に、平和だった。ノクス機関ってなんだったんだろう。と思えるほどに。
——その瞬間。ミケが何か“違和感”を拾った。
足と、尻尾が止まる。凛馬も同時に顔を上げた。
風に混じる匂い。それは何か——嫌な匂いだった。
「初めまして」
“白い髪の女”は静かに立っていた。ただそれだけなのに、不思議な威圧感がある。
凛馬は眉をひそめる。
「……誰だ?」
女は少しだけ頭を下げた。落ち着いた声だった。
「私は……霧崎レイナ」
その瞬間だった。
(霧崎……レイナ?)
凛馬の表情が消えた。
アオとミナを追い詰めた相手。仲間を傷付けた相手。アオを泣かせた相手。大事な人達を襲撃した相手。
全部が頭の中を駆け巡る。気付けば拳を握っていた。
「……レイナ」
低い声だった。ミケが思わず凛馬を見る。
「り、凛馬!この人……」
凛馬が一歩前へ出る。
「よく一人で来たな」
レイナは何も言わない。ただ真っ直ぐこちらを見ている。
(まぁ……そりゃあこうなるわよね)
凛馬はさらに一歩前へ出た。
「ふざけてんのか?」
その声には明確な怒りが滲んでいた。レイナは静かに答える。
「そういうつもりじゃ――」
「じゃあ何だよ」
レイナの言葉を遮る。
「アオを泣かせて、ミナを傷付けて、今度は誰だ?」
凛馬が静かに双剣のキーホルダーに手をかける。
「お前だけは、許さない」
その瞬間。ミケの話がぴくりと震えた。
――この匂い。忘れるはずがない。
レオンとの戦い。凛馬が“赤”に呑まれた時と同じだった。
鉄が焦げたような、胸の奥がざわつく匂い。
ミケの顔色が変わった。
「凛馬?」
返事がない。凛馬はただレイナの元へ歩みを進める。
握っている拳が震えていた。腕には赤い筋が浮かび始めている。
ミケの尻尾が膨らんだ。
(これ……やばい!!)
本能がそう告げていた。
「ち、ちょっと……!」
慌てて凛馬の腕を掴む。
「落ち着くにゃ!」
凛馬は反応しない。視線はレイナから動かない。
「凛馬!」
ミケの声が少し大きくなる。
「今は違うにゃ!」
その言葉に、凛馬の肩が僅かに揺れた。
荒くなっていた呼吸、震えていた拳が少しずつ収まっていく。
夕暮れの風だけが吹き抜けた。レイナは黙ってその様子を見ていた。
報告書で見た、レオンを打ち倒した力。空気そのものが張り詰めるような圧迫感。理性がなければ危険だと、本能が理解する。
やがて、凛馬はゆっくり拳を開いた。荒れていた呼吸を無理やり整える。
ミケもまだ腕を離さない。凛馬はレイナを睨んだ。その視線には警戒も怒りも残っている。
「……早く言え」
レイナは一度だけ目を伏せる。
「話をしに来たの」
凛馬の眉が動く。
「早く話せ」
冷たい声だった。
「無駄な会話をする気はない」
許した訳でもない。信じた訳でもない。
ただレイナからは、嘘の匂いがしなかった。凛馬は絶つ代わりに言葉を選んだ。
レイナは小さく頷く。
「分かったわ」
少しだけ息を吐く。そして、真っ直ぐ凛馬を見た。
「場所を変えましょう」
夕陽が三人を照らす。その張り詰めた空気だけは、“あの日”と変わらなかった。
近くの公園だった。夕暮れ時ということもあり、人の姿はほとんどない。
凛馬は腕を組んだまま立っていた。ミケも少し前に出るような位置を取っている。
レイナだけが少し距離を空けていた。誰も座ろうとはしなかった。
最初に口を開いたのは凛馬だった。
「で」
冷たい声。
「話ってなんだよ」
レイナは一度だけ息を吐いた。
「確認したかったの」
「何をだよ」
「あなた達が本当に敵なのか」
凛馬の眉がぴくりと動く。
「敵?」
思わず笑いそうになる。だが、到底笑えなかった。
「アオとミナを襲ったのはそっちだろ」
空気が張り詰める。ミケもレイナを見る。
レイナは否定しなかった。
「そうね、否定はできない」
凛馬は舌打ちした。
「じゃあ何を確認する必要があるんだよ」
レイナは少しだけ目を伏せた。そして——
「あなた達は」
少しだけ言葉を選ぶ。そして——
「私は、“混血は獅子王レオンを無惨に殺した”。そう聞いていた」
静寂が流れる。
「は?」
凛馬が言った。
「は?」
ミケも同時に言った。綺麗に声が重なる。
レイナが僅かに目を瞬かせた。凛馬は頭を抱える。
「……無惨に?」
(いや……でも周りにはそう見えてたのか?)
信じられないという顔だった。ミケも耳をぴこぴこ動かしている。
「いやいやいや!何言ってるにゃ!」
凛馬はため息を吐いた。
「向こうから襲ってきたんだぞ」
即答だった。
「話そうとはしてたんだ」
ミケが頷く。
「そうにゃ!凛馬、最後まで止めようとしてたにゃ」
レイナは黙って聞いている。凛馬は少しだけ視線を落とした。
「……殺したかった訳じゃないんだよ」
その声は小さかった。だが確かだった。
「でも……それしか無かった」
風が吹く。夕陽が三人の影を長く伸ばした。
レイナは何も言わない。ただ見ている。
表情。声色。目。呼吸。彼らのその全てに、嘘はなかった。
少なくとも、彼女の目にはそう映った。
(そう……やっぱり)
アオ。ミナ。そして今目の前にいる凛馬とミケ。全てを重ねる。
必死に守ろうとしていた姿。泣きながら戦っていた姿。希望だと言った姿。
そして、今の言葉。
(彼女達があんなだったら)
レイナは小さく目を閉じた。
(そりゃそうよね)
胸の奥に残っていた最後の違和感が消えていく。レオンは誰かに奪われたのではない。
あの人は、最後まであの人のままだった。
自分で選び。自分で戦い。自分で散った。
レイナはゆっくり目を開く。そして——
「ありがとう」
小さく言った。凛馬が眉をひそめる。
「……?」
ミケも首を傾げた。
凛馬はしばらく黙った。やはり嘘の匂いはしない。
だから余計に分からない。
「……そうかよ」
小さく呟く。
「もう1ついいかしら」
「まだあるのかよ」
「これで最後よ。許してちょうだい」
レイナは静かに答えた。そして、真っ直ぐ二人を見る。
「私はノクス機関から聞いている」
その声は変わらず落ち着いていた。
「あなた達は龍族を狙っている」
風が吹く。レイナは続けた。
「そして、いずれ全てを壊すと」
「はぁ!?」
凛馬の声が公園に響いた。レイナは再び目を瞬かせる。
凛馬は本気で意味が分からないという顔をしていた。
「何だよそれ!いや……本当に何だそれ」
ミケも耳を逆立てる。
「意味分からないにゃ!」
凛馬は頭を抱えた。
「何で俺が龍族狙うんだよ……」
レイナはそんな様子をただ見ていた。
「ていうか全てを壊すって何だよ、そんな物騒なこと言った覚えないぞ」
ミケも大きく頷く。
「むしろ壊される側にゃ!いつも巻き込まれてるにゃ!」
「そうだ!」
凛馬も即答する。
二人とも演技をしているようには見えなかった。むしろ心底困惑している。
レイナは黙って聞いていた。凛馬は続ける。
「そもそも龍族なんてツキノ以外知らないし、狙う理由もない」
「会ったのだって最近にゃ!」
「っていうか!お前らだろ!」
レイナを指さす。レイナは少し驚く。
「お前らを滅ぼすって手紙で丁寧に送ってきたじゃねえか!」
レイナが目を見開く。
「……え?」
「とぼける気か?」
凛馬は嫌そうな顔をした。ミケも思い出したように言う。
「一方的に喧嘩売られたし、しかも偉そうだったにゃ」
「いや……ちょっと待って」
レイナは頭の中で情報を整理している。
(龍族を狙ってないの……?手紙って何……?)
あまりにも全てが噛み合わない。
(手紙は……カイルな訳無いわね)
カイルは真っ直ぐな人間だ。感情的で危うい部分もあるが、それでも、こんな回りくどい真似をする獣人ではない。
(ガイはそもそも手紙とか知らないでしょ)
ガイならもっと単純で、もっと直接的だ。手紙など使わず、そのまま殴り込む。
なら——
(誰がそんな情報を流して、こんな誤解を作ったの?)
答えは、一つしかなかった。レイナは静かに目を閉じる。
胸の奥にあった違和感。ずっと引っ掛かっていた小さな棘。
それがようやく一本の線になる。
(やっぱりね)
静かに息を吐く。
(おかしいのは——)
夕暮れの風が白い髪を揺らした。レイナはゆっくりと目を開く。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……神城コクヨウ」
その声だけが、静かな公園の空気に溶けて消えていった。
凛馬とミケは聞き逃さなかった。
「誰だ?」
凛馬が眉をひそめる。ミケも首を傾げた。
レイナは二人を見る。少しだけ迷うような表情を見せた。
だが、もう隠す意味はない。そう判断をした。
「神城コクヨウ」
静かな声だった。
「ノクス機関の長よ」
「……ボス?」
凛馬が聞き返した。
「ボスは獅堂カイルじゃないのか?」
本気で知らない顔だった。ミケも驚いている。
「初耳にゃ……」
レイナは小さく頷いた。
「表には出てこない人だったから」
風が吹く。夕陽が少しずつ沈み始めていた。
レイナは続ける。
「そして」
その声は今までより少しだけ重かった。
「“私達を騙した奴”」
凛馬の目が細くなる。ミケの耳もぴくりと動いた。
「……騙した?」
レイナは頷く。
「ええ」
迷いのない返事だった。
「私もガイもカイルも」
少しだけ視線を落とす。
「今確信した、私達は騙されてるって」
凛馬は黙って聞いていた。レイナは続ける。
「だからと言って、許してもらおうとは思っていない」
その言葉には強い意志があった。
「貴方達の大切な人を傷つけたのは事実だから」
凛馬は何も言わない。ミケも黙っている。
レイナは二人を真っ直ぐ見た。そのまま静かに言う。
「だから」
空気が張り詰める。
「信じられないなら」
レイナは小さく息を吐いた。
「ここで私を殺しても構わない」
ミケの耳がぴたりと止まる。凛馬の目も僅かに見開かれた。
レイナは続けた。
「抵抗もしないし、言い訳もしない」
レイナの手が僅かに震える。
「それだけのことはしたと思っているから」
静かな声だった。だが、その覚悟だけは伝わってきた。
凛馬は困惑した。目の前にいるのは敵のはずだ。
アオとミナを傷付けた相手だ。それなのに——
今のレイナからは敵意が一切感じられない。
ミケも戸惑った顔をしていた。誰もすぐには言葉を返せない。
夕暮れの公園。吹き抜ける風だけが静かに音を立てていた。
「……」
凛馬は小さく息を吐く。そして、レイナを見る。
嘘の匂いはしない。それはずっとだ。
最初に会った時から、話している今も。嘘はついていない。
「なぁ」
低い声だった。
「そんなことして」
レイナが顔を上げる。
「俺達が喜ぶと思うか?」
レイナは答えられなかった。凛馬は続ける。
「俺はまだお前を許してない」
真っ直ぐ言い切る。
「多分、すぐには無理だ」
ミケも黙って聞いていた。
「アオが泣いた。ミナも傷付いた。それを無かったことにはできない」
レイナは小さく目を伏せる。
「ええ」
短い返事だった。否定はしない。凛馬はそんな彼女を見つめる。
「でも」
レイナが顔を上げた。
「今のお前が嘘をついてないのも分かる」
風が吹く。白い髪が揺れた。レイナの目が僅かに見開かれる。
「だから」
少しだけ考える。“本当にこれでいいのか”と。
——それでも凛馬は決断する、
「一回だけ信じる」
レイナは何も言わない。ただ静かに聞いている。
「勘違いするなよ」
凛馬の目が細くなる。
「ただ、今のお前の話を信じるだけだ」
レイナはゆっくりと頷いた。
「……ありがとう」
その声はどこか安心したようだった。
「十分よ」
凛馬はすぐに返す。
「次に怪しいことしたら終わりだ」
レイナは小さく笑った。
「そうね」
初めて見る笑顔だった。どこか肩の力が抜けたような、そんな笑みだった。
ミケが耳を動かした。
「で……私達はどうしたらいいにゃ?」
ミケは真剣だった。
「そのコクヨウが悪いって分かったし、騙されてたのも分かったにゃ」
レイナも真剣に聞いている。
「だから何するにゃ?」
レイナは夕暮れの空を見上げる。
そして、静かに言った。
「まずは」
その瞳に迷いはなかった。
「カイルを止めないといけない」
凛馬が眉をひそめる。
「カイル……」
レイナは頷く。
「もう……時間がないかもしれない」
その言葉だけで十分だった。やはり何かが起ころうとしている。
夕陽は完全に沈み始めていた。長く伸びた三人の影が、静かな公園の地面へ落ちた。
最後まで呼んでくだりありがとうございます!
遂に凛馬とレイナが腹を割って話しました。レイナの迷いも消え、凛馬達との蟠りも少しは消えたように感じます。ですが、これからカイルが大きく関わってきそうです、、、
次回も呼んでくださると嬉しいです!