扉が閉まる。重い音だけが廊下へ響いた。
「……」
レイナはしばらく動けなかった。目の前には閉ざされた扉。
その向こうにカイルはもういない。自分の言葉を何一つ受け入れずに行ってしまった。
『お前は、もう仲間でも何でもない』
その言葉だけが頭の中で繰り返される。レイナは小さく目を閉じた。
怒鳴られたことは何度もある。喧嘩だってしたし、意見がぶつかったこともある。
だが、あんな目を向けられたのは初めてだった。まるで知らない誰かを見るような目。
「……当然よね」
自嘲気味に呟く。立場が逆なら、自分も同じ反応をしたかもしれない。
それでも、胸の奥がはっきり痛んだ。
長い付き合いだった。戦場も、訓練も、馬鹿な話も。全部一緒に、3人でやってきた。
だからこそ、その言葉は重かった。
レイナは壁にもたれ掛かる。少しだけ視線を落とした。
「……ごめんなさい」
誰へ向けた言葉だったのか、自分でも分からなかった。視界が少しぼやけた気がした。
しばらくして、レイナは小さく息を吐いた。
立ち止まっていても何も変わらない。まだ話さなければならない相手がいるはず。
鷹城ガイ。あの男なら、きっと話は聞いてくれる。
レイナは姿勢を正した。そして静かに歩き出す。
治療室へ向かうために。
治療室の扉を開く。
消毒液の匂いが鼻を掠めた。
ベッドの上ではガイが天井を見上げている。
「……あいつ大丈夫かよ」
包帯だらけの身体を少し動かす。そして——
レイナが入ってきた。その顔は暗かった。いや、暗すぎた。
「……」
レイナは何も言わない。その表情を見た瞬間——
ガイは全て察した。
「失敗か……」
レイナは小さく頷く。
「……ええ」
ガイは数秒黙った。そして——
「まぁ……そうだろうな」
頭を掻いた。レイナは近くの椅子へ腰掛ける。
重い空気だった。ガイは少し困った顔をする。こういう空気は苦手だった。
だから、無理やり笑うことを選んだ。
「いやぁ……アイツ昔からああだったしな」
レイナは反応しない。ガイは続ける。
「覚えてるか?シオンさんに怒られた時も一週間ぐらい勝手に悩んでたし」
レイナは黙って聞いている。
「レオンさんに褒められた時も悩んでた。俺からしたら意味分かんなかったけどな」
少し笑う。
「アイツ、褒められても悩むんだぜ?」
レイナはまだ笑わない。ガイの笑顔が少しずつ引きつる。
「……」
「なぁ」
レイナは顔を上げる。
「何?」
ガイは頭を掻いた。
「……あー。なんか、何だその顔」
レイナが顔を上げる。
「何よ急に」
ガイは少し言葉に詰まった。
「何か付いてる?私の顔」
こういうのは苦手だ。戦う方がずっと楽だった。
「いや……その」
珍しく歯切れが悪い。レイナが少しだけ眉をひそめる。
ガイは視線を逸らした。
「お前がそんな顔してると調子狂うんだよ」
返答は帰ってこない。ガイ自身も言った後に余計気まずくなった。
「……何よそれ」
レイナが呟く。ガイは肩を竦めた。
「なんか、上手く言えねぇ」
そして少しだけ笑う。
「だから俺は頭使う奴と話すの苦手なんだよ」
レイナはしばらく黙っていた。そして、小さく息を吐く。
「そっくりそのまま返してやるわ」
ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
ガイはそれを見て安心したように背もたれへ身体を預ける。
「……その顔ならまだマシだ」
少しだけ肩の力が抜ける。ガイは続ける。
「まぁ安心しろ」
いつもの調子で言う。
「アイツは今日中に動かねぇよ」
レイナが顔を上げる。
「どうしてそう思うの?」
ガイは呆れたように笑った。
「長い付き合いだろ?」
そして、どこか懐かしそうに言う。
「アイツ、本当に頭に血が上った時は逆に動けねぇんだよ。今頃一人で考えてる」
ガイは続ける。
「レオン様のこと、俺達のこと、あと紅葉凛馬のこともな」
治療室に静寂が落ちた。レイナはゆっくり目を閉じる。
確かに、良く考えればそういう男だった。真面目で、不器用で、面倒臭い男。
だからこそ、今一番苦しんでいると思う。
「……そう」
小さく呟く。ガイは満足そうに頷いた。
「細かいことは、明日考えようぜ」
レイナは少し笑う
「……そうね」
「おうよ」
空気は相変わらず重かった。カイルのこともノ、クス機関のことも何一つ解決していない。
それでも。先程までの息苦しい沈黙よりは、ほんの少しだけマシだった。
翌日の放課後。いつもなら誰かしら雑談している時間だった。
だが今日は、妙に空気が重い。理由は簡単だった。
昨夜、凛馬から全員へ連絡が入った。
『明日の放課後、アジトに集まってくれ』
たったそれだけ。詳しい説明も何も無かった。だが全員が集まっている。
そして今、部屋の中心に立つ凛馬へ視線が集まっていた。
「急に来てもらって悪い」
灰谷が大きくため息を吐く。
「で、話って何や」
全員の視線が凛馬へ向く。凛馬は少しだけ言葉を探した。
昨日の出来事は情報量が多すぎる。どこから話すべきだろう。何を伝えるべきか。
数秒考えて、静かに口を開いた。
「……昨日」
部屋の空気が少し張り詰める。
「レイナに会った」
沈黙が襲う。そして——
「ん?」
最初に反応したのはコハクだった。
「え……?」
アオも固まる。ミナの目が少しだけ見開かれる。
ツキノも首を傾げた。
「レイナって……」
「霧崎レイナですよね?」
ミナが確認するように聞く。凛馬は頷いた。
「そのレイナだ」
今度は部屋全体が静かになる。ミケが尻尾を揺らした。
「しかも一人で来たにゃ」
「えぇ!?」
コハクが思わず声を上げる。
「なんで!?」
「私が聞きたいにゃ……」
アオも頭を抱えた。ヒョウカは腕を組む。
「戦闘にはなったのか?」
その問いに、凛馬は少しだけ視線を逸らした。ミケが先に答える。
「なりかけたにゃ」
アオの耳がぴくりと動いた。
「えっ」
「凛馬、レイナの名前聞いた瞬間めっちゃキレたにゃ」
「ミケ!?」
「事実にゃ!」
即答だった。凛馬は頭を押さえる。
コハクが吹き出した。
「いやまぁ気持ちは分かるけどねぇ」
「笑い事じゃないべ」
ツキノが真顔で言う。
「“赤いヤツ”出たんか?」
その質問に、凛馬が頷く。
「多分、出てた」
今度は笑い声が消える。灰谷の眉が動いた。
「……そうか」
部屋の空気が少し重くなる。だが凛馬は首を振った。
「話は最後まで聞いた、大丈夫。飲まれてはない」
灰谷は数秒考える。
(まぁ、いまはこの話ええか)
そして——
「ほな続き頼むわ」
短く言った。凛馬は頷く。
「レイナは謝罪と、確認しに来たんだ」
全員が耳を傾ける。
「俺達が本当に“レオンを無惨に殺したのか”、“龍族を狙ってるのか”、“世界を壊そうとしてるのか”」
アオが固まる。
「……何それ、意味分かんない」
ミナも同意するように頷く。凛馬も苦笑した。
「俺もそう言った」
ミケが尻尾を揺らす。
「めちゃくちゃ困惑したにゃ」
「そりゃするだろ」
少しだけ空気が和らぐ。だが凛馬はすぐに真面目な顔へ戻った。
「問題はその後だよ」
凛馬はゆっくり言った。
「ノクス機関のボスは、カイルじゃない」
部屋が静まり返る。
「……?」
今度は灰谷だった。凛馬は続ける。
「“神城コクヨウ”、そいつが本当の黒幕らしい」
誰もすぐには言葉を返せなかった。あまりにも予想外だった。
灰谷が腕を組む。
「つまり」
静かに整理するように言う。
「レイナもガイもカイルも、そいつに騙されとったってことか?」
凛馬は少しだけ考えた。そして——
「……レイナはそう言ってた」
全員の視線が集まる。凛馬は続けた。
「正直、俺もまだ全部信じてる訳じゃない」
その声は真っ直ぐだった。
「でも」
少しだけ昨日の事を思い出す。
レイナの表情、そして嘘の匂い。
「少なくとも、レイナは本気だったと思う」
ミナが静かに聞いている。アオも黙っていた。
「あいつら本当に騙されてたのかもしれない」
ここで少し考える。凛馬はゆっくり視線を上げた。
「ただ」
その声は少し低かった。
「もし本当に騙されてたとしても」
アオとミナを見る。
「二人を傷付けたことは無かったことにならない」
アオが少し目を見開く。ミナも静かに頷いた。
「だから」
凛馬は真っ直ぐ前を見る。
「俺はまだ、あいつらを信用してない信じるかどうか、皆で決めたい」
部屋に再び沈黙が落ちる。それぞれが情報を整理していた。
灰谷は腕を組んだまま天井を見る。
「面倒臭い話になってきたな」
誰も否定できなかった。今までなら簡単だった。
ノクス機関は敵。それだけだった。
だが今は違う。敵だと思っていた相手も、もしかすると騙されていた側かもしれない。
アオが静かに口を開く。
「でも」
全員が顔を向ける。アオは少しだけ笑った。
「僕は少し安心したかな」
「え?」
コハクが首を傾げる。アオは照れくさそうに頬を掻いた。
「だって、本当に悪い人じゃないのかもしれないって分かったから」
静かな言葉だった。ミナも微笑む。
「そうですね、話は通じる相手でしたし」
凛馬は二人を見る。襲撃されたその二人がそう言うなら、少しだけ救われる気がした。
ツキノが大きく頷く。
「なら簡単だべ」
全員がツキノを見る。ツキノは当たり前のように言った。
「もっかい話してみればいいんだべ!違うなら違うって言うし、それだけだべ」
部屋が静かになる。コハクが吹き出した。
「なんかすごいシンプル」
「シンプルが一番だべ」
灰谷も小さく笑う。
「まぁ、間違っとらんな」
ヒョウカも頷く。
「情報が足りないなら集めればいい」
誰も反論しない。できなかった。
だが、灰谷がぽつりと呟く。
「んで」
全員が顔を向ける。灰谷は腕を組んだまま言った。
「その情報、誰が集めるん?」
そして、全員の視線が灰谷へ向いた。
「……何やその目」
灰谷が眉をひそめる。コハクが真っ先に言った。
「え?」
アオも頷く。
「先生ですよね?」
ミナも当然のように言う。
「先生ですね」
ツキノも。
「灰谷先生だべ」
ヒョウカまで。
「灰谷だな」
ミケが尻尾を揺らした。
「うんうん」
満場一致だった。
「おい!」
灰谷が額を押さえる。
「何でや……」
コハクが即答する。
「だって一番こういうの得意そうだし」
「便利屋ちゃうぞ」
アオが目を輝かせる。
「でもやってくれますよね?」
全員が笑う。灰谷は深いため息を吐いた。
「聞く意味無かったやんけ……」
重かった空気が少しだけ和らぐ。まだ何も終わっていない。
まだ分からないことだらけだ。それでも、仲間達の表情は昨日より明るかった。
凛馬も思わず笑う。
「頼んだぞ、ナル先生」
「やめろってそれ」
即座に返ってくる。そのやり取りにまた笑いが起きた。
夜。ノクス機関本部。静まり返った廊下を、一人の男が歩いていた。
獅堂カイル。足音だけが響く。
その表情は険しかった。レイナとの会話もガイのことも紅葉凛馬のことも、昨日から何度も考えている。
考えて、考えて、考えて、それでも答えは出なかった。
「……チッ」
舌打ちが漏れる。苛立っていた。
何に対してなのか。自分でも分からない。
我が王は間違っていた?レイナは正しいのか?全部が曖昧だった。
やがて、一つの扉の前で足が止まった。
ノクス機関長、神城コクヨウの部屋。
数秒だけ迷ってから、カイルは扉を開いた。
部屋の奥、神城コクヨウが静かに椅子へ腰掛けていた。
「珍しいな」
低い声だった。
「お前から来るとは」
カイルは真っ直ぐ前を見る。迷いを押し殺すように。
そして口を開いた。
「命令をくれ」
コクヨウの目が細くなる。
「ほう?」
カイルは続けた。
「紅葉凛馬殺害の命令だ」
コクヨウは何も言わない。ただ黙って見ている。
カイルは拳を握った。爪が食い込む。
「考えたんだよ、何度も考えた」
レイナの言葉を思い出す。それでも答えは出なかった。
だから、カイルは顔を上げた。
「俺が終わらせる」
その瞳には怒りがあった。悲しみもあった。迷いもあった。
だが、今はそれを押し潰している。
「紅葉凛馬を殺して、全部終わらせる」
コクヨウはしばらく黙っていた。
コクヨウは静かにカイルを見つめていた。そして小さく目を細める。
「辛かっただろう、カイル」
不意にそう言った。カイルの眉が僅かに動く。
「……何?」
低い声。コクヨウは変わらず穏やかだった。
「お前達は戦い、失いながらも前を向いてきた。獅子王レオンの意志を継ぐために」
拳が僅かに震える。
レオンの顔が浮かぶ。優しかったあの声。大きな背中。最後まで王であり続けた男。
その忠誠心をコクヨウはそれを見逃さない。
「だがその全てが今、否定されようとしている」
カイルの表情が歪む。
「……」
「レイナも、ガイも、お前の大切な仲間達も紅葉凛馬に惑わされている」
その言葉にカイルの肩が揺れた。
違う、と言いたかった。だが昨日のレイナの顔が浮かぶ。
自分を止めようとしていた姿。凛馬を信じようとしていた姿。
それを思い出すと何も言えなかった。コクヨウは続ける。
「お前は迷っている。優しいからな」
カイルは顔を上げる。コクヨウの目は真っ直ぐだった。
「だが、全ての答えを求める必要はない」
コクヨウはゆっくり言った。
「あの混血を殺せ。そうすれば終わる」
カイルの呼吸が止まる。
「……終わる」
小さく呟く。コクヨウは頷く。
「獅子王レオンの無念も、お前達の苦しみも全て終わる」
甘い言葉だった。本当なら、そんなはずはない。
一人殺したところで何も終わらない。そんなことくらい分かっているはずだった。それでも——
今のカイルには、その言葉があまりにも魅力的だった。
考えることに疲れていた。迷うことに疲れていた。“答え”が欲しかった。
「……そうか」
小さく呟き、拳を握る。
「そうだよな」
怒りが胸の奥で膨らんでいく。
レオンの死。レイナとの決裂。憎い凛馬の顔。
コクヨウは静かに微笑む。
「命じよう」
低い声が響く。
「紅葉凛馬を討て」
カイルはゆっくり頷いた。
「……了解」
その声に迷いは無かった。いや、迷いを怒りで塗り潰した声だった。
コクヨウは満足そうに目を閉じる。その様子に気付く者は誰もいなかった。
カイルは踵を返し、部屋を出る。
「……紅葉凛馬」
低い声が漏れる。
考えるな。迷うな。立ち止まるな。そう自分へ言い聞かせる。
自分の拳で確かめる。レオン様が正しかったのか。レイナが正しかったのか。
そして、“紅葉凛馬が何者なのか”。
その全てを、戦って、叩き潰して、確かめてやる。
カイルはゆっくり目を開いた。その瞳には怒りが宿っていた。
だがその奥で、誰にも見えないほど小さく、助けを求めるような迷いがまだ消えずに残っていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
カイルが遂に決意を固めてしまいました。彼の目には、もう凛馬への復讐心しかないのでしょうか……?そして、裏で盤面を乱すコクヨウの目的とは?
次回、遂に遭遇?
(投稿ちょっと遅れてすみません!!)