カイルは拳を握る。目の前には倒れ伏した凛馬。
呼吸と弱く、身体も動かなかくなった。勝負は決した。
「……終わりだ」
そう低く呟いた。
その時、親友2人の顔が浮かんだ。だが、その迷いを振り払う。
“ここで終わらせて、みんなを救う。”、それが自分の役目だ。
カイルは拳を振り上げた。
「さらばだ、紅葉凛馬」
そして振り下ろそうとしたその瞬間だった——
ゾクリと背筋が凍る。戦場で何度も死線を潜った本能が叫んだ。
“今すぐ逃げろ”
「……?」
何かがおかしい。
目の前は確かに倒れている。なのに、寒気が止まらない。嫌な汗が止まらなかった。
不意に拳が止めてしまった。その刹那——
目の前から凛馬が消えた。
「なっ——」
言葉が最後まで出る前に、首筋へ冷たい感触が走った。
首筋に触れていたのは——ナイフだった。
「っ!?」
カイルの瞳が見開かれる。全く見えなかった。
動いた瞬間も、距離を詰めた瞬間も。
(まだ動けたのか……?)
そう考えていた隙に、首へ腕が回され喉元へ刃が押し当てられる。
そして、後ろから声が聞こえた。
『俺の事殺すんだろ』
嫌と言うほど静かな声だった。
感情が無いのに、底の見えない殺意だけがあった。
『やれよ』
カイルが目だけ動かす。そこにいたのは——
白髪で赤い瞳の人物だった。確かに紅葉凛馬と同じ顔なのに別人だった。
カイルはしばらくその瞳を見ていた。そして眉をひそめる。
「……誰だお前は」
初めてカイルの声に真の警戒が混じる。
「紅葉凛馬じゃない」
“それ”は何も答えない。ただ赤い瞳で見下ろしている。
数秒沈黙した後、やがてゆっくり口を開いた。
『俺以外誰がいるんだよ』
刃が僅かに食い込む。血が流れる。
(動けん……)
赤い瞳が細くなる。そして、静かに呟いた。
「さぁ、もっかい遊んでやる」
その言葉を聞いた瞬間だった。カイルは反射的に動いていた。
「——ッ!!」
無理やり恐怖を殺し、動く。
ドンッ!!
肘を後ろへ叩き込んだ。だが——
そこにもう凛馬はいなかった。
「何!?」
既に背後には誰もいない。カイルはそのまま強引に前へ飛ぶ。
ドォン!!
アスファルトを砕きながら距離を取った。数十メートル一気に間合いを離した。
(空気が変わった……なんだこれは)
白髪の凛馬も距離を離していた。だがそこに立ったままこちらを見つめていた。
本当に不気味だった。まるで殺戮の為だけの人形だった。
カイルはナイフを構え、呼吸を整える。
(やはり速い)
全く見えなかった。今までの凛馬とは別物だ。見ているだけで足がすくみそうだった。
だが、再び恐怖を飲み込んだ。獅堂カイルはここで足を止める男ではない。
「来い……化け物」
“それ”は首を傾げた。
『……化け物?』
小さく呟き、口元だけが僅かに歪んだ。
笑ったのか、それとも違うのか分からない。
『そっか』
ドンッ——!!
そして不意に地面が爆ぜた。カイルの瞳が見開かれる。
「なっ——」
構える間も無く、一瞬で目の前まで距離を詰めていた。カイルの反応が遅れる。
ギィィィィン!!
咄嗟にナイフを構える。衝撃が腕を突き抜けた。
「ぐっ!?」
さっきまでの凛馬より遥かに重かった。だが、追撃せず、すぐ距離を離した。
そして目の前に立っていた。じっとカイルを見ている。
まるで、品定めするように。そしてぽつりと呟いた。
『お前が言うなよ』
その瞬間だった——
カイルの眉が動く。意味が分からなかった。
だが、頭の奥で何かが引っ掛かる。
“お前は、もう仲間でも何でもない”
レイナへ向けた怒りのまま吐き捨てた言葉。
“カイル……”
立ち尽くし、悲しい顔をしたレイナ。
一瞬だけ、その光景が脳裏を過った。
「……」
胸の奥が僅かにざわつく。だがカイルはそれを振り払う。
「黙れ」
低い声だった。
『……』
赤い瞳は何も答えない。ただ、全てを見透かしたようにこちらを見ている。
その視線が無性に腹立たしかった。
「お前だけは!!」
額に青筋が浮かぶ。拳を握り——
ドンッ!!
アスファルトを砕きながら踏み込んだ。
「お前だけはァァァッ!!」
カイルの拳が唸る。拳が凛馬(?)に迫る。
だが、凛馬(?)は動かない。
カンッ——
ナイフの柄で拳の軌道を逸らした。
「っ!?」
カイルの目が見開かれる。理解できなかった。
拳をナイフで弾いた?そんなことができるはずがない。
だが現実にやられていた。
「ふざけるなァ!!」
ドンッ!!
今度は蹴り。そして拳、肘、膝。再び嵐のような連撃を繰り出す。
だが——
全部ナイフ一本だけで捌かれていく。
避ける訳でも受ける訳でもなく、ただ軌道をずらしている。
「お前に何が分かる!!」
ドゴォッ!!
拳が飛ぶが、弾かれる。
「レオン様の何が!!」
ナイフが閃く。それも避けられる。
「俺達の何が分かる!!」
嵐の様な攻撃も、全て届かなかった。
『……』
凛馬(?)は無言だった。ただ仕事のようにいなしていた。
「答えろ!!」
ドゴォッ!!
渾身の力を込めた拳を繰り出す。だが——
ザシュッ——
拳に裂傷が走っていた。凛馬(?)が初めて動いた。
「ッ!?」
そして、カイルの懐へ入る。
「っ——」
反応が遅れた。赤い瞳がもう目の前にあった。
『もうお前黙れよ』
ぽつりと呟く。
次の瞬間——
ドゴォッ!!!
前蹴りがカイルの腹へ突き刺さった。カイルの身体がくの字に折れる。
衝撃が内臓を揺らした。
「がっ——!?」
胃液が込み上げ、呼吸が止まる。
だが、それでもカイルは倒れない。歯を食いしばり、無理やり顔を上げた。
その瞬間だった——
ガシッ。
髪を掴まれた。
「っ!?」
強引に顔を引き上げられる。目の前には赤い瞳。感情の無い顔。
凛馬(?)は静かに口を開いた。
『お前はずっとガキなんだよ』
ドゴッ!!
顔面へ拳が叩き込まれる。カイルの身体が揺れる。
『レイナ達の声に耳を傾けたか?』
ドゴッ!!
再び拳。鼻血が飛ぶ。
『一回でも信じたか?』
ドゴッ!!
まるで拳で説教されている様だった。だが一発一発が重い。
『——少しでも信じようとしてみたか?』
カイルが睨み返す。
「貴様に——」
言い返そうとした瞬間——
ゴッ!!
額同士がぶつかる。視界が揺れる。
『まだ話してんだろ』
今度は顎を強引に掴んだ。
『お前は人の話を聞かなすぎる』
カイルの眉が歪む。怒りも悔しさも否定したい気持ちも。全部が混ざった。
「違う——」
『何が違ぇんだよ』
即答だった。髪を掴まれたまま、無理やり顔を上げさせられる。
赤い瞳が真っ直ぐ見下ろしていた。
『本当に違うならよ——』
低い声だった。
『レイナも——』
ドゴッ!!
拳が顔面へ入る。
『お前を止めたいなんて言わねぇだろ』
カイルの瞳が揺れる。
『本当にお前が正しいなら』
ドゴッ!!
頬が弾ける。
『あいつら全員、お前の後ろについて来るだろうが』
息が止まる。二人の顔が浮かぶ。
『なのに何で来なかった?』
静かな声だった。
『何で止めようとしたか考えたことねぇだろ?』
カイルは言葉を失った。
『自分の信念だけで勝手に動いて』
ドゴッ!!
『勝手に決めて』
ドゴッ!!
『勝手にキレて』
ドゴッ!!
『勝手に終わらせようとしてんじゃねぇよ』
カイルの膝が崩れる。だが髪を掴まれているせいで倒れられない。
無理やり立たされている。
「レオン様を——」
『まだ言うか』
初めて赤い瞳が細くなった。冷たい殺意が漏れる。
『クソガキがよ』
カイルが拳を握る。最後の力で殴りかかる。だが——
パシッ——
片手で止められた。
『一回でいいから聞けよ』
カイルの顔が歪む。
『誰かを信じてみろよ』
「……」
言葉が出なかった。誰かに説教されたのは、“あの時”以来だ。
その隙を見て、凛馬(?)は小さく鼻で笑った。
『ほらな』
「黙れぇぇぇ!!」
カイルが叫ひ、抵抗する。
だが——
首元へナイフが当てられる。
ピタリ。
カイルの動きが止まった。赤い瞳が真っ直ぐ見下ろしている。
『黙れっつったろ』
感情の無い声なのに、今までで一番怖かった。
『マジで殺すぞ』
裏路地が静まり返った。そして——
『なぁ』
赤い瞳が細くなる。
『お前、俺を殺した後——』
カイルを見下しながら問う。
『“ミケ達にも手を出すつもりだった”』
低い声だった。カイルの表情が固まる。
『そうだよな?』
本当に僅かだったが、その一瞬の躊躇いを赤い瞳は見逃さなかった。
「……っ」
カイルの顔が引き攣る。その反応だけで十分だった。
『ほらな』
小さく呟く。その声には失望すら無かった。最初から分かっていたような声。
『結局お前は、何も変わらねぇ』
カイルが歯を食いしばる。だが、もう身体は動かない。
立つ力も、拳を握る力も残っていなかった。
『なら、もういいよな』
ナイフがゆっくり持ち上がる。カイルは動けない。
『恨むなら自分のアホさを恨め』
避けられない、終わる。そう理解した。だが不思議と恐怖は無かった。
ただレイナとガイの顔だけが浮かんだ。
「……」
『悪いな“俺”』
今までで静かな声だった。
『また無駄な殺ししちまう』
ナイフが振り下ろされるその瞬間——
なぜか刃が止まる。赤い凛馬の目が僅かに見開かれた。
『……?』
腕が動かない。確かに振ったのに——
確実に動かなかった、らまるで誰かが掴んでいるみたいに。
そして——
闇の奥。ずっと沈んでいたはずの声が響く。
“やめろ”
掠れた声だった。それでも確かな意志があった。
『……おいおい』
赤い瞳が細まる。
闇の中、血だらけの凛馬が立っている。震える足でボロボロの身体で。
それでも前へ出る。
“そいつは殺すな”
凛馬は息を切らしながら睨み返す。“それ”は続ける。
『今の見てたよな』
静かな声だった。
『お前を殺そうとした。その後、お前の仲間にも手を出すつもりだった』
一つずつ、事実を並べる。
凛馬は何も言わない。“それ”はさらに続ける。
『殺す理由なら十分あるけどな、生かす理由が無い』
その言葉は正しかった。反論出来ないくらいに正しかった。
そして——
凛馬は小さく息を吐く。
「……もういいだろ」
赤い瞳が細くなる。
『何?』
「十分だろ」
凛馬は前を見る。
「あいつはもう負けた、身体も心も全部な」
それは黙って聞いている。凛馬は続ける。
「だったら、一回くらいチャンスやってもいいだろ」
『……』
「レイナも、ガイも多分そうするだろ」
闇が揺れる。それは何も言わない。凛馬はゆっくり前へ出る。
「俺も、そうしたい」
赤い瞳と真っ直ぐ向き合う。
「仲間を奪うのは、それはまた別だろ」
凛馬は手を伸ばした。
「だから、もういい」
そして、赤い凛馬は小さく目を閉じた。
「……お前は本当に甘いな」
その声はどこか呆れていた。小さく息を吐く。
『……そっか』
ただ事実を受け入れるような声だった。
『分かったよ』
凛馬が顔を上げる。それは続ける。
『お前の選択を見せてみろ』
闇が揺れら赤い瞳が真っ直ぐ凛馬を映す。
『お前の事だ、アイツを救うんだろ』
凛馬は黙って聞いていた。それは目を細める。
『次は無い』
その声だけ少し低かった。
『今度こそ、全部守れ』
ドクン。
心臓が鳴る。赤い世界が崩れ始め、闇が砕ける。
身体が軽り、意識が戻ってゆく。消えていく最後の瞬間——
赤い凛馬は背を向けたまま言った。
『期待してるぞ、“俺”』
凛馬の目が見開く。その言葉は今までで初めて少しだけ優しかった気がした。
そして、闇の世界は砕けた。
裏路地では振り下ろされるはずだったナイフが止まっている。
カイルは荒い呼吸のまま目を見開いた。
「……?」
何が起きたのか分からない。目の前の凛馬が固まっている。その身体が小さく震えた。
そして——
白かった髪が。少しずつ黒へ戻っていく。赤い瞳が揺れる。
まるで、何かと戦っているように。
「っ……」
凛馬の口から声が漏れる。握られたナイフが震える。
そして、ゆっくりと凛馬の瞳に光が戻った。
「……はぁ」
視界が滲み、全身が痛かった。立っているだけで限界だった。
それでも、凛馬は確かにそこにいた。
そしてら目の前にはボロボロになった獅堂カイルがいる。
二人の視線が交差する。風だけが吹いた。そして——
凛馬は静かに口を開く。
「……頭冷えたか?」
カイルは答えない。いや、答えられなかった。
脳裏に浮かぶのはレイナとガイの顔。頭から離れなかった。そしてその顔を、もう一度見たいと思ってしまった。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
反応くださると励みになります!