短編1話完結。
前作とクロスオーバーしています。
桜の樹の下で、夢路は始まり、終わる。
秀と藤吉郎は、十三桜の村で出会い、やがて“秀吉”の名で歴史を駆け抜ける。しかし、阿吽の呼吸は少しずつ乱れていき、天王山で決別。醍醐山で秀は藤吉郎を討ち取った。
藤吉郎に取り憑いていた荒魂は、秀が自身に宿し、みずからを封じた。平等院鳳凰堂にて、秀は永遠の眠りにつく。
豊臣秀吉、逝去。
霊石と妖怪を、後世に伝えてはならない。徳川家康が手を回し、あるべき歴史が刻まれる。乱世は終息に向かう。
どこまでも無が続く。地平線も空もない。
死ですらない中で、秀は息を吸い、吐いた。呼吸はできるが、しなくとも生きている。あるいは、もう生きていないのか。
夢のない夢にいた。藤吉郎とともに見た夢を、秀が終わらせた。
ほのかな光。あるはずのない気配に、秀が振り返る。
「……失礼する」
覚えている。大谷吉継。秀の離脱後も、義と才で藤吉郎を支えていたと聞く。
肩の上に蛇目蝶が浮かぶ。人とも蝶とも取れる姿をした、死の中で舞う守護霊。
「時が惜しい。こちらをお納め願いたい」
蛇目蝶が飛ぶ。守護霊から思念が流れ込んでくる。
藤吉郎には確立した後継者がいない。再び政情は不穏になる。徳川家康の台頭。石田三成との対立。天下が二分される。
三成の西軍と、家康の東軍が、関ヶ原で激突した。兵力で有利に見えた西軍だが、裏では多くの武将が徳川と通じていた。家康の緻密な調略。大谷吉継は小早川秀秋の裏切りに倒れる。
敗北を確信した島左近は、三成を撤退させ、自身は時間を稼ぐため戦場に残った。三成が佐和山城まで逃げられれば、まだ再起を図れる。
分霊。秀の背にも蛇目蝶が憑く。藤吉郎の死後、秀が封じられたのち、戦国乱世は次の転機を迎えていた。
「流れは徳川にあると思ってはいたが、これほどの裏切り者が出るとは。奇妙な異人も引き連れていた」
吉継は死の間際に、関ヶ原から蛇目蝶を飛ばす。平等院鳳凰堂に届き、霊となって秀の前に現れた。
「秀千代殿が必要だ。三成を逃がすための時間を稼がなくては。蛇目蝶があれば、一時だけ関ヶ原に行ける。刻限まで、ここは私の術で守ろう」
蛇目蝶が虚空に舞い上がる。
関ヶ原にいた。
現世の風を感じる。終わらない夢から目を覚ました。秀は驚きながらも、周囲を見渡す。蛇目蝶の分霊で、布陣と戦局は把握していた。付近の旗印から現在地を知る。
陣幕が見えた。おそらくは島左近がいる。東軍の足止めに奮戦する姿は想像に難くない。すなわち、秀の役目も決まる。左近を守り、三成を逃がす。この道を東軍に通らせない。
大きく深呼吸した。戦場の空気が全身に満ちる。
「おぬし、どこの家の者だ?」
鎧武者が近付いていた。一の谷形の変わり兜。大鎧の作りから、家柄のある武将だとわかる。そして、秀はこの者を知っていた。
黒田官兵衛の息子。官兵衛が謀反を疑われた時は、信長に処刑されそうになり、竹中半兵衛に救われている。幼名を松寿丸。
「名乗られよ。拙者、黒田長政」
秀は小刀を取り出す。刀身を抜き、刻まれた文字を見せた。
「秀……何者だ、いや……それより……」
長政が困惑する。
太閤藤吉郎が用いた字。相応の身分でなければ許される名乗りではない。加えて、青い目と、小刀の輝き。記憶をかき乱してくる。
「無礼を承知で申す。拙者はおぬしと、どこかで会っておるか?」
張り詰めた沈黙に、戦意だけが走る。
「……左様か」
長政は槍を構えた。伏牛の守護霊が、地を蹴り足踏みする。
「選んで、拾うがいい」
刀と槍が数本、地に落ちている。持ち主はいずこに消えたか。まだ関ヶ原は戦いの渦中。喧騒が続いている。
秀は応じず、小刀を逆手に持ち、握り直した。
「拙者、長物だが、よいのだな?」
秀と長政の視線が重なる。もう目はそらせない。同時に、踏み出す。次の一歩で始まる。
大身槍を持つ長政は、秀の小刀が届かない間合いで戦える。優位は明白。しかし、秀があまりにも不気味だった。軽装の鎧に、小刀だけを持ち、戦場に現れた。何者であるのか。
あきらかに腕は立つ。挙動に隙がない。落ちている槍を拾わなかったのも、短刀術に自信があるというより、不確かな武器を嫌ったかに見えた。
長政の槍をかいくぐれば、小刀との差は一転する。密着されては槍を取り回せない。小さな刃でも、手を切られれば槍を握る力が弱まり、首を刺されれば命を落とす。
読みは、見誤ると裏を取られる。一直線に貫く。駆け引きをせず押し通す。長政のもっとも好む戦い方が、今の最善。
「せぇいッ!」
全身、全力で突いた。
腕を固めた体当たり。迫る槍が突風に感じられた。槍は大きく弾くと、長さを活かした返しが来る。つかみ取れば封じられるが、手で止められる勢いではない。
秀は小刀を槍に重ねる。弾かない。槍に合わせて小刀をすべらせ、軌道をそらしながら間合いを詰めようとした。小刀を追いかけて長政の懐を狙う。
槍の重さと速さ。手だけを突き出さずに、全身での直進。長政に利が重なる。
小刀が弾かれた。秀は姿勢をくずしながら身をひねる。長政は勢いのまま駆け抜ける。振り返り、槍を横になぎ払う。遠間からの大振り。
槍を弾かない戦い方をしたが、槍に弾かれてもならない。攻撃できない長さ。防御できない重さ。回避できない速さ。小刀と槍の差が、秀のあらゆる動きを封じる。
ほんの少しの足運び。半身になり、背中で槍を受けた。衝撃が爆発する。
秀は顔をゆがめながらも、左手を背に回し、腕と腰で槍をはさんだ。
「むう?」
手でつかめない大身槍を、腕で絡め取る。長政の動きを止められた。しかしこれでは秀も動けない。不気味な膠着。
秀は左腕で槍を止めながら、右手の小刀を振り上げた。長政に届かない刃を、体重を乗せて槍の柄に叩き落とす。
長政の槍が折れた。
小刀が輝く。次の手は、近付いて刺すか、狙って投げるか。長政が見切るより早く、秀は小さく身を引き、小刀を鞘に収めた。退いて勢いをつける。素手のまま足をすべらせた。
放たれた矢のような一直線。秀の拳が長政の胴に打ち込まれる。鎧を通して衝撃が届く。
火縄銃と大筒が広まるにつれて、忘れられていく戦い方がある。
槍も小刀も使わない。軽鎧。腕を守る手甲。無数の妖怪を討ち取ってきた。秀の手は、すなわち。
弓勢拳で長政の体がかがんだ。秀はさらに腰を落としてもぐり込む。肩から体当たり。追って腕を打ち上げ、はね飛ばした。大鎧の長政が、宙に浮き、地に倒される。
「おぬし、手甲を修めていたのか」
息を大きく吐き出す。起き上がりながら言った。
今度は秀が、落ちている槍を指差した。仕切り直す、手甲と槍。
「無用だ」
長政は脚を踏みしめ、構える。両腕に力が入る。
「拙者も心得がある!」
踏鳴。地を揺らす猛牛の足踏み。
鬼と牛が駆け出す。
先手は長政。下段から様子を見ていた秀より早かった。槍を失っても変わらない。上段の打撃を、小細工せずに叩きつける。
秀は避けなかった。顔面に手甲が打ち込まれた。回避と防御を拒否して、立ち続けられた、真正面。叩き返す。長政は、揺れる兜の中で、やがて笑みがこぼれた。
「そうだ……これがよい、のだ」
長政が打つ。秀が打ち返す。長政はさらに殴る。秀は殴られながら、長政の鎧をつかみ、引きつけて殴る。長政はのけぞり、足腰を踏ん張り、殴り返す。
戦場にありながら、殺気がない。それでいて打ち倒す意志は強い。殺すのではなく、勝つ。純粋な戦意のぶつかり合い。殺意すら邪念だった。
長政は多くの武功を上げてきた武将だが、いつまでも続く乱世を憂いていた。民は苦しみ、国は衰える。戦いは武士だけで背負わなければならない。
幼いころは、殺されるところを、助けられた。関ヶ原では、徳川家康の根回しに、西軍武将と接触していた。これを最後にしたかった。
最後の戦いで、ついに戦いができた。戦うだけの戦いにたどり着いた。
秀は長政の死角を読んだ。右拳で顔を狙いながら、突きを遅くした。右手と右半身で、秀の動きが隠れる。
「左手はなにをしているッ!」
見えずとも、考えずとも、感じられた。駆け引きはしないと決めてある。当てる気のない右手を弾き、秀の脇腹に手甲を打ち込んだ。
秀は左から虚を突くために姿勢を傾けていた。重みのない構え。吹き飛ばされた。
手甲には遠い間合い。
向かい合い、対峙するも、収めた。手甲にも抜刀と納刀がある。すぐ戦う時は来るが、今ではない。
秀は空を見上げた。霧が出ており、見晴らしは明るくない。ただ、間違いなく空がある。天があり、地があり、人がいる。この現世で藤吉郎は夢を見た。
藤吉郎の夢は、まさに霊石のごとく、砕け、散り、数多の夢を生んだ。そしてまた集まる。夢が関ヶ原で交錯する。
「どこを見ておる。敵将はここぞ」
長政が笑った。
不意に風が吹いた。悪寒がするほど禍々しい。地に影が落ち、秀の表情が変わる。思わず長政も空を見上げた。
赤と黒の模様をした蛇。ウロボロスが、上空で円環を描いていた。
「何事だ……あやかしか?」
ケリーが生贄を探している。イギリスの錬金術師が、西軍と手を組んだ。
ウロボロスが降りてくる。
関ヶ原を飛び回る。人間に噛みつき、生命を喰らう。西軍の兵にも無差別に襲いかかった。次々と命は失われ、屍だけが残る。喰い取られたアムリタがケリーの力になる。
すぐに長政も見つける。宙をうねりながら飛びかかってくる。驚きのあまり、長政は動けない。
寸前。秀が長政に組み付いた。
突き飛ばして長政を助ける。秀はウロボロスに貫かれ、金色の泡のような光を吹き出した。目の色が一瞬だけ赤くなり、そして青く光る。
竹中半兵衛は、身が滅びても秀を支えると約束した。大谷吉継もまた、死してなお、石田三成を助けようとした。
そして“秀吉”は小牧長久手で、秀が藤吉郎を殺し、生き返った藤吉郎が秀を殺した。それぞれ死を乗り越え、夢路に続いた。
半兵衛が長政を保護した時は、秀と藤吉郎も助力している。
死で夢は終わらない。
全身が崩れ落ちていく。秀の身体がアムリタになり、消えていく。限界だった。もう現世にはいられない。
「な、な、なにを……?」
うろたえる長政を見た。
ちょうど持っていた。取り出して、長政に手渡す。なにもわからないまま、長政は受け取り、その家紋に目を見開いた。竹中半兵衛の印籠。
半兵衛は長政を隠し、信長には死亡と報告した。主君への裏切り。知られてはならない。ごく一部の者にしか事情は話せなかった。
藤吉郎は奇妙な仲間を多く引き連れていた。その大半は、もう顔も覚えていない。
「これは。おぬし……まさか……ひ」
金色の光だけが残っていた。
空が赤く染まる。逢魔が時が訪れた。ケリーの集めたアムリタが、今までにない大きな力となり、関ヶ原に現れる。
胡蝶之夢。
蛇目蝶が秀を連れ帰った。平等院鳳凰堂。夢を見ているのか、夢を見ていたのか。
「もはやこれまで」
大谷吉継が待っていた。荒魂が重くのしかかる。
「感謝する。おかげで三成を助けられた。関ヶ原は、もはや人の世ではなくなったようだが、すでに腹は決めている。私達は、どんな外法に、で、も」
吉継が苦しむ。
陰陽術では抑えきれない。荒魂に呑まれ、妖怪になる。平等院鳳凰堂に封じた妖怪も現世に放たれる。
「介錯を願えるか。私にはどうしようもない。このままでは、封印を破ってしまう」
秀はうなずき、小刀を取り出す。アムリタを共鳴させてソハヤマルの刀身を生み出した。
青い目で吉継を見る。少し目を閉じ、開く。
吉継を斬った。
「いずれまた、秀千代殿は必要とされる。三成が、そして藤吉郎様が作ろうとした世だ。その先にいるのは、狸か狐か、はたまた鬼か」
ソハヤマルが光を失い、小刀に戻る。
「いや、やはり世を作るのは、人なのだろう」
すでに吉継の姿はない。蛇目蝶が力なく舞う。羽ばたきが止まり、消えた。
かくして夢は終わり。また次の夢に。