プリンセス・プリンシパルSS ーこの時、このキャラは、こう思っていたのかもー 作:Sano / セイノ
「「「月が綺麗で~♪」」」
場末の酒場の中をmoonlight melodyの陽気な斉唱が満たしている。
ビールを呷りながらカウンター席で上機嫌に父親を待つドロシー、その仲間の横顔を歌を口ずさみながらベアトリスは眺めるのだった。
思えば、自身がスパイの片棒を担いだきっかけは突然現れたドロシーとアンジェだった。
諜報員に身を窶《やつ》すことでベアトには、ロンドンにある壁の姿が朧気《おぼろげ》ながら見えてきたのである。それはこの都市を共和国と王国に二分する境界のことではない、本当の壁は人々の中にこそあるのだ。貴族や資本家と労働者を分断する見えない壁、それがロンドンの本当の有り様を自身の目から覆い隠してきたものの正体である。
自身が知るロンドンは、そんな下層の人々の搾取の上に成り立つ煌《きら》びやかな幻想だったのである。今回の任務で訪れた死体処理場、そこでベアトリスは日々多くの人々が犠牲になって死んでいる事実に衝撃を受けていた。
労働者には労働者なりの暮らしがあり、そこに誇りや楽しさもあることは、周囲で歌声を響かせている笑顔の客たちを見れば分かる。自身の隣で目を閉じて歌に耳を傾けているドロシーも、そんな労働者の家に生まれた娘であった。
事故によって腕を失ったドロシーの父親である蒸気技師ダニー、冷酷無比なこのロンドンでは一家の暮らしが狂わされてしまったのである。酒に溺《おぼ》れて家族に手を上げたダニーの精神的弱さ、そしてそれでも父への愛情を捨てきれない娘の姿。それをベアトリスは自分自身と重ねていた。
ベアトリスの手が喉元の絡繰り仕掛けの声帯を優しく撫でた。
機械に魅入られた父、その肉親の手で与えられた体の傷跡。それは瑕疵《かし》以上に今なお続く父と娘の絆なのである。
無類の酒好きのドロシー、だが彼女の父の人生を壊した原因の一つが酒である。機械に愛情を注ぐ自身とはそんなところも似ているのかも知れない。
そう、二人の少女はその境遇がよく似ているのである。
ベアトにとってドロシーは友人であると同時に、壁に隔てられた向こう側にいたもう一人の自分の姿なのかも知れない。
だからこそ、破局を迎えた自分たち親子と違って、ドロシーと父親の幸福な再会をベアトリスは心から願っていた。
今日がドロシー達親子にとって良い日になって欲しい。
せめてその祈りを込めて歌おう——
「「「——君が大事だって、僕がここにいて歌ってあげる~♪」」」
了