ピピッと覚醒を促す音が響くと同時に、レオナは薄く目を開けていった。
「おはよ、ミラ」
『おはようございます。現在時刻は午前7時30分』
「もうちょっと寝かせてよ……頭いた……」
『規則正しい生活は重要です』
「はいはい……あんたはアタシの母親か」
ベッドから身を起こすと、寝癖の付いた長髪がふわふわと揺らめく。
もつれた金糸を軽く梳くと、寝起きでふらつきかける足を奮い立たせ、レオナはシャワールームへと向かった。
水音を響かせながら寝汗や垢と共に酔いと火照りを流し落とすと、すぐさま彼女の意識が覚醒して行く。
「ん~~! 朝シャワー最高~」
『警告。シャワー完備の一等室のせいで出費が激しくなっています』
「こんなボロ部屋なのにね。でもいいの。これくらい贅沢してもバチは当たらないって」
身嗜みを整えると、レオナは髪が渇くのを待つことなく外へと向かう。
彼女のの眼前にあるのは、昨夜に比べると余りに違う風景だった。
人々が行き交い、作り出される生活の音がそこかしこから響いてくる。
その流れに身を投じながらも、辺りを悠然と見渡していくレオナ。
『本日の予定は?』
「とりあえずご飯食べて、そしたらギルドに行ってみようかな。面倒だけど」
レオナが住み着いたターマの町は、かつては大都市だったのだろう遺跡に作られている。
残っていた遺構を利用する形で、一介の都市としての体裁が出来上がったものだった。
町の境界を表す様にフェンスにぐるりと囲まれ、幾つかの建造物や家々は穴の開いたコンクリートを襤褸や板で継ぎ接ぎ、崩れた天井をこれまた薄い金属板で塞いでいる。
文明崩壊後、何事もなければもう少し体裁を整えられていたかも知れない。
だが、荒野に溢れるモンスターと、断絶された知識と技術が文明の再建を妨げてしまう。
しかし、それでもしぶとく生き延びた人間のバイタリティは逞しく、この荒れた大地にいくつもの集落や都市が形成されていた。
「今日は何食べよっかな……最近ゼリー系多かったし、お肉にしようかなぁ」
『推奨、まともな食材。ブロブの素焼きやマリネはお勧めできません』
「意外といけるよ? 見た目はあれだけど」
ミラがブロブと呼んだのはターマ周辺に現れるモンスターの一種で、ジャンボアメーバと呼ばれる粘菌に近い生態を持ったモノである。
這いまわる粘液塊のような姿をした荒野におけるスカベンジャーだったが、その体が食せない事もなかった。
食糧事情に困る今の人間にとっては貴重なエネルギー源の一つであり、その柔らかくも硬い食感とピリっとした刺激が酒のつまみとして人気のモンスターだ。
「何だって食べられればいいんだって。この身体ならよっぽどアレなのじゃなければお腹壊さないんだし」
『疑問。最低限の文化的な生活と嘆いていたのは?』
「3年もこんな生活してたら嫌でも慣れる」
『正確には2年と265日です』
「細かい事に拘ってると人生損する……おっと」
通りを歩いていたレオナの視線の先、人の波が割れる様にして道を作っていく。
その先からゆっくりと二台の
「いつもながら思うけど、あれが戦車っていうのも不思議だよね」
『定義に拘るなと言ったのは誰でしたか?』
「細かい事憶えてるよねぇ、ほんと」
レオナは嘆息しつつ、遠ざかる戦車──機銃が取り付けられたセダンタイプの後背を見送っていった。
荒野を生きるハンターにとって、戦闘力と機動力は文字通り死活問題。
銃火器等、当然の様に利用される装備はあるが、その中でも特に重要視されているのが戦車だ。
ただし、現在の戦車はかつて呼ばれていた"戦車"ではない。
その殆どは乗用車やバギー、あるいはバスやトラックに機銃や装甲を追加した物である。
果てはただの鉄板をバンパーにくっ付けただけの二輪や三輪ですら、荒野に於いて戦いに使われる戦闘用車両、すなわち「戦車」と、そう呼ばれている物だった。
ハンターの間に上がる噂話の一つとして、かつての文明の遺跡に大戦期で使われた本物の戦車の現存がよく上がる。
当然ながら、そんな貴重な物が早々見つかる事も無かった。
しかし、それ等を己の物と出来たのであれば、並居るモンスターや悪党に対して一方的に勝利を掴める力を手にするとも言われていた。
だが、それは多くのハンターにとって夢物語。
そして夢を見つつも、本気で手が届くと期待している者もそうはいなかった。
それよりは今でも作れる粗悪な部品に、比較的見つかりやすい壊れかけのガラクタを修復した物など、ある物を組み合わせてどうにか戦車としていくのが殆どであった。
他の事柄と同様に、これが今の人類の精一杯でもある。
しかし、それでも戦車は彼らの力の象徴になっていた。
「後でバイク取りに行かないとか……整備終わってるかな?」
『今日には終わるとの事でしたので、既に受取れるのではないかと』
「じゃあギルド寄った後に顔出そうか。おじさーん、その串焼き3つね」
『推奨、まともな食材』
「ネズミくらい平気だって、火通してるんだし」
◇◇◇
ターマの町にある、かつての文明が僅かに色濃い部分を残している場所。コンクリートが然程崩れていない建物の一階にハンターギルドはある。
ハンターたちの情報交換所、兼、斡旋所であるこの場所は、ハンターのみならず荒野を生きる人間にとって無くてはならない存在であった。
取って付けられた感のある西部劇の様な両開きを押し開き、レオナはギルドへと足を踏み入れる。
「げっ、セクハラ親父……」
「よう、レオナじゃねえか」
踏み入れた瞬間、カウンターに立つ男を見たレオナが思わず口走った。
先日の夜、彼女がグラスを割る事になった原因のブラッドがそこに居たのだ。
随所に装着されたプロテクターやタクティカルポーチが戦いの気配を如実に表し、胸にも彼の愛用するサブマシンガンが釣り下げられている。
「お前も依頼か?」
「まぁね。そっちはこれから? それとも報告?」
「これから一暴れしに行く所だ。お前も一緒に来るか?」
引き締められた顔からは、昨夜レオナの身体を撫でまわしたとは思えぬ精悍さと頼もしさ。
歴戦の古兵と思しき風格がそこにはあったが、しかし、その目はやはりどこか下の方を向いていた。
それこそがこの男であると言えるのかもしれないが。
「……遠慮しとく、一人でやる方が気楽なの。ほら行った行った」
手をひらひらさせながらレオナがあしらっていくと、苦笑しつつブラッドが去っていった。
その背中が扉の先へ消えていくのを確認して、溜め息をを一つ吐いていく。
「あ~、もう面倒くさ。なんか部屋に帰って寝たくなってきたかも」
『疑問。協力した方が効率的と思われます』
「その為にストレスかかるのは御免だってば。悪い奴じゃないのは分かるけど、だからって一々セクハラ警戒しなきゃいけないのは面倒臭すぎ」
『篭絡してしまえば良い様に扱えるのでは?』
「本気で言ってたらぶつよ。何が悲しくてファムファタルの真似事なんてしないといけないんだか。今更男だって叫ぶ気はないけど、女に染まったみたいなのは勘弁」
心外だとばかりに声を荒げるレオナ。
彼女にも色々と譲れない物はあるようであった。
『陳謝します。今後このような発言は慎みます』
「別にそこまで怒ってるわけでもないけど……。さ、依頼でも探そっか」
『ありがとございます。ですが、私を殴打しようとしても自身の頭部を痛めるだけでは?』
「こ、こいつ……」
ぐぬぬ、と何とも言えない顔のまま、レオナがカウンター脇の大きなボードへと向かっていく。
そこには何枚もの用紙が貼られており、その全てが誰かに向けた依頼の書面だった。
賞金首の情報、遺物や食材など物品の入手にモンスター討伐と、他にも含めて実に様々な内容だったが、いずれも危険な荒野に関わる物ばかり。
かつては電子上で出されていただろう人を求める広告は、ネットワークが極限定的にしか使えない世界にあっては、文字通り過去の物に他ならなかった。
『如何でしょうか?』
「ん~、これにしとくかな」
レオナの指がいくつかを捲り、外されていく。
依頼者、内容、報奨金等々。自身に必要な事を確認していくと、受付へと向かっていった。
「マキノちゃん、これお願いできる?」
「分かりました。ちょっと待っててください」
カウンターの中へとレオナが声を掛けた相手は、ギルドで働くマキノという名の受付嬢だ。
短い髪をピンで纏め、柔和で愛想の良い顔を向ける受付嬢を体現したかのような女性で、荒くれ者が訪れるこの場所においては数少ない清涼剤だった。
「調査範囲内のモンスター掃討ですね。他に受ける方を探しますか?」
「面倒だからパス。この程度ならアタシ一人でも大丈夫でしょ」
「そう……ですね、目撃されてるのはスナイモムシみたいですし、レオナさん一人なら大丈夫なのかな?」
「そういう訳でよろしく」
スナイモムシは、荒野の砂地に広く生息するモンスターの一つだ。体高は大人の腰程度までに大きく、その名の通り砂地に住む幼虫の様なモンスターである。
その大きさに反して動きは素早い方ではあるものの、危険な攻撃をするわけでもない、どちらかと言えば組みしやすい部類でもあった。
それでも決して油断出来るものではなく、音も無く忍び寄り噛み付いてくるその顎には、人間の頭蓋を容易く噛み砕く程の咬筋が備わっている。
しかし、レオナには大した事ない相手なのだろう。
何とも気楽そうに依頼を受諾すると、マキノに書類を任せていた。
「はい、それじゃこちらの依頼はお願いしますね」
「了解っと。そういえばさ、この前言ってた人とどうだったの?」
「えぇ!? 急になんですか!?」
顔を真赤にし狼狽え、持ったままの書類で顔を隠したマキノだったが、一度咳払いをすると俯きがちに消え入りそうな声を返していく。
「駄目……でした」
「あ、ありゃ……なんかごめん。でもなんで? いい感じだったって言ってたでしょ」
本人からそう聞かされていた事を思い出しながら、レオナが尋ねた。
「その、ちょっと趣味が特殊で……ついてけなさそうと言いますか、なんて言いますか……」
「あ~……まぁその、何かあったら言ってね? そいつが寄ってきた時とか」
「それは大丈夫だと思いますけど……ありがとうございます。でもどうしたんですか? こういう話は苦手だって言ってたのに……」
「自分がどうとかはアレだけど、他人の事ならいい肴になると思わない?」
「レオナさん!」
「あはは、ごめんごめん。それじゃいってきまーす」
「もう……!」
怒らせてしまいそうな所を引き際に、レオナが手を上げてギルドを去って行く。
その背中を半眼で睨みながら、マキノは呆れた様な溜め息を放っていた。
◇◇◇
キィっと扉のきしむ音を背にレオナが向かった先は、この町にいくつかある整備工場。
工場と言っても大仰な建造物がある訳ではなく、トタンと崩れかけのコンクリートを繋いで補強しただけのバラックだ。
日々荒野での戦いに挑むハンターには、足となり武器となる車が必須。当然、その整備も欠かす事は出来ない物だった。
その為、こうしてレオナの愛車であるバイクも預けられていた。
「カマロお爺ちゃーん、アタシのバイクってもう終わってるー?」
「レオナの嬢ちゃんか。終わっとるぞ」
「さっすが仕事が早い。好きだよ、お爺ちゃんのそういうとこ」
「はっはっは。もう20年は早く生まれてから言うんじゃな」
軽口の応酬と共に現れたのは、この工場の主、老整備士のカマロだ。
白く蓄えられた口髭や髪とそれを撫でる手に刻まれた皺は、顔の物と合わせて、彼の人生を雄弁に物語るようだった。
『身体情報を判別。10年前でも犯罪と思われます』
「そういう事じゃないっての」
呟くミラと、それに僅かな声で呆れるレオナ。
視線がカマロとその後ろに置かれたバイクへと注がれる。
それ自体は旧時代に作られた只の乗用車両だった物だが、僅かばかりの装甲が追加され、今は荒野を駆けるマシンと姿を変えていた。
「お前さんもっとマシな車に乗る気はないのか。こんなバイクで大丈夫なのか不安になるぞ」
「アタシはこの子があればいいの。第一、昔の戦車ならともかく今時作られた物なんてどれもオンボロじゃない。大枚叩いてすぐ鉄くずに、なんて御免だってば」
「剥き出しのバイクよりかはずっとマシじゃろ?」
「でもお爺ちゃんが見てくれてるでしょ?」
「儂が整備したって限度はあるわい」
「とにかくこれでいいの。それに他の車にこの子の中身を載せられるか分からないんだし」
バイクに近寄り、レオナがそのボディを労るように撫でていった。
この時代の車両は大半が過去の技術を拙く模倣した物か、辛うじて現存していた物を修復、復元をした物だ。そして彼女の愛車も後者の一つ。
何人かのハンターを渡り歩き、ただ状態のいいバイクと思われていた物であったが、その実、内部には当時のCPUが奇跡的に稼働できるまま眠っていたのだ。
レオナ一人、或いは過去の持ち主だけでも只の置物でしかなかったが、彼女にはミラという機械に対しては無類の強さを誇る相棒が居た。
CPUを介してのバイクの細かな制御にミラによる遠隔操縦と、その利便性は多岐にわたり、レオナが強く愛着を持つまでに至っていた。
「あのよく分からんパーツか。言われた通り砂や油を取り除くくらいしかやっとらんが、それだっていつまでも持つもんじゃなかろう」
「まぁ、その時はその時だって」
老いた声がレオナを諌めるも、彼女の方は一顧だにせず自分の考えだけを告げて話を終わらせる。
からからと笑いながらレオナがもう一つの相棒に跨って軽く吹かせていくと、トラブルなく動作し、いつも通りの感触を主へと返していった。
しかし、カマロの仕事には満足しつつもどこか浮かない顔をしている。
「ねえお爺ちゃん、これ
エンジンからの匂いが不快だと感じたらしい。
彼女は何とも言えぬ表情のまま、口元を軽く窄めては整備主に文句をつけていた。
「純正のガソリンはまた高くなってきてなぁ……。最近はどの客にもこっちを使っとるがそう文句言うな」
「言いたくもなるって。これエンジン悪くなるし臭いし、速度出すとすぐ空っぽになるし」
「お前さんの言う通りなんだがな、こればかりは儂にはどうしようもないわい」
「それはそうだけどさぁ……」
文明が滅びて以後、食料に限らず水や燃料、武装に部品と、ありとあらゆるものが入手に苦労するようになっていた。
それらを生産していた町や工場などが消えたのだから当然だ。
一応と言うべきか奇跡的にと言うべきか、厳重に保管されていた当時の物や、比較的無事な姿を残していた生産プラントが確保され、一部の物資は僅かながらに供給されてはいた。
だが、技術や知識の断絶と材料の確保に悩む現状では、こうして粗悪品を何とか作るのがやっとであった。
「はぁ……しょうがないか。でも燃料以外はバッチリ。お代は肩叩きでいい? それとも投げキスにする?」
「アホな事言っとらんでしっかり払わんか」
「はーい」
そんな軽いやり取りを挟むと、レオナは差し出されていた手に硬貨を渡していく。
こちらも当然ながら昔の物ではなく、この辺り一帯で流通している現在の貨幣である。
「うむ、確かに。何かありゃまた来るといい」
「勿論。でもそれまでに死なないでよ?」
「はんっ、まだまだくたばらんよ。お前さんこそ野垂れ死ぬんじゃあないぞ」
カマロの返答には力強さがあった。それこそ爆撃の雨が降っても生き延びていそうな程に。
そんな様子にレオナも満足したのか、バイクに跨るとエンジンを吹かせていく。
いつもの様に工場を後にする姿をカマロが見送り、それにレオナも大きく片腕を上げることで返して行くのだった。