シンボリルドルフは驚愕した。後方から自分の横を走り抜け、タキオンに辿り着いたのは学園秘書の駿川たづな。
その走りが人間離れしたものだと噂は聞いていた。ゴールドシップなど問題児たちが全力で逃げてもあっさり捕まるらしい。あまりに突飛に過ぎて、想像することすらできなかった。品行方正なルドルフはたづなに追い回されることなど一度もなかったので、それを実際に見る機会はなかった。
だが、たづなは今、
たづなは謎の液体を無理矢理飲まされて少し咽せかけたが、走る脚に不都合はなかった。いや、それどころではなかった。
走る脚に痛みがない。
故障していた方の脚を全力で踏み込んでも問題がない。
タキオンがわずかにペースを落とし、すぐ隣に来て言葉をかけてくる。
「どうだいたづなさん、体の調子は? 金色に光っているから薬の影響は出ているはずだがねえ」
「走れる…… 私、走れる……!!」
たづなはタキオンを捕まえるという業務も忘れ、ただ「全力で走る」という行為そのものに感激の涙を浮かべていた。
「あははははっ!実験は成功のようだねえ!
付き合わせてしまって済まなかった、会長!この埋め合わせはいつか……いや、実験の成果が認められればすぐにでもお返しできるはずだよ!」
「これが実験?」
「そう、走っているたづなさんに薬を飲ませるのが条件だったのさ!
なかなか前準備が大変だったねえ!たづなさんを引っ張り出すには全校生徒をごぼう抜きするくらいしかなかったから!」
「それがどんな効果を……
………………!?」
ルドルフはもう一度驚愕した。タキオンの薬の効果で黄金に輝くたづなが、二人を置いて、目にも止まらぬ速さで遠くに駆けてしまう。
「おっといけない、あれに付いていくのはなかなか大変だねえ!」
「なんという速さだ……!まさか、ドーピングなどではあるまいな……!」
「いいや、あれは“速くする薬”ではないのだよ。もともと速かったはずの者が……“故障や怪我の影響なく走れるようになる薬”さ。
私がずっと追い求めてきたプランAの終結点。あれが成功すれば、走れる回数に限りがあった私も、常に最高の速さで可能性に挑み続けることができる!この脚で、光を超えるまで!」
たづなを追いかけ、ルドルフと併走しながらタキオンは計画を話し続ける。
「まあ万能の薬というわけではないよ。レース前後のたかだか十五分ほど、痛みを感じずに走れるだけの回復薬と鎮痛剤だと思ってくれたまえ。
薬の存在を前提に、故障上等で走ったりすれば日常生活の大半でハンデを負う。予後不良を防ぐ事はできないだろうな。
トゥインクルシリーズでの使用は認められるかどうか。ドリームトロフィーリーグで使わせてくれれば、私としてはそれでいいんだがね」
「ドリームトロフィーリーグで……かつての怪我を気にせず走る事ができる……」
「そうだ」
タキオンはルドルフの耳に口を寄せ、悪だくみのようにささやきかける。
「たとえばだねえ、トウカイテイオーがフルスペックで君に挑んでくるぞ?」
ルドルフは表情を変えないが、耳が、尻尾が、全力で反応する。
テイオーは自分の努力だけでドリームトロフィーリーグにふさわしい実力と結果を見せつけている。だが、その道のりは苦難と挫折の連続だった。引退もやむを得ないと思われた骨折を何度も繰り返し、そのたびにリハビリを乗り越え、期待されていたレースに出走する機会を失った。
もしもその脚に、全盛期の、いや「
戦ってみたい。
いや、一度でいいからテイオーにその走りをさせてやりたい。
ルドルフの心に、ウマ娘の闘争心、そしてそれ以上の強烈な感情がこみ上げてきていた。
タキオンはそれを横目に、楽しそうに目を細める。
「理解してくれたようだねえ、会長。それではURAの上の者の説得は頼むよ。まあ、なんてことはないさ。トレセン学園理事長の腹心である秘書殿が全面協力してくれるだろうからねえ!」
高笑いするタキオンのはるか向こうに、たづなの背が遠くなっていった。
その時、
「タキオンさんっ!」
背後からマンハッタンカフェがタキオンの肩を掴む。
しまった、しゃべってるうちにペースが落ちてた。そう思うタキオンだったが、さらにジャングルポケットにも捕まえられた。ダンツフレームが続いてきている。
大騒ぎの実験は、こうして終わった。
サマードリームトロフィー。数多くの栄光を遂げたウマ娘たちが集まる夢の舞台。
今回、そこにはある特例の規定が追加されていた。出走選手全員に、レース前にドリンクが渡される。それを口にしていくウマ娘たちは、全身を包む黄金の光をまとい、まさに綺羅星のごとく大観衆の前に姿を現した。時刻は夜、ナイターで行われるレース場の中、自ら輝くウマ娘たちは満場の拍手を受けて、多少の困惑とともに全快の体調を確かめる。
レースの副題は、アグネスタキオン杯。
『ご来場の皆様!ついにこのサマードリームトロフィーに、もはや不可能と思われていたウマ娘たちが再びその姿を見せてくれました!
故障に苦しみ、涙してきたウマ娘たちが、あの全盛期の姿を取り戻して……あるいは手の届かなかった力をその身に宿して、夢のレースを繰り広げてくれるのです!』
場内の放送を受けて、ウマ娘たちがゲートに向かう。
超光速の夢を思う存分に駆けるアグネスタキオン。
“お友だち”を追い抜いたマンハッタンカフェ。
故障の危険も恐怖もないサイレンススズカ。
もしも怪我をすることがなかったら、という夢を現実のものとしたトウカイテイオー。
「カイチョーも故障あったんだ?」
「ああ、海外挑戦の時にな。あの薬があの時あれば、私は凱旋門賞に挑んでいただろう」
「カイチョーだったら、行けば絶対勝ってたよねー?凱旋門賞」
「今となっては、それは分からないな……。
だが、今日ここに、それよりも大きな夢がある。トウカイテイオー」
シンボリルドルフは、もはや届かないと思っていた夢が目の前に突然現れ、感謝とともに興奮も隠せない。
さらに続々と、数々の名ウマ娘たちが、叶えられなかった夢を掴みに現れる。
誰もが、踏み出す足の感触に、感激と興奮を隠せない表情だ。走る前から涙が止まらないウマ娘たちも多くいた。出走の時間が近づくにつれて、涙が溢れる瞳は闘志の輝きに変わっていく。
『そして!あの幻のウマ娘が、ついにターフに戻って来てくれました……!
現役当時から故障に悩まされ、片足を庇い続けたその走りは、実は全力で走ることは一度もできていなかったと言われています。
しかしその戦績は、十戦十勝、うち七戦でレコードタイムを記録する、まさにパーフェクトなウマ娘!!
その名は――――』
「ふふふっ、タキオンさん……ありがとうございます。
まさか、私が、もう一度……いえ、生まれて初めて……全力で走ることができるなんて……」
「なあに、いいのさ!これは私の夢でもあるのだからねえ!」
「本当にいいですか?私が本気を出したら全員ぶっちぎりですよ?」
「光よりも速いか、ぜひ試してみたいねえ!」
タキオンは笑い、大地を踏みしめる。
走れる回数があと何回、なんて数える必要はもうない。
――さあ、光の向こうへ!!