プロポーズ用の指輪を握りしめ、幸せの絶頂にいたあの日。
駅前広場で暴走した凶刃から子供を庇い、俺の意識は途絶えた。
悔いはあった。けれど、誰かを信じて死ねるなら、それは最高に贅沢な人生だったと、俺は満足して闇に落ちた。
……はずだった。
「……うるさい。何なんだ、この音は……」
暗闇の中で、不快な電子音と、金属が軋む音が反響していた。
重い。全身が鉛のように重い。
そして、それ以上に耐えがたかったのは、脳を直接かき混ぜられるような、強烈な「他者の殺気」だ。
「大佐! 下がってください!」
自分の喉が、聞いたこともない若々しい声を上げた。
視界が急激に拓ける。
そこは、病室でも死後の世界でもなかった。
全周囲モニター――緑色の光が幾重にも重なる、モビルスーツのコックピットの中。
「な、んだ……これ……!?」
目の前で、信じられない光景が繰り広げられていた。
深紅の重モビルスーツ――サザビーが、全天を切り裂くような機動で、一機のモビルアーマー形態の機体と切り結んでいる。
リ・ガズィ。
その特徴的なシルエットを見た瞬間、俺の脳内で「前世」の記憶と「今」の状況が、凄まじい火花を散らして衝突した。
「俺は……ギュネイ・ガス!? ここは……フィフスルナ制圧作戦……!?」
頭痛が走る。
ネオ・ジオンによるフィフスルナの襲撃。アムロ・レイの駆るリ・ガズィが、シャア・アズナブルを止めるために立ちふさがる、あの一戦だ。
状況を把握する間もなく、リ・ガズィから放たれたミサイルがこちらに迫る。
「くっ……!」
意識よりも先に、身体が動いた。
「強化人間」として調整されたギュネイの身体は、ニュータイプ能力(サイコ・ウェーブ)によって敵の弾道を「点」として捉えていた。ヤクト・ドーガのレバーを弾き、スラスターを吹かす。
だが、アムロ・レイは甘くない。
「そこかッ!」
リ・ガズィが放ったダミーバルーンが、俺のヤクト・ドーガの目前で膨らむ。
(……罠だ! 触れるな!!)
前世の「知識」が警鐘を鳴らすが、慣れない加速に翻弄された機体が、バルーンに仕掛けられた機雷に接触した。
――ドォォォォォン!!
「がはっ……!?」
衝撃。コックピット内を激しい振動が襲い、俺の頭部がコンソールに叩きつけられる。
その衝撃が、皮肉にも最後の「鍵」となった。
霧が晴れるように、前世の29年間の人生と、ガンダムという物語の全容が、ギュネイ・ガスの脳細胞に完全に定着する。
「……思い出した。全部、思い出したぞ……!」
揺れる視界の中で、俺は見た。
サザビーとリ・ガズィ。人類史上最高峰の二人が、次元の違う戦いを繰り広げている。
光が弾け、粒子が舞う。
美しい。だが、あまりにも恐ろしい。
アニメの画面越しでは決して伝わらない、命を削り合う圧迫感。アムロの殺気は、まるで鋭利な針のように俺の皮膚を突き刺してくる。
「これが……アムロ・レイ……。化け物か、あいつは!」
ヤクト・ドーガの機体各所から警告アラートが鳴り響く。バルーンの爆発でカメラが一部破損し、姿勢制御も不安定だ。
本来のギュネイなら、ここで「シャアへの対抗心」から無茶な突撃をしただろう。だが、中身は酸いも甘いも噛み分けた29歳の社会人だ。
(ここで突っ込んだら、俺の物語はここで終わる。生き延びろ。生き延びて、あの悲劇を止めるんだ!)
俺は歯を食いしばり、ヤクト・ドーガの残存出力を絞り出した。
アムロの射線を遮るようにファンネルを威嚇で放ち、サザビーの背後へと回り込む。
「大佐! 機体が損傷しました、一度引きます!」
「ギュネイか……。いいだろう。ルナツーの占領は終わっている。これ以上、奴に付き合う必要はない」
サザビーが加速し、アムロを振り切る。
リ・ガズィも追撃を試みるが、味方の巡洋艦「ムサカ」からの援護射撃により、その足を止めた。
ネオ・ジオン艦隊。旗艦レウルーラの格納庫。
着艦したヤクト・ドーガのハッチが開くと、焦げ付いた金属の臭いが鼻をついた。
足元がふわふわとする。宇宙酔いではない。
自分が「死ぬはずだった男」であり、今、
その運命を改変するスタートラインに立っているという事実に、
武者震いが止まらないのだ。
「ギュネイ、怪我はないか?」
背後から声をかけられ、俺は反射的に敬礼した。
そこにいたのは、深紅のノーマルスーツに身を包んだ男。
シャア・アズナブル。
かつての俺にとっては「アニメの登場人物」であり、
ギュネイにとっては「憎むべき完璧な上司」だった男だ。
だが、今の俺の目には、少し違って見えた。
彼の瞳の奥にある、人類への絶望と、それでいて捨てきれない希望。そして、隣で共に戦った部下を気遣う、不器用な優しさ。
「……申し訳ありません、不覚を取りました。アムロ・レイは、想像以上です」
「気にするな。あのアムロを相手に、生きて戻っただけでも十分だ。お前がいなければ、私ももう少し手こずっていただろう」
シャアは俺の肩を軽く叩き、穏やかな笑みを浮かべた。
「よくやった、ギュネイ。お前には期待している」
(……あれ?)
原作のギュネイの記憶では、シャアはもっと冷徹で、自分を道具のように扱っていると思っていた。だが、実際にこうして対峙してみると、意外と面倒見がいいというか、上司としての器はしっかりしている。
もちろん、彼が地球を凍らせようとしているテロリストである事実に変わりはないが、少なくとも「話の通じない怪物」ではない。
「……ありがとうございます、大佐」
俺の声には、自分でも驚くほど素直な響きが混じっていた。
シャアが去っていく背中を見送りながら、俺は拳を握りしめる。
よし、決めた。
この世界は、あまりにも悲劇に満ちている。
クェスは壊れ、ハサウェイは狂い、アムロとシャアは共倒れになる。
そして俺――ギュネイ・ガスは、名前すら覚えられないような一瞬の隙に、背後から撃たれて死ぬ。
(そんな結末、誰が納得するかよ)
俺には「知識」がある。
「わがままな女」のあやし方も、「組織での立ち回り」も、そして
「アムロから逃げ切るための術」も。
人間不信を乗り越え、愛を見つけた俺の集中力を舐めるな。
「ヤクト・ドーガ、もっと弄らせてもらうぞ。……あんな情けない死に方、納得できるものか。」
俺は、整備兵たちが群がる愛機を見上げた。
第二の人生。
宇宙世紀という過酷な戦場。
だが、俺の心は、かつてないほど高揚していた。
「見てろよ、アムロ、シャア。……俺は、絶対に死なない」
逆襲のシャア。
そのシナリオを根底から書き換えるための、俺の「逆襲」が今、始まった。