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「現在、グリニッジ標準時23時40分……。
今、一つの世界が終わり、新しい世界が生まれようとしています」
遠い、あまりにも遠い過去の記録映像。
ノイズ混じりの音声が、レウルーラのブリッジ……いや、今はガランシェールの薄暗い仮眠室で鳴り響いていた。
「まもなく、首相官邸ラプラスにおいて地球連邦政府の改暦セレモニーが行われます。私たちは母なる地球から旅立つ時が来ました。今宵、西暦は終わり、宇宙世紀が始まります」
グラーブ…もといギュネイ・ガスは、古びた端末のモニターを眺めながら、自嘲気味に口角を上げた。
100年前。
人類が宇宙に希望を抱き、新たな紀元を刻もうとしたその瞬間、世界は爆辞に包まれた。
首相官邸ラプラスの崩壊。それは、今に至る「ラプラスの箱」を巡る呪縛の始まりであり、宇宙世紀という血塗られた歴史の産声でもあった。
(……結局、人は変わらないのか)
グラーブは目を閉じ、三年前のあの輝きを思い出す。
アクシズ・ショック。
あの時、確かに人類の意志は一つになり、虹色の光が巨大な質量を押し返した。
あの光を見た時、俺は「これで世界は変わるかもしれない」と、ほんの少しだけ期待したのだ。前世を含めたギュネイの達観した魂さえも、あの奇跡には震えた。
だが、現実はどうだ。
アクシズが遠ざかってわずか三年。
連邦は依然として既得権益にしがみつき、ジオンの残党は「袖付き」と名を変えて、再び復讐の炎を燃やしている。
シャア・アズナブルがいなくなり、アムロ・レイという壁が消えても、世界はただ空虚な円環をなぞっているだけに過ぎない。
(大佐も……アムロも、結局はこの呪縛の輪の中にいた。……そして俺も、死に損なった亡霊の一人として、また戦場へ戻ろうとしている)
グラーブは、自身の右手に視線を落とした。
強化人間として調整された肉体は、時折、古い傷跡が疼くように熱を帯びる。
かつてアムロ・レイの猛攻をシールド一枚で凌ぎ切った、あの極限の集中力――「過集中」。
あの時の感覚が今も、彼の脳の奥底で静かに牙を研いでいた。
「クレスタ……いや、クェスも、もうすぐ戻る頃か」
彼は、インダストリアル7の学園へ潜り込ませた少女を想った。
かつては情緒不安定で、愛を求めて戦場を彷徨っていた少女は、この三年で驚くべき成長を遂げた。グラーブが教えた「前世の知識」――情報処理の基礎、ハッキングのロジック、そして何より、ハサウェイを救って見せた自分を俯瞰して見る冷静さ。
今の彼女は、かつてのクェス・パラヤではない。
メイリン・ホークほどの技術ではないが、その代わりにニュータイプ能力をもって鮮やかな情報戦をもこなす、ガランシェールの「目」であり「耳」だ。
「……キャプテン、聞こえるか。グラーブだ。そろそろ準備はいいか」
グラーブは通信機を手に取り、呼びかけた。
相手は、この三年で「唯一無二の戦友」となった男、スベロア・ジンネマン。
「ああ、分かっている。ロンド・ベルの野犬どもが嗅ぎまわっているようだ。……マリーダを出す」
「了解した。俺はブリッジでバックアップに入る。……無理はさせるな、キャプテン」
グラーブは立ち上がり、私服のハーフコートを羽織った。
フル・フロンタルのお膝元であるパラオで極秘に改修を続けている愛機。
サイコフレームを贅沢に増設し、シナンジュの予備パーツを組み込んだその機体は、今や現行の最新鋭機を凌駕し、あの赤い機体には及ばないものの、技術次第では対等にやりあえる性能へと昇華されつつある。
(……マリーダを死なせず、バナージとリディを導き、ビストとマーセナスの茶番を終わらせる。それこそが、『閃光のハサウェイ』をハッピーエンドへと導くトリガーだろう。うまくやってみせるさ。)
かつてアムロを戦慄させた男は、暗い通路を迷いのない足取りで歩き出した。
100年前の爆辞から始まった呪い。それを解くための物語が、再び動き出そうとしていた。
ガランシェールのブリッジ。
重苦しい振動が船体を揺らす。モニターには、ロンド・ベルの巡洋艦から発進したスタークジェガンの部隊が、高速で接近してくる様子が映し出されていた。
「敵機、接近。……数は3、スタークジェガンの部隊です。
手練れですよ、この動き」
オペレーター席に座るグラーブの声は、いつも通りという顔で落ち着いていた。
キャプテン――ジンネマンは、パイプを咥えたまま深く椅子に腰掛けている。
「……マリーダ、出ろ。無事に帰ってこい。」
『了解、マスター』
「マスターはやめろと言っただろう。」
格納庫から、四枚の巨大なバインダーを持つ緑の怪物、クシャトリヤが飛び出していく。
それを見送るグラーブの視線は、戦術データとマリーダのバイタルグラフを交互に走っていた。
現状、このガランシェールにはクシャトリヤ一機しか実戦レベルの機体がない。
ギュネイの機体もパラオで最終調整の最中だ。
「……マリーダ、欲張るな。敵は連携を重視している。右の二機はそこまでの練度でもない。本命は左から回り込もうとしている、あの一機だぞ」
グラーブはマリーダの通信回線に、静かにアドバイスを飛ばす。
強化人間の先輩として、彼はマリーダの意識の「揺らぎ」を最も理解していた。
『……分かっています、グラーブ。』
マリーダの声は硬いが、迷いはない。
宇宙を切り裂く緑のファンネル。
スタークジェガン部隊は、ロンド・ベルの精鋭らしく見事な回避と連携を見せるが、クシャトリヤという圧倒的な「暴力」の前では、その技量さえも蹂躙されていく。
(……やはり、強いな。だが、彼女の心はまだ『道具』のままだ)
グラーブは胸の奥に、微かな疼きを感じた。
マリーダ・クルス。プルシリーズの生き残り。
彼女を救うことが、この『ラプラス事変』における俺の最大任務だ。
リディ・マーセナスという男が、憎しみに駆られて彼女を撃つ未来。
それを物理的に拒絶し、あの青い復讐者を更生させる……。
そのための機体は、もうすぐ完成する。
「……撃破。全機、沈黙しました。マリーダ、帰還を」
グラーブの報告を聞き、ジンネマンが短く息を吐いた。
「……助かる、グラーブ。本命はこの後だからな。」
「お安い御用です、キャプテン。……それより、予定より少し早いですが、インダストリアル7の宙域に入ります。クレスタとの合流地点です」
「ああ……クレスタか。あいつも、この三年の潜入でだいぶ様変わりしたろうな」
ジンネマンの言葉に、グラーブは微かに微笑んだ。
魔性の少女として、バナージ・リンクスという少年を翻弄し、データを奪い取ったクェス。
彼女が持ち帰るデータが、これから始まる地獄の「鍵」になる。
インダストリアル7の港湾区。
一般の作業用プチモビルスーツに紛れ、三ヶ月の「学園生活」を終えたクェス(クレスタ)が帰還した。
ブリッジに現れた彼女は、学生服を脱ぎ捨て、タイトなオペレーター・スーツに身を包んでいる。
「ただいま、キャプテン。……それに、グラーブ」
「お疲れ様、クレスタ。……『学校』は楽しめたか?」
グラーブの問いに、クェスは不敵に笑ってメインコンソールに端末を接続した。
「もちろん。みんな良くしてくれたわ。
いいお土産もたくさん持って帰ってきたんだから。
……バナージの遺伝子サンプルは、あの日の夜に渡した通り。
……今日持ってきたのは、インダストリアル7の最新の警戒網、脱出経路、それに管制システムのバックドア。
これで何か問題が起きて、マリーダが暴れても、連邦の増援は300秒は遅れるわ」
画面に流れる膨大なデータ。
それは、クェスがバナージの隣で笑いながら、無警戒な学校の端末を経由してアナハイムの深層部から引き抜いた。
彼女は「天真爛漫な美少女」を演じる一方で、クラスメイトや教師の視線を自分の笑顔に固定し、その死角でハッキングを完了させるスパイの顔を持っていた。
「さらに、収穫はこれだけじゃないよ」
クェスの瞳から、一瞬、色が消えた。
ニュータイプ特有の鋭敏な感応波が、彼女の記憶を再生する。
「……ビスト財団の当主、カーディアス・ビスト。あいつの意識の表層に触れた。……わかったのはラプラス計画を起動させる鍵……『NT-D』という単語のみだけど。」
「……NT-Dだと?」
ジンネマンが眉を顰める。グラーブの背筋に、氷のような戦慄が走った。
「ニュータイプ・デストロイヤー。……ジオンのニュータイプを危険視した連邦の憎悪の産物だな。」
「危険な匂いがするな。
まあいい、罠なら食い破るまでだ。」
グラーブはクェスの肩を叩いた。
「……よくやった、クェス。これほど短期間で、財団の最深部にまで指をかけたのはお前だけだ。……さすが、俺が教えただけのことはある」
「……バナージはね、最後まで何も知らなかった。……あの子、私が学校を辞めたら、泣いちゃうかもね」
クェスは少しだけ寂しげに笑ったが、その瞳には迷いはなかった。
彼女にとって、バナージとの時間は「任務」という名の偽物であったが、人の心を少しずつ理解した彼女に少しの棘を残した。
だが、彼女の帰るべき場所は、この鉄錆の臭いがするガランシェールだけだった。
ガランシェールの薄暗い通路を歩きながら、グラーブは自身の感覚を鋭く研ぎ澄ませていた。
ふと、船体のダストシュート付近で微かな気配が動く。
普通の人間なら聞き逃す程度の音だが、強化人間の聴覚と、クェスから共有された監視モニターの端に、少女――ミネバの影が映り込むのを彼は確かに捉えていた。
(……行ったか)
グラーブはあえて足を止めず、キャプテンのいるブリッジへ向かった。
自分から報告するつもりはない。
彼女の意思で動き、彼女の意思で世界の理(ことわり)に触れる。
それが、このラプラス事変を「正しく」終わらせるために必要な通過儀礼だと確信していたからだ。
ブリッジに入って数分後、血相を変えた乗組員が飛び込んできた。
「キャプテン! 大変です、ミネバ様が……!」
「何だと!? どこへ行った!」
怒号を上げるジンネマン。グラーブはその傍らで、表情一つ変えずに自室の端末とリンクさせた腕時計の受信機を見つめた。
(心拍、120。……激しい運動だが、異常はない。彼女の眼下に広がる『世界』に驚いているだけだ)
グラーブはモニターの中の小さな輝点を見つめる。それはインダストリアル7の深部、バナージ・リンクスがいるはずの区画へと一直線に向かっていた。
「……マリーダ。出撃の準備をしておけ」
「了解した、グラーブ。……ですが、交渉の行方は?」
マリーダの問いに、グラーブは冷淡な首振りで応えた。
「望みは薄い。連邦と財団の思惑は、我々の想像以上に歪んでいる。……いいか、マリーダ。これだけは覚えておけ。
財団が用意している『箱』には、NT-D(ニュータイプ・デストロイヤー)というシステムが組み込まれている」
「……ニュータイプを、殺すための?」
「そうだ。相手は文字通りの『怪物』だ。……決して深追いはするな。そのシステムが起動した時、お前の直感さえも敵になると思え」
サイコミュ・ジャックという機密の詳細は伏せた。今の彼女にそれを伝えても、かえって迷いを生むだけだ。グラーブはただ、妹のようなマリーダを死なせないための、最小限の警告を刻み込んだ。
「……あとは任せたぞ、バナージ。彼女を救うことが、お前の『初陣』だ」
グラーブは心拍計の波形が安定するのを確認し、静かに目を閉じた。
一角獣の咆哮まで、あとわずか。