リコは初めて臨んだ試合でアメジオに敗れ、もっと強くなりたいと願うのであった。
セキエイ学園は5月の3週目を準備期間として専用の時間割を設け、4週目に実施される中間テストに向け生徒たちに勉強を促している。
この準備期間中は部活動も原則停止の扱いだが、例外として大会や試合を控えている場合はその限りではない。
エクシード学園との練習試合を終え、さらに翌週にアサギ塾との練習試合を控えているリコたちバトル部もまた、その例外として普段通り練習に打ち込んでいた。
「キラリ先輩大丈夫かなぁ?」
「仕方ないよ。生徒会なんだもん」
やはり足が遅すぎるマフィン部長1人を遠く後ろに突き放しながらのロードワークをこなす一団にキラリの姿はなかった。中間テストと同じ週、テスト後に行われる体育祭の全体的な準備として、生徒会メンバーは招集を受けていたからだ。
「アン! ロイ! 練習中だぞ、私語は慎め!」
「「は、はい!」」
ホタルの一喝にアンもロイも声を上擦らせる。
「…………」
ドットは、いつになく真剣な眼差しでリコがホタルを見ているのに気付いていた。その眼差しが意図するところも……。
「よし、息を整えてから先当てバトル! 勝った者から寮までダッシュ! 負けた者は腕立て、腹筋、背筋を30回ずつ!」
「あの、ホタル副部長!」
トキワの森の中、いつもの折り返し地点としている丸太小屋前に到着して指示を飛ばすホタルの前にリコがズイ、と身を乗り出した。
「なにか?」
「私と対戦、お願いします!」
ドットからすれば予想通りの展開であった。
昨日、エク学のアメジオに負けた悔しさから今の自分を見つめ直す、その第一歩としてホタルに一戦申し込むというのは道理に思えた。
ホタルに対してはドット自身、昨日の試合を通して得た成長を見てもらいたい気持ちがあり、リコが出しゃばってくるのは面白くない。
元々リコのこと自体好きでもないのだが、殊更邪魔立てするのもダサい、という考えから割り込みにかかるのは控えることにした。
「いや、リコは待機だ」
「えっ?」
「きみが意図しているところを掬い上げる役目はボクじゃあないということさ」
解せぬ、というように眉を八の字にするリコに、ホタルは付け加えた。
「部長からの指示だ。後のことは直接聞くといい。ドット! やろう!」
「ウス……お願いします」
ホタルはリコの右肩に手を置いてやってから、ドットを指名するのはたまたま近くにいたからというだけのことだ。
マフィンが来るまで手持ち無沙汰となったリコがふと視線をやる先では、アンとロイがバトルをしていた。
「いけェホゲータ! ひのこ!!」
「ほげぇ〜!」
ロイが右手を突き上げながら指示を飛ばすのはほのおワニポケモンのホゲータ。真紅に白の補色が入ったアップルカラーが目立つパルデア地方の初心者用ポケモンだ。
転校してきたロイに対して学園から配布された相棒ポケモンがこのホゲータだった。
「サンド! こうそくスピン!!」
ギュルルルルルゥ!!
そんなホゲータが放つひのこ攻撃を前にアンもまたテンション高く指示を出すのは体を丸め、黄色いレンガ状の模様の外皮を盾に弾き飛ばして肉弾攻撃を仕掛けるねずみポケモンのサンドだった。
「ほげぇ!?」
「あっ、ホゲータ! くっそ〜僕の負けだ!」
サンドのボディアタックがホゲータにヒット時点で先当て式のルール上決着である。
「凄いよアン。そのサンド、いつゲットしたの?」
「えへへ…先週の金曜日。リコがイシツブテゲットしたから負けてられないってなーって、さ?」
ロイがひとしきり悔しがってからペナルティの筋トレを始める中、アンは照れ臭さから鼻を指で擦って見せる。
オフの日の自主トレでお月見山を抜けた辺りまで1人でロードワークをしていたところ、草むらから飛び出してきたのをゲットした、とリコに話せば、サンドのボールを見ながらニヘラとアンは笑う。
「なんていうか、ポケモンをゲットした時のぐわーって湧き上がる感覚、アレいいなって」
「うん。すごく分かる!」
ポケモンをゲットした感動と喜びは、相棒と出会った時のものとはまた違ったものがあるとリコも共感を見せた。しかも初めてのゲットとあらばなおさらだ。
「よし。帰るぞアン」
「はーいッス! じゃあリコ、寮でね!」
「うん!」
走り出すホタルにアンが着いて行く。
「じゃあねリコ! また明日!」
「また明日!」
程なくペナルティを消化したドットとロイも走り出し、寮への帰路につく。
「ぜー……ぜー……はー……はー……」
ドットたちとちょうど入れ替わりのタイミングでようやくマフィンは到着し、仰向けに寝転がる有様であった。
「あ、あの……部長?」
「はー……はー……ごめんリコちゃん、あと3分だけ待って」
分かりやすく疲労困憊なところからよろよろと起き上がり、背中の土を手で払いながら息を整える姿と、昨日の試合での勇姿がまるで繋がらないとリコは苦笑いするよりなかった。
ニャオハとの関係に困り、アンに導かれる形で部室を訪れて以降、この部長から注がれる熱い視線はリコにとってただただ困惑の元であった。
結果的にはニャオハと打ち解けることに成功し、バトルを通してトレーナーとポケモンが絆を深めることが出来るという成功体験を得たリコだが、そんな自分がこの変人部長の琴線にどう触れたのか、自分の何をこの人が気に入ったのかは皆目見当もつかない。
「ふぅー……お待たせ。じゃあ、やろっか」
息を整えたマフィンはロングの白髪についた土を払いながらリコから距離を取る。
その表情は普段と変わらぬ柔和なものながら、瞳の色は真剣勝負に挑む程よい緊張の度合いを孕んでいた。
昨日の試合で見せたものと同じ表情だ。
「はい。あの、マフィン部長……」
「うん?」
マフィンは微かに首を傾げる。リコは意を決した。
「私、昨日の試合で自分がまだまだだって改めて思い知らされました。だから、ポケモンたちと仲良くなるためなのは変わらないけれど……それと同じくらい、みんなと笑い合いって思ったんです」
「そっか」
「だから、そのためには今より強くならなきゃって気持ちが強くなって……もっとアドバイスとか、して欲しくって!」
マフィンは大きく首肯を見せながら右手のボールをリコへと見せる。
不敵な笑みとともに送るのは、とりあえずバトルをしようというメッセージ……。
「……ニャオハ、いくよ!」
「にゃおーん!」
リコはボールからニャオハを繰り出した。
余計な体力の消耗を避け、出来る限りベストに近い状態で先輩にぶつかってみなければ始まらないと、ランニングの時からあえてしまっておいたのだ。
「出て来い。俺の友、俺の影……」
マフィンの手のひらの上のボールが開かれては、飛び出した影ががすぐさまフィールドに澱みを作る。
澱みから出てくる影は、昨日見せたゲッコウガのスラリとしたフォルムとは真逆のずんぐりとした体系で、影そのものであるボディに真っ赤な目が妖しく光る。
「きしししし……!」
短い両手で大きな口元を覆う仕草をしながら笑うは、シャドーポケモンゲンガーだ。
「こいつもドットやロイと同じでね。セキガクに来る前、ゴースの時からの付き合いなんだ。今のリコちゃんの気持ちに応えるには、こちらも相棒を出さなきゃ駄目だと思った」
「げんげーん!」
ゲンガーがニャオハへ手招きをする。クイクイ、と上向きに指先を動かす分かりやすい挑発だ。
「いきます! ニャオハ! でんこうせっか!」
「にゃおおッ!」
手招きに応え、リコが先手を取る。
シュババ、と駆け出すニャオハの挙動にマフィンは目を細めた。
「でんこうせっかをニャオハの加速のために振り切ってる、と」
ノーマルタイプの技は、原則ゴーストタイプには効果がない。ゴーストタイプが共通して備えている透過能力の前にノーマルエネルギーはすり抜けてしまうからだ。
ニャオハのハイスピードダッシュは、トレーナーの側から意図的に教え込まなければ覚えない類の応用だ。マフィンは、リコがリコなりにバトルに真剣に向き合ってくれているのが見て取れて嬉しくなる。
『攻撃技の補助的な応用は、入部して1ヶ月も経たない新人じゃあまず思いつかないモンなんだよな』
「ニャオハ、かみつく!」
「にゃがああッ!!」
ソウブレイズ同様、ゴーストタイプであるゲンガーにあくタイプの技を仕掛ける判断も正しい。
加速に乗りながら飛びかかるニャオハを前に、
「きしーししし!」
ゲンガーは地面の影に身を潜めてやり過ごして見せる。
「ニャオハ! 右斜め後ろ!」
「にゃあ〜ッ!」
移動する影、ゲンガーの挙動に目敏く反応して見せるリコ、ニャオハのレスポンスも速かった。
すぐさま位置取りを確認し、フィールドを疾駆するのでアロマの香りがリコとマフィンの鼻腔をくすぐる。
「ゲンガー、シャドーボール」
ニャオハが狙う影より飛び出るは黒い球体。
「飛び退いてニャオハ!」
「にゃにゃッ!?」
シャドーボールを後方宙返りの形になりながら鼻先で回避するニャオハ、しかし、それこそがマフィンの筋書きであった。
「げぇ〜ん!」
「ハッ!?」
この時リコはしまった、と悔やんだ。飛び退いたニャオハの影に、ちょうど真下のポイントにゲンガーが潜り込むのを許してしまったのだ。
「さいみんじゅつ」
影から全身の上半分だけを出し、真っ赤な目からリング状の光線を包み込むように発射すれば、ニャオハはなす術なく急激な睡魔に意識を呑み込まれ寝入ってしまう。
「ニャオハッ!」
眠り状態にされてしまってはどうしようもない。勝負アリだった。
「アドバイス、って言ってもさ。ポケモントレーナーは個人事業主。俺には俺の、ホタルたちにはホタルたちの鍛え方があるんだ」
ペナルティを消化中のリコの傍に腰掛けながらマフィンが口を開く。
「げんげーん」
その隣ではゲンガーが眠ったままのニャオハを抱いてあやしている。
「誰かに聞くよりはまず、リコちゃんはリコちゃんなりの最適解を見つけたらいい。今の時点で、もう既に俺やホタルたちの1年だった頃より筋がいいんだぜ?」
腕立てを終え、腹筋に移り汗が飛び散る様をマフィンはジッと見つめる。
リコからしてその一点を捉えた眼差しに、普段のお調子のよさは微塵も感じられなかった。紛れもなく本心なのだろうと分かる。
「リコちゃん」
「はい」
「ニャオハと打ち解けたので、バトルを通してポケモンと仲良くなるのも、試合に勝ってみんなと笑い合いたいってのも素敵なことさ。それはそのままリコちゃんの根っことして持ち続けたらいい。でもその後はどうする? ゲットしたポケモンたちと絆を深めて、バトル部で頑張って、そこから先は?」
その問いかけは、リコにとって図星であった。
自己啓発を理由にセキ学への越境入学を押し通したその深淵にあったものとは、母校を進路に選ぶことで両親の歓心を買う以外になかった。
父のアレックスは絵本作家をしながら自宅を守り、リコにも穏やかに接していたがその内面が娘への情愛よりも妻である母への義務感が主であるように見えていた。
母のルッカは典型的な仕事人間で、教師に天職を見出していて、リコが物心ついた頃には家を空けっぱなしにしていた。
『夫婦仲は良好』……その反動として孤独感と放置されている感覚とが同居しているのがリコの幼少期と言えた。
祖母のダイアナと母は不仲で、祖母の側から娘夫婦に近づくことは稀であった。
そういえば、祖母からもらったペンダントはどこにしまっただろうか……?
「ごめんごめん。そんな卒業してから先の話なんて決めてられる訳ないよね」
リコの動きが静止するのでマフィンが謝罪をしながら立ち上がる。
いくらトレーニングを重ねても治らない鈍足だ。リコと一緒に走り出しては大きく遅れるのは明らかだった。門限の問題だってある。
「せっかくバトル部で頑張るって決めてくれたなら、リコちゃんには是非目指してもらいたいものがあるんだなぁ」
「目指してもらいたいこと……?」
腹筋を済ませ、残る背筋のために姿勢を変えるべく上体を起こすリコの目に、自分とさして変わらないはずの身長であるマフィンの背中が果てしなく雄大に映った。
「それは部長やキャプテンとはまた違って、よりみんなの心にその場その場で大切なものを訴えかける魁となって欲しいんだ。言うなれば……そうだな……」
振り向くマフィンの横顔が、夕陽に照らされる。
「『柱』……かな」
「柱……?」
「うん。リコちゃんには、セキガクの柱になって欲しいんだ」
言葉を紡ぎ終えマフィンは走り出す。
リコは、感覚として途轍もなく大きな期待を投げかけられていることだけはなんとなく理解をする。
小さな、それでも確かな火が、膨らみ始めた少女の胸の内にチリチリと熱を伝え始めていた。
『オリオ』
25歳。建築方面の技術者。
創立記念の大改装のためセキガクに出入りしているスタイル抜群で快活な美女。
フリードとは同期の桜で色々あったみたいだけど深く語られることは今のところない。