旧交を温めるのもそこそこに2人は全国での再会を期して別れ、セキエイ祭りも大盛況のもと閉幕するのであった。
セキエイ祭りの熱気が残暑と一緒に消えていく10月が過ぎ去り、11月を迎えれば中旬17日に待ち受けているのは期末テストであった。
1学期の中間テストからずっと赤点がつきまとうアン、ドット、ロイにとって鬼門の月といえよう。ここで躓いては洒落にならない。
そして、この三馬鹿トリオの赤点回避はホタルにとっても至上命題であった。
赤点があれば即補習となる中間テストに関しては時期的な観点からそこまで痛手にはならない。だが期末テストは話が別なのだ。
期末テストで赤点を取れば終業式前に追試となり、そこでどうにか合格を勝ち取れれば良いが、もし追試でもしくじったならば長期休暇中の補習が確定する。
元より選手層の薄いセキガクバトル部としては、たとえまだまだ発展途上の1年生であってもオーダーの選択肢として使えるに越したことはないというのがホタルの持論であった。
『あの馬鹿どもにもいてもらわないと一気に編成の幅が狭まるからな……あいつらもセキガク全国制覇のためには必須なんだ』
「というわけで今日から期末テスト当日までは毎日夜間に部室に集まり、合同でテスト勉強を行うこととする! 異議のある者は挙手を」
11月3日の月曜日、ミーティングにおけるホタルの宣言に意を唱えるメンバーは誰もいなかった。
過去の定期テストでの有り様から個別での勉強ではどうしようもないのは明らかだった。
「諸々の許可は?」
「……先週のうちに取ってある」
「流石キラリ。仕事早いね」
キラリの仕事ぶりにミコは舌を巻く。
マフィンたちバトル部上級生組の学力事情としてはキラリが2年生の中でトップ5に食い込んでいる以外は皆無難なものであった。少なくとも赤点を取るような失態とは無縁である。
「ボクも鬼じゃあないから満点取れとは言わん。ただ来る全国大会を前に赤点で欠員が出るのは避けたい。この期末テスト、一丸となって乗り越えていこう!」
「「「はい!」」」
「ウス」
ホタルに1年生4人が元気よく応え、そのままミーティングはお開きとなった。
夜間に実施する合同のテスト勉強、その主な対象はやはりアン、ドット、ロイの赤点軍団である。
ホタルとしても2週間前から対策を仕込めばなんとかなると踏んでいた。
「ゆ、ユーコースージ……? キンジチ?」
「筆者の考えなんて書いた本人じゃあないのに分かるわけないだろ」
「チカンホー……痴漢?」
3人ともとりあえずとキラリが用意した学習プリントを前に完全にペンが動かない。
蓋を開けて見てみた結果としては、相当に悲惨ではあった。それでも3人の勉強の出来なさ、その度合いをチェック出来たのはホタルにとって収穫だった。
期末テストの対象教科は中間テストから変わらず国語、社会、数学、理科、語学の5つ。
アンとロイは5つとも満遍なく駄目で、ドットは理数系が得意な分、文系が壊滅的なのが分かった。
それも、『基礎的な部分からさっぱり』という状況だった。
「……監督に初等教育の学習ドリルを用意してもらった」
「意外といい値段したんだ。頼んだぜ3人とも?」
ポケモン社会においては義務教育は10歳で修了し、幼稚園卒業から4年間の間に初等教育のカリキュラムが詰め込まれている。
その内容はいわゆる『こちらの世界』における6年制より2年短いとなれば、勉強内容の習熟度に差が大きく生じやすくなるのも当然の理屈であった。無論、『こちらの世界』のことなどポケモン社会に生きる人々からすれば知る由もない。
ともあれ赤点軍団のテスト対策としては、まず初等教育の内容から頭に叩き込んだ上での学習し直しをホタルとキラリはメイン方針とした。
「ねぇリコ、この辺パルデアの学校でもやってた?」
「やってたよ? どこも同じじゃあないかな」
初等教育のドリルをやらせたのはどの辺りから躓き始めるかをチェックする意味もあり、そこから秀才組による懇切丁寧な解説が入ってゆく。
元より赤点軍団はバトル部への熱意は本物だし、先輩に対しても従順である。
ホタルたちにしても赤点軍団が取りたくて赤点を取ってるわけもないと知っているからこそ、部室に集めての徹底的なテスト勉強をさせているのだ。
分からないところをハッキリ挙げてくれればそこを教えれば済むのである。
「すいません、あたしトイレ!」
「あ、私も」
アンが席を立てばリコも一緒に部室を出てゆく。
「ボクもトイレ」
少し遅れてドットも立ち上がり部室を出た。
「そういえば、ナギ先輩は勉強大丈夫なのかな?」
「……」
ふとした呟きにホタルの動きが不自然に停止するのでロイは小首を傾げる。
完全に地雷だった。ホタルが激発しないのはロイに悪気がないのと、単に知らないからというだけのことである。
「……ナギの勉強成績は優秀。数学と語学に関しては2学期の中間テストにおいてホタルより高得点」
「あっ……」
「ふ、ふん! 家庭の事情からオンライン生やってるとはいえ、練習にあまり顔を出せないで成績も不調では本末転倒であろうよ」
ホタルに視線で促され、ロイは慌てて視線を学習ドリルへ戻す。
厳格な鬼軍曹タイプのホタルと飄々としていてルーズなナギとではチームメイトとしての信頼関係こそあれど根本的に相性がよろしくない……キラリの説明から、とんだ藪蛇であったのをロイは思い知らされた。
「ぶいぶい〜!」
「鍋焼きうどん持ってきたよ〜! って、なんかあったの?」
「……なにもない」
夜食を持ってきたミコからすればロイの藪蛇などは分かりようはないが、ほんのわずかピリついた部屋の空気を察する聡さは有していた。
そこから根掘り葉掘り聞くことの危うさも察知して、それ以上聞かないことにした。
「リコたちは? もう部屋戻ったの?」
「トイレって言ってたけど、そういえば遅いね」
人数分をそれぞれ持参させた皿に取り分けながらのミコにロイが答えれば、顔を見合わせるホタルとキラリの表情には『まさか』という困惑があった。
「『セキガク七不思議』……」
「セキガク七不思議?」
ホタルの呟きにロイがプリントから顔を上げる。
「ほのお校舎の女子トイレは異界への入り口、とは聞いたことはあるが……」
「……非科学的」
「だよなぁ?」
顔を見合わせたまま、2人は苦笑いを送り合う。互いに『気のせい』であると笑い飛ばした。
ロイもまたプリントの問題へと意識を戻した。学校に潜んでいるかもしれない怪異よりも期末テストの方が怖いのだ。
『やめて…やめてくださいッ!!』
リコは不思議な景色を見ていた。
用を足し、手洗い場の鏡を見たかと思えば、宙に浮いた視点から曇天の雨模様の中を突っ切る飛行船に設置されているバトルコートでのやり取りを見下ろす形になっていた。
「あれは……私?」
『これ以上、皆さんに迷惑かけたくない、です……』
『な、なに言ってんだ?』
「監督とあれは……アメジオ? それにジルさんとコニアさん? コレは、なに……?」
荒れ模様な空気の中で対峙するのはフリードとアメジオ。自分の左右を固めるように立つジルとコニアにはよく知る気さくな空気は皆無だった。
何より目についたのは、ニャオハを抱くどうにも弱々しい自分の姿であった。
「監督とアメジオが戦っていて……なんで? なんで? なんで?」
訳の分からない光景の中、見下ろしていた自分の腕の中から飛び出すニャオハのこのはにより視界は塞がれていった……。
「リコ! ドット!」
「「は……はうあ!!」」
肩を叩かれ、意識を取り戻せばそこは女子トイレであった。
アンに呼びかけられ、リコとドットは辺りを見回す。
「なんなんだ? あの飛行船……」
「え、ドットも見たの? 飛行船……」
互いに顔を合わせれば、ドットもハッとした表情を見せた。同じ境遇を見つけた安堵が僅かに垣間見えた。
「なんか、ボク、ぐるみんによく似た着ぐるみに入ってうねうねしてた」
「着ぐるみ? うねうね?」
「ポケチューバーとか考えたこともないぞ」
リコは、ドットが見ていた景色が自分のそれとはまた違うのをなんとなく察する。
「んー、なんだかよく分かんないけどさ。とにかく戻ろ? 心配かけちゃ先輩たちに悪いよ」
「う、うん。そうだね」
リコとしては、自分が見ていたものとドットのそれとの差異こそ気にはなったがアンに首肯してひとまずは女子トイレから出ることにした。
「そりゃあ、えらい目に遭ったな。少なくとも七不思議の内ほのお校舎の女子トイレの話はあながち嘘でもなさそうだな」
部室に戻り、小休止として皆で鍋焼きうどんを啜る中でリコは軽く振る話題として先程見たものの話をした。
ドットもそこに乗っかる形で、自分が珍妙な着ぐるみ姿で配信者をやっていた景色のことを話せば、口を開いたのはフリードだった。
元よりリコもドットも嘘やからかいとは無縁な人間であり、同級生ながらバチバチとした強烈なライバル関係を隠そうともしない2人が同じような経験をしているというのであれば、この場の誰も話を疑うようなことなどはありえなかった。
「ホントにあそこの鏡が異界の入り口だってこと?」
「条件や引き込まれる度合いに関してはデータを集めない限りは特定のしようもないが、少なくとも鏡が異界と通じているってのは全国規模でいくらか事例はあるし、証言だってある」
ズルズルと鍋焼きうどんのお汁を飲み干してからフリードは言葉を続けた。
「カロス地方にある映し身の洞窟にも異界の入り口があるらしいんだ。そこでウチの卒業生が向こう側に放り出されて、鏡の世界の自分と仲間たちに会ったことがあるらしい」
それが現カロスリーグチャンピオンにてトライポカロンでもマスタークラス優勝経験を持ち、現在でもマルチな活躍を続けているユリーカだというのは、フリードとしてもこの場にはあまり関係がないので名前は伏せている。
「それに、鏡を介さずとも異界への入り口が開くこともあるしな」
「ウルトラホールのこと?」
「おう」
マフィンにフリードはお代わりを鍋からよそいながら首肯する。
「あまりにも突飛過ぎるから科学なアプローチこそあまり出来てはいないが、似たような事例は探せば案外あるもんだぜ」
「……パラレルワールド、またはマルチバース」
「リコたちが見たのがどっちかは定かじゃあないがな」
データ主義のキラリとしても事象を並べられては否定するつもりはなかった。
「別の世界の私、か……」
リコは先ほど垣間見た景色に思いを馳せる。
あの飛行船に乗った自分はどんな生き方をしていくのか? その道行きの先でどんな選択をするのか? 興味は尽きない。
『あそこから頑張るんだよね。別の世界の私も』
覗き見た先の自分が何を抱き、何を目指すのかは皆目見当もつかない。
それでも今の、この世界にいる自分が目指すのはたった1つ、依然変わることはない。
「私……鏡の向こうの私に負けてられません! セキガク全国制覇のために頑張るだけです!!」
席を立ち、意気込んでからリコはハッとする。体が勝手に動いていた。
「それでこそリコちゃんだ」
マフィンも立ち上がり、右拳を突き出せば部屋にいた皆それに倣ってゆく。
「みんな……」
熱く意気込むリコを嗤うようなつまらない輩はセキガクバトル部にはいやしない。
抱く決意は皆一緒だ。リコも右拳を突き出し、気持ちを1つにする。
「とにかく今は期末テストに集中だ! 必ず皆で全国の舞台へ乗り込もう!! 目指すは1つ!!」
「「「「全国制覇!!」」」」
ホタルが音頭を取れば爽やかなシャウトをリコたち1年生がする。
「なんなんだろうな、こりゃあな」
仕事帰り、満点の星空の下でナギもまた右拳を突き出していた。無意識のうちにであった。
11月の夜にしては爽やかな風が吹き抜け、頬を撫でるのが心地よかった。
『また1歩、セキガクの柱に近付いたね。リコちゃん』
初めてリコを見かけた時の直感は正しかったとマフィンは改めて思い返す。
ニャオハを追いかけ、決して歩み寄ることを諦めなかった姿に見出した『芯の強さ』こそが、部長や主将といった役職とは違うところのチームにとって欠かせぬ要素なのだとマフィンは信じている。
リコがトレーナーとして、人として大きくなればなるほどチームの柱として強固な存在となるのだ。
今のリコにどれだけの自覚があるかは定かではないし、今はその自覚の程もあまり重要ではない。
それでもリコはいつの日か、セキガクの柱として立ってくれる……そんな望みを、マフィンはより強くした。
余談として、後日フリードから報告を受けたセイヨ先生の指示のもとに校舎の鏡が全て新しく取り替えられてから七不思議の方がどうなったかは、また別のお話……。
『ウルトラホール』
異世界との通路となるウルトラスペースとこちらの世界を繋げる扉のようなもの。
ここから飛び出して来るポケモンは『UB(ウルトラビースト)』と呼称される。いわば世界単位の外来種だ。