彼は肥えても最強忍者! 〜肉の下に潜む王子★百地大地は、現代忍びの世界で密かに無双する〜   作:山下敬雄

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第七話 蛇の腹の中で

 陽光の灼く薄っぺらい賑やかさの底には、暗く冷たいどす黒い闇が潜む。

 

 繁華街地下、蛇腹ネットワーク《牙の間》にて──。

 

 

 

 まるで御伽話、毒リンゴを食らったように目を閉じ眠りにつく美しい姫たちがいる。

 

 何も知らず、その身を磔にされているとも知らず。二人の若い女が、毒の息をする蛇の前ですやすやと眠りこけていた。

 

「なるほどさすが名門藤林、末裔もこの上玉だ。目覚めた時にどんな表情を見してくれるかな? しぁはははは」

 

 緑のフードを被った男は、捕らえた藤色髪の女の匂いを嗅ぎながら、長い舌を舐めずる。

 

 抜け忍の尾神牙(びかみきば)は、名門藤林家の者のその端正で生意気な面を間近でじっくりと鑑賞し、手に入れた白肌の頬をゆっくりと怪しい手つきで撫で優越感に笑っていた。

 

尾神(びかみ)のダンナ、ところであの物置部屋のでぶスケはどうすれば?」

 

 その場に居合わせていたふくよかな体を持つ男が、そう緑フードの男に問うた。

 

 尾神の部下である大木勇(おおきいさみ)は、困った様子で頬の肉を手でさすっている。

 

 良いところで邪魔をしてくれた太った醜い部下のことを、振り向いた尾神は、ぎろりと鋭い眼で睨みながら近づく。

 

 尾神は、そのでっぷりと置かれた目の前のだらしない二重顎を、爪が食い込むほど指で摘む。

 

 そして緑のフードの内側の暗がりから現れた一匹の蛇が、突っ立つ太った男の太い首を、ゆっくりと一周するように冷たく這った。

 

 得体の知れないゾクゾクとする感覚が、肌を頸を伝う。

 

 やがて大木勇の正面には牙を剥いた蛇が二匹──睨みつけるその眼光に、痺れたように身動きが取れない。

 

「外の虫は客が片付けているとの報告だ。どうせしばらくこの入り組んだ蛇腹には誰も来れねぇ、入れたとて【蛇のため息】でいつでも鼠は仕留められる。──ハッ、吊し上げてじっくり燻製にでもしておけ。鈍臭くて暑苦しい小間使いのデブは、パイソンに二人はいらねぇ。本家や分家などぬかす、実力主義を知らぬ時代遅れの奴らへの見せしめにもなるだろう。しぁははは」

 

 額、首筋まで、汗をかきながら部下の大木勇は顎肉をぷるぷる震わせ、上の命令通りに頷いた。

 

 摘んだ顎ごと後ろへと突き飛ばされた太った男が、急いだ足取りで地下室を後にする。

 

「チッ、しがみつくデブほど見苦しいものはねぇ。雌伏の劇毒と蛇腹ネットワークを持つパイソンが、みっともねぇ時代遅れの忍びどもを淘汰してやる! しぁはははシァははははは────!!!」

 

 部屋から吹き抜ける狂った男の高笑いが、地下道へと反響する。

 

 ここは複雑に入り組んだ蛇腹道の中。土の中を這う蛇の腹の中には容易に近づくことはできない。

 

 何も知らぬ者が入ればたちまちに、道を見失い。排気管を伝う毒のため息の餌食となる。

 

 ここは既に強力な毒を持つ蛇の腹の中、捕まった獲物は何人たりとも逃れることはできない────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 繁華街地下、物置部屋④にて──。

 

 

 『ギィ……ギィギィ……』力を込めてロープを下に引く音が鳴る。フックに吊り下げられた巨大な肉の塊が宙へと浮かび上がる。

 

 とても冷たい地下室、天から漏れ出た水滴が床を打つ、不規則なリズムがつづく。

 

 それは誰かがこぼした命の雫のように、落ち続けていた。

 

 

 湯を沸かしたやかんの元に、両手を寒そうに寄せる。そして手に取った絆創膏を一枚、だぶついた己の顎先へと貼る。

 

 太った男である大木勇は、用意した危険なお香に火をつける前に、やかんからお湯を注いだカップを床に置いた。

 

 ロープで宙に体ごと吊るし上げたのは、黒い漢服を纏った大木勇に似た体型の男。しかし年は、その宙に浮き気絶したまま目を閉じる太っちょの方が、まだ何回りも若いように見えた。

 

「悪く思うなよ、デブのお仲間は二人はいらないんだ」

 

 眠った太っちょに語りかけるも返事はない。大木勇がこれから働く悪事へと、まるで理由づけをしているようだ。

 

「同じデブのよしみだ。死ぬ前に匂いだけでも嗅いでおけ。今度からはそんな体で忍者になんてなるんじゃないぞ。普通に働いて普通にたくさん飯を食え。じゃないとおらみたいな、悪いデブになるぞ」

 

 大木勇はその太っちょの若者の供養のためか、手を合わせた。

 

「しまった。これじゃ、いただきますと同じ手だ……。ぅー腹減ってきたあげるんじゃなかったな、おらの昼飯……」

 

 どうやら昼飯のつもりで持ち込んできていた私物のカップ麺を、供え物にしてしまったらしい。

 

 捕虜の監視役を任された男は、とてもどうでもいい後悔の念に駆られている。

 

「3分待ったら食べても? いやいやこれはでぶスケに供えたから……でもでも、この匂い……! お線香の匂いがシーフード味は、逆に罰当たりという可能性も? 閻魔様も臭うデブが整理券を持って待ってちゃ可哀想か?」

 

 ノリで昼飯を供えたことを後悔する大木。ただよいはじめたシーフードの香りに食欲が刺激され、悪びれていない様子だ。

 

 所詮、悪は悪。デブはデブ。人間は人間であり腹は空く。こんなものを閻魔や神に供えたとて、何のアピールや贖罪にもならないことを大木勇は知ってしまう。

 

 その時、どうでもいい葛藤をしつつ大木が凝視していたカップ麺の蓋がおもむろに、ぺらりと開いた。

 

 めくれていく銀色の蓋。偶然であれなんであれ、開いたそれがちょうど神様の思し召しのように思えた。

 

 しかしそれは思し召しというよりは、通り越して奇跡。突然、麺が天へとまるで龍のようにうねりながら昇っていった。

 

 意味の分からない光景に大木が、見下げていた床から視点を天へと移す。すると、

 

「な、なんだ?」

 

 見上げるとフックに吊っていたロープが、虚空の豚を抱き、とても軽そうに揺れている。

 

 まさか本当に奇跡が起こったわけじゃあるまい。特にロープがほどかれた様子もない。突然消え失せた太っちょの捕虜。大木は意味が分からず驚いた。

 

「い、いったい……!?」

 

 肉付きのいい顎をさすりながら、今起こったミステリーに天を仰ぎ、大木は訝しんだ。

 

「おーい、もしもーし」

 

 その時、ぼんやりと天にぶら下がる縄の揺れを見上げていた、そんな大木の左の頬をつついた節くれだった謎の指先。

 

「なっ、なっ、だっだれ!?」

 

 振り向くだらしない肉を押す、しなやかな指先から伝ったのは、謎の振動。ぷるぷると頬肉が勝手に揺れ動く、そこに恐怖を感じる間もなく、ただソイツの指先から意味の分からない〝波動〟が伝っている。

 

 震える、震える、震えつづける。指先から流れ続ける未知のパワーが、汗だくの太った男を支配する。

 

 そして今、爽やかな笑顔で微笑んだ黒髪の貴公子が、指を刺していた悪どい豚の面を弾いた。

 

 一瞬にして額を打ったのは、デコピン。太った男が指先一つで、後ろへと横転しながら真っ直ぐに弾け飛ぶ。

 

「そこはカレーだろ。おデブの風上にもおけねぇ、シーフードなんてぬかしやがって。まったく──ごちそうさま」

 

「おへほ……へシ……がくっ……」

 

 物置棚に激しくぶつかった太った男は、蟹のように口から泡を吹きながら倒れた。

 

「38分ってとこか……親父に教わった〝蛙の死んだふり〟ってのも楽じゃないぜ。まぁ、千の任務をこなすにはこれぐらいで弱音を吐くなってか、分かってるよ。──さてと、ご苦労にも案内された蛇の腹んなかには、一体どんなくすんだ色の花が咲いてやがるか。先ずは省エネで探ってみるか」

 

 縄の跡がついてしまった引き締まった手首を揉みながらほぐす。

 

 雌伏して時を待つ必要はもうない。されど、縄から抜けた今は、無駄に印を使用することもないことに百地大地は、状況を整理し語っている途中にも気づく。

 

 ギャップのある体をほぐし終えたら、また省エネモードへと切り替える。へこんだお腹その中心にある臍に親指を突っ込み、反時計回りに勢いよく捻った。

 

 物置部屋に立つしゅっとした細身の男の影が、次への扉を開き、大きな影となった────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慌てふためくことのない図太い悪が鎮座する繁華街地下、牙の間にて──。

 

 蛇のため息により気を失っていた緋ノ小隊の鼻・藤林夜翠は、今ぼやける暗色の視界の中。いつもとは勝手が違う己の身にただならぬ異常と寒気を感じながらも、ゆっくりと重い瞼をこじ開け……その目を覚ました。

 

「流石は名門藤林、お目覚めが早い。本家ともなると分家の雑魚とはスペックが違うようだな」

 

 眠りこけた古林綾女の三つ編みの髪を掴みながら、尾神牙は笑った。

 

「ここ……は……ッ綾女になにを!」

 

「しぁははは、別に何もしちゃいねぇ。ただ少々味見をしていただけだ。分家とはいえ藤林、艶はなかなか悪くはなかったぞ」

 

 捕らえたクノイチの首筋に、自身の冷たい蛇舌を這わせる。そして、その首筋に残る斑点のような噛み跡を、夜翠へと、尾神は見せつけるようにアピールした。

 

「これは優しい服従の毒だ。今はじわりじわりお前たちの体の機能を蝕んでいく、そんな素敵なオードブルだ」

 

 「お前たち」緑のフードの男が放ったその言葉に、既に夜翠は自分が同じように奴に噛まれていることに気づいた。

 

「何が忍びの血だ、印だ、歴史だ。今も昔も変わらず全てを凌駕するのは、そう〝毒〟だ!! 人が一番に恐れ研究を重ねてきた、そして幾多の王を始末してきた神の慈悲にも等しい雫だ」

 

 捕らえた忍びどもに対して、尾神牙は昂った様子でご高説を垂れ流す。毒の歴史が忍びの歴史を勝らんとも言わんばかりに、勝手な解釈を宣い出した。

 

「さぁどうだ怖くなってきたか藤林の末裔。高潔なるその血がッ、じわじわとッ、内側から痺れッ、犯されていくのが!!」

 

 この気怠い体には確実に得体の知れない毒が回っている、ブラフではない。

 

 そう勘づいてはいるものの、藤林夜翠はしかし、なおも強気な顔で男を睨み返す。

 

「フンッ……それで優位に立ったつもり、いかにも……姑息な小者のやることね」

 

 そう語気を強めて、身を蝕みつつある痺れや震えを隠すように言い放った。

 

(亜水骨さえあれば……タイミングを合わせ、水の印で──)

 

 こうして捕まってはいるが、まだチャンスはある。陥った悪い状況にもどうにか考えを切り替え、冷静にも耐え忍ぶ夜翠は、動揺した様子を見せない。

 

 痺れる己の体のどこかに眠っているはずの、もう一つの手足にも等しい一欠片の感覚を、今集中し探した。

 

「ははははは、たまんねぇな。その姑息さがこうしてまわりまわって、お馬鹿な鼠の生死を司っているってんだからよー! そんな生意気に見せる面も、その小さな身に余ったひと匙の負け惜しみさえ可愛く見えちまう。──探しものはこれか、しぁははは」

 

 忍具の亜水骨が男の足元へと落ちる。夜翠はその床に落ちた白い骨を見て、もう一度にやつく男と睨み目を合わせた。

 

「なにが目的……」

 

「別に何が目的でもねぇ、ただ、半端な奴らを淘汰する方法を俺は良く知っている」

 

 問う夜翠に、尾神は意味深にも答えた。そしてまた、口角を三日月に歪めながら得意げに何かを語り出した。

 

「その毒は俺の血を混ぜた特別製。俺の体に刻まれた印を反応させれば、潜伏するそれらは配列を変え、優しい死神が地獄の釜で煮詰めた劇毒にも、はたまたイカれた天使の作った至福の薬にもなる。──てめぇらの命は、まさに俺の描く気分しだいだ」

 

 既に噛まれた首筋より二人の忍びの者へと回った服従の毒は、死神の作る劇毒にも天使が作る怪しげな薬にもなると、尾神は両手を広げながら笑い宣った。

 

「さぁどうする名門藤林のお嬢さん? 最高に幸せな服従の続きか、それともこの──分家のゴミと仲良く悶え死ぬ……そんな愚鈍(すてき)な結末か?」

 

 三つ編みの忍びを片手で人形のように持ち上げ掴みながら、尾神は問う。

 

 提示されたそこに選択肢はあるのか。

 

 冷たい鉄枷に四肢は封じられ壁に磔にされた夜翠は、体が痺れて動くことがまるでできない。

 

 男が余ったと片方の手を翳すと、不思議と思考も視界もぼやっとする。この身を蝕む未知の毒に、意識を保っているのがやっとだ。

 

 尾神は足元のカタカタ音を立てていた忍具を、横へと蹴飛ばす。

 

 泥のように淀む思考の中でも夜翠が諦めずに企んでいた希望が、ぽちゃりと、部屋の端の溝に落ちた。

 

 最も簡単に頼りの武器を失う。虚しい水音が部屋に響いた。

 

『教科書通りに物事が進むと思ったか? おもしれぇぐらいに馬鹿だなオマエ! シァははははは』

 

 茶色の三つ編みから手を離し飽きたようにそれを地に捨て、やがて、ずけずけと近づいた無遠慮な足音。

 

 緑のフードの男が磔の藤林夜翠の耳元で、彼女のことを嘲った。

 

 それでも嗤う蛇の毒は回りつづける。彼女の持つ希望を、プライドを、尊厳を、次々と沼の淵へと沈めるように────。

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