魔術師とは、自らに問いを持つ者である。
世界は何によって成り立ち、力はどこから生まれ、理はどこまで届くのか。
その答えを、与えられることなく、ただ己の手で掴み取ろうとする者たちだ。
彼らは等しく、探究の徒である。
術式を組み、理論を磨き、再現性を積み重ね、術理の最奥を覗く者たち。
その過程で、問いは常に形を変え、より深く、より鋭く、彼らの内側を抉っていく。
多くの者は、その道半ばで斃れる。
理に届かず、力に耐えきれず、あるいは答えを得たがゆえに、その身を滅ぼす者。
失敗は肉体を焼き、精神を摩耗させ、時に名も残さぬまま、研究記録の余白へと沈んでいく。
それでも彼らは、立ち止まらない。
なぜなら問いは、解かれることを拒みながら、解かれずにはいられない呪いだからだ。
理解できないものを前にして、背を向けることができない。
世界が滅亡するならば、滅亡の理由を暴かずにはいられない。
魔術師とは、力を求める者ではない。
真理を欲する者ですらない。
ただ、自らに芽生えた問いを、最後まで抱え続けてしまった者たち――
魔術師とは、そんな愚か者の総称である。
◇
高所に開けたその場所は、風がよく通った。
切り立った岩場の縁に立てば、眼下には緩やかにうねる大地と、遠く霞む山並みが広がっている。
空は高く、雲は薄く引き伸ばされ、陽光は過不足なく地表を照らす。
そんな景色のいい場所だった。
――ただし、足元を見なければ。
岩場一帯には、魔物の死骸が折り重なるように転がっていた。
獣型のもの、節足のもの、翼を持つもの。それぞれは肉体は裂け、焦げ、凍り、あるいは原型を留めないほど潰れているものもある。
血の乾いた匂いと、魔力が霧散した後の独特の澱んだ気配が、空気の底に沈殿する。
それら死屍累々の中心に、一人の少年が立っていた。
「あ〜、これもダメかぁ」
少年は、あまりにも気の抜けた声でそう呟いた。
彼の身には、くすんだ灰のローブが纏われている。背広に杖と瞳の刻印がされている。
実用本位の仕立てで、袖や裾には何度も補修された痕跡があり、誰もが想像するような魔術師と言った風体。
少年――レーヴェは、片手に小さな手帳を持ち、もう片方の手で羽根ペンを走らせている。紙面には細かな文字と、魔術陣を思わせる図形、注釈めいた記号が無秩序に書き込まれていた。
「……うーん。やっぱり何かの条件が足りないのか? 術式自体は成立してるはずなんだけどなぁ」
ぼくの計算が間違ってる?
それとも、前提そのものが違う?
レーヴェは手帳を閉じ、軽く息を吐くと、ローブの内側に下げたポーチへと手を突っ込んだ。革製のそれは見た目以上に物が入る。指先が紙の感触を捉え、彼は新しい手帳を取り出した。
「次は……ここから試すしかない、か。仮説としては間違ってないはずなんだけど……ああ、でも、前提条件の再定義が甘いのかもしれないなぁ」
ぶつぶつと独り言を重ねながら、ページを開く。
死骸に囲まれた状況であるにもかかわらず、彼の声音に緊張はない。研究対象を前にした魔術師特有の、思索に沈む狂気だけがあった。
そのとき——。
死体の山の一角が、不自然に蠢いた。肉片の下、折れた外殻の影。
致命傷を免れ、息を潜めていた魔物が、好機と見たのだろう。地を蹴り、牙を剥き、一直線にレーヴェへと襲いかかる。
「ガァァァッ!!!!」
「……ああ、まだ生きてたんだ」
感想めいた一言の直後。
「《擬似奇跡:火焔たる我が主人》」
次の刹那、豪炎と呼ぶに相応しい炎が、魔物を包み込む。
暴力的な熱量。圧倒的な光量。
それは確かに、すべてを焼き尽くすはずの炎だった。
しかし――燃えたのは、魔物だけ。
周囲の死骸には一切引火せず、草一本焦げず、風景は何事もなかったかのように保たれている。炎は、魔物の存在だけを選び取ったかのように、跡形もなく消え去った。
灰すら残らない。
レーヴェはその光景を見下ろし、ふぅ、と息を吐いた。
「……はぁ」
深いため息。
「やっぱり、ダメか。威力も低いし。……これじゃあ、奇跡とは言えないんだよなぁ」
彼は手帳を見下ろし、ペン先を紙に当てながら、もう一度呟いた。
また失敗だ、と。そう呟きながら、レーヴェは帰路に着くのだった。
◇
村の中央、寄合に使われる大きな家の中。
年季の入った長机を挟み、レーヴェと村長は向かい合っていた。
「この度は……村を救ってくださり、本当に。本当にありがとうございます」
村長は深く頭を下げた。
皺の刻まれた顔立ちは、年齢以上に老けて見える。痩せた体つきは、ここしばらくの苦労を物語っている。
「いえ。依頼された仕事をしただけですので」
レーヴェはそう答え、軽く首を振った。
声音は柔らかく、距離を保った丁寧さがある。誰に対しても向ける、彼なりの礼節だった。
「魔物の被害がこれ以上広がらずに済んだなら、それで十分です」
「ええ……ええ。本当に……。これで、若者も外に出られます」
村長は何度も感謝を述べる。
短い沈黙。その後、やや逡巡するように視線を伏せたあと、意を決したように口を開く。
「……あの」
「はい」
「ひとつ、お約束の件につきまして……」
その言葉に、レーヴェは内心で小さく息を整えた。
来たか。
彼は鷹揚に頷く。
「ええ。依頼の際に、お願いしていたものですね」
村長は一瞬、言い淀んだ。
それから、慎重な動作で、部屋の隅に置かれていた木箱へと歩み寄る。
「はい、その通りでございます」
そう言いながらも、箱の蓋を開ける手つきには、ためらいが滲んでいた。
「……ただ、その……」
中から取り出されたのは、一冊の書物だった。
古びた革装丁。背表紙はひび割れ、角は丸く削れ、長い年月を経たことを雄弁に物語っている。
「……本当によろしいのですか?」
村長は書物を両手で抱え、レーヴェを見た。
「依頼後に、このようなことを言ってしまって申し訳ありませんが、その……」
「構いませんよ」
「ええ……ですが、これは……」
彼は視線を落とし、書物を撫でる。
「私の爺さまの、ひいじい様の代から、この村で管理してきたものです。代々、『勇者の書』だと伝えられてきました」
その声音には、誇りと同時に、諦観が混じっていた。
そして、意を結したようにレーヴェへと視線を向ける。
「ですが……正直に言ってしまえば、本物だとは、思っておりません」
村長は顔を上げる。
「あなた様のような、高名な魔術師様であれば……存じておられるでしょう?」
その問いかけに、レーヴェは小さく目を細めた。
「――勇者の書に本物なし、ですね」
「はい」
沈黙が、部屋に落ちる。
勇者。
それは、この世界において、あまりにも有名な存在だった。
勇者とは、人類史において幾度も現れ、幾度も語られてきた英雄である。
魔王を討ち、災厄を退け、国家を救い、世界を救ったとされる者たち。
その力は誇張され、神話化され、時に神そのものと混同されるほどだった。
曰く、一人で魔物軍勢を薙ぎ払った。
曰く、一撃で魔王城を崩した。
曰く、剣一振りで海を割った。
盛られ、重ねられ、膨れ上がった武勇譚は、もはや史実と区別がつかない。
そして――勇者にまつわる書物もまた、同様だった。
勇者の書。
あるいは、勇者譚写本、英雄魔術録、神授の奥義書。
そこには、勇者自身や、その仲間たちが扱ったとされる魔術、神聖術、秘奥義の数々が記されていると伝えられている。
中には、失われた術式や、現代では再現不能とされる理論も含まれているという。
だが、それらはあまりにも多く写され、あまりにも多く偽造された。
各国が競って探し求め、買い集め、奪い合った結果、
原本がどれであったのか、そもそも原本が存在したのかすら、分からなくなってしまった。
とりわけ有名なのが――
勇者を召喚したとされる魔法使い、エーガスの名で記された書である。
曰く、勇者召喚の秘技。
異界より英雄を呼び寄せる術。
神の意志を介さず、神の御技を行使する方法。
その噂を追い、各国は動き、金が、血が流れた。
結果として、偽物は氾濫し、原本は失われ、真偽を判別する術すら消え去った。
世界には無数の「勇者の書」だけが残された。
村長は、レーヴェに書物を差し出した。
「……ですから、これは」
「いえ、別に本物でなくても、構わないんです」
レーヴェはそう言って、書物を受け取った。
革表紙の感触を確かめるように、指先でなぞる。
村長は、その仕草から目を離せなかった。
「もしも、手に入ったら。そう考えている時が一番楽しいですから!」
読んでくださりありがとうございます!!