超常のレーヴェ   作:さぁ

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激突

 最初に動いたのは、ノイノだった。

 

 怒号が響き、刃が抜かれ、部下たちが一斉に前へ出ようとした――

 その、直前。

 

 ノイノの姿が、掻き消えた。

 

「――はい、ストップ」

 

 声は、屋敷の中央ではなく、敵の背後から聞こえてくる。

 

「……なっ――」

 

 振り向く暇すら、なかった。

 

 ノイノが使った魔術は、至って単純である。

 複雑な術式も、精緻な魔力操作も介在しない。

 彼が行っているのは、肉体そのものを魔術媒体として直接、書き換える魔術。

 

 筋繊維の瞬間的な過剰収縮。

 関節可動域の強制拡張。

 神経伝達速度の異常加速。

 

 魔術によるシンプルな身体の大強化。

 だがその瞬間、彼の身体は人間という枠組みを容易く踏み越える。

 

 ノイノが通過した軌跡に、遅れて風が追いつく。

 空気が引き裂かれたような音が、一瞬だけ遅れて屋敷に広がる。

 

 次の瞬間、前列にいた男たちがまとめて宙を舞った。

 

 ――衝撃音。

 

 それは殴打の音ではなかった。

 圧縮された空気が一気に解放される、破裂音だ。

 

 ノイノの拳が最初の男の鳩尾を貫く。

 間を置かず肘打ち。回し蹴り。背後へ回り込んでの掌底。

 

 動きは流れるようで、無駄がない。

 そして、当たる部位はすべて急所。

 

 骨が鳴る乾いた音が、連続して響く。

 呻き声が立ち上がるより先に、意識が刈り取られていく。

 

 十名余りの男たちが、糸を切られた人形のように床へ崩れ落ちた。

 

 時間にして、ほんの一瞬。

 

「はいはい、終了っと」

 

 ノイノは軽く肩を回しながら言った。

 

「悪いね。力加減、ちょっと忘れてた」

 

 その言葉とは裏腹に、表情はいつも通りだ。

 冗談めいた口調。戦闘の最中とは思えない気の抜けた声。

 床に転がる十数人の男たちは、誰一人として立ち上がらない。

 

 それを見て、ドラゴラは無意識に息を呑んだ。

 

(……一瞬、だと?)

 

 理解が、追いつかない。ここには側近などの実力の高いものも多くいたはず。

 それが雑魚と同じように吹き飛ばされている。

 だが、考える暇は与えられなかった。

 

「さぁさぁ!!」

 

 甲高く、弾むロスティアの楽しげな声。

 

「次は、わたくしの番ですわね!!」

 

 彼女は両腕を大きく広げ、魔力を解放する。

 周囲の空気が、陽炎のように歪み始めた。

 

 ロスティアの魔術は、爆発である。

 

 圧縮し、膨張させ、破壊する。本質的には、それだけの現象。

 だが彼女は、その単純な力を極限まで研ぎ澄まし、異常な精度へと昇華させている。

 

「――っはは!!」

 

 高笑いと同時に、光が弾けた。

 

 次の瞬間、敵の一団が消し飛ぶ。壁も、床も、天井も無傷。

 破壊されたのは、人間だけだった。爆心地のすぐ脇に積まれていた書類や本には、焦げ跡ひとつ残っていない。

 

 制御。圧縮。爆発。

 

 彼女の緻密な魔力制御技術は爆発を対象以外の一切に影響を与えない。

 

「安心なさいな!」

 

 ロスティアは心底楽しそうに言った。

 

「レーヴェの本や手帳には、一切触れさせませんわ!!」

 

 それは誇示であり、同時に彼女なりの信頼の示し方でもあった。

 

 ドラゴラは歯を食いしばる。

 

(……こっちも一瞬かよ)

 

 部下たちは、次々と倒れていく。

 抵抗らしい抵抗もできないまま。

 

 そして、ようやく気づいた。

 

 ――分断されている。

 

 ノイノとロスティアは、あくまで周囲の掃除をしているだけだ。

 自分の視界の中心には、最初から――

 

 一人しか、いない。

 

 少年のような魔術師が、静かにこちらを見ていた。

 

 年齢不詳の顔立ち。

 緊張感の欠片もない立ち姿。

 それでいて、視線だけが異様に鋭い。

 

(……タイマン、か)

 

 ドラゴラは小さく舌打ちする。

 

「ずいぶん、丁寧な段取りじゃねぇか」

 

 レーヴェは、軽く肩をすくめた。

 こちらのことをなんの脅威とおもってない舐めた目。

 

「別に君たちが逃げる可能性を、全部潰しただけだよ」

 

「はっ……!」

 

 ドラゴラは鼻で笑う。

 

「賢者会ってのは、揃いも揃って嫌な性格してやがる」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 そのやり取りの、次の瞬間。

 

 レーヴェが手帳に魔力を流し込んだ。

 同時に、ドラゴラが踏み込む。

 

 巨体に似合わぬ初速。

 鍛え抜かれた筋肉。

 実戦で磨かれた鋭い殺意。

 

 踏み込みと同時に、全体重を乗せた拳を叩き込む。

 確実に致命を取るための、迷いのない突進。命中すればレーヴェなど瞬殺されるだろう。

 

 ――だが。

 

 踏み出したその瞬間で、世界が引き伸ばされた。

 

 動いている。

 確かに前へ進んでいる。

 それなのに距離が、縮まらない。

 

 床を蹴る感触はある。足を動かしている感触も、呼吸が荒くなる感覚もある。

 それでも、レーヴェへの位置だけが変わらない。

 まるで、空間そのものがゴムのように引き延ばされているかのようだった。

 

「……何、しやがった」

 

 レーヴェは、困ったように、しかしどこか楽しげに微笑んだ。

 

「魔術だよ」

 

 ◇

 

 レーヴェの問い。それは――

 

 ――超常と呼ばれるものを、再現可能な術理として成立させること。

 

 たとえば、奇跡。

 たとえば、呪い。

 たとえば、魔法。

 

 そして、そのどれにも属さない無数の不可解。

 

 世界には、どうしても説明のつかない現象が存在する。

 それらは常に、「選ばれた存在」や「神の恩寵」という曖昧な言葉で括られてきた。

 

 レーヴェは、それが我慢ならなかった。

 

 理解できないから特別扱いする。

 再現できないから神秘で済ませる。

 

 その思考停止が、彼には耐え難かった。

 

 再現できないのは、理論が足りないからだ。

 再現できないのは、条件が洗い出せていないからだ。

 

 故に、彼は研究した。

 同時に、それは艱難辛苦の始まりであった。

 理論も、実験も、数値も揃っている。

 しかし、それらは模倣に過ぎない。

 

 奇跡とは万能である。

 だが、彼の術理は万能を再現できない。

 条件を揃え、結果を限定し、ようやく似た現象を引き起こすだけだ。

 そんなものは奇跡ではない。

 

 呪いとは天災である。

 だが、彼の術理は天災になりえない。

 制御され、術式に縛られ、意図された範囲でしか牙を剥かない。

 そんなものは呪いではない。

 

 魔法とは超克である。

 だが、彼の術理は世界に蔓延る法則を御しきれない。

 あくまで既存の法則の内側で、理屈通りに振る舞う。

 そんなものは魔法ではない。

 

 安全で、再現性があり、応用も利く。

 その一方で――決定的に、越えない。

 

 奇跡の代用品。

 呪いの劣化。

 魔法の影。

 

 器用であるがゆえに、どれにもなれない。

 それが、彼の問いたる研究だった。

 

 ◇

 

 距離が、縮まらない。

 

 否。

 正確には――縮まっているはずなのに、果てしなく遠い。

 

 踏み込みは成功している。

 筋肉は命令通りに収縮し、床を蹴る感触も確かにある。

 しかし、それだけだ。まるで殺すための一歩を、何度も繰り返しているかのような違和感。

 

「……ちぃ……!」

 

 ドラゴラは歯を食いしばった。

 理解できない現象を、力でねじ伏せようとする癖が、ここでは完全に裏目に出ていた。

 

 その様子を、レーヴェは静かに観察している。

 

 焦っていない。

 急いでもいない。

 

 まるで、実験の経過を見守る研究者のようだった。

 

「ねぇ」

 

 唐突に、レーヴェが口を開く。

 

「最古の呪いは、人から生まれたって知っているかい?」

 

「……は?」

 

 唐突すぎる問いだった。

 戦闘の最中だということを、まるで忘れているかのような口調。

 

「始まりの呪いを作ったのは、神でも、悪魔でもないんだって」

「最初の呪いは、人が人に向けた言葉だったらしいよ」

 

 ドラゴラは、舌打ちする。

 

「何が言いてえ……!」

 

「まぁ、聞きなよ」

 

 レーヴェは、淡々と続ける。

 

「呪いっていうのはね、本来はあり得ないものなんだ。信仰者の祈りでも起こらず、魔力であっても同じものはできない。じゃあ、呪いとは何か……」

 

 レーヴェが一歩、踏み出す。

 ドラゴラとの距離は、相変わらず変わらない。

 

「そうなるだろうって、誰かが思った想い。それが現実に起こってしまっただけなんだよ」

 

「……何を、言ってやがる」

 

「たとえばさ」

 

 レーヴェは、ほんの少しだけ首を傾げる。

 

「『そんな姿勢だと――倒れるよ』」

 

 その瞬間。

 ドラゴラの膝が、がくりと沈んだ。

 

「……っ?」

 

 体勢が、崩れる。

 踏み込んでいたはずの脚が、どんどん重くなる。

 

「『どうしたんだい? 苦しそうだね』」

 

 呼吸が、詰まる。

 

 胸が圧迫される感覚。

 肺に空気が入らないわけではないのに、息が足りない。

 

「な……ッ、ぐ……!」

 

 喉が鳴る。

 空気を吸っているはずなのに、肺に届かない。

 

 心臓が、異様なほど強く脈打つ。

 一拍ごとに、内側から胸を殴られるような感覚。

 視界の端が滲み、暗転しかける。

 

「これが、呪いだよ」

 

 レーヴェの声は、驚くほど静かだった。

 手帳に刻まれた術式が、淡く光を帯びる。

 

「【擬似呪禁:反照言語(ミラー・ワード)】」

 

 言葉を、現実のものとする。

 それが、最古の呪いの本質だ。

 

 レーヴェが行っているのは、その再現である。

 

「本物の呪いみたいに、何でも起こせるわけじゃないんだけどね」

 

 一歩、距離を詰める。その間にもドラゴラは苦しそうに倒れこんでいる。

 

「再現性の担保。魔術の拡張性。安全性の確保。それらを両立させるためにたくさん研究したんだよ。でも、全部失敗した。だから僕はね――条件を絞ったんだ」

 

 レーヴェは目の前のドラゴラを、真正面から見据える。

 

「今回はそうだな。……君自身が体験したことのある行動だけが対象だね」

 

 言葉が、落ちる。

 

「覚えはないかい? 疲れ切って倒れたこと」

「覚えはないかい? 息もできず、立っていられなかった瞬間」

「戦いの果てに、身体が言うことをきかなくなった経験」

 

 ドラゴラの脚が、震えた。

 

 踏ん張ろうとしている。

 だが、力が入らない。

 

「君は忘れたかもしれない。でも、体は覚えている」

 

 レーヴェは、淡々と告げる。

 

「それを、今ここで思い出させているんだ」

 

 レーヴェはニコリと笑う。

 そして、講釈に満足したのか手帳のページを一枚、めくった。

 

「じゃあ――終わりにしようか」

 

魔力が、収束する。

空気が軋み、視界の奥で見えない何かが引き絞られていく。

足元から重力が増し、世界そのものが、ゆっくりと沈み込んでいく錯覚。

 

「擬似奇跡――」

 

 レーヴェは、淡々と告げる。

 

「【主の威光は、愚者を跪かせる】」

 

 空間が、軋んだ。

 右からでも、左からでもない。

 上から押し潰されるような圧力。

 

「――ぐ……ッ!」

 

 ドラゴラの膝が、床を打つ。

 耐えようと踏み締めた脚が、震え、軋み、悲鳴を上げた。

 

 筋肉が、骨が、内臓が――

 存在そのものが、上から押し潰されていく。

 逃げ場はない。抗う余地もない。

 

 ただ、跪けと命じられている。

 

 ――ドン。

 

鈍い衝撃音が、屋敷の奥まで叩き込まれた。

 

巨体が制御を失い、床へと叩き伏せられる。

床石が悲鳴を上げ、蜘蛛の巣状のひびが一気に広がった。

 

抵抗はない。叫びもない。

衝撃が意識を追い越し、思考が闇に沈む。

 

――沈黙。

 

やがて、その場に滞留していた魔力が、熱を失うように霧散していく。

ロスティアは、ドラゴラの顔を覗き込んだままレーヴェに言う。

 

「あら。もう終わりですの?」

 

「うん。もう満足だよ」

 

「ふ〜ん。優しいですのね」

 

「相変わらず、すごいねその魔術」

 

「……いや、そうでもないさ」

 

 レーヴェは、手帳を閉じながら、小さく笑った。

 その視線は、自分の手に落ちている。

 

「本物の呪いや奇跡には、程遠いよ」

 

 ただの事実として、そう呟いた。








読んでくれてありがとう!!
第一部完。第二部始まります。
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