超常のレーヴェ   作:さぁ

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誘い

 ――まずい。

 

 本当に、まずい。

 

「……あああああ、まずい……!」

 

 宿屋の一室で、レーヴェは頭を抱えていた。

 ベッドの上に座り込み、指を髪に突っ込んでぐしゃぐしゃとかき回す。

 

「まずいまずいまずい……」

 

 状況は、冷静に考えるまでもなく詰んでいた。

 

 これまで、彼はうまく立ち回ってきた。

 進捗報告は曖昧に。

 途中経過は大げさに。

 仮説段階の理論を、あたかも一歩手前まで来ているかのように書き連ねる。

 

 ——実験途中だ。

 ——理論の再検証が必要だ。

 ——資料の精査に時間を要している。

 

 どれも嘘ではない。嘘ではない、が。

 

「……成果、出てます、なんて……言えるわけないだろ……」

 

 レーヴェは、机の上に置かれた一通の封書を見つめた。

 賢者会の刻印。簡潔な文面。

 次回報告の期限と、支援継続の可否についての確認。

 

 賢者会は組織である。

 そして、組織は研究者に慈悲を与えない。

 

 レーヴェは、賢者会から研究費を受け取っている。

 移動費、資料代、実験補助金。

 名目はいくつもあるが、本質は同じだ。

 

 ——投資。

 

「……成果もないのに、金だけ使ってます、なんて……」

 

 言葉にしただけで、胃の奥がきりきりと痛んだ。

 

 もし、正直に申告すればどうなるか。

 

 それなら、まだいい。

 肩書きを失い、支援を失い、ただの流浪の魔術師に戻るだけだ。

 

 それだけなら、まだ――最悪、構わない。

 

「……それで済む、とは限らないんだよなぁ……」

 

 賢者会は、停滞を最も嫌う。だが同時に、無能な浪費もまた、忌避される。

 

 成果を出せない研究者。

 しかも、資金だけは消費し続けている研究者。

 それは、排斥の対象である以前に、処理すべき問題として扱われかねない。

 

「……除籍なら、いいんだけどさ……」

 

 ぽつりと、独り言が零れる。

 

「このままいったら……何されるか、分かったもんじゃない」

 

 最悪の場合――。

 

 思考は、そこで止めた。

 想像するだけで、背筋が冷える。

 

 レーヴェは、深く息を吸い、吐いた。

 

「……成果」

 

 必要なのは、それだけだ。しかし、それが果てしなく遠い。

 

 どんな形でもいい。小さくてもいい。

 理論の一歩でも、実証の端緒でも。

 

 賢者会に示せる、何か。

 

「……でもさぁ……」

 

 床に散らばる勇者の書たちに、視線が落ちる。

 472冊の模倣品。そして、手帳に書かれた魔術理論。

 

「これを成果って言えないよねぇ……」

 

 再び頭を抱え、レーヴェはうなだれた。

 

「……ほんとに、どうしよ」

 

 これ、詰んでない?

 

 レーヴェは、頭を抱えたまま天井を見つめた。

 いや、詰んでるね。どう考えても。

 

 成果は、——ない。

 金も、——ない。

 猶予も、たぶん、もう――。

 

「……えっ、無理では?」

 

 口に出した瞬間、急に現実味が増した。

 無理だ。普通に無理だ。

 

「……逃げる?」

 

 ぽつりと漏れた言葉に、自分で自分が驚く。

 

 脳裏に、賢者会の名がよぎる。

 あの組織から何も言わずに消えるという選択肢が、果たして現実的なのかどうか。

 

 ――考えるな。

 

 レーヴェは、半ば衝動的に立ち上がり、ローブの内側に下げたポーチへと手を突っ込んだ。

 

「……とりあえず、これ持って消えよ……」

 

 床に散らばった勇者の書を、次々と掴んで放り込む。

 これがなければ、今まで何もしてこなかった無能に成り下がる。

 それだけは、レーヴェも許容できなかった。

 

 そう思った、その瞬間だった。

 

 ――キィィィィィン、と。

 

 金切り声にも似た、高い音が部屋に響いた。

 

「……っ!」

 

 反射的に身を強張らせる。

 

 音の正体は、ローブの内側、胸元に近い場所からだった。

 小さな石のような端末が、淡く光りながら振動している。

 

「……うそでしょ……」

 

 レーヴェは、それをよく知っている。

 

 賢者会に所属する者へ配られる、連絡用の端末。

 連絡。あるいは、直接通達。

 

「……来た?」

 

 心臓が、嫌な音を立てた。

 足が、ガクガクと震えたってられなくなる。

 

「いや、でも……まだ期限、あったよね……?」

 

 つい数日前に確認したばかりだ。

 猶予は、確かに――。

 

「……なんで、今……?」

 

 端末は、容赦なく鳴り続ける。

 

 出たくない。

 今は、絶対に、出たくない。

 

「……無理無理無理無理……」

 

 だが、このまま放置すればどうなるか。

 それも、容易に想像がついた。

 

 ――逃げ場が、消える。

 

 レーヴェは、ぎゅっと目を閉じ、深呼吸を一つ。

 

「……すいません……」

 

 誰にともなく呟いてから、端末に魔力を通した。

 光が広がり、空中に像が浮かび上がる。

 

「す、すいません!! もうちょっとだけ待ってください!! 本当に、もう少しで……!!」

 

『レーヴェ!! げんきーーーー!!!』

 

 土下座しかねない勢いで叫んだ、その瞬間。

 やたらと明るい声が、被さった。

 

「……は?」

 

 拍子抜けして、思わず声が漏れる。

 

 恐る恐る、顔を上げる。

 端末の向こうに映っていたのは、見知った顔だった。

 

 爽やかな整った顔立ち。がっしりとした体格。

 魔術師というより、前線に立つ兵士のような風貌。

 

「……ノイノ……?」

 

『おー! ちゃんと出てくれた! いやさ、呼び出し鳴らしても全然出ないから心配だったよ!』

 

「…はぁー………脅かさないでよ……」

 

 心底疲れた声で言うと、ノイノはきょとんとした表情を浮かべた。

 

『え? なんで?』

 

「いや、………いや、別になんでもないよ」

 

『ほんとに?』

 

「ほんと」

 

 レーヴェは視線を逸らした。

 それを揶揄うように、ノイノは続ける。

 

『ふ〜ん、まあいいや。で、レーヴェって研究、進んでないよね?』

 

「……進んでる、よ? 理論的には」

 

『あー、はいはい。理論ね、理論。いつものやつ』

 

「……」

 

 反論できない。ノイノの研究はよく目にしている。

 彼は賢者会の中でも、一目を置かれた才能溢れる若手の一人である。

 そんな彼に言われたら何も言えない。

 

『いやでもさ、分かるよ。俺も前に3年くらい「次で出る」って言い続けたことあるし』

 

「……それ、最終的にどうなったの」

 

『怒られたし、半年間の無給奉仕。いや〜、辛かったよ』

 

「でしょうね」

 

 軽い調子のやり取りに、少しだけ肩の力が抜ける。

 だが、状況が好転したわけではない。

 

『ま、そんなレーヴェに朗報があります!!』

 

 全身を映し、変な決めポーズを決めてノイノはそういった。

 

「……その前置き、嫌な予感しかしないんだけど」

 

『えー? ひどいなぁ』

 

 ノイノは笑いながら、画面越しに指を立てる。

 

『ねえ、今さ。レーヴェ、アリシア王国にいるでしょ?』

 

「……うん。今は、ね」

 

 レーヴェは短く肯定した。

 

 アリシア王国。初代勇者アリシアを祖としている国。

 この大陸の中央に位置する大規模国家で、交易と学術の要衝として知られている。

 魔術に対して比較的寛容で、賢者会の支部も正式に置かれている国の一つだ。

 

『やっぱり!』

 

 ノイノは嬉しそうに頷く。

 

『なら話が早い。建国祭、覚えてる?』

 

「……ああ」

 

 アリシア王国の建国祭。

 建国を記念して毎年行われる大規模な祭典で、王都を中心に数日間にわたって催される。

 

 街には露店が並び、演武や式典が行われ、各地から人と物が集まる。

 そして何より、王国が誇る歴史的遺物や秘蔵の品が、一般にも公開されることで知られていた。

 

『今年、節目の年なんだって。でさ、もちろん露店とかもド派手になるらしいんだ。』

 

 ノイノは興奮したように言葉を続ける。

 

『ねぇ!! 一緒に行こうよ』

 

「……行かない」

 

(雲隠れするところだし……) 

 と、そんな理由を賢者会に所属しているものに言えるはずもなく……

 

「忙しいから。ほんとに」

 

『うん、そうだよね〜』

 

 ノイノは、あっさり頷いた。

 煽るようなその言葉に、イラっとする。長年の付き合いで、それが煽っているわけでないと分かっているが、それでも腹が立つ。

 

「……本当に行かないから」

 

 そう言って、通信を切ろうとした時。

 

『ちょっと待ってよ!! 話は終わってないんだって!!』

 

「……もー、なに!!」

 

 ノイノの表情が、少しだけ真剣になる。

 

『レーヴェさ。勇者の書、集めてたよね?』

 

「……」

 

 息が、止まった。

 

『400冊以上、だっけ? よく集めるよねぇ』

 

「……なんで知ってるの」

 

『賢者会、舐めないでよ。それくらい調べたら分かる』

 

 ノイノは肩をすくめる。

 一拍。そして、次に紡がれた言葉にレーヴェの顔を驚愕へと変えた。

 

『で、その建国祭なんだけどさ』

『なんと、エーガスが書いたとされる勇者の書が、公開されるんだって』

 

 その言葉が、部屋の空気を変えた。

 

「……は?」

 

 逃げる、という選択肢が、音を立てて崩れる。

 

 エーガス。賢者会の礎。

 そして、賢者会が追い続けている存在。

 

 ノイノは続ける。

 

『最近、発見されたって言われてた王家の秘蔵庫に保管されてた勇者の書。エーガスのよく使っていた術式構造と限りなく近いってやつが建国祭で公開されるらしいよ』

 

 レーヴェは、口を開き――すぐに閉じた。

 

 逃げなきゃいけない。

 今は、それどころじゃない。それが本当にエーガスである保証もない。

 

 なのに。

 

 心臓が、嫌なほど強く脈打っている。

 

『ね?』

 

 ノイノは、楽しそうに笑った。

 

『行かない理由、まだある?』







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