(……殺す!!)
レーヴェは、激怒した。
必ずや、かの卑劣極まりない盗人を弑す。そう、決意した。
怒りで視界が赤く染まる、という表現があるが、今のレーヴェはそれに近かった。
冷静であろうとする理性が、内側から叩き割られていく感覚。
——盗み?
——金?
違う。
(僕の……僕の研究資料!!)
床に整頓してあったの本。
術式を書き込んでいた手帳。
ページの端が擦り切れるほど読み返した参考文献。
それらは、単なる「資料」ではない。
自分の時間であり、人生であり、研究そのものだった。
それを、それを……!!!
「……っ」
喉の奥で、言葉にならない音が詰まる。
レーヴェは、他人が苦手である。
人混みが嫌いで、視線が嫌いで、会話の間が嫌いだ。
だからこそ、書物と向き合い、その中に居場所を作ってきた。
その場所を、土足で踏み荒らされた。
「……殺す」
低く、はっきりとした声だった。
それを聞いて、ノイノが立ち塞がる。
両手を上げるような仕草で、ノイノは慌てて口を挟んだ。
「……いやいや、待って待って。王都で殺しはまずいって。さすがに」
「まずいとかじゃない」
レーヴェは、ぎり、と歯を噛み締めた。
冷静になろうとしても、次から次へと怒りが込み上がってくる。
「……許せない」
怒りは、まだ収まらない。
むしろ、言葉にしたことで輪郭を得て、さらに鋭くなった。
「それに犯人も見当つかないのにどうやって殺すのさ」
「探す」
「どうやって?」
ノイノの問いに、レーヴェは言葉に詰まった。
——そうだ。
探す、とは言ったものの。
自分が常に持ち歩いている魔術は、攻撃系と防御系が中心。
結界、迎撃、逃走補助など。あくまでも、旅の安全を優先した結果である。
探索系。
追跡系。
それらは、すべて宿に置いてきていた。
「……っ」
無意識に、拳を握る。
再び、怒りが燃え上がる。
「……ノイノ」
レーヴェは、顔を上げた。
目は鋭く、切羽詰まっている。
「手、貸して」
その言葉に、ノイノは即座に頷いた。
「いいよ」
だが、続けて。
「……でもさ。一旦、賢者会に行かない?」
「……」
「アリシア王都支部。あそこなら触媒も揃ってるし、探知系の術式も組める。今の装備じゃ、正直しんどいでしょ」
理屈は、正しい。
正しすぎるほどに。
レーヴェは、唇を噛んだ。
賢者会。
今、最も顔を出したくない場所。
成果を出せず、誤魔化し続け、逃げ腰になっている組織。
だが。
犯人を捕まえるためには、手段が要る。
感情だけで動いても、勇者の書は戻らない。
「……っ」
悔しさが、胸に広がる。
レーヴェは、数秒間、その場で立ち尽くした。
そして。
「……分かった」
絞り出すように、そう言った。
「行こう。賢者会」
嫌だからなんだ。そんなことで勇者の書は戻ってこない。
犯人を捕まえるために。勇者の書を取り戻すために。
レーヴェ・カルドリーチは、この日、最も避けたかった場所へ向かうことを選んだ。
◇
賢者会アリシア王都支部。
それは、王都の最南端に位置している。
王城から最も遠く、主要な交易路からも外れ、建国祭の喧騒が嘘のように届かない場所。
白い石畳と華やかな装飾が途切れた先に、唐突に現れる無骨な建造群が、その存在を示していた。
外見だけを見れば、研究施設というよりは要塞に近い。
装飾性は皆無。窓は少なく、壁は分厚く、無駄に堅牢だ。
だが、その真価は外側ではない。
賢者会支部には、複数層に重ねられた特殊な結界が張り巡らされている。
視覚遮断、音響遮断、魔力反応の歪曲、空間認識の撹乱。
魔術を知らぬ者が近づけば、そこに「何か」があることすら認識できない。
正規の手続きを踏み、賢者会に所属する者のみが通過を許される。
それ以外の存在にとっては、地図に載らない空白地帯だ。
——時に、なぜ。
なぜ、賢者会の支部は、王都の最南端に置かれているのか。
利便性だけを考えれば、王城に近いほうがいい。
王権との連絡、資材の搬入、人材の移動。
どれを取っても、中心部に拠点を構えたほうが効率的だ。
にもかかわらず、国はそうしなかった。
理由は、単純である。
――ドォンッ!!
突如として、爆音が響いた。
地面が震え、空気が一瞬遅れて叩きつけられる。
続けて、何かが倒壊する鈍い音が、支部の奥から連鎖するように広がった。
砂埃が舞い、結界の一部が淡く明滅する。
「……」
支部の敷地内を歩いていたレーヴェとノイノは、揃って立ち止まった。
「相変わらず派手だねぇ」
「……ね」
レーヴェは、感情の起伏をほとんど見せずに答えた。
慣れている。嫌というほど。それこそ、所属していた支部にいた頃は日常のように見た景色だ。
倒壊した建物の瓦礫が、ごろり、と音を立てて動いた。
次の瞬間、その下から、人影が姿を現す。
煤と埃にまみれながらも、妙に晴れやかな表情が見えた。
「実験は成功ですわ〜!!」
甲高く、よく通る声が響く。
「あぁ、なんと素晴らしい爆発でしょうか! 理論値以上の威力! 術式の魔力反応速度も申し分なし! さすが、わたくしですわ!!」
両手を広げ、恍惚とした様子でそう宣言するその姿は、瓦礫の中に立っているという現実を完全に無視していた。
これである。
賢者会アリシア支部が、王都の最南端に置かれている理由。
それは単純明快。
頭のおかしい魔術師が、平然と所属しているからだ。
しかも、一人や二人ではない。ほぼ全ての術師がそうである。
レーヴェは、深く息を吐いた。
「……早速、だね」
「うん。歓迎されてる気がする」
ノイノは、軽く肩をすくめた。
賢者会アリシア支部。
それは、理性と狂気が、紙一重で共存する場所。
今、レーヴェ・カルドリーチは――
最悪のタイミングで、その只中へと足を踏み入れたのだった。
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