呪術廻戦リリカルなのは   作:織姫ミグル

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第二十一章

 

 

動けなかった。

 

八神はやては電動車椅子から立ち上がることも動かすこともできなかった。

 

いや、もはや指標がない。

 

たとえ歩けたとしても、車椅子を動かせることができたとしても。それで一体何ができるというのか。ここまで絶望に染められた世界なんて、ここまで理不尽な世界なんて、なおそこを歩きたいと思うのか?

 

確かに自分は何もできていない。家族のピンチですら助けられない、出来損ないのマスターだ。もしもあそこで動けていれば、もっとちゃんとした指示をしていれば、そもそも最初から生まれていなければ、過去に遡って悲劇を全て食い止めることができていたら。

 

そんな世界を想像しただけで、自分はマスター失格だ。

 

彼女達の主ということですら名乗るのが烏滸がましい。

 

後出しジャンケンであろうが人の領域を越える反則技が使えようが、結果は火を見るより明らかだった。

 

 

(············)

 

 

この世界を残す理由がどこにある?

 

両親を奪った世界、自分の足を奪った世界、彼女達を奪った世界、そんな世界にすがりたいのか。

 

けど、

 

そんなものを望んでいるのは、結局自分一人でしかないのだ。

 

これがみんなのためになるなんて考えは、何の意味もない。

 

 

(ここ、は?)

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

八神はやては困惑していた。

 

病院のベッドで眠っていたはずの彼女が、いつの間にか真っ黒な空間の中に放り込まれたあと、終わりのない夢を見ていた気がした。まだ視界は朧気で、何かゆらゆらと光るものを見つけた瞬間、またいつものように意識が遠くなっていくのだが。

 

気付くと、見知らぬ場所に座っていた。

 

見渡す限り真っ黒な、何もない空間である。

 

頭上にあるものが空なのか天井なのか、先にあるのが地平なのかさえわからない。一応その場に『座って』はいるのだが、地面を踏みしめる感触さえ曖昧で、気を抜くと自分がふわふわと浮遊しているのではないかという錯覚にさえ襲われる。まるで、なにも描かれていない漫画のコマの中にでも紛れ込んだかのような感覚だった。

 

 

(なんや、ここ?)

 

 

辺りを見渡し、呆然と呟く。

 

 

(私は、確か······)

 

 

はやてがそう判断を下すのに、あまり時間はかからなかった。しかしそれも無理はあるまい。このような空間が、現実に存在するはずがないのだ。

 

と────

 

 

(え?)

 

 

不意に、はやては目を見開いた。

 

はやての視線の先。先程までは何もなかった空間に、いつの間にか一人の女性が立っていたからだ。闇のように漆黒の装束を身に纏った銀髪の華奢な体躯の女性である。彼女は涙を流しながら跪き、車椅子に座っているはやてに懺悔の言葉を告げる。

 

 

(あなた、は?)

 

 

言いかけて、はやてははたと気付いた。

 

 

(·······思い出した)

 

 

そう、なんでこんなことになってしまったのか。

 

八神はやての頭の中で、二つの記憶が混じり合う。

 

ようやく眠っていた頭が現実に追いついて、自分の中に『もう一人の家族』がいるということを思い出す。二方から同時に見ているかのような奇妙な感覚。それもそのはず。今現実を動かしている『闇の書』が覚醒した事によって出現した魔導書の意思、管理プログラムで融合騎である彼女がはやての体を使って戦っているのだ。

 

そして、本来の体の持ち主である八神はやては眠りについており、制御を奪われている状態だ。

 

その二つの記憶を同時に持つことで、八神はやては理解した。

 

今日、クリスマスイブ、すずかの友達がお見舞いに来てくれた際に起きた違和感。自分の体が自分とは別の意思によって動くような感覚。それは、はやての身体が、潜在意識が、『闇の書の覚醒』に反応して起こったものだったのだ。

 

今この状態もそうだ。本来ならば八神はやてはこの瞬間に『闇の書』の主として目覚めることはないはずだった。

 

しかし、危篤状態になったせいで『闇の書』は完成を急ぎ守護騎士達を還元して無理矢理完成させた。結果、融合騎が覚醒し暴走してしまったというイレギュラーを起こしてしまったのだ。

 

そしてそれは途方もない混乱をもたらした。心結を閉ざし、全てを消し去ろうとする負の感情の八神はやてと、それをどうにか止めようとする善の感情の八神はやてが、一つの器の中で複雑に絡み合う。

 

 

(私は、みんなを奪ったこの世界が憎かった────けどッ!!)

 

 

それでも彼女は優しかった。

 

世界中の憎悪を一身に受けて。たったひとりぼっちで死の淵へ追い詰められていっても。一人の私情で世界を壊すなんてことはあってはならない。

 

 

(世界を壊すなんて、そんなんあかん!!)

 

「どうか、再びお休みを。我が主。あと何分もしないうちに、私は私の『呪い』であなたを殺してしまいます。せめて、心だけでもッ!! 幸せな、夢の中でッ!!」

 

「········」

 

 

車椅子に座っていたはやては真っ黒に染まった世界に佇みながらそれを黙って聞いていた。『闇の書』という女性の胸の内から噴き出した言葉を静かに受け止めていた。

 

だけど。

 

彼女は『闇の書』の頬に手を当てて優しく告げる。

 

 

「優しい気持ち、ありがとう。そやけど、それはあかん。私ら、みんなよう似てる。ずっと、寂しい思い、悲しい思いをしてきて、一人やったらできへんことばっかりで······せやけど、忘れたらアカン。あなたのマスターは今は私で、あなたは私の大事な子や」

 

「·········」

 

 

『闇の書』は黙って聞いていた。ぶるりと、掌が不気味な震えを発したが。主の言葉を聞いて、彼女は笑顔を作った。

 

その上で、彼女はこう続けた。

 

 

「ありがとうございます、我が主。ですか『呪い』は止まりません。幾度も繰り返してきているのです。止める方法も、封印する方法もありません······ですから」

 

 

『闇の書』は立ち上がる。

 

静かに、音もなく、銀髪の女性は主に背を向ける。

 

 

「せめて、あなただけでも。生きてください。あなたのマスター権限を剥奪します。これであなたは生き残ることができるはずです」

 

「!? アカン······そんなんアカンッ!! 私は、あなたと」

 

「我が主」

 

「!?」

 

「どうか、お許しください。私は、あなたに生きてほしいのです」

 

「待って········お願いッ!! 待ってッ!!」

 

 

止めようにも動けなかった。

 

そもそも足が麻痺しているのだから動かせるわけがない。必死になって止めようとしても、彼女は止まらない。このままでは彼女は失うことになる。

 

彼女がこれから向かうは地獄の入り口。そんなところにまで彼女を付き合わせてはならない。自分の『呪い』にいつまでも付き合わせてはならない。

 

もうカウントダウンは始まっている。

 

であれば。

 

自分自身の末路については、せめて『呪い』らしく祓われて消えていこう。

 

一歩。

 

入水する時のように冷たい水面に手足を付けて感覚を麻痺させるような心境で、彼女は踏み出す。

 

二歩。

 

入り口へ、地獄への入り口へ。

 

三歩。

 

この先を進めばもう引き返すことはできない。だが彼女は何の躊躇もなく飛び降り自殺をするような足取りで、もうあと数歩で奈落の底へと落ちるであろうその一歩を踏み出した。

 

これで終わりだ。

 

『闇の書』の、旅は。

 

『夜天の魔導書』の廻る『呪い』は。

 

消える。

 

いなくなる。

 

どこかへ転生して旅立つなんて甘い展開が入り込む余地はなく、

 

物語は、ここで終わる。

 

 

 

 

 

『くだらんな』

 

 

 

 

 

突然真後ろから低い声が飛んできた。

 

驚いた『闇の書』が何かをするより先に、背中に強烈な衝撃が走る。

 

どうやら背中を蹴られたようだ、と気付いた彼女はついそこで目を開けてしまった。すでに『闇の書』の体は前へ大きく地平線の彼方に投げ出されており、眼下には奈落の底が広がっていた。

 

その一歩前。

 

危うく落ちる寸前だった所で膝をついて、突然乱入してきた男に『闇の書』も八神はやても驚愕している。

 

 

「虎杖、さん?」

 

「貴様!? 何故、ここに!?」

 

『さぁな、敗北者に説明する義理はない』

 

 

それだけを聞いて、『闇の書』は理解した。

 

『闇の書』は自分の手を見る。それを見て拳を握りしめ奥歯を噛み締める。目を瞑り、主と『闇の書』しか入れないはずの空間に入ってきた少年の言葉を聞く。

 

 

『【本物の呪い】とは一体どういうものなのかを教えてやるつもりだったんだが、これでは何の意味もないな。言葉だけの【呪い】など、呼ぶに値しない』

 

 

言って。

 

嗤って。

 

両ポケットに手を突っ込んでいる少年は嘲笑を浮かべ、あっという間に終わってしまった戦いを振り返って二人を見下す。

 

少年の笑みが、より一層深く、獰猛に刻まれていく。

 

その顔は邪悪に満ちていた。

 

 

『俺がこうして現れたのがそこまで不可解か?』

 

 

当然だ。

 

ここは主と『闇の書』しか存在できない領域のはず。

 

それなのに何故あの少年が立っているのだ?

 

 

「もう一度聞く·······何故ここにいる?」

 

『俺にもわからん』

 

 

少年は顎を上げて睥睨し、そう言った。明確な意思表示をしているくせに、何を考えているのか全く掴めない。

 

 

「·······」

 

 

『闇の書』はわずかに黙り、目の前の敵に対して主を守るように立ち塞がった。それを見た少年は言う。

 

 

『心配するな、手を出す気はない。何せ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

その言葉の意味を理解できなかった。しかし、もしそうだとすれば気になることがある。

 

 

「何故、私はまだ生きている?」

 

『知らん。俺はただ退屈凌ぎに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

少年の言っている意味はわからないが、少年の声に僅かに重心を低く落とす。高町なのは、フェイト・テスタロッサ。それらを凌駕するほどの脅威、圧倒的邪悪。互いの一挙手一投足が全て死因と成りうる恐怖が感じ取られる。

 

まるで鎖に繋がれた犬のような心境の『闇の書』に、少年は初めて感情を見せた。

 

それは意外そうな表情だった。

 

 

『だがまぁ······戦いはともかく、味は大変美味であった』

 

「!?」

 

『千年間味わってきた、人間、術師、呪い。その中に、貴様のような俺の舌を満足させるほどの【魔導師(珍味)】を持つ者は今までいなかった』

 

 

少年は嗤い、純粋な言葉でこう評した。

 

 

『誇れ、お前は俺を楽しませた』

 

 

圧倒的だった敵にそんなことを言われても別に何の感情も湧いてこないのに、『闇の書』はその言葉を聞いた瞬間に何かが満たされたような気がした。

 

意味がわからなかった。沈黙が訪れる。少年の顔からは余裕が消えていない。

 

笑みの表情のまま、彼はこう言った。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「─────()()()()()─────」

 

 

彼の能力が暴走した。

 

 

ズババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババッッッ!!!

 

 

と。

 

少年の半径約二◯◯メートル内にあった椅子が、テーブルが、街路樹が、街灯が、車が、住宅が、ビルが、高速道路が標識が商業区がまとめて切り飛ばされた。少年を中心点にして、綺麗に円を描くように様々な物体が空間を越えて切断される。ちょうどサークル上にあったいくつもの魔法陣は、空間を切断する伏魔御廚子に切り刻まれて砕けて更なる爆音を奏でる。

 

スターライト・ブレイカーに匹敵するいくつもの魔砲はまるで千切りのようにして切断され少年に届くことはなかった。

 

両面宿儺の領域、『伏魔御廚子』

 

それは他の者の領域とは異なり結界で空間を分断しない。結界を閉じず生得領域を具現化することはキャンパスを用いず空に絵を描き、器もなしに水を溜め、ハードもなしに映像を再生させているなど、そのような不可能な現象を起こしているに等しい、まさに神業。

 

斬撃は二種類ある。

 

必中術式効果として領域内の呪力を帯びたモノには『捌』

 

呪力の無いモノには『解』

 

領域消失まで絶え間なく浴びせられる。

 

これにより、領域内では全ての物体が粉になるまで切り刻まれ、更地と化す。 簡単に言うと領域内に放り込まれた全ての物質をなんでも切れる刃を持ったミキサーにかける技。

 

 

「ッ!! ガァァァアアアアアアアアアアッッッ!!!??」

 

 

復元機能が無限再生機能へと変化してしまっている『闇の書』はいくつもの斬撃を受けても再生力によって体は修復され元に戻るが、その度に激しい痛みを伴う。

 

いくつもの死を経験した。

 

何度も絶命した。

 

それでも破壊不可能だった。よって彼女は生き残ったがダメージは甚大でショック死を起こしそうなほどだった。

 

この悪魔のような切断の嵐の中に放り込まれた『闇の書』は、一刻も早く攻撃は止むことを祈るばかりで、それ以上の行動を起こすことはできなかった。無数の斬撃痕が彼女に刻まれてもすぐに塞ぎ、そのせいで苦しみが長続きする。

 

意識を失いそうになる中で、ようやく嵐は止んだ。

 

─────耐えた。

 

意識が朦朧とする中で見た景色は、更地と化した海鳴市であった。あれだけクリスマスムードで賑わっていた街並みは少年の放った斬撃の嵐によって細切れにされ、見る影もなかった。

 

まるで隕石でも落ちたかのように。

 

否、どちらかといえば地面まるごと消し去られたかのように。街の風景が、浅いすり鉢状に削り取られていた。そして、クレーターのようになった街の一角の、中心。

 

そこに件の少年が立っていた。

 

めちゃくちゃに破壊されたアスファルトの道、如何にも凄まじい火災であろうと、炎などではそうはなるまい。

 

耐え抜いた『闇の書』は、これで反撃に移せる───そんな風に思っていた『闇の書』は、一つの声を聞いた。

 

 

「■」

 

 

聞き取れなかった·······いや、理解できなかった。

 

その言葉が耳に入った瞬間、文章を理解するための機能がおかしくなった。意味のない言葉、適当に並べた文字列。『こんにちわこんばんわおやすみなさい』という、どこでも聞くような単語も今では『だからわからないですそうなんですよ』と意味を為さない言語に変換されてしまう。

 

少年の口から出た言葉は認識を歪ませるような、もしくは通常の人間の耳では聞き取れない『未知の言語』で表現されたのか、とにかく何を言ったのかわからなかった。

 

だが。

 

少年は今度は誰でも聞き取れるような綺麗な発音で、けれど意味のわからない呪文を唱えた。

 

 

(フーガ)

 

 

『闇の書』の前に遮蔽物はなにもない。粉々にされた海鳴市の建物の中のどれかを盾にすることもできない。常識的に考えれば飛び道具を持つ敵を前に、あまりにも無防備とも取れる姿。

 

だからこそ両面宿儺という鬼神は容赦をしない。

 

言葉と同時。

 

音はなく、いきなりオレンジ色に光る槍が『闇の書』の目の前に突き刺さった。

 

槍、というより矢に近い。

 

出所が少年の左手の人差し指と中指だとわかったのは、単に光の残像の尾がそこから伸びているのが見えたからだ。弓もなしで矢を構える少年の一撃。

 

天を貫いて襲いかかってきたオレンジ色の閃光が、『闇の書』の顔面に突き刺さった。直径三メートル程度の光の柱が顔面を貫いた途端、恐るべき爆風が海鳴市全域に吹き荒れた。

 

ついさっきまで『闇の書』が立っていた場所は既に溶岩の渦と化していた。アスファルトでできた地面は何メートルにもわたってオレンジ色に輝くドロドロとした沼に変わっていて、シュウシュウという水が蒸発するような音が耳についた。近づこうとするだけで、見えない壁のような熱風が肌に張り付いてくる。

 

この「(フーガ)」の扉は、斬撃による『解』・『捌』の調理工程を経て初めて開かれる。

 

彼の術式は『料理』がモチーフのためか、『切る』・『焼く』という順序が必要になる。

 

この炎は火力に対して、速度がなく効果範囲が狭いというのが特徴。そのため宿儺はこれらを解決するために、とある“縛り”を結んでこの弱点を解決した。

 

宿儺が自らに科した“縛り”の条件、【宿儺の領域『伏魔御廚子』を展開中に一対一の状況】

 

炎の術を発動可能な状況に関し、たとえ領域展開を発動していなくとも一対一の状況であれば「開」は発動可能。ただし、領域『伏魔御廚子』を展開していない場合には、この炎は速度がなく効果範囲が狭いままである。

 

だがしかし、伏魔御廚子が展開された今、その効果範囲は半径約二◯◯メートルに及ぶ。

 

よって、海鳴市の一角には底が見えない完全な球体の穴が出来上がっていた。

 

 

「これを喰らってもまだ生き残るか」

 

 

あれだけの火力を喰らっても生き残っている『闇の書』を見た少年は嗤っていた。

 

どう考えても意識はない。だが生きてはいる。

 

あれだけのダメージを受けたのだ。何度頬をつま先で突いても目を覚ます気配はない。

 

どうやら「(フーガ)」で燃やしたのは『闇の書の呪い』だけのようだ。

 

『闇の書の呪い』は無限再生機能を持つ。よって少年でも破壊はできなかったようだ。実際、彼女の体に巻き付いていた黒い蛇のような塊は海の方にまで吹き飛ばされていた。「(フーガ)」によって吹き飛ばされた『闇の書』の黒い淀み、あれは恐らく『闇の書の防衛プログラム』だろう。あと数分もすれば暴走が開始するだろうが、そんなことはどうでもいい。

 

鏖殺だ。

 

結界外に出て人間共を殺す。

 

そうと決まれば結界の外へと出にいこう。せっかく別世界の人間を殺せる(食せる)機会がやってきたんだ。楽しまなければもったいない。

 

──────と、

 

 

「動くなっ!!」

 

「?」

 

 

言われながら少年は、空を仰ぐように顔を上げる。

 

空には月と破壊された高層ビル郡をバックにして、全身にバリアジャケットを纏った管理局局員達が幾体も浮遊していた。

 

杖を持ち、殺傷設定にしてある局員立ちは全員殺意を抱いている。

 

 

「虎杖悠仁! 時空管理局規定に基づき、貴様を逮捕するッ!!」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

衛星軌道上に浮遊する戦艦アースラの艦橋には今、魔導師の精鋭達がずらりと居並んでいた。

 

リンディの指揮の下、虎杖悠仁の行動を止めるために高町なのは、フェイト・テスタロッサの二人がモニターを眺めている。他の局員も同様、皆一様に、理想的な緊張状態を保ちながら、アースラに設えられた巨大メインモニタに目をやっていた。

 

アリサとすずかの二人は事情を説明して今は別室に避難してもらっている。事が終わったら全て説明するつもりだ。

 

そんなことよりも今は目の前の事に集中だ。

 

メインモニタに映っているのは、現地映像から送られてきた地上の映像である。

 

虎杖の視点をトレースするように、今回のターゲット、『闇の書』の姿がバストアップで映し出され、その周りに別のカメラから捉えられた別アングルの映像や、各種パラメーターが表示されていた。

 

そして······今。

 

一方的な虐殺を見せられていて、全員が顔を真っ青にしたまま圧倒的な彼の力を前に目を見開いている。

 

 

「本当に·······虎杖、君、なの?」

 

 

リンディが思わず口に手を当てながらそう呟いた。その疑問に答えられるものは誰もいない。ただ残酷に痛め付けている虎杖はあのロストロギアに認定されている『闇の書』を一方的に圧倒している。

 

嗤って。

 

喜んで。

 

楽しんで。

 

あの心優しかった少年の面影一つない。刺青だらけの少年は瞬きすらしない。その無惨な顔に浮かぶのは、焼け爛れたような笑み。その手刀が振り上げられる。一体どんな効果があるかもわからない手が。

 

『闇の書』は咄嗟に避けたがかすり傷を負って、それでも魔法陣を展開した。ライブやクラブにイベントの演出で音楽に合わせて空間を照らすレーザーショーを思わせる見境ない闇雲な攻撃に、少年はやはり身動き一つしない。その魔法陣から放たれる魔砲が少年の周囲に展開されているバリアに激突した瞬間、魔法は粉々に四散した。まるで巨大な包丁が魔法を微塵切りにでもしているかのように。

 

だが驚愕に凍る暇もない。

 

次の一手はもう始まっている。

 

あの守護騎士達が苦労して蒐集した魔法生物達の群れを、彼はたった一人で一気に切り裂いた。攻撃に特化したヴィータやシグナムでさえも一匹倒すのに時間がかかったというのに、彼はたった一秒でほとんどの魔法生物達を細切れにする。

 

その中の一匹が彼の足元で待機していたのか、隙をついた瞬間に地面を食い破って現れ、彼の体を丸呑みにする。

 

ミミズのような魔法生物が塔のように生えてきてしばらくその場に直立していたが、内側から謎の攻撃を幾度も喰らって悲鳴を上げ、その巨体が一気に原子サイズにまで切り裂かれて塵へと化す。

 

その中から攻撃を放ったであろう少年はいつの間にか『闇の書』の背後に立ち、顔面を掴んで拘束すると、恐ろしい形相をしながら彼女の肩に噛み付いた。

 

 

ァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!??

 

 

『闇の書』の酷く泣き喚く悲鳴。

 

その音声が艦橋に響いてきて、なのは達はその悍ましさに目も当てられなかった。『闇の書』は必死にその痛みから逃れようと彼の巨大化した頭を叩いているが、まだ味わい足りないのか血飛沫が激しく飛ぶほどにまで噛み付いている。

 

下手に動けば腕が落ちてしまいそうなほどにまで喰われた『闇の書』は赤子みたいに目からポロポロと涙を流し、ろくな言葉も話せずに鼻水を滴らせていた。

 

そのまま少年は『闇の書』のバリアジャケットの裏襟を掴むと、ピッチャー投げで彼女の身体を吹き飛ばす。

 

何十メートル以上先にあるビル群を次々と貫通し、それを追いかけるようにして少年は走り抜ける。

 

ビルの屋上の墜落防止用のフェンスにまで飛ばされた『闇の書』は、目を限界まで見開いて歯を食い縛っており、その顔は凄まじい苦痛を受けたように苦しむ表情をしていた。

 

 

『あの醜女から味わっていたが、やはり良い味だな。特にお前は格別だ』

 

『が············ぐっ!!』

 

『だがもっとだ。もっと俺の舌を満足させてみろ!!』

 

『あああああああああああッ!!!』

 

 

もはや人間とは思えない行動。

 

人の肉を喰う光景に顔を顰める少女達。顔色を青くして嘔吐をしようとする気持ちを必死に堪えて、唾を何度も飲み込んで吐き気を押し殺す。

 

あまりの事態に艦橋にいた者達全員が麻痺しかけ、喉まで出かかった悲鳴を全力で押さえる。

 

皆が映像から目を背けている間、いつの間にか『闇の書』の頬を破壊した少年は凄惨な笑みを浮かべる。

 

 

『ケヒッ、ヒヒッ!!』

 

 

ここまでやっても壊れないおもちゃを手に入れてさぞ楽しそうだ。

 

これならいつまでも遊んでいられる。

 

それを一部始終見ていたなのは達はさすがに見過ごせなかった。リンディに出撃許可をもらおうとしたところ、愛機のレイジングハートがこんなことを言ってきた。

 

 

『Master Based on the results of voiceprint analysis, we have determined that it is unlikely that he is ”Itadori Yuuji“』

 

「え?」

 

 

レイジングハートは戦闘だけではなく心理分析もできるようだ。声紋分析を行った結果、彼が虎杖悠仁である可能性が低いと判断したらしい。

 

つまりあれは虎杖悠仁ではない。そういえば、彼は言っていた。自分は虎杖ではない、“両面宿儺”という人間だと。ということはあれは恐らく別人格。虎杖の身体を借りた別人ということだろう。

 

 

「リンディさん!!」

 

 

なのはは艦橋の一番上に座っているリンディ提督の名を呼び出撃許可を貰おうとする。しかし、彼女は答えない。理由は、ロストロギアである『闇の書』を圧倒している虎杖を見て現実が追いついていないからだ。

 

思わず酸素を取り込む肺の機能がおかしくなって、呼吸が乱れてしまう。

 

指揮官の異常な様子を見た部下達は必死に彼女の名を呼ぶも、心臓が裂けそうな光景にリンディはついに隣の床へ胃に溜まっていたものを戻してしまう。

 

 

「リンディ提督·······ッ!!」

 

「う、うぅ······ッ!!」

 

 

一定以上戻してしまってしばらく声が出なかったが、事態の深刻さにようやく追いついたリンディは口の中で唾液を飲み込みながら、狼狽した様子の部下達を見た。

 

アースラに待機していた隊員達。

 

異常事態に駆けつけたものの、正面モニタには身体をズタボロにされた『闇の書』と虎杖悠仁らしき人物の戦闘映像が表示されているのを見て、皆が酷い顔をしている。

 

部下の動揺もわからなくはなかった。

 

状況は、圧倒的に、絶対的に、破滅的に、絶望的だった。

 

ようやく『闇の書の呪い』を切り離せたみたいだが、あの暴走した虎杖をなんとかしなければならない。人がいない結界でというのが唯一の救いだが、虎杖の一撃はそんな楽観を容易く打ち砕いた。

 

今までの虎杖が可愛く見える、超越的な破壊力。

 

たった一撃で海鳴市を燃やしつくし、クレーターまで作った彼はもはや脅威だ。そして『闇の書の呪い』が暴走するまで約二◯分。それまでに虎杖を拘束しなければならない。リンディ達は、考え得る限り最悪の状況に立たされた格好になっていた。

 

だが、もはや形振り構っていられない。

 

 

「武装局員を現地に配置、速やかに虎杖君の拘束をお願い!!」

 

「はい!!」

 

「なのはさんとフェイトさんは待機! まだ温存してて!!」

 

「り、了解しました······」

 

「はい·······」

 

 

直後、二人は愛機を手にとってモニターに映っている虎杖を見つめた。

 

あそこにいるのは虎杖ではない。

 

もっと別の、邪悪な何かだ。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「虎杖悠仁! 時空管理局規定に基づき、貴様を逮捕するッ!!」

 

 

強気な口調でそう言ったものの、皆内心は怯えていた。

 

正直、こんな化物を自分達のような下級の存在が抑え込めるわけがない。

 

帰りたい、というのが本音だった。

 

しかし。

 

少年はそんな彼らを目にして、

 

 

「それはあの女の命令か?」

 

「ッ!! そ、そうだ!! リンディ提督の命令で我々は────」

 

()()()()()()()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「「「「「!?」」」」」

 

 

そう言って武装局員達を睨む少年。

 

捕食者の目。

 

獲物がやってきたことを喜ぶように、狩人は口角を上げて、

 

 

「男の肉などつまらんが、まあ腹の足しにはなるだろうな」

 

 

睨まれたと同時、部隊の中の誰かが魔法を放った瞬間、全員が手にした魔法杖の銃口を一斉に彼に向け、なんの躊躇いもなく引き金を絞ってきた。

 

 

「ケヒッ!」

 

 

と、少年は瞬時に空中を跳ぶと、上空を浮遊した武装局員目掛けて一斉に攻撃を開始した。

 

 

フッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!

 

 

それはなんとも壮絶な光景だった。

 

空を舞う武装局員に、たった一人で挑んでいく少年は素手で杖を、手を、足を、首をむしり取っていくのである。

 

ブチリ!! という音が響き渡る。

 

一瞬だった。

 

少年の細い腕が武装局員の顔面へ吸い込まれる。より正確には口に。人差し指から小指までの四本が、そのまま男の口の中へと飛び込んだ。防御魔法を突き破って、その手を喉の奥まで侵入させる。残る親指で、顎を下から押さえつける。

 

腕を手前に引く。

 

ゴキリ! という音が鳴る。顎関節が外れる音だ。

 

 

アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!

 

 

少年は爆発的な笑みと共に、首を締めてへし折ると断末魔を上げながらそのまま下へと落ちていった。次の標的に向かっていくと眼球をくりぬき、そのまま脳天をぶっ叩いて海へと叩き落とした。

 

残りの一人。

 

そいつは今際の際まで怯えに怯え、定まっていない銃口を向けて魔法を放つも、無論当たるわけがなかった。

 

首を傾けて避けた少年はそいつの下顎を持ち上げるようにして、果物でももぎり取るように捻って頭を胴体から切り離した。

 

少年が躊躇も逡巡もなく命を奪う行為をした結果、武装局員達は全滅した。

 

 

「聞こえているか?」

 

 

誰に言っているのかはわからないが、少年は独り言を呟く。

 

もうここには誰一人として生き残っていないのを見ると、この場にはいない誰かに話しかけているようであった。

 

それはおそらく、この光景を見ているであろう『彼女達』に向けたメッセージ。

 

 

「必死なのだな、お前らも。だがその必死さ故に判断を誤ったな。しかし、わざわざ俺のために新鮮な肉を運んできたことだけは褒めてやろう」

 

 

最後にもぎ取った隊員の髪を掴んで弄ぶように振り回しながら言う少年は、果物にでも齧り付くようにその頭を捕食する。

 

振り回すことで頭に血が溜まって美味なる食糧へと昇華させることができるのだが、口には合わなかったのか不快げな表情をして放り投げた。

 

そして。

 

そして。

 

彼の術式、『御廚子』を一切使わず余裕で殺した少年は。

 

今この光景を見ているであろう『彼女達』の方を向いて嗤う。

 

けらけら、と。

 

ゲラゲラ、と。

 

 

ケヒッ、ヒヒッ!! フハハハハッ!! アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!

 

 

瞬間、海鳴市の周囲の空から凄まじい音が響き────地震のように空気が震えた。

 

 

 

 

 

ドゴォォォオオオオッ!!!

 

 

 

 

 

もう譬えるなら直径五メートルほどのレーザー兵器に近い。

 

太陽を溶かしたような光が襲いかかってきた瞬間、少年は何の問題もなさそうに両手をポケットに入れて切断し回避した。光の柱は少年の目の前に激突した瞬間、四方八方へと飛び散っていく。それでも『桜色の光の柱』が完全に消し去ることはない。

 

数秒後、光の柱は収まった。

 

少年が不審そうに眉を歪める。

 

すると。

 

 

「もうやめて······悠仁君」

 

 

少年が頬をピクリと動かし、両手のポケットに手を突っ込みながら上を見上げる。

 

 

「ケヒッ、ヒヒッ!」

 

 

不意に、少年の笑みが歪んだ。

 

だが。

 

まさか。

 

あの『意気地無し』がやってくるとは、唇の端を歪める。

 

少年、両面宿儺の赤い瞳が蠢く。

 

 

「─────で? 何しに来たクソガキ」

 

 

少年は子供のように子首を傾げた。

 

 

「死に物狂いで努力して魔法を放ったところで、俺の呪術で無効化されるだけだぞ?」

 

「それでも」

 

 

高町なのはは、そんな少年に突き刺すように言った。

 

まるで触れればそれだけで静電気でも飛び散りそうな怒気が全身を包んでいた。

 

 

「これ以上、悠仁君を人殺しにさせない。いや、あなたにこれ以上、悠仁君の体を好き勝手させないッ!!」

 

「··············」

 

 

たとえ相手が最凶だろうが最恐だろうが最強だろうが、知ったことではないと、灼熱するその眼光は無言のままに告げていた。

 

 

「フッ·······面白いな」

 

 

少年の、四つの赤い瞳が鋭く輝く。

 

せっかく追加された御馳走なんだから、礼儀正しくマナーを守って食さねばならない。

 

あんな雑魚達とは違う、それも自分の大好物な女と子供の両方の要素が合わさった御馳走。挑発するように笑みを向けた甲斐があった。予想通り、奴らは追加の食糧を寄越してきた。それも極上の、最上級の子供の肉。

 

高町なのは。

 

小僧と一緒に楽しく過ごしてきた小娘を食せるとは、この上ない喜びだった。

 

 

「できれば貴様は主菜として残しておきたかったんだが······まぁ、先に味わっておくのも悪くない」

 

「ッ!!」

 

「精々足掻けよ!! 高町なのはッ!!」

 

 

言葉と共に、二人が動く。

 

イレギュラーをどこまでも先鋭化していった果てに生まれた魔法と呪術の怪物達が。

 

 

 

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