空が割れるかのような音が辺りに響き渡る。
次の瞬間、少年の手から地面へと落ちた矢の延長線上に当たる全ての領域の隅々に爆炎が広がる。
一部を削り取られたビル、その下に広がる更地の地面、更にその先に広がる無傷の街並み、そして視界の奥に見える結界の隅まで。
結界の魔力が絶大だったおかげで二次災害は避けられたが、中にいる生物は問答無用で減圧と超加圧で死に至らしめられる。
そこに存在しているもの全てを焼き尽くす、両面宿儺の奥の手とも言える術、「
先程『闇の書』にも使った技。だがあの時は現在に比べ効果範囲が狭く、“縛り”が科せらていたために威力が低かった。もっと強力であれば、『闇の書』は跡形もなく燃え尽きていたはずだ。
そんな強力な技なのに威力が低いのを解決するために、宿儺は自らに“縛り”を科した。
宿儺の術式『御廚子』は、大切なものを納める箱や貴人の家の『調理場』を意味する。
その名前通り、調理場で料理する流れと同じように「
つまりは食材を切らぬまま火にかけたら、それだけ火の通りが悪くなるのだ。
食材の種類や厚みによって適切な加熱威力は異なり、中心部まで充分に火を通すには、かなり細かく食材を捌かねばならない。
料理で火の通りを良くするのと同じように、食材をよく切ってやらねば「
よって、宿儺は火力を上げるために「
ただし、領域『伏魔御廚子』を展開していない場合には、「
だから、より細かく切り刻めば、それだけまとめて焼ける。
領域展開で
つまり、だ。
一番効果が高い【領域『伏魔御廚子』を展開中、多対一の状況】をクリアしている宿儺は術式を拡張、粉塵化した全ての物質が「
要は粉塵爆発だ。
出力を上げるために宿儺は敢えて領域展開の仕様を変更し、高度な領域ではなく不完全な結界を作り出した。
具現化された心象風景の中で必中された斬撃による「
「
結果。
何の冗談でも何の比喩でもない。
その真っ赤な呪力の奔流に触れたもの全てが、塵となり灰となり、跡形もなく焼き尽くされた。
◇◆◇◆◇◆◇
「······っ!!」
目撃したはずだった。
少年の手から真っ赤な矢が一本構えられたのを見た瞬間、彼の手から零れ落ちた真っ赤な矢から凄まじい炎熱の奔流が流れた。巨大な火山の噴火を引き起こしたような圧倒的な熱量が、結界に覆われた海鳴市の街の隅々まで一ミリも残さず溶かした。辺りが一瞬、深夜から夕日に彩られたかのように真っ赤に染まった。
なのはは、思わず腕で顔を覆った。
無駄だとわかっていても生存本能が働いたのか防御姿勢になってしまった。僅かに空気を吸っただけでも鼻から口から入った熱気が粘膜を灼き、喉に火傷を負わせる。街全体を灼く炎熱と光線が段々とその体積を減らしていき、真っ白に染まった視界が徐々に戻っていく。
そこで彼女は疑問に思う。
何故?
自分はまだ生きているのだ?
「はぁ······はぁ·······無事、か?」
「!?」
なのはの頬をピクリと動かし、目の前の光景を見て眉を顰める。
コォォォォォォオオオオオオオオオオ················
と、耳鳴りが残るような奇妙な音が響き渡る。
すると、その音を中心に地面がパリパリと音を立てて、放射状に白くなっていった。視界に映る街の至る所で突然地面からボコボコと音を立てたかと思ったらそこが隆起して無数の刺のような鋭利な形になって一瞬のうちに凍りつく。
道路や建造物には這い回るように霜が降り、まるで街一つをそのまま銀世界にしたような状態。
瞬く間になのは達の視界は氷で覆われた。
終わりのない氷結。
正確には魔法を連打しただけなのだが、その発動速度といい、並みの魔導師でなければ成せぬ技だ。
その魔法を発動した人物の名を、なのはは呼ぶ。
「クロノ君!?」
「どうやら······間に合った、みたいだな······」
目の前にいる少年、クロノ・ハラオウン。
彼が駆け付けたことで彼女は助かったようだ。
辺りに目をやると、フェイト達の前にも氷の柱が立てられており、その陰に隠れさせることによって圧倒的な熱量から逃れたようだが、問題があった。
「はぁ······はぁ······くそッ!!」
助けに入ってくれたクロノだが、無理をしすぎたのか膝を付き、掌を地面に付いて肩で呼吸をしている。
思わず手に持っていた『青い杖』を落としてしまう。
「『デュランダル』······なんて、魔力消費だ······ッ!!」
彼の魔力もなのは達には負けないが、それでも強力な武器を使用するために多くの魔力を消費した。しかもあれだけの業火を防ぐとなったら、一回の防御では足りない。だから連打するように魔法を発動していた。壊されたら構築しを繰り返していたらあっという間に魔力切れになる。
軽く咳き込んでから視線を上げる。
驚異的な高熱を相殺するために発動させた氷結魔法。それが蒸発して霧を生み出し視界が確保されない中、数秒の後に晴れていき、視線の先にいるであろう敵の存在を確認する。
そこには────誰もいない。
あの少年の姿をした怪物はどこにもなかった。
「えッ!?」
なのはが思わず声を上げたが、そのすぐ近くで低い声が響く。
「つまらん」
「「!?」」
「態々駆け付けたというのに燃料切れとは、つまらん末路だ」
クロノの肩に置かれた手。
その手の主は誰か、手から腕に、腕から体に、体から首に、そして顔にまで視線を移していくとそこにはあの刺青まみれの少年の顔があった。
絵に描いたような邪悪さ、そのものが滲み出ているかのように残酷な笑みを浮かべ、
「死を賭した戦いに身を投じたのだ、覚悟はできているのだろうな?」
「虎ど─────」
クロノが何かを言おうとした時だった。
間近に迫った怪物が無造作に手を横に振った。
それを受けたクロノの体が一気に真横に吹っ飛んだ。
バキンッ!! と、鈍い音と共に氷の柱に背中からぶつかったクロノは、あまりの衝撃に吐き気が込み上げ肺の中の空気を全て吐き出した。手足から力が抜けそうになり、食い込んだ氷の柱からずるずると地面に倒れていくクロノに少年は両手をポケットに入れながら歩いてくる。
「どうした? もうお終いというわけではないだろうな?」
「·······ッ!!」
「これからもっと熱くなれるのだぞ? 少しは楽しませてくれよ?」
呻くクロノを無視して、怪物は完全に優勢さを取り戻した。
今のは何の力も篭っていない、ただの腕力だった。高ランク魔導師だとか特級だとか、そういう言い訳などさせぬよう彼は異能ではなく普通の力だけでクロノを捻じ伏せたのだ。
「だがまぁ、直接的な戦闘を行ったわけではないがこれだけの氷結を起こすその精度、かなり頑張った方だと思うぞ。防ぐためにこれだけの絶景を生み出すとはな。順当に行けば“裏梅”のような力を手に入れていたかもしれん」
称賛の一つ一つが人を馬鹿にしているとしか思えなかった。
しかし、凍りついた世界を見た彼の顔はどこか懐かしそうな、まるで我が子を愛でるような親しげな笑みを浮かべている。
クロノは咄嗟に身構えようとした。けれども身構えてもその手には武器がなく、何よりダメージが大きかったのかその痛みは脚まで浸透してガクガクに震えていた。
そんな今にも殺されそうな中、彼は涼しげに嗤ってパチパチと拍手した。
心の底から相手を労うような言葉を並べる。
「俺の前で今こうして呼吸できていることすら奇跡だ。小僧、貴様は頑張った、充分に頑張ったよ·······だから今、その褒美として楽にしてやろう」
轟!! と。
凍りつく世界の中で、少年の体は辺りの氷の柱にも被害が及ぶほどの速度で駆け出した。距離はそれほど離れていなかったが、一気に距離を詰められたクロノは胃袋から喉の先までぞわりとした緊張感が這い上がった。
クロノは咄嗟に後ろへ下がろうとしたが、そもそも自分が今立てているのは後ろに氷の柱があったからだ。柱に背中を押しるける形で立つのを支えてもらっていた。吹き飛ばされた際に激突した氷の柱が、その回避の確保を阻害してクロノの逃げ道を塞ぐ。
そうこうしている間に少年の双掌がクロノの顔面に勢いよく突き出される。
命を握り潰さんとする両の手が、クロノの顔面に迫る。
「─────ッ!!」
クロノは反射的に目を瞑ってしまい、防御本能で思わず手を振り上げてしまった。恐怖から逃れるための無我夢中な手振り。
自ら視界を封じてどこを狙っているかもわからないクロノの手は、
───パチン、と。
何かをひっぱたくような音と共に、少年の攻撃を遮断した。
「······え?」
最初に驚いたのは手を弾いたクロノでもなく、攻撃を繰り出そうとした少年でもない。
呆然としていた高町なのはだった。
何をした?
クロノは今何をした?
それはクロノが咄嗟に繰り出した保護のための無様な足掻き。それが少年の手に当たり、一瞬硬直してしまった。
クロノの貧弱な手など、当たった所で何のダメージも与えられないだろうが。
たったそれだけの仕草に、貴重な情報が眠っていた。
そう。
(もしかして────)
「ッ!!」
その瞬間、怪物は『何か』を隠すように蹴りを突き出した。
しかし、クロノは簡易的な魔法とはいえ防御壁を作り出したおかげでそれを防ぐ。デバイスがないと出力は落ちるため、それは一撃で壊されるがクロノにダメージが及ぶことはなかった。
クロノは一瞬破壊される障壁をチラリと見たが、
「余所見とは感心せんなぁッ!!」
「ッ!!」
クロノが慌てて振り返ると、少年の右手が迫り来るのを見た。クロノは咄嗟に足元の地面を滑り身を屈めて避け、少年の手は氷の柱に深く沈み込む。
ガキィンッ!! という冷たい音が響き渡り、
瞬間、三階建ての建物と同じくらいの高さを誇っていた氷の柱は崩れた。
山積みにした積み木の山の一番下のブロックが引き抜かれたかのように氷の柱は崩壊し、支えられていた上の氷がぐらりと揺れて隣の氷の柱も巻き込んで雨のように二人の頭上に降り注ぐ。
「やばい──────ッ!?」
クロノは危険を察知して起き上がり、どうにか頭上に迫る氷の柱の下敷きにされぬように横合いへ飛ぼうとした所で視界の端に何かを捉えた。
それはなのはも見逃さなかった。
あの何でも斬れる不可視の斬撃を放つことができるはずの少年が避けるために、まるで水面を跳ねる飛び石のような動きでトントンとステップを踏んで後方へ回避した。
何故?
何故回避した?
切り刻んで木っ端微塵にすれば良かったのに。
クロノを押し潰すためにわざと切り刻まなかった? だとしても、それなら怪物のお得意の斬撃の方が圧倒的に効率が良いだろうに。
切り刻めばクロノを巻き込んで容易く命を奪えるのに。
それをしない。
「ちょこまかとよく逃げる、戦いに来たのではなかったのか小僧ッ!!」
「ぐッ!!」
怪物は一切手加減しない。クロノの命を狩り取るために何度でも殺意の篭った拳を振りかざす。
それでも戦場は膠着状態にあるとなのはは思っていた。
確かに一方的な攻撃を受けているクロノであるが、繰り出しているのは打撃のみ。怪物はクロノに決定打を浴びせ損ねている。
特別な術式や魔法を使っているわけではない。
ただ体力、少年の身体にある体力を使ってクロノに攻撃を繰り出す。
「クロ、ノ······君ッ!!」
瞬間、なのはは両足もろくに重心を計算に入れず、まるで爆発するように突っ込んでいく。怪物の魔の手がクロノに迫られる前に、なのははレイジングハートを盾にして両者の間に入り込んだ。
同時、怪物の殺意の篭った一撃がなのはのレイジングハートにぶつかり、ガッキィィィイ!! と轟音が鳴り響く。
その拳の一撃の勢いに押されて飛ばされそうになるなのはだが、彼女はレイジングハートを地面に突き刺す事で威力を殺す。
それでも一◯メートル以上滑ってようやく動きを止める。
「······やっぱり」
威力は間違いなく先程と同じ。
だが、
その拳には何の異能の力も宿っていないただの打撃だった。
そう。
そこでなのはの考えは確信に変わる。
「まだ戦う気か小娘?」
怪物は感心したように告げた。
ただしそれは自分が目上であることを自覚した上での感心だ。
「逆転のチャンスなどない。そんなことすらわからんのか? 努力や祈りに応じて奇跡でも訪れると思っているのならば、そいつはとんだ愚か者だ。そんなことが起きるのならば、誰も最初から戦いなどせんのだからな」
「······そうだね」
ポツリと、傷だらけの高町なのはは呟いた。
心の底から、吐き捨てるような声で。
「確かにあなたの言う通り、これ以上は不毛な戦いかもしれない。だけど、あなたはそれで満足なの?」
「今更語ってどうする」
怪物は受け答ようとしない。
「貴様の下らん価値観で何かを語るな。虫酸が走る、反吐が出る。それよりも素直に話したらどうだ?」
少年の姿が虚空へと消える。
気づいた時にはなのはの前に迫っており、レイジングハートをへし折るかのような一撃を喰らわせる。
「ッ!!」
なのはは何とか踏み留まるが、それだけしかできなかった。
攻撃に移す行動が取れなかった。
「貴様は憤っているのだろう。圧倒的に実力の違う一般人や貴様ら魔導師を、俺の
「·······ッ!!」
「だが、これが戦いというものだ。生まれ持った能力の差、手にした武器の性能、戦う人員の総数。そういう歴然とした違いが堂々と襲いかかってくるのが戦場でのルールだ。弱者は強者に喰われる、そんな当たり前のものに押し潰されるのが嫌だと言うのなら、巻き込まれるのも嫌だと言うのなら、初めから『
もはや鍔迫り合いにもならない。
怪物の押す力に負け、なのはの小柄な体があっさりと退く。
「力なき者が生きている価値などどこにもない」
今にも崩れそうななのはに、少年の口を借りた怪物は言う。
「貴様らは身の丈にあった不幸を生涯噛み潰して無様に野垂れ死んでいればいいのだ」
それが、少年の身の内に宿っている怪物の信念か。
あまりにも無慈悲な戦場では、鍛える鍛えない以前に、単体の戦闘力など無意味。どれだけ準備を整えようが、死ぬときは死ぬ。それが嫌ならあらかじめ高町なのはのような強大な魔力を持つ魔導師があちこちに散らばるリスクを全て排除した上で、安全な戦場でスナイパー役として戦わせるしかない。
だがそんなことできるはずもない。
単純に敵と味方の戦力を考慮し、伏兵の可能性を危惧するくらいならできるだろう。しかし本物の戦場とは違うのだ。本当に悪夢のようなタイミングで発生する偶然をあらかじめ掌握し、それを完璧かつ未然に防ぐことなどできるわけないのだ。
けれど。
だからこそ。
これだけは言っておきたかった。
「───嘘つき」
「······何?」
「嘘つきだよ、あなたは。あなたの方こそ自分の価値観を他人に強要してて、とっても下らないよ。そんなことより、命や戦い云々の前に、あなたは一つ嘘をついてたね」
「······何だと?」
「あなたはさっき言ったよね。悠仁君は一度経験してる、自分の命を顧みないって。それはつまり悠仁君はあなたに殺されたことがあるけど、あなたの力で命を戻して生き返らせたってこと。ということはこういうことだよね·······
「·······」
「動揺したね。私の読みは当たったってことか─────」
ガッキィィィイッ!! という激突音が炸裂する。
両手に構えたレイジングハートは震えていた。あまりにも強く握り締め過ぎたのか、彼女の爪のいくつかは割れ、指と指の隙間からは赤い血が垂れている。受け流しきれなかった莫大な衝撃がなのはの全身を内側から傷つけたのか、呼吸をしようとした彼女の口から、がほっ、と血の塊が噴き出した。
(あの時の傷口が········ッ!!)
怪物に酷く痛め付けられた傷口が開いて、時間差で痛みが襲ってきた。
少年の指に突き刺されて捕食された箇所から血が吹き出す。
それでもなのはの眼光だけは衰えない。
そしてその眼光が消えない限り、なのはの攻撃が止むことはない。
己を鼓舞するためか、傷ついた呼吸器官を押してまで叫ぶなのは。同時に放たれる怪物の拳、レイジングハートで受け止めるなのはは衝撃に耐えながら攻撃を弾いていく。
岩よりも重い一撃がなのはの発動する障壁を打ち砕き、金属音が響き─────そこから更なる金属音の連続が一瞬で空気を爆発させた。
魔導師と呪術師が再び武器を交えた。
その簡単な事実を確認する方が遅れるほどの速度だった。
高町なのははレイジングハートを振るい、その隙間を縫うように五つの球体を召喚し走らせ、少しでも隙が生じればレイジングハートによる打撃を繰り出す。
対する怪物は少年の拳のみで球体を弾き落とす傍ら、
ガキィンッ!! と火花が散る。
なのはと怪物の周囲に小規模の星空が舞う。
「あ·······ッ!!」
しかし結果は一目瞭然。
すでに限界を迎えているなのはの口からは断続的に血が溢れてくる。体の見えない所に重大なダメージがあるのは明白だった。魔法を発動するタイミングが徐々に遅くなっていき、いつかは追い着けなくなって怪物の一撃を受ける絶望的な未来が脳裏をちらついた。
ついていくだけでも精一杯の相手に対し、起死回生の一撃など撃てない。逆転のチャンスとはそれを実行するための切り札を温存しておいて初めて実現するものなのだから。
ほとんど技を見せなくては対処できないなのはに、チャンスはない。
たった一枚の切り札すら出し惜しみできないのでは、巻き返しは難しい。
そしてついには─────
「がふッ!!」
何の手加減もない一撃になのはの体が浮いて地面に落ち、二、三メートルも転がされる。
腹の中から口の外へ、一気に血の味が溢れ返る。
だが激痛にのた打ち回る前に、頭上の月を背に少年が飛びかかってきた。
何の冗談でもなく、脚力だけで真上に五メートルは飛び上がった怪物は、
「·······ッ!?」
ゴグギ、という鈍い音。
少年の踵。その重い一撃がなのはの腕を潰し、思わずレイジングハートを落としてしまう。
少年の腕はレイジングハートを拾うと、弱りきったなのはの首に杖先を当て、
「·······迷言もここに極まれりだな。何を勘違いしてるのか、
いつまで経っても足掻きをやめようとしないなのはに、怪物は心底冷めたような言葉を投げかける。
怪物は退屈そうに息を吐いた。
杖先で少しでもつついたら倒れてしまいそうななのはに、少年の口はこう告げる。
せっかくの御馳走が冷めてしまって味が落ちたことを遺憾に思いながら、
「ただの食料如きが俺に何か意見などするな······興が醒める」
そうしながら、ゆっくりとレイジングハートを握る腕が膨らんでいく。恐るべき筋肉の力で、レイジングハートそのものを潰しかねないほどに強く握り締める。
そしてなのはの顔面目掛けて思いっきり振り下ろした。
だが。
「ッ!!」
なのははボロボロの右手を動かし、顔面を襲うレイジングハートを寸前で握って食い止める。
もう、こんな怪物には恐怖も緊張もない。
なのはは歯を食い縛り、笑う。
「あなたはもう一つ嘘をついている」
「何?」
「さっきから気になってたんだけど······
「!?」
「変だなって思ってた。あなたはさっきから命を取ろうとする割には、ずっと打撃技しか使ってない。あの力を使えば私達の命を奪うことすら容易いのに、それをしない。あの時もそうだった、私との一対一の戦いでも全然使ってなかったし、それで思ったの。
その時、怪物の掴んでいるレイジングハートが僅かに揺れた。
「両面宿儺さん、だっけ? あなたはさっきの大技を二連発も続けて放って本当は限界なんじゃないかな。あのさっきのお寺みたいな技だってそう。見るからに歪で未完成だったし、その後のあの炎の技を出すために相当な力を使ったんじゃないかな?」
思えばあの伏魔御廚子。
怪物はなのは達を切り刻むために発動したが、あそこではもっと威力の高い伏魔御廚子を放つことの方が効率が良いはずだ。あの『闇の書』を倒す時のように、そもそも最初からあれを発動していれば良かったのに、それを実行しなかった。
いや、できなかった。
何故ならどんな大技でも、放つには相当な体力が必要となるはずだからだ。
つまり、少年の体力も限界に近い。
でなければ今頃自分達は斬撃によって全滅しているはずだからだ。
そう。
なのはの読みは当たっている。
何故なら。
両面宿儺は今、領域展開後の術式使用が困難な状態にある。
呪術戦において頂点ともされる領域展開。
術式を付与した生得領域を呪力により周囲に構築する。領域を広げるのはとてつもないほどの呪力を消費するが、それだけ利点もある。
一つは、環境要因によるステータス上昇で所謂ゲームのバフ。
もう一つは、領域内で発動した付与された術式は絶対当たる。
それらを叶えてくれる、まさに切り札。
つまり怪物の方も、切り札を出し尽くしていた。
驚愕に染まったように口を閉じている
「そういえばあなたはこうも言ってたよね。『態々駆け付けたというのに燃料切れとはつまらん末路だ』って·······今のあなたにぴったりな言葉だね」
二人の間で殺意が膨張する。
更地の結界内の中心点が死で埋め尽くされる。
「死に損ないが、よくそこまで吼えたな······八つ裂きでは済まさんぞ·······小娘ェッ!!」
そこで明確な変化があった。
怪物の怒りが少年の顔を突き破ってなのはを押し潰そうとしてくる。目の前から襲いかかってきて心が握り潰されそうだった。
余裕も、何もかも、全てを剥ぎ取った剥き出しの感情がなのはの心臓を鷲掴みにしようとする。
それでもなのはは退かない。
少年の手に掴まれているレイジングハートを取り戻すために、死んでも放そうとはしなかった。
どんなに殺意で押し潰されようと、愛機を手放すことなんてできない。
主としての務め。
それを守るためだけに、少女は絶対に後ろに退かない。
と、声が聞こえた。
「バルディッシュッ!!」
「シュベルトクロイツッ!!」
「アイゼンッ!!」
「レヴァンティンッ!!」
「クラールヴィントッ!!」
「デュランダルッ!!」
「てやぁぁぁあああッッッ!!!!!」
声と同時、七つの光が怪物の地面を粉々に砕いた。
四方八方からの爆発で細かい破片が爆弾のように吹き飛び、少年の全身に豪雨のようにぶち当たった。
「ッ!?」
まさにリンチ。その激痛に強張る少年の体は拒絶反応を強く出し、思わずレイジングハートを放してしまう。
少年は。
怪物は。
両面宿儺は、ついその行動が理解できなかった。
死に損ない風情共が揃いも揃って戦場の真ん中へ、ただの人間如きがまた立つということはどういうことなのかなどと、火を見るよりも明らかだ。
なのに。
「なのはッ!!」
「なのはちゃんッ!!」
「フェイトちゃんッ!! はやてちゃんッ!!」
ある者は杖を携え走り抜け、ある者は剣を手に壁となる。死を恐れぬ者達はあっという間に集合すると、まるで満身創痍のなのはを守るように布陣を築き上げた。
宿儺からしてみれば、ほぼボロ板のような脆き壁。
彼は冷たい目で、険しい表情で告げた。
「貴様らには本当に辟易する······いいだろう、遊びは終わりだ。ここで今、皆殺しにするッ!!」
なのは達は武器を握る。
思いっきり奥歯を噛み締める。
今までの自分達が築いてきたものを、
命懸けで自分達が磨いてきたものを、
こんな化物に、踏みにじらせはしない。