虎杖悠仁に次いで、五条悟までもが行方を晦ました。
そのことが呪術業界全体に知れ渡ったらパワーバランスの崩壊が起こり、ずっと彼に恐れを抱いて大人しくしていた凶悪な呪詛師や呪霊たちが好き放題暴れまくるだろう。いや、問題はそれだけじゃない。今でも環境が最悪な中、内輪揉めなんてものまで起こったら日本なんていう小さい国はたったの一日で滅ぶ。
敵方に情勢が漏れる前に、なんとしても五条悟と虎杖悠仁を見つけなくてはならない。
とはいえ、だ。
呪術界の多くの呪術師が、実はそのことを喜んでいる。
最強と最凶。
そのどちらもいなくなったとなったら、正義側も悪側も、抑えられていたストレスから解放されて正直清々する。五条悟の我儘に付き合うことはなく、そしてどれだけ好き放題やっても狙われることはない。さらに史上最強と謳われ、史上最凶と恐れられた邪悪な呪いの王である両面宿儺がいなくなったとなったら、それこそ脅威は去って平和な世界が訪れたと感じられる。
まさに一石二鳥。
だが。
正規の呪術師はともかく、呪詛師や呪霊なんかに好き放題されるのは勘弁願いたい。特級ともなれば、対応できる人材も限られてくる。
だから今も必死に探してやっているが、彼女は素直に言ってしまうとあまり乗り気ではない。
「はぁ、全く世話が焼ける」
困った後輩達だ、と巫女装束のようなものを着込んだ彼女は疲れたように肩を落とす。
準一級呪術師、“庵歌姫”
最近ストレスが溜まって肌荒れが目立ち、右頬にある大きな傷が疼く。
あの馬鹿後輩である五条悟がこんなにも呪術業界にとって一番の核となるような存在であるという事は、やはり『世界を動かしている勢力にとっては必要不可欠な抑止力』の働きを見せていたのではないか、と歌姫は考えている。
本人が直接作用していなくても、その名前を口にするだけで間違いなくどんな特級術師よりも膨大な影響を及ぼしていたんだろう、とも。
現代最強。
絶対的存在。
個人的な考えではあまり関わりたいと思っているが、私情を挟んではならない。歌姫は特に見つけ出す糸口を明確に掴んでいるわけではない。
しかし、手がかりは掴めなくても手にいれる方法はある。
当然、その方法にはそれなりのリスクを伴うだろう。
─────裏切り者。
容疑の段階ではあるが、そいつの持つ呪力は天与呪縛の影響で日本全土に及ぶほどで、そのおかげで日本中を監視できている。死角なく監視カメラを設置できる術式を所有している自分の生徒を捕縛し、尋問後に協力を要請して行方不明となっている五条悟達を見つけ出してもらう。
けれど、相手が索敵スキルに特化した術式を持っている以上は歌姫の侵入に向こうが気づかないとも限らないし、気づかれれば捕まらないように何かしらの迎撃策が講じられるのはほぼ確実だ。歌姫がこうして侵入を考慮し、そして危惧している事自体を向こうに勘付かれればその時点でその内通者と繋がっている『敵達が動く』可能性があるかもしれない。
だが、その可能性は低いと彼女は考えていた。
というより考えたい。
(·········どうか思い違いであって欲しい)
彼女は信じたかった。
自分達の中から裏切り者なんて出ていないことに。
だが、どれだけ調査しても怪しい者はおらず、消去法で容疑者を絞っていった結果、一番それらしい動機を持っていそうな“彼”に辿り着いた。
“彼”は天与呪縛という呪いに蝕まれており、その影響で体は不自由でいる。その代わりに強大な呪力量を手に入れたわけだが、彼自身がそれを望んで手に入れたわけではないし、こんな苦しみを味わい続けるのなら要らなかったと考えているだろう。
もし。
つまり、ほぼ確定。
彼の持つ術式、“傀儡操術”。
登録されていない傀儡から集められる情報は膨大で、それを手に入れたら国家転覆なんて夢じゃない。実際、
おそらく、見つかっても良いから敢えて自分から教えてきたのだと思われる。容疑者だと疑われても、逆探知されても、見つかっても構わない。もし彼が内通者だとして、このタイミングで自分達に協力するようにあの特級呪物の在処を探し出して教えてきたということは、通じている呪詛師とは縁を切ったか、もしくは命を狙われているということも考えられる。
自分の名前で情報を共有してきたということは、むしろ一刻も早く自分を見つけて欲しかったのでは、とも思えたのだ。
危険が迫っている。
だから京都校側の関係者には内密に調査し、今保護も兼ねて捕獲に向かっているわけだが、
「面倒ごと増やすんじゃないわよ、五条め·········ッ!!」
やはりムカつくものはムカつく。
内通者の存在を調査してほしいと頼んできた張本人が行方不明とか、しかも協力のために派遣されるはずだった東京校の一年生までも。
余計な捜索を追加されたことに苛立ちを隠せない歌姫はこめかみに青筋を浮かべていた。
「どこいんだよアイツらッ!!」
思わず機嫌を悪くして自分の唇を小さく嚙んでしまう歌姫は正常に判断できないのか、やけくそ気味にスマホに登録されている五条悟の電話番号を入力して連絡を取ってみる。
もしかしたら、という無駄な期待を持ってはいるものの、望みは薄い。
ぶっちゃけ言うと捜索するのがめんどくさくなってきた歌姫は、ああもうこの電話で解決できないかなと考えてしまうほどに疲れてしまっていたのだ。自分達の学校から内通者が出たというだけでも悩んでいるのに、ストレスが溜まって肌荒れを促進させている最大の原因である五条悟の捜索までさせられたとなったら堪ったもんじゃない。
だから五条に関しては手抜きでなんとかならないかと思っていると、
『ハーイ! みんな大好き五条悟でーす!!』
「!?」
電話から聞こえてくる五条悟の声。
結構ダメ元で試したのに、そのムカつく声を聞いた瞬間に思わず歓喜の声を漏らしてしまう。
歌姫は今どこにいるのかを聞こうとしようとしたものの、五条はその前にこう言ってきた。
『この電話は現在電波の届かない場所にあるか、電話に出るのが非っ常に面倒なんでかかりません! メッセージを残されても僕は基本忙しいから確認が
ブツンッ!!
ツー、ツー。
「············」
電話の向こうから切れる音がし、そして甘い考えを持った歌姫の頭からもキレた音がした。
録音されたボイスメールから聞こえてくる五条悟の声はとてつもなくふざけており、もはや折り返しの電話すらかけてこないように感じられた。
そして。
すでに怒りゲージが限界地まで溜まっていた歌姫は、持っていたスマホの液晶画面から嫌な音を響かせるくらいに強く握ると、頭が沸騰するくらいに血を昇らせて叫ぶ。
「あんの野郎ッ!! ふざけやがって全くもう!! 自分から調査を頼んでおいて電話に出ない挙句に切るかキレるかとか!! 特級だからって、先輩をコケにするのも大概にしなさいよぉぉぉオオオオオオオオッッッ!!!!」
奇行に走る歌姫先生。
巫女装束を着込んでいるだけでも目立っているというのに、その狂ったような大声を上げたことで道行く学生や社会人達がチラチラとこちらに視線を投げてくる。いつもは全く気にならないのだが、今日に限って妙に神経を浅く浅くつついてくる。
(本当に厄介事ばかり押し付けてくるんだから、あんのクソ野郎············ッ!!)
頭の中だけでブツブツと呟く。
こんな内容でイライラしている事自体が歌姫にとっては不快だった。どんな感情であれ、思考のウェイトの大半をあんな馬鹿に占められる事が納得いかない。
「············嫌な空」
歌姫は適当に空を見上げて呟いた。
今まで建物の中にいたから気付かなかったが、青かった空がいつの間にか灰色·········というより、ほとんど黒に近い雲に覆われていた。もういつ降り始めてもおかしくない感じだ。気象情報は把握していても、最近は夕立など突発的な天気の移り変わりが激しく、予測さえできなくなっている。
何もかもが自分の予想外。
内通者なんていないと信じていても、その予想が外れる可能性の方が高い。
「············ハァ」
一人で怒っていても仕方がない。
大人気がなかったのは素直に認めて、潔く仕事に向かうとしよう。あの馬鹿の言葉に対して素直に信じられるかどうかは甚だ疑問だが、ここはちょっと冷静になってみよう········とか何とか考えながら彼女は一度深呼吸する。
まだ信じたい。
あの子が内通者ではないことに。
だが。
捕縛して尋問をし、彼から動機を聞き出した時、自分が予測もしていなかった期待はずれの返答があったらどうしようとも考えてしまうのは、それも自分が甘いせいなのだろうか。
「············」
いずれにしても、もう一度会って話してみないと、と歌姫は歩調を速めた。
◇◆◇◆◇◆◇
「暇だ···········」
今日は人手が足りるということで、消去法で一番外を出歩いてはいけない少年は、君は来なくていいよ扱いされて床に寝そべっている。
みんながいなくなってから開始五秒で退屈になってしまい、五条に君には呪術は使えないよと言われた時と同様、紙に書かれた落書きの如く人間としての原型を崩している虎杖悠仁。
夕方までずっとその状態で··········というかむしろよくずっとその状態で飽きもせずにいられたものだ。
ちょっと息を吹きかけてやればすぐに飛ばされてしまいそうなほどに弱そうな姿になっている虎杖は、両親がおらず祖父との二人暮らしの生活を送ってきたから、今までも何度か留守番を経験したことはあるが、だからと言って不満を感じないわけではない。普段の彼から分かる通り、じっとしているのは結構不向きな性格であることは容易に想像できるだろう。
死んだことにされて映画を昼夜問わずぶっ通しで見続けた時もストレスが溜まっていたし、点けっ放しのテレビを見るどころか殴られないように気を配り、映画の内容を理解するのも辛かった。
仲間達はなのはの家族が経営している喫茶店の手伝いに行ってしまったし、五条先生はどういうわけか店の手伝いをすることなくどこかへ消えてしまった。去り際に残した彼の言葉、『お土産は期待しないでね』と言っていたことから、観光にでも行ったのだろうか。
匿ってくれた高町なのはも今は学校だし、やることがなさすぎて死にそうだった。
「···········」
外に出たい。
映画見たい、パチンコ行きたい。
そんな欲求に駆られる虎杖であったが、直後に首を横に振って、そんな邪念を振り払う。自分はこの世界に迷惑をかけた存在、これ以上ここの住民を困らせるわけにはいかない。
とはいえ、しんどい。
一日何もしないって結構辛いのだ。
退屈すぎて、ペラペラとハサミで切り取られた切り絵みたいに薄い姿になってしまっている彼であったが、不意にこんな声が飛んできた。
「暇そうだな虎杖」
その声に反応して姿を元に戻すと、虎杖は声をかけてきた人物に目を向ける。
そこにいたのは大学生くらいの男性。
黒髪で、スポーツマンのように体格が素晴らしいこの男性は高町なのはのお兄さん、“高町恭也”さんであった。
誰も一人で留守番をしているとは言っていない、むしろ自分は監視されている立場だ。一人で家に留守番させるなんて、そんなのなのはが許さないだろう。
逃げ出そうとすれば即捕獲できるように見張りを置くのは当然のこと。
玄関の向こうに広がる外の世界を想像した彼の邪念を感じ取ったのか、かなり良いタイミングで話しかけてきてくれた。
退屈で死にそうな彼を、恭也は嘲るように笑い、
「そんなに暇なら、稽古に付き合ってくれないか?」
「? 稽古?」
すっかり打ち解けて仲良くなっている虎杖は首を傾げると、恭也がこちらに何かを放り投げてきた。
剣道でよく使われる防具、籠手。
いきなりそんなものを手渡されても良くわかっていない虎杖に、彼はこう言う。
「こんな機会は中々ないからな、ちょっと知りたいんだ。外の世界の戦い方ってやつを」
◇◆◇◆◇◆◇
秋や冬の場合、日本の日没は早い。すでに空の色は紫ががっていた。
残された時間は少ない。
完全下校時刻になるまでにできるところまで調べ上げなければ。
「スクナ······宿儺······」
市民図書館。
自分の友達の月村すずかが夜天の魔導書の主の少女と出会った場所。
そんなところでずっと、慣れない手付きで一生懸命調べ物をしている少女がいた。
小学生であるならば早めに家に帰るように言われているはずだが、少女はとにかく今のうちに調べておきたかった。自分の家族を痛めつけてくれた、『両面宿儺』という怪物のことを。
だが、残されている文献があまりに少ない。
一つの街の市民図書館では、置いてある本も資料も偏りがあって目的のものがない場合がある。そういう時はアンケート用紙のような紙に置いてほしい本のタイトルを書いてリクエスト箱と書かれた所に入れて要望すれば、数パーセントの確率で仕入れて棚に入れてくれることもなくはない。
借りてくれる人達が多く、需要があると証明されたら図書館側も応えてくれるだろう。
けれど、あまり期待はしない方がいい。
そもそも『両面宿儺』のみを扱っているような本はこの世界にはない。よくて、妖怪大百科のように、他の神様達や妖怪達のことが語られている図鑑の中に、たった数行で載せられている程度だ。
虎杖がいる世界ではかなり有名で多くの資料が残されているかもしれないが、彼女達の世界ではそこまで多く語られていない。宿儺を扱った漫画や小説もあまり見かけなかった。つまり、ここではあまり幅広い世代に知られるほど有名ではないのだろう。歴史や昔話の専門家といった人達の方に聞きに行った方が早いかもしれないというほど、この図書館には宿儺の事を語る資料がなかった。
それでも彼女は調べ続ける。
閉館の時が来るまで、魔法という異端技術を凌駕するほどの力を持った、虎杖悠仁の中に潜む『両面宿儺』という怪物の『弱点』となりそうなものを調べ上げる。
「フェイトちゃん······」
背後から声をかけられる。
三人の見知った顔。
同学年で同じクラスの友人達。
「フェイトが勉強家だったのは知ってたけど、まさかここまで熱心になるなんて知らなかったわ」
「でも、根を詰めて勉強しすぎて体を壊しちゃったら元も子もないから、程々にね?」
ずっと調べ物をしているフェイト・テスタロッサを手伝うように、高町なのは達が追加の資料を持ってきていた。
「······なのは、アリサ、すずか」
他の人たちに迷惑をかけないように机の上に置くなのは達に、フェイトは小さな頭をわずかに傾け、申し訳なさそうな声で言う。
「ありがとう········みんな」
「ううん、私も宿儺について知りたかったし」
「友達の頼みなら、なんだってするわ」
「私たちにできることがあるなら、協力させて」
と言って隣に座るなのはにアリサとすずか。
彼女達が持ってきた資料の多くは、もはや大学生レベルの専門知識が書かれた歴史の本。明らかに小学生が手に取る内容じゃない。古事記や日本書紀のことを小学校でも学ぶとしても、それは彼女達の学年が学ぶには早すぎるし、大体は漫画で書かれるくらいのものがちょうど良いだろう。市販されている入門書を遥かに超えた、専門的な研究に用いられるような本は分厚く、調べ上げるにはかなり時間がかかる。
神道学や国史学、宗教学。
彼女達がそれを読むのは早すぎる。
だが、四人は必死で調べていた。
クリスマスが終わって二日過ぎた頃、アリサ達も事情を聞かされて解放され、今では普通の日常に戻ることができている。最初こそなのは達は、正体が知られて関係が壊れないかと不安だったが、彼女達はそんな些細なことなど気にしないかのように二人を受け入れてくれた。
いつも通りの学校生活に戻れたことに安堵した二人であったが、それでもまだ問題は残っている。
件の少年、虎杖悠仁。
彼は今、なのはの家で匿うことになっている。
これは高町なのは自身が自ら提案したことであり、彼が安全に過ごせるように家族全員で常に見張っている。
おそらく、ではあるが。
魔法という力で実力差を語ってもよいのなら、家族の中で一番戦闘力が高いであろう高町なのはが一晩中監視すべきだが、小学生の彼女は昼は学校があるし、そもそも小さな子供がやることではない。だから、高町家一同でずっと虎杖を見張ることにした。
あまり知られていないが、なのはの家族は戦闘民族と言えるほどの圧倒的な力を有している。
『小太刀二刀・御神真刀流』
その流派はボディガードや暗殺術に特化しており、太刀・棒手裏剣・ワイヤー・体術を用いた戦闘を得意としている。
なのはの兄や父親、姉がこの通称御神流と呼ばれる古流剣術を身に付けている。一般人の桃子やなのは以外の家族は人並み外れた戦闘力を持ち、非魔導師としては非常に高い戦闘力を持っているため、任せられると思ったのだ。
しかし、相手は海鳴市を瓦礫の山に変え、全てを焼き尽くすほどの力を持った怪物。
普段は虎杖悠仁という少年が蓋をして抑えているとはいえ、万が一制御を外れて暴れたら、真っ先に狙われるのはなのはの家族達だ。
それが、他の友人達は心配だった。
アリサ達は少ししか見ていなかったが、あの時感じたかつてないほどの殺意。今まで味わったことのない恐怖は、まだ幼い少女達の肺を麻痺させるほどだった。眼光だけで窒息死をさせるほどの殺人欲、極めて危険な怪物が今親友の家に住んでいるということがどれだけ異常なことか。
心配なアリサはなのはに訊ねる。
「ねぇ、なのは?」
「うん? どうしたのアリサちゃん?」
「あの虎杖悠仁っていうお兄さん········正確にはその中に宿っている両面宿儺っていう化け物なんかと一緒にいて大丈夫なの?」
「········うん。悠仁君、ウチに来てからずっと家の手伝いしてくれててね。とても大人しいよ?」
「でも、万が一また暴れ出したりしたら········」
「そうならないように悠仁君のクラスメイトの恵さんと野薔薇さんも一緒に見張ってくれてるの。二人とも凄く強いって言ってたし、大丈夫だよ」
そう微笑んで言うなのはだったが、アリサとすずかはどうしても不安だった。
また暴れ出したりしたらと思うと夜も眠れないほど。
当然だ。
怪物がこの街に、そしてすぐ近くにいるのだから。
とてもじゃないが安心できない。
そんな顔をする二人に、なのはは人差し指を立てて言う。
「それにね、もしそうなっても大丈夫なように悠仁君の担任である五条悟さんっていう人もいるんだ」
「········あのサングラスを掛けたおかしな人?」
「翠屋で一人働かずずっとコーヒーを楽しそうに飲んでるだけだったからよくわからなかったけど、そんなに強い人なの?」
「うん。あの人を近くで見た時、すぐにわかったよ········まさしく『最強』だって」
虎杖のその後の様子が気になって、喫茶店の外から隠れて中の様子を確認した時に五条悟という男の姿を見たことはあるが、生徒三人に仕事は任せて一人だけ優雅にコーヒーとシュークリームを楽しんでいるあの人がそこまで強い人なのか、二人にはよくわからなかった。
けれど、実力は本物だ。
なのは達、魔導師がいくら挑んでも勝てなかった宿儺をたった一人で止めたあの男の強さは計り知れない。魔導師が束になっても勝てない、そう断言できるほどの力を有している。あんな軽薄そうな性格をしておきながら、宿儺以上の力があるなんて想像もできない。
だが言い換えれば、それは力を悟られぬように普段から一般人を装っているということだ。
能ある鷹は爪を隠す。
余裕の余裕。
真の実力があるからこそ、その力をひけらかすことなく軽めな態度でいられる心のゆとり。
それだけであの男がどれだけ異常かわかる。
同じ戦場で、すぐ近くにいたなのは達だからわかる。五条悟は圧倒的だ。なのは達が全力を出して攻撃しても、その身に攻撃が届くことは絶対にない。闇の書の闇、ナハトヴァールが放った一撃さえも寸前で止めていたのだ。おそらく、スターライト・ブレイカークラスの魔法を放っても、あの男には届かない。止められる攻撃の威力の上限値は無限で、どれだけ強力でも決して通さない絶対防御壁。
五条悟。
全ての可能性を無限に持つ男。
逆に何を持ち得ていないのかすらわからない。
だから、大丈夫と断言できる。
あの天賦の才を持ち合わせた魔導師とまで言われた高町なのはがそうまで言うんだ。
ならばそうなのだろう。
─────しかし。
「それでも········私は両面宿儺の方が強いと思う」
「「「!!」」」
「あの化け物は本気じゃなかった。というより、本気を出せていなかったのかもしれない」
「フェイトちゃん?」
「あの人達が戦ったら、どっちが勝ってもおかしくはない。でも、私は多分宿儺が勝つ········そんな気がするんだ」
決して称賛しているわけではない。
だが、フェイトは不本意ながらもあの怪物の実力を認めていた。
規格外同士がぶつかったら勝敗はどう転ぶかは誰にも予想がつかない。しかし、絶対無敵の防御を持つ男であっても、あの宿儺という怪物はそれすらも突破するような気がする。
思い過ごしかもしれない。
でも、宿儺は今まで魔法なんてものと戦ったことはなくても、すぐに分析してこちらを圧倒してきた。
その狡猾さ。
魔法という異端技術をも凌駕する宿儺の呪術。
呪術と魔法が衝突する例は今までなかった。
単に宿儺の力が勝っていたと言えばお終いだが、それだけではないような気がする。
それは、フェイトが今手に持っている資料から読み取れる。
「両面宿儺は『二人いたぐらい強く、力があって頭も良かった』。これだけではなんの証明にもならないし、ここに書かれている宿儺は別の宿儺だろうけど、この本に書かれている宿儺は平安時代にいた鬼神として書かれている。つまり、そんな太古の昔から現代までそれだけ長く生きているとなったら、その経験から得た情報アドバンテージは計り知れない。実際、幾つもの時代を渡り歩いてきた『闇の書』を凌駕していたんだから」
「フェイトちゃん········」
「戦った私達だからわかるはずだよなのは。あの宿儺の高度な理解力は魔法にも効果がある。即座に複雑な術式を見抜く解析力。長く生きてきたからこそ、戦闘経験は豊富ですぐに本質を理解して魔法を切り裂いた。現代の魔導師が知らない古の技術や知識を豊富に持ってて、これが戦闘において決定的な優位性をもたらしてる」
わずかに語られている資料で冷静に分析するフェイト。
考察のちょっと先を行ったぐらいのことを説明するフェイトは、とにかく宿儺という怪物が持つ可能性はあの五条悟にも匹敵していると言いたいらしい。
簡単に言ってしまえば、舐めない方がいい。
規格外過ぎて、もはや別次元の存在。
人間や怪物という枠には当てはまらない。悪魔や妖怪に鬼神と譬えるのも生温い。
恐怖そのもののような存在。
見るからに恐ろしい存在が残酷なことをしてきても、恐いと感じたとしても、それは『なんとなく予測できた怖さ』だ。悪魔が人間に恐ろしいことをしようとしてきても『悪魔だからそういうことをやるよね』とか、見るからに不良っぽい人が大暴れしても『ああだよね』と無意識に納得してしまう。子供の頃から悪魔や妖怪という存在がいて人間達に悪さをしているんだよと教え込まれていたならば、たとえ相対してもこいつは恐怖として語られている存在だからと認知してこれから自分は悪いことされるんだ、で終わってしまう。
仮に、あの規格外の恐ろしい力を持った五条悟と命懸けで戦うことになっても、始めから勝てないことはわかっていたし仕方ないと納得して死の恐怖を受け入れてしまう。
ある程度の理解。
それが恐怖感を緩和させて、完全ではなくとも恐さを感じなくなる。
けどあれは········全然違った。
宇宙人のような、今まで遭遇したことも見たこともないような『理解できないもの』が現れたら、どう恐怖して良いのかわからない。
あの時感じた恐怖を、現代っぽく身近にあるものでわかりやすいように譬えるとしたら、普段から温厚で、誰に対しても怒ったことがないようなとても優しい人間が、急に人が変わったように激昂した感じだろうか。
動機も道理も予測できないような恐怖って、ショックが強過ぎて目の当たりにすると思考ができなくなる。
恐怖よりも先に死が先回りしてくるような、圧倒的な理不尽。
殺されると思っていなかったような場面でいきなり殺される!? ってなったら人間は現実が追いつかず、でも生存本能は働いて恐怖で震える。普段穏やかな人は、周囲から『怒らない人』として認識されていて、その安定したイメージが崩れたら『次に何が起こるかわからない』という不安が生まれる。常に怒っている人の行動はある程度予測できても、穏やかな人の怒りは未知の領域で、普段は何を言われても言い返さず黙って耐えるタイプの大人しい奴がプッツンとキレると、あらゆる合理性を無視し、逮捕覚悟で恨みの解消だけを目的に行動に出る。
それは受け入れる隙もなく襲いくる恐怖であって、それがどんなものよりも恐ろしい。
そういった、説明も予測もできない存在と譬えた方が良いのかもしれない。
「英雄や鬼神、正義と悪のどちらとも伝えられてるからこの情報だって当てにならない。何もかもが未知の存在。わからないからこそ、宿儺は私達の脅威となって襲いくる。だからまだ完全じゃない今のうちに、宿儺の弱点となりそうなものを探してみたけど─────」
フェイトは肩を落とす。
今のうちに多くの策を練ってあらゆる危機を回避しようと試みているフェイトであったが、望んでいた情報が圧倒的に少なかった。
両面宿儺という資料は見つかったものの、そこに記録されているものは自分たちが知る宿儺ではない。おそらく、あの宿儺はここに書かれている両面宿儺のような見た目をしていたからその名が付けられたのだろう。もしも、宿儺の見た目が阿修羅や明王のようなものであったら、呼び方も違っていただろう。
つまり、この情報はあの宿儺には何の対策にもならない。
骨折り損のくたびれ儲け。
そう体現するようにフェイトはため息をついて、本を掴んだまま机の上に腕を伸ばして顎を乗せる。
あの大人しく真面目なフェイトが珍しくいじけた子供のようにしている。気のせいでなければ彼女のチャームポイントであるツインテールも、元気がなさそうに萎れている。そんな様子を見兼ねてか、なのは達は慰めるようにして肩や頭を撫でてあげる。
そんなことをしていた時、館内に四段階の鉄琴のメロディが鳴り響く。
『本日も、ご来館いただきまして、誠にありがとうございます。ご来館中のお客様に、ご案内申し上げます。当館はまもなく閉館のお時間となります。お忘れ物のないよう、お気をつけてお帰りください。またのご来館を心よりお待ちしております』
という聞き心地の良い女性のアナウンスが終わると、再度鉄琴のメロディが逆再生をするように四段階で奏でられる。
閉館十分前。
外を見ると空は漆黒に染まり、館内を見てみると来ていた他の人達が閉館となる前にさっさと出ようとして、受験道具を仕舞って参考資料を元の本棚に戻して出口へと急いで歩いて行っている。
「今日はここまでね。私達も早く帰らないと」
アリサの言葉にみんなが頷く。
自分達も閉館になる前に出ようと、机に積み重ねられていた資料を手分けして運んで本棚に戻していく。高いところにあった本は二段程度の小さな木製の脚立を使って戻し、それぞれを元の本棚に納めると、学生鞄を背負って図書館を後にする。
アリサとすずかはお嬢様という身分でもあったためか、彼女達の執事やメイドが外で車を停めて待機していた。大金持ちらしい高級車、なのはとフェイトも送って行こうかと提案したものの、二人は首を振った。
「じゃあ、またね。二人とも」
「また明日学校で」
「うん。アリサちゃん、すずかちゃん」
「また明日」
そう言って手を振りながら見送るなのはとフェイト。
ドアを開けてくれていた執事やメイドは、お嬢様が乗ったことを確認するとなのは達に一礼してきた。アリサ達は自分達の車に乗車すると、車の中から最後までこちらに手を振っているのがサイドウィンドウから見えた。
遠くへと消えていく二台の高級車。
すっかり見えなくなったら二人は向かい合って頷き、家に帰るために歩き出す。
幸い、家までは歩いて五分の所だ。
なのはとフェイトの家はとても近くにあり、二人のうちどちらかが危険な状況になった場合にすぐ駆けつけれるように、リンディが気を利かして近くのマンションを借りてくれた。
だから帰る道は同じで、たとえ何かあっても魔法という力が備わっている彼女達なら大丈夫だろう。
二人は一緒の帰り道を歩いていく中で、なのははフェイトとの会話をしばらく楽しんでいると、
『············ねぇ、フェイトちゃん?』
『うん? どうしたのなのは? 急に念話で話しかけるなんて』
口ではなく念話で話しかけてくるなのは。
周囲には聞かれたくない話題なのだろう。
どこか申し訳なさそうにして、なのははフェイトにこう訊ねた。
『············悠仁君のこと、恨んでる?』
『··················』
聞いてよかったのかわからない質問に、フェイトは黙ってしまう。
俯き気味で黙り込んでいたフェイトだったが、しばらくすると顔を上げて、どこか悲しそうな表情で語りかけてくる。
『難しい···········かな。あれが悠仁じゃないことは、私だってわかってるんだ。けど、いくら考えても宿儺を思い出す度に悠仁の姿が重なっちゃって、宿儺を恨もうとしたらどうしても悠仁まで恨んでしまう。悠仁には何の恨みはない、本当なら許したい。なのに、そうしたら宿儺まで許してしまいそうでさ········どうしたらいいのかわからないんだ』
『そう···········だよね』
フェイトの気持ちに、なのはも同調してしまう。
フェイトは、虎杖悠仁の体を乗っ取った両面宿儺に、彼女のたった一人の家族であるアルフを痛めつけられている。
彼女だって、あれは虎杖悠仁ではなかったということは充分にわかっている。あくまでフェイトが恨んでるのは両面宿儺であって、虎杖悠仁ではないのだ。
けど、彼女の中では両面宿儺は虎杖悠仁というイメージがどうしても定着して、あの怪物のことを思い出そうとしたら必然的に虎杖悠仁の姿も脳内に現れてしまう。もし、今日読んだ資料のように宿儺がわかりやすく顔が二つで腕が四本の怪物の姿をしていたら、虎杖悠仁のことを思い出さずに宿儺だけを恨んでいただろう。
だが、彼女が見た両面宿儺の姿は虎杖悠仁の姿そのもの。
身体中に刺青が浮かび上がって、二つの瞳と一対になるように開眼された小さな目に、上に逆立った前髪。
所々違いはあれど、虎杖悠仁本人であったことは変わらない。
宿儺だけを恨みたいのに、虎杖の姿が邪魔をして無意識に彼のことまで恨んでしまう。
なのはの質問に答えてやりたいが、とてもじゃないがこの感情は一言では言い表せられない。
難しい問題なのだ。
二人が今抱えている悩みは、人はなぜ生きなければならないのかとか、宇宙は何のために存在しているのだとか、そんな途方もないことを考えているに等しい。
だからフェイトは複雑な気持ちを抱えながらも、彼のことをどう思えばわからなかった。
虎杖悠仁は虎杖悠仁、両面宿儺ではないと必死に頭の中で訴えても、あの虎杖の体を乗っ取った姿が強烈すぎて邪念に思考が全部弾かれてしまう。それがひどく、彼女の胸をざわざわさせる。喜怒哀楽の何が当てはまるのか自分でも説明できないのだが、とにかく鋭い先端を持った『何か』が心の表面をつついてくる。
止まらない負の連鎖。
いくら別物と考えようとしても出来なかった。
だからフェイトは、なのはに逆に聞いてみた。
『なのははどう思ってる? 悠仁のことと、宿儺のこと』
『········』
自分で話題を振っていて何だが、なのはもこれには黙ってしまう。
ほぼフェイトが思っていることと同じで、自分も宿儺のことを思うと虎杖まで頭の中に現れてしまう。
それでも、なのははこう思っていた。
『私も········宿儺のことは絶対に許せない、かな。それを今まで黙っていた、悠仁君のことも』
『········そっか』
『けど─────』
『?』
『悠仁君はその償いをしようと、今も必死に考えてるはずだよ。もしかしたら、自決しようとか思ってるかも』
『!!』
『アルフさんだけじゃなくてユーノ君にまで酷いことをした宿儺を、私も絶対に許せない。だけど、一番苦しんでるのは悠仁君なんじゃないかな? 両面宿儺っていう悪いものを毎日必死に抑え込んで、だけどそのせいで周囲から怖がられて命を狙われることになるのって、想像以上に辛いと思うよ。自分は制御できていたとしても、前みたいに制御から外れて暴れ出すことだってあり得るってことがもうわかっちゃったから、悠仁君は今まで以上に責任を感じてる。だから、宿儺を超えるくらいに強くなろうとしてるのかも。もう二度と、あんなことが起きないように、って』
だから、となのはは一拍置いて、
『私も、宿儺を超えるくらいに強くなりたい。たとえまた暴れても、今度こそ倒せるくらいに強くなって、悠仁君の苦しみを減らしてあげたい。っていうのが、私の考え········かな?』
『········』
フェイトは言葉が出なかった。
同時に。
やはり、なのはは強いなとも思った。
自分が考えもしなかったことを、彼女は考えつく。いつも一歩先に行った答えを出し、そのために自分は何ができるのかを考えて行動する。
相変わらずの不屈の精神。
全く敵わない。
予想もしなかった答えを聞いたフェイトは、
『そう、だよね。悠仁だって、今も必死にどう償えばいいか考えてるよね』
『うん。だからそんな悠仁君を私は超えたいんだ。私達が想像もできないような重荷を背負って、必死に思い悩んで、それでも頑張って強くなろうとしている悠仁君を』
答えというものは出なくとも、二人は最終的にその考えに至った。
ひょっとしたら、答えなんか出しても安心はできないのかもしれない。
もしかしたら、答えを出した途端に虎杖悠仁に対する見方はガラリと変わってしまうのかもしれない。
本当にこれで良いのかと確証を得られないまま、けれど二人はそうだと導き出した道を進むしかない。
だから二人だって覚悟は決めてある。どんなに辛くても、どうしようもないものを抱えていたとしても、それを受け止めてみせると。
答えが出ないのならば、必死に考えるしかない。
生きて、生きて、生きて。
そのことをずっと考えながら生きて、自分が最も納得のいく答えを導き出すしかない。
ぐっ、と意識して顔を上げる。
お腹に力を込める。
色々な事を考える二人だったが、いつの間にかなのはの家に辿り着いた瞬間に状況は一変した。
念話で会話しているうちに家に帰って来れたことに安堵したなのはは、ここまで一緒に帰ってきてくれたフェイトに手を振ってまた明日と告げた。
その瞬間、
突如として、
ドンッ!!
という爆裂音が轟く。
「「!?」」
音源はなのはの家の敷地内。
いきなりの音に驚いた二人は敷地内に入っていき、音の出所である道場の障子に手をかけ、勢いよく引いた。
そこで目にしたもの。
それは─────
「強いな、虎杖」
「いや、こっちも戦ってて何度もヒヤッとしたよ。流石はなのはの兄ちゃん、やっぱ強いんだな!」
道場内で激しい戦闘でも繰り広げたのか、舞い上がっていた埃が晴れていくと、そこには木刀を二本持ったなのはの兄の高町恭也と、
二人がどう接して行けば良いのか必死に悩んでいた原因の少年、
盛大に鼻血を噴いて笑っている虎杖悠仁がいた。
◇◆◇◆◇◆◇
やることなくて断る理由もなかったし、楽しそうだと思って二つ返事で虎杖は恭也からの提案を引き受けた。
動きやすい格好に着替えた二人は道場へ移動。
冬の冷たい爽気に満ちた木製の剣道場床、その中央には黒い髪をしたなのはの兄、高町恭也が立っている。
「本当に剣道の籠手だけでいいのか?」
「うん、大丈夫大丈夫」
楽しそうに腕を回して準備運動をする虎杖。
彼は動きやすい格好として選んだのは恭也のパーカー。高校時代に使っていた恭也の服がちょうど良いサイズだったのでそれを借り、防具として剣道の籠手のみを装着している。
本来、竹刀を握って手から前腕にかけてを保護する防具であるが、虎杖は何も持たずに利き手を後ろに引いて足を肩幅より少し広めに開くというボクサーのような構えを取る。防御を軸に据えて回避やカウンターなどに即座に繋げられる我流の型である。
「そっちこそいいの? 木刀だけでなんも防具つけてないけど?」
「あぁ、俺もこれだけで充分だ」
「ケガしても知んないよ?」
「ふっ、上等だ········遠慮はいらないぞ、いつでもかかって来い」
ニヤッと笑い合う二人。
悠揚迫らざる態度で構える。
道場内を覆っている空気の温度が下がり、闘気が充満。
「へへっ! そんじゃ────」
屈伸運動をして、そのままクラウチングスタートをするように両手を地面についた屈んだ姿勢になると、
「ほっ!」
まるで短距離選手のような反応速度で、虎杖は恭也目掛け走り寄った。
身体を低く、脚力だけでなく、全身のバネを用いての疾風が如き疾走。
開幕と同時に奇襲。
まだ己の両手に持つ木刀を満足に構えられてもいない恭也は、これに対応出来ない。
だが────それは相手がよくある流派の剣道に通う門下生ならばの話。
無数の生傷が絶えないほど長年厳しい剣術の訓練を行い、古武術の時期師範代としての実力を有している恭也は、その虎杖の速度を見切っている。
「ふッ!!」
声と同時、恭也はその場に残像を残すほどの脅威的な速さで彼の背後に回り込んだ。
恭也はその場で小太刀を両手に持ったまま舞うように一回転。
回り込むための距離をゼロにする踏み込みと斬撃が神速で振るわれたことを除けばデタラメとも言える剣技だ。
打ち合わされる剣戟音。
驚愕の表情を浮かべたのは、果たして恭也だった。
右の刀を見事に受け止める虎杖の左手、左の刀も同様に右手が防御して止めていた。恭也の移動速度についていける動体視力、振り向く速度も並外れていた。
「やるな!!」
「まだまだ!!」
両手を水平に広げて二本の木刀の刀身を掴んだ虎杖、そのまま彼は床に叩きつけるようにして小太刀を振り落とし、その勢いのまま宙で一回転。虎杖は前転したことによって右足を回転力を利用して威力を底上げ。
ギロチンの速度で振り下ろされる踵落としが、恭也の後頭部を直撃────したかのように見えたが、彼は虎杖のその動きを完全に先読みしていた。
「ッ!!」
即座に飛び退く恭也。
虎杖の踵落としによって道場の床に穴が空く。
その威力から見て、虎杖は本当に遠慮せずにかかって来ている。
だが、恭也は面白いと感じていた。
虎杖は恐ろしいほどの素早いステップを踏み締めながら両拳でラッシュをかけてくる。恭也はバックステップを踏みながら紙一重で三発拳を避けると、虎杖は足を跳ね上げて踵の裏で蹴りつけてくる。
それを片手の小太刀で受け止める恭也。
彼の流派、『御神流』とは、通常の流派と違って殺人技に特化している。流派だけでなく、彼の身体能力は模造刀でドラム缶を一刀両断にするほどに人間離れしている。
舞うように腰をツイストさせながら振り回す恭也の太刀筋は、初撃はもとより返す刃の二撃目がおまけとして襲来して迂闊に近寄れない。
のみならず、暗殺術を極めた身体能力の膂力を以て自らの足下にたたき込まれた剣撃から発生する衝撃波は地震も同様に地を揺すりあげ、思わずたたらを踏むほど。
そこをタイミングを合わせて跳躍していた虎杖が急襲。
恐ろしい威力に風圧を掻き分ける渾身の蹴りが耳元を擦過する。当たらなかった蹴りの一撃は彼の足場にめり込む。
とにもかくにも恭也の動きを封じようと隙を見て急接近を試みたものの、彼は小太刀をプロペラのように回転させ、あわやというところで虎杖は顔面に当たりそうになったところで腰を落として躱す。
床に足がめり込んで動きが一瞬硬直してしまった虎杖に対し、圧倒的優位なはずの恭也が横向きに小太刀を振ったことに疑問を一瞬抱く。両手にある小太刀のうち一本でも縦に振り下ろせば、虎杖は逃げ場を失って体のどこかにクリーンヒットしてたかもしれないのに、彼は回転斬りをしてきた。
何にせよ、戦闘中に考え事をするのは危険だ。
躱したことで隙が生まれ、虎杖はすぐさまめり込んでいた足を引き抜いて、次の動作に移っていた恭也の小太刀二刀による三連撃を並外れた動体視力を使って紙一重で躱し、次々と繰り出される恭也の連撃を見切って籠手で受け止めていく。
太刀筋の軌道を捻じ曲げるようにして両手を振るう虎杖は、再び隙が出来たと思ったら、音速に届かんとする一撃をお見舞いする。
だが驚愕に目を見開いたのは、虎杖だった。
求めた敵の姿がない。
刹那、側頭部に激痛が走って視界が一瞬ブラックアウト。
「おごッ!?」
見れば、いつの間にか側面に回り込んだ恭也が振り手を引くところだった。
恭也の右手の小太刀は、映画とかでよく見る軍人が軍用ナイフをカッコ良くみせるために逆手に持つように握られており、追撃に薙ぎ払う軌跡はほとんど稲光に近い残像を残す。
頭が震える中で必死に動きを予測し、かろうじて技の軌道を見つけて首の動きで回避。
肘を巻き取って腕を絞り上げると膝蹴りで顎を狙う。
だが、すんでのところでブロックされる。
至近距離に恭也の楽しそうな顔。
なのはから聞いていたとはいえ、予想以上に虎杖が自分と戦えていることに素直に喜んでいるのだろうか、何てことを思いながら脳内に星が散る。
ヘッドバットをまともに喰らったと思った時には、鼻血を噴いて数歩道場床を踏む。
視界が揺れる。
鼻血がポタポタと杉製の床に毒々しい華を咲かせる。
「········凄いな、今の一撃を受けて立ってられるなんて」
「生憎、頑丈に出来てるんで!!」
力んだせいかつい鼻血を余計に噴き出し、そして正面を見たときには再び恭也の姿は掻き消えていた。
神速で動く恭也を見失って一瞬慌てるが、すぐさま冷静さを取り戻す。
いつの間にか戦闘に集中しすぎて、無意識に無我の境地に入っている二人。
周囲がいくら破壊されていようとお構いなし。
虎杖の集中力はかつてないほどだった。幾度も死闘を繰り広げてきた経験を積み、冴え渡った危機察知能力はもはや自身の動作のみならず、敵の動きが奏る足音すら捉えていた。
瞬間、
サイドステップで右に跳ぶのと同時に、耳元で風を斬り裂く音が聞こえる。
「!?」
まさかの至近距離の刺突を回避。
驚愕に目を見開く恭也に、虎杖はその機を逃さず接近。
恭也が余っていた小太刀で虎杖に再び突きを放とうとした時には、拳の速度が勝負を決める間合いに入っていた。
闘気が充満。
直後、道場内を震わせるほどの破裂音と共に恭也が神速の突きを繰り出す。
御神流の膂力に重力加速度をプラスアルファした凄まじい攻撃が虎杖目掛けて襲い来る。
転瞬、虎杖が両足で地面を踏み鳴らす。
真っ向から放たれる刺突を迎え撃つように拳を突き出す虎杖。
恭也と虎杖が衝突し、その威力に床が爆裂。
ドンッ!! と。
立っていることすら危うい激震と共に、道場の悲鳴。
二人の体に、床材の破片と衝撃波が叩きつけられ窒息しかける。強烈な耳鳴りが去って目を開けると、辺りは濛々たる粉塵が舞っている。
その時、道場の入り口の障子が勢いよく引かれる。
入り口から誰かが入って来たことに気付かなかった虎杖に恭也であったが、小さな少女達は目の前に展開されている光景の凄まじさに唖然としている。
放たれた刺突が虎杖の拳に突き刺さり、その威力に負けた木製の小太刀は根元まで押し込まれてポッキリと折れていた。
あと少し拳を押し込めば、恭也の顔面の鼻に当たっていただろう。
彼の眼球のほんの数ミリ手前には、虎杖の硬い拳が据えられている。自分の放った刺突の威力に負けた剣道の籠手は破れ、中にある虎杖の拳が露出していた。
虎杖の放った一撃は恭也の刺突と同威力で、だが強度で勝った少年の拳は木刀を突き破って彼の鼻先にピタリと据えていた。
────引き分け────
それがこの稽古という名の死闘の結果であった。
二人はゆっくりと息を合わせるように腕を下ろすと、
「強いな、虎杖」
「いや、こっちも戦ってて何度もヒヤッとしたよ。流石はなのはの兄ちゃん、やっぱ強いんだな!」
そう言って笑い合う二人。
虎杖は鼻から噴き出る鼻血を止めるために籠手を外し、自由になった二本の指で鼻を摘む。
急いで鼻にティッシュでも詰め込まなければいけないので道場を出ようとすると、
「「─────二人とも?」」
ようやく入り口付近にいる二人に気付く虎杖。
その声は怒りを含んだものだったが、それだけだった。
その少女達は出ようとしている虎杖の元へと駆け寄って来る事はない。
虎杖は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが········あっ、という感じで思い出した。
無論、奥にいる恭也もようやく気が付く。
こんな荒れ果てた惨状を見て、平常でいることなんて出来ないだろう。何より、虎杖達の姿。恭也はそこまでではないが、虎杖は鼻血を噴いている。
────怒りを抱くには充分すぎる状況。
思わず冷や汗を全身から噴き出す二人。
────やり過ぎた。
そのことを理解した二人であったが、もう遅い。
今の怒髪モードの彼女達に言い訳するというのは、言ってしまえば閻魔様に嘘をつくのと同じことだ。
すると、なのはとフェイトの表情が柔らかく変化した。
分かりやすく言うと、笑ってるけど瞳に生気が灯っていないせいで恐ろしく感じるような表情だった。
二人は目だけを除いて、にっこりと聖母のような柔らかい笑みを浮かべて言う。
「「········これは一体どういうこと?」」
「「すみませんでした························」」
高町式対話術発動。
圧をかけられたことによって静かに土下座を強要された二人は、小さな女の子からとてもありがたーい長ーいお話をされるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
「···········」
時空管理局顧問官としての権利を剥奪され、魔力に制限をかけられた彼は。
監視はなくとも自由には動けなかった。
不思議なものだ。魔法を取り上げられたら管理局は無害だと判断し、辺境の地にある豪邸に追放した。どう考えたって少しは監視の目をつけても良いはずなのに、魔法がなくなったら自分は無力な老人だと思われ、いざテロを起こし暴れられても即座に数人の魔導師を送り込んで充分に取り押さえられる、と考えているようだ。
とはいえ。
彼としてもそれはありがたかった。
誰にも知られることはなく、密会相手とゆっくり話し合えるからだ。
マイナスイオンが広がる自然の庭。
老後の人生を過ごすにはうってつけの場所。
そこに。
こんな声が前から飛んできた。
「その節はどーも··········ギル・グレアムさん?」
「···········」
アンティークな白い椅子の背もたれに体を預け、顎を上げてこちらを睥睨している男はちょっかいを出しながら、
「結構良い別荘を持っているんですねぇ。時空管理局のお偉いさんだっただけはある」
「···········」
「全く羨ましいものですね。時空管理局顧問官という立場であったが故に退職後も優遇され、管理局からもこれ以上悪事を起こさなければ干渉されることはないんですから。僕もいずれ定年退職した時はそんな老後を過ごしたいもんですよ」
「そんなことより、何故ここへやって来たのか聞いてもよろしいかな? 五条悟君?」
「決まってるでしょ、悠仁の件についてだよ」