午後八時。
砂漠の夜と同じく砂浜の保温性能は低いからか、真冬の海はかなり体に堪える。
虎杖達はなのはを連れ、海鳴市の浜辺を歩いていた。傍から見たらみんなで仲良く散歩をしているようにも見えるかもしれないが、それにしては心底名残惜しそうな表情をしている。
そんな顔になってしまうのも無理はない。
虎杖達はこれから──────元の世界に帰るのだから。
「何で今日いきなり帰ることにしたの先生?」
「そりゃあこの世界にはない技術見せびらかしたせいで時空管理局から目をつけられてるんだもん。それで万が一捕まって人体実験なんかされたら堪ったもんじゃないでしょ〜? そんな危ない場所にいつまでも僕の生徒達をいさせるなんてこと先生できません」
などと適当に言う五条先生。
虎杖の疑問に答えてくれたものの、彼はそんなことが起きても別に気にしないような態度であった。ある意味、彼のその余裕な態度は間違っていない。五条は現代最強の呪術師であり、仮にそんなことが起きても余裕で返り討ちにする自信があるからだ。
だが。
五条的にも平和的な解決を望んでいるため、とっととこの世界からおさらばしてしまいたいのも本音だった。
それで急に支度しろって言われても特に荷物なんて持ってきていないし、とにかく着替えを終わらせて一二月の寒空らしくもない学生服の格好を身に纏う。元の世界でも冬に入ろうとしている時期であり、とはいえ呪術高専という学校の制服には決まった形がない。大体の部分は共通しているものの、リクエストすれば好きに改造できるから、皆が個性溢れる格好になれる。
それで、皆帰るために呪術高専の制服に着替えたわけだが、
「·········寒い」
「そりゃあ悠仁はこっちの世界の人にボコボコにされたわけだしね、仕方ないね」
虎杖の学生服は現状ボロボロになっている状態だ。
主に仮面の男達の手によって虎杖の制服は右腕の部分の袖を失っていて、しかもあちこちが穴だらけになっており、防寒の機能が著しく低下している。これでも虎杖は体は鍛えてるから、しばらくはこの寒さに耐えられるだろうが、だとしても真冬の海でこの格好はやばい。
ガタガタとわずかに震える虎杖であったが、
「悠仁君」
「ん?」
「屈んでくれる?」
後ろから声をかけてきたのは、ここまで一緒についてきてくれた高町なのは。
彼女は寒がっている少年にしゃがんでもらうようにお願いし、虎杖はよくわかっていなかったが言われるがまま膝を折ってなのはの目線に合わせるように姿勢を低くする。
すると。
首元に何やら柔らかい材質のものが巻かれる。
ふわふわの生地で構成されたそれは虎杖の冷え切った体を温めると同時に、その首元にすでに生温かい体温によって保温された感触まで伝わってくる。
「これで少しは寒くないでしょ?」
「え? なのは、これ」
虎杖は目を丸くしていた。
一通り思考が飛んでいたわけだが、次第に現実感が戻ってくる。今なのはの手によって虎杖の首に巻かれたのは、彼女の私物であるマフラーだった。
子供用のため虎杖には少し小さかったが、それでも冷え切った体を温めるには充分なほどに生地が柔らかい。
──────いや、そういうことじゃない。
「これ、なのはのじゃ?」
「うん、それあげるね悠仁君。元の世界でも使ってくれていいから」
「いや········そういうことじゃなくてね?」
なのはの親切を無下にするつもりはないが、虎杖に巻かれたマフラーは言ってしまえば女の子用である。
別に何かのキャラクターが描かれているわけではないが、赤を基調としたタータンチェック柄のマフラーで、どこかクリスマスらしさを感じつつ女の子が身に着けるような可愛いらしいデザインであり、それがどうも恥ずかしかった。
赤は虎杖を象徴するイメージカラーであるものの、そんな彼でも女の子用のマフラーを着けたら一瞬で印象が変わる。
その姿を見た彼の担任は微笑ましそうに笑みを浮かべ、そしてクラスメイト二人は鼻で笑っていた。
「めちゃくちゃ似合ってるぞ虎杖」
「うん、流石は赤が似合う男ね。とても可愛くて素敵だわ」
「それ褒めてるんだよね? 何か他の感情とか籠めてないよね二人とも?」
虎杖を見て思わずそんな感想を述べた伏黒と釘崎であったが、二人とも勿論だと言いたげにうんうんと頷いて、いつの間にか手に握られている一◯点という数字か書かれた札を目立つように上げている。
何やら楽しそうに点数をつけている二人に虎杖はジト目を向けるものの、伏黒達には何の効果もなかった。
それで。
せっかく彼女が親切でくれたものの、何だか悪い気がしてきた虎杖はなのはに、
「いいのかなのは? このまま貰ったら多分もう二度と返せないと思うけど。住む世界が違う以上、簡単には会えないし········」
「うん、それはもう悠仁君のだし。こっちの世界に来てくれた思い出として持っていて欲しいんだ」
笑顔でそう言ってくるなのはに、虎杖は何も言い返せなかった。
自分はこの世界に迷惑をかけたのに、彼女はそんな虎杖に優しい笑みを向けてくる。本来ならば、その一点の曇りもない笑顔を向けられて良い存在ではないのに、彼女は純粋に虎杖のことを想って自分の私物を分け与えたのだ。
そんな笑顔を向けられたら、今更受け取れないと断ることなんてできるはずもない。
虎杖はなのはの優しさに甘えることにし、笑顔を向けてくる彼女に自分も笑みを浮かべる。
「ありがとな、なのは。大切にするよ」
「うん!!」
二人は嘘偽りのない笑顔を向け、それを見守っていた者達も笑っていた。
そこに。
新たな足音が聞こえてくる。
「あ、いたいた」
「おーい! みんな〜!!」
不意に傍からそんな声まで聞こえてきた。
虎杖となのは達が視線を声のする方に向けると、そこには見知った少女達の姿があった。
高町なのはと同じ魔導師であり、彼女にとってかけがえのない親友、フェイト・テスタロッサ。
今回の事件でのある意味重要な立ち位置にいた少女、八神はやて。
はやてはまだ魔法に目覚めたばかりであり、そして『闇の書の呪い』から解き放たれて間もないため、本当ならばまだ安静にしていなければならないのだが、虎杖達を見送るために抜け出してきた。許可を取ったと表現しないのは、もしそのことがどこかの誰かに洩れたりなどしてしまえば、虎杖達を捕獲しにやってくる危険性があるからだ。
無論、このことは一部の人間は知っている。
代表例として誰かを挙げるなら、この場にはおらず、アースラで今も一生懸命真面目に働いているエイミィは、バレないように現在進行形で隠蔽工作中である。
つまり。
それ以外の面子はほぼ揃っていた。
「本当に帰ってまうんやね········虎杖さん」
エイミィの隠蔽工作によってアースラの職員達には内緒で抜け出してきたはやてが、少し残念そうな表情でそう言う。足の麻痺が緩和されたとはいえ歩けるにはまだ当分かかりそうな八神はやては車椅子に乗っており、そんな車椅子の取っ手を後ろから握っているリインフォースも何処か表情が暗かった。
お互いの命を懸けた死闘を繰り広げたとはいえ、虎杖は虎杖だとちゃんと区別はついているのか、散々痛めつけられた他の守護騎士達も主はやてに付き添って来ている。
虎杖はそんなはやてに申し訳なさそうに、
「あぁ、なんか悪いな。でも、俺達がいるとこの世界に迷惑が掛かることはわかってるだろ? 俺達········いや、特に俺なんか一番危険視されてるわけだしさ」
袖がない腕を自分の頭の後ろに回して掻く虎杖は、彼女の顔を直視できなかった。
いや。
彼女だけではない、この場にいるみんな全てだ。
わざわざ自分を見送りに来てくれたのはとてもありがたいが、来てくれた者達のほとんどが、自分がこの手で痛めつけてしまった被害者達だった。
フェイトはたった一人の大切な家族の首を斬り裂かれ、その隣にいるユーノはまだ完治が済んでおらず今も顔のあちこちに包帯を巻いている状態だ。
八神一家に至ってはもっと酷いことをしてしまった。自分が情けないことに仮面の男達の手によって気を失わされたことで自分の中の宿儺が覚醒し、ロストロギアという失われた古代技術に分類される彼女達に興味を抱いたことで、好き放題に暴れさせてしまった。
そんな八神はやての外出許可を非公式に出したリンディとクロノ達もそうだ。宿儺の存在が管理局中に知れ渡ったことで、隠蔽という悪事の片棒を担ぐことになってしまったのだから。
本当なら、虎杖はもう彼女達と顔を合わせてはいけないのだ。
それなのに。
最後まで匿って貰って、それだけでなく今も自分達を見送るために集まってくれた。
それが、虎杖の罪悪感をさらに膨張させた。
一瞬でも彼女達と目を合わせたら、自分という存在を許せなくなる。それだけのことを彼は彼女達にしてしまったのだ。
目を合わせて会話するなんて、そんな烏滸がましいこと──────
「いやぁ〜、愛されてるね悠仁」
「!!」
すると、唐突に。
隣にいた五条悟が彼の頭に手を置きながら言う。
「確かに悠仁は許されないことをしたわけだけど、ならそこから目を背けたりしちゃダメだよ。その罪は未来永劫消えることはない。だったら、今この場でここにいるみんなに誓うんだ。もう負けたりしないと、宿儺よりも更に強くなってみせる、ってね?」
「··············」
五条悟は虎杖を見てそう言った。
彼女達にしたことは虎杖のせいではないが、本来抑え込めるはずの虎杖が宿儺を解き放ってしまった事実は変わらない。イレギュラーが重なりすぎたと言い訳しても納得できるくらいの出来事ではあったが、だとしても虎杖悠仁の体は確かに海鳴市を半壊させたのだ。
そんな自分が、許されて良いのか?
それなのに。
みんなはそんな虎杖を見送るために集まってくれた。
彼女達も、虎杖のことを悪人だとは思っていないのだろう。
むしろ。
自分達の世界の者の手によって、虎杖悠仁が必死に押さえていた両面宿儺という怪物を解き放ってしまった、自分達にも責任があると思っているかもしれない。
だとしても、そんな都合のいい解釈に縋るだけで良いのか?
そんな風に親切に甘えて、寄りかかって··············自分が望んでいる言葉を強引に貰って、果たして自分はそれで許されましたで終わらせても良いのか?
異界の、まだ幼い少女達の優しさに身を委ねるだけで、良いのか?
「··············」
虎杖はわずかに俯く。
──────自惚れるな。
そんなことで許されるなんて、甘えたことを考えるな。
自分のしでかした大罪から目を背けるな。本来向けられるべき憎悪から逃げようとするな。
辛く、本当に辛く苦しいものだったとしても。
その身に背負わされた
ならばそれを未来永劫背負い続け、許されることがなくても償うことに尽力しろ。
それが、
彼に贈られる最大の罰だ。
「··············強くなるよ」
やがて少年はポツリと呟いた。
俯いていた顔を上げ、彼女達の目を一つ一つしっかりと見て言う。
彼を見送りに来た者達は、静かにそれを聞いていた。
「俺がしたことは絶対に許されることじゃない。血反吐を吐いて涙交じりにどうにかこうにか考えて償ったって全然足りない。でも、俺はあの時誓ったんだ。考えてみればわかることだったよ、あの時『宿儺の指』を喰った日から俺の覚悟は決まっていた。俺は人を助けるために『呪い』を受け入れたんだ。だったらもう、自分の生き様で後悔はしたくない。宿儺が俺の中にいる以上、もうコイツには好き勝手させない。そしてコイツがいる以上、俺は多分死ぬ時は想像もできないほどに絶望的な状況で終わるかもしれんけど、それでも『これは正しい死だ』って最後には言えるように、俺は今よりもっと強くなる!!!!!!」
悪でも、なんでも。
それが大罪を背負わされた虎杖悠仁という少年の覚悟だった。
虎杖はもう許されることはないと腹を括った。それでも少年はそんな自分の罪と向き合うって決めた。
だったらもう逃げるな。罪を償う事から逃げるな。辛い道から逃げるように、背を向けてるんじゃない。
今一度、虎杖悠仁は自身にかけた呪いと向き合うように。
高町なのは達に、そう宣言してみせた。
「うん」
そんな彼の覚悟に、高町なのはは笑顔で頷いた。
なのはだけじゃない。
フェイトもはやても。
彼女達の家族達も。
自分一人で背負う気でいる虎杖に対し、こう言い返した。
「私達も負けないよ、悠二君!!」
なのはは言う。
「私達も、もっと強くなるよ!! 悠仁よりも更に頑張って、あらゆる世界の人々を全員助けられるほどに、強くなる!!」
フェイトは覚悟を決める。
「だから追い抜かれんように油断せんといてな!! 次に会う時はびっくりするぐらいに強くなってるから、虎杖さんだけやなくて、あの両面宿儺にだって負けないくらいに!!」
はやては強く宣告する。
自分だけ強くなろうとするなんて、そんなのずるいとでも言うように。
少女達は各々の強い意志を込めて、覚悟を決めた虎杖悠仁にそう言ってみせた。
「··············」
虎杖は、少女達のその言葉を聞いて笑っていた。
少年は彼女達のその強い瞳から目を離さず、こんな声を響かせる。
『
少年のものではない、低い男の声だった。
ただし、それはどういうわけか虎杖悠仁の方から聞こえた。
『
その声には聞き覚えがあった。
自分達を散々虚仮にし、大切な居場所を半壊させた張本人。
なのは達は視線を向け、そして硬直する。虎杖のちょうど左頬辺りに、掌サイズの『口』が現れていた。
高町なのは達は、その不気味な口を見てもキョトンとしているだけであった。あまりに現実味がなくて、トリックアートでも貼り付けているようにしか見えなかったのかもしれない。かくいう虎杖の隣にいる五条達も人の事は言えない。
あまりにも唐突すぎて、上手く目の前の視覚情報を処理できない。
そんな中。
ただ一人。
虎杖悠仁だけが驚きもせず、冷静に蚊でも叩き殺すような動作でその『口』を自分の頬ごとバチン!! という音を響かせるほどに強く平手で打った。
「悪ぃ、今のは見なかったことに··············」
「「「「「「··············」」」」」」
なのはだけでなく、全員が虎杖に冷たい目を向ける。
宿儺を二度と出さないほど強くなると言ったそばから、もう表に出してしまった虎杖は力強く叩いた頬を押さえたまま、そんな目をしてくるなのは達に苦笑いを浮かべている。守護騎士達なんか、主であるはやてを守るためにデバイスを構えながら前に出て、鋭い目付きで虎杖ごと睨んできていた。
そんな状況下でも。
“奴は”お構いなしに虎杖が押さえている手の甲の表面から罅割れるような音を響かせ、そこから発生した『口』によって邪悪な声を作り出す。
『貴様らには借りがあるからな』
「あ!? また!!」
『忌々しい小僧から解き放たれ、俺が自由になった暁には、それはもう盛大に殺してやる』
酒や煙草か何かで喉を潰したような錆びついた声は、目の前にいる高町なのは達をいかにも見下したような言葉を吐いた。
圧倒的な強者の余裕。
そんな強大な敵に宣戦布告され、しかし、なお少女達は薄く笑う。
「望むところだよ」
こんなのは何も怖くない。
「こっちこそ、貴方に借りがあるんだ」
勝てなかった相手を改めて見つめ。
「今度は負けへん。いつまでも最強気取ってたら足を掬われるで、両面宿儺!!」
挑む。
これ以上の悲劇を繰り返さないために。
自分達を徹底的に完膚なきまでに叩き潰してきた強敵を乗り越えられるように、過去の自分を超えてみせる。
それを誓ってみせた少女達、そして両面宿儺もまた変わらない。
位相の衝突、その火花。
おそらくはあの時戦った時点で、奴はこの少女達をただの子供とは思わなかった。
魔法という力が果たして退屈だった自分を満足させられるか、それを確かめるために容赦なく呪いという圧倒的な力を使って試した両面宿儺は、愚かにも宣戦布告を仕返してきた小娘達相手に残酷に告げる。
『面白い··············俺を楽しませるぐらい、せいぜい強くなってみせろ』
そう言い残すと、虎杖が再び叩いてくる前に溶けるように引っ込んでいった。予想通り、虎杖が自分の手の甲に浮かび上がった宿儺の口を叩いてきた時には、奴の気配はすでに消えていた。
それが、奴なりのエールだったのかもしれない。
だが同時に、ある意味それは残酷なことだった。次会った時は必ず殺すことを約束され、そしてただ殺すだけじゃ足りない。強くなれというのは言葉通りの意味もあるかもしれないが、それ以上に、簡単には壊れないように強くなっておけという意味もあったのかもしれない。
容赦なく、加減もなく、簡単には死なないように、一◯◯回殺しても飽き足らないほど、苦しみを引き延ばせられるように更に強くなれ、と。
両面宿儺という呪いの王は、永遠に救いのない道を与えるためにまだ幼い少女達に残酷なエールを残していった。
「頼もしい子達だね〜」
五条悟は笑っていた。
両面宿儺という怪物相手に怯むこともなく、むしろ挑みかかるように言ってみせた少女達に素直に感心していた。
それで。
五条はそんな彼女達を見て、確信していた。
──────この子達は強くなる。
それまでには一万歩、気が遠くなる程に険しい道のりが待っているだろうが、このまま進めば宿儺どころか五条を越えられるほどの才能を持っている。
別に何の根拠もない、だが現代最強の呪術師と謳われる彼がそう思えるほどの何らかの価値と興味を見出したのか、五条は楽しそうに笑みを浮かべていた。
いつか、こういう子達が腐った世の中を変えてくれる。
それを楽しみにするように五条は笑い、これから頂点に立つであろう少女達を見ていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「“闇より出でて闇より黒く”───“その穢れを禊ぎ祓え”」
五条は忍者が術を使う時のような印を作ってそんな言葉を唱えると、夜空から“闇”が染み出した。
夜なんかよりももっと黒く、どろどろとしたものが溢れ出して、冬の星空を覆っていく。あまりにも不自然に、闇夜の情景が広がる。
なのは達にとってもこういう技術は持っているはずなのに、世界がさらに黒く染まっていく様子に吃驚の声を洩らしていた。
「“帳”───僕らだけじゃなく君らを外側から見えなくし、呪いを炙り出す結界だ。簡易的なものだから降ろした張本人である僕がここからいなくなるか、内側から出ようとすれば簡単に解けるよ」
本来、呪いは夜にならないと姿を現さない。別に光が苦手というわけではないので、夜でなくても、恐怖が満ちている場、暗くて陰気そうな場所であれば呪いは普通に行動できるが、この“帳”を降ろすことで更に見つけやすくなる。それだけでなく、結界としての役割も果たし、呪いは外に出られず被害が広がることを防いでくれる。
呪いは通常、一般市民に知れ渡ることは許されていない。
もし被害が広がりそうな場合はこの結界によって中で起きていることを隠し、その間に術師達が呪いを祓うという作業を行う。
今回は、管理局側に自分達がここにいることを知られないために降ろした。
特級呪物とはいえ、帰るためにこれから使うのは本来こちらにあったもの、つまり魔法という技術が含まれる古代遺物だ。この世界ではロストロギアと呼ばれ、その力を使えば発生源を特定されてここにいることがバレるなんてことにもなりかねない。
よって、五条は呪いというこの世界にはない力の結界で付近を覆い隠し、外から見たら何もわからないようにしてこの世界から去るつもりだった。
五条はここに来る際に手に入れた特級呪物、ジュエルシードを取り出し、
「じゃ、あとはこれを使うだけだけど··············みんな準備はいい?」
自分の生徒達に最後の確認を取ると、皆が頷いた。
その前に。
虎杖は高町なのはの方を向いて、
「なのは!」
「!!」
虎杖に呼ばれたなのはは彼の声に反応するように視線を向けると、何やら拳をこちらに向けてきていた。
虎杖が差し出してきた拳に一体何の意味があるのか、高町なのはは一瞬で察した。
少年らしいその別れの挨拶、少女はそれに応えるように一歩前に進むと、差し出してきたその拳に合わせるように自分も拳を差し出す。
ゴン、と。
互いの拳を打ち合わせることで、堅い挨拶を交わして別れの言葉を告げる。
しかし、さよならは言わない。
「元気でな、なのは!!」
「うん!! 悠仁君も!!」
二人は強く、確たる声で真っ直ぐ見つめ合う。
虎杖となのはの拳が遠ざかっていくと、少年はみんなから目を離さないように前を向きながら伏黒達がいる位置まで下がっていく。虎杖らしい挨拶に微笑むクラスメイト二人は彼に倣って、見送りのために集まってくれた者達に静かに一礼する。
五条は取り出したジュエルシードに自身の呪力を流し込み、願いを念じたことで、暗闇に染まった世界の一部分が一直線に割れた。さっと差し込んだ青い光が暗幕を切り裂き、同時に風が吹いて、虎杖達がいる場所を照らす。
これが本当の別れ。
これでもう思い残すことはない。
白熱する光の中で、感情すら昇華されていくようだった。虎杖達の視界が光に満たされていく。目の前にいる少年達が、水晶のように透き通っていく。全てが鮮やかな青に染まり、次第に全員の体が粒子となって光の中に吸い込まれていく。足先から消えていき、光と混ざり合う。
そして。
「またな、みんな!!」
最後に、そんな少年の声が空間に響いた。
彼らという存在、呪術師達をこの魔法の世界に留めていた境界が消滅し、完全に消え去る前になのは達が最後に見たのは。
虎杖悠仁が最高の笑みを浮かべて、勇敢な少女達に手を振っている姿だった。
◇◆◇◆◇◆◇
次の瞬間。
頭の芯に深い疲労感を覚えながらも目を開けた彼らの視界の先にあったのは。
特級呪物を回収する時に訪れた自然公園でもなく、行方不明となった虎杖の手掛かりを求めてやってきた廃墟の家でもなく、
「「うわァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!??」」
実はそれについても彼らはまだよくわかっていない。
自分達で発動したとはいえ、突風吹きすさぶ大空へ身を投げた時には絶叫が迸った。かつて彼らはこれを経験した事はあったが、それを忘れていた虎杖と釘崎はこんなに恐ろしいものだったと思い出していたら絶対に違う方法を選択していたと思う。
高度四◯◯◯メートルからのダイブ。
当然、虎杖や釘崎が扱う呪術にはこんな絶望的な状況を打開してくれる機能はない。
だからそんな彼らを救ってくれるものは他にある。
「こういう帰還もなかなか派手で良いねみんな!!」
「いや助けてよ五条先生!?」
「私達はアンタらと違って空を飛ぶなんてこと出来ないんだから呑気に感想述べてないで止めてェッ!?」
高度が高度であるためか凄まじい速度で落ちているにも拘らず、案外余裕のある彼らには会話を続けるだけの時間が残されていた。
五条は自身の術式について語る。
「僕のは空を飛べるってほど高性能なものじゃないんだけどね。術式で自分の体を宙に引き寄せて、それで無下限のバリアと同じ原理でただ落ちる速度がゆっくり過ぎて宙に浮いてるように見えるだけだし。無限を操るって強そうなワードな割には手順が必要な辺り、そういうとこなんか不親切だよね〜」
「「御託はいいから助けてぇぇぇええええええええええええええッッッ!!!??」」
もう下手するとこのまま地面に激突してしまって現代的な愉快なオブジェとなりかねない。
五条は二人と話すためにわざとらしく術式を使用せず、呑気に昼寝でもするような格好で落下しているが、確かにこのままでいたらまずい。
五条先生は『もうせっかちだな〜』と少し不貞腐れながらも、高速で落下しながら二人の襟首を掴む。スカイダイビングの最中に他人を掴む行為を平気でやるなんて、ライセンスがあったら剥奪されても文句は言えない。
とはいえ、彼らにはパラシュートもないので。
頼りになるのは必然的に空中を移動できる術式を持つ先生しかいないわけで、これ以上は何も言わず五条に身を任せる。
直後。
ドスン、と。
隕石並みの速度で落ちていた割には、楽しすぎてはしゃいでいた子供がうっかり転んでしまった時のような衝撃しかやって来なかった。地面に激突する直前まで恐怖のスカイダイビングを味わっていたわけだが、五条悟の術式によって一気に減速、物理的な距離感をおかしくして何とか生きたまま地面に降り立つ。
「戻って来れたようですね」
一歩遅れて、一年生の中で唯一空を飛べる手段を持つ伏黒がそう言った。地面に倒れている虎杖達は無視し、自身の影を媒体にして呼び出した怪鳥の足に掴まって無事に地に足をつけた伏黒は、自分達が今どこにいるのかを確認するためにポケットにしまっていたスマホを取り出す。
起動したら普通に使えていることから、ここは今までいた海鳴市ではないことを証明している。
まだあそこにはスマホという言葉すら存在していなかったため、最新技術には対応しておらず常に圏外と表示されていた。
だからか。
電波が元通りになったことで。
伏黒だけでなく虎杖達のスマホが一斉に鳴り響き、激しい通知音を連続させた。
「ん?」
皆が同様の表情を浮かべている中、五条は小刻みに振動している自身のスマホを取り出して画面に表示されているものをチェックすると、そこには大量のメールや着信履歴があった。
五条だけじゃない。
虎杖や釘崎に伏黒まで、あっという間に自分達のスマホの画面が大量の通知に覆われる。そのどれもが呪術高専の関係者、特に先に行方不明となった虎杖の着信履歴がすごいことになっていた。学長に先輩、そして京都校にいる生徒、自分を勝手に兄弟として受け入れてくれた東堂葵なんかどれほど掛けてきたのか想像もしたくないほどで、どんなにスクロールしても彼の名前が無限に続いている。
「あー··············」
それを見て虎杖は肩を落としていた。
いや、みんなそうだった。
そりゃそんな顔になってしまうのも無理はない。
史上最強の術師と謳われる両面宿儺を宿した虎杖悠仁が行方不明となり、その後を追うように現代最強の術師と評される五条悟も生徒二人と共に消えたのだから、呪術界は今大パニックとなっていることだろう。
それを想像するだけで頭が痛くなる。
五条悟なんか面倒臭さが頂点に達しているのか、小さい子供が慣れないシャープペンを用いて、下手でも一生懸命に描いたような落書き絵みたいな姿になっている。
すると。
五条先生は大量の通知が表示されているスマホを見なかったことにするかのようにポケットにしまうと、生徒達三人にこう提案する。
「無事にこっちに帰って来れたわけだし、そのお祝いにみんなでこれから何か食べに行かない? 好きなものなんでも言っていいよ! 先生奢っちゃう!!」
現実逃避も甚だしいこと言う先生に、堅物の伏黒は呆れたように、
「いえ、ここは一度早く高専に戻ってみんなに説明──────」
「ビフテキッッッ!!!」
「シースーッッッ!!!」
「まっかせなさーいッッッ!!!」
「··············」
伏黒の意見などお構いなし、虎杖と釘崎はとにかく飢えているのか五条のお財布に甘えることしか考えていない。
三人はそのまま行こうとするので、伏黒も渋々その後をついていく。
「··············」
虎杖は元の世界に帰って来れたことを実感しながら、笑みをこぼした。
そして。
自分の首に巻かれている、“あちらにいる少女から受け取ったマフラー”へ視線を落とすと、あちらで起きたあらゆる出来事が一気に脳裏に蘇ってきて、彼はまた楽しそうな優しい目になっていた。
「楽しそうだね悠仁」
そんな彼に小さく笑って、少年の担任は寄りかかってくる。
虎杖は柔らかいマフラーを掴んで、五条先生にこう返した。
「ああ! 最高に楽しい!!」
先生の透き通った瞳を見つめて最高の笑みを浮かべて答える虎杖悠仁。
この先、彼らには想像も出来ないほどの面倒事が待ち受けていることだろう。
呪いという、負の溜まり場にいる以上は避けようのない辛い道。
しかし彼らは進み続ける。
次は何が待ち受けているのか、一体どんな脅威に立ち向かうのか、そんなこと知ったことではない。
ただ一つ確信していることがある。
それは、たとえどれだけの理不尽が襲ってこようとも、仲間達と共に挑んでいけばきっと乗り越えられるということだった。
まずは呪術高専関係者各位に事情説明という超面倒事を片付けなければならないが、ならばそんな大変なことをやる前に、みんなで楽しくご飯を食べに行くというのも悪くない。
◇◆◇◆◇◆◇
うららかな春の息吹。
それを全身で感じるのは初めてだった。
「··············」
少女は自分の右肩にふと微かな気配を感じて視線を落とすと、薄い色の花びらが一枚貼り付いていた。
彼女はそれを指先で摘み上げ、掌に載せる。綺麗な楕円形の花びらは、新たな一歩を踏み出した少女を祝福しているように思えた。
四月。
早いものだ、と感じてしまうほどに時が流れた頃、彼女はもう普通に自分の足で歩けていた。
「はやてちゃん!!」
「はやて!!」
後ろから声をかけてきたのが自分を救ってくれた少女達であることに気付いたのは、彼女達が八神はやての両肩を優しく叩いてきたあとだった。
「おはよう、二人とも!!」
「うん! おはよう!!」
「無事に待ち合わせ場所で会えてよかった!!」
はやては二人ににこりと笑うと、高町なのはもフェイト・テスタロッサも笑い返す。
三人は無事に会うことができた、限りなく広がるこの世界で。
わずか三ヶ月前、年末年始に近い時期に世界が滅びそうになる大事件が起きたわけだが、彼女達はこうして乗り越えることができた。
「みんなこの先で待ってるよ、一緒に行こか!!」
「「うん!」」
三人は互いに笑い合いながら、目的地を目指して歩いていく。
以前なら、こんな風に歩けることなんてできなかった。
『闇の書の呪い』
それは八神はやてを蝕み、全身麻痺を引き起こしていた。あのままでいたら歩けなかっただけでなく、今こうして二人と並ぶことさえできなかった。呪いが全身に広がって覚醒し、世界を滅ぼしていた事態にまで発展したわけだが、しかしそこでイレギュラーなことが起きて八神はやては生きることだできた。
でも。
彼女はそのことを素直には喜べなかった。
闇の書の呪いが祓われたことは喜ばしいことだが、その代償として目覚めさせてはいけない『呪いの王』が暴れ回った。
闇の書、世界をいくつも滅ぼしてきた遺物を圧倒的に叩き潰した───両面宿儺。
あのクリスマスイブの日、闇の書が覚醒した時、同時に宿儺が現れ、その後は地獄絵図が広がった。破壊に次ぐ破壊、結果少女達の故郷の海鳴市が半壊する事態に至った。結界を張っていたから元通りになったわけだが、あのまま暴れていたら結界が壊れ、被害はそれ以上に広がっていた。
なのは達は何とか両面宿儺という怪物を止めるために死闘を繰り広げたわけだが、ほとんど手も足も出なかった。
それほどに強く、魔法なんてものは一切通用しない『呪いの王』は自分達を八つ裂きにしようと楽しそうに暴れていたが、『彼ら』がこの世界にやって来なければ、八神はやての呪いは解かれ、地球が滅んでしまうところだった。
闇の書の呪いを超える宿儺が暴威を振るった世界で、しかし彼女達は諦めることはなく、力を合わせて討ち倒したわけだが、
「あれから早いよね、まだあの時のことが昨日のことのように感じるよ」
「うん。あれだけのことがあったわけだし、印象強く残っているのかもね」
「無理ないよ·············私らよりも遥かに強い相手と戦ったわけやし」
今思い出しても、よく乗り越えられたなと思う。
あんな別格の強敵、あの時どれだけ万全な状態だったとしても、絶対に勝てなかった。世界を何度も滅ぼした魔道書をいとも簡単に祓った宿儺、だがそれを超えるために彼女達はもっと強くなろうと心に決めた。
だから彼女達は魔法の技術をもっと磨くために時空管理局に正式に所属し、なのはは士官候補生に、フェイトは執務官候補生となり、八神はやては特別捜査官候補生として入局。
そこで日々鍛錬を続けている。
最高の戦闘技術を身につけ、彼女達はあらゆる次元世界を守れるように努力していた。
「本当なら三人一緒にいたかったな〜」
「しょうがないよ、なのは。流石にAAAランクの魔導師が一緒の部隊にいるなんて上層部が許してくれないだろうし」
「私も基本的にはうちの子達と一緒やけど、ある程度は制限されてるんよ。高ランク戦力が五人もいたら、それだけ調整もされて使える魔法も少なくなって、なんや窮屈で仕方ないんよな〜」
正式に入局したのなら、規則に従ってもらうのは当然のことだった。
アースラで仲良く一緒にというわけにはいかず、極めて重要な高ランク魔導師である以上は適切な場所へと配属される。はやては守護騎士達と一緒に行動できるように融通を利かせてくれているが、使える魔法が制限されているせいで縛りプレイを余儀なくされている。
本当なら力を充分に発揮して能力を高めたいところだが、規則ならば仕方ない。
亀の歩みであっても、着実に強くなりさえすればいい。
彼女達の覚悟は揺らがない。
強くなるとそう決めた以上は、絶対にやり遂げてみせる。
「いつかはみんなで一緒の任務に行けるようになるといいな〜」
「そうだね、そのためにもまずはもっと勉強しておかなきゃだね」
「私も自分の部隊をいつかは作りたいと思ってるし、その時は二人を誘うな!!」
「「うん!!」」
元気よく頷く二人。
このまま成長していけば、彼女達が一緒のチームになれる日もそう遠くはないだろう。
ところで、
「今頃············どうしてるかな?」
なのはは顔をあげて太陽を仰ぎ、ほんの少しだけ目を細める。
強くなる、その覚悟を一緒に宣言した『少年』は、今どこで何をしているのだろう?
両面宿儺という怪物を受け入れ、もう二度と負けないと誓った少年───虎杖悠仁。
虎杖達と別れて以降、自分達は常に成長できているわけだが、彼も今強くなろうと頑張っているのだろうか。
もし。
次に会う時があったら。
彼だけでなく宿儺でさえも目を見開くほどに成長している姿を見せてやりたい。
(悠仁君達も············前に進めてるよね?)
そう思った高町なのはは青空を見上げ、そんな彼女の元にざぁっという音を立てて桜吹雪が空に舞い上がる。
世界は広い。
広く広くこの美しい世界を。
守っていきたい。
「なのは! 早く! 置いてかれるよ!!」
「もうみんな待っとるよなのはちゃん!!」
「うん! 今行く!!」
そう。
立ち止まってなんかいられない。
空はどこまでも青く、海は果てしなく穏やかで、“魔法少女達”の新たなる旅立ちを祝福している。
目的地に辿り着いた三人は、祝福の風を受けながら仲間達の待つお花見の会場へと駆け出していく。
未来はこれから始まっていく。
目の前にあるのは新しい夢。
あの日のことは、生涯忘れることはないだろう。
大人になっても忘れない。
少年との出会い。
呪術と魔法。
廻り合いと願いを胸に抱いて。
少女達は、
どうも、作者です。
本当なら活動報告に書きたかったんですが、あちらに書いても全然読まれないということがわかったので後書きにて書きます。
本来であればもっと多くの方々に読んでもらい、もっと早く、去年の六月頃辺りで完結させられることができた本作ですが、紆余曲折の末に何とか終わることができました。
これもひとえに、この作品を読んでくださった皆様のおかげです。
生まれて初めて完結させることが出来たものの、ご存知の方はご存知だとは思いますが、ここまで色々なことがありすぎて何度も消したりしてやり直しになったので、正直複雑な気持ちです。
素直に言うと、そのことについて申し上げたいことが多々ありますが、今更言ったところでもう何も変わらないので触れないでおきます。
しかしこの作品を見るのも嫌なのか、趣味に合わない人達が一定層いるというのも事実ですので、既に書き終え、これから投稿する予定の『おまけ話』については見たい人だけが見れるように本作を限定公開にするか、もしくはもう完全に消してしまったほうが良いのかすら迷っています。
続編として人外魔境新宿決戦編まで書くことを検討していましたが、これ以上趣味が合わない方々の目に留まって不快な思いをさせて迷惑が掛かったら申し訳ないですし、それについては今後次第でということで考えておきます。
最後に、以前消す前のこの作品に高評価をしてくださった皆様、せっかくつけて頂いたのに何度も消してしまって大変申し訳ありませんでした。
そして。
ここまで読んで頂きまして、誠にありがとうございました。