TS→後輩(天才女)のヒモ   作:鰻重特上

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TS → ヒモ

 

 天井を見上げながら、僕は久方振りのスッキリとした目覚めに違和感を覚えていた。

 

いつもなら鉛のように重い四肢が、まるで羽毛のように感じられる。昨日も終電まで働いて、家に帰り着いたのは午前一時を回った頃だったはずなのに、この身体の軽さは一体どういうことだろう、まさか過労で感覚が麻痺したのだろうか?

 

 疑問を抱きながら布団から身を起こそうとして、視界の端に何かが映り込んだ。

 

 茶色い、何か。

 

 それが自分の髪だと理解するまでに、数秒を要した。

 

「……は?」

 

 僕の髪は黒くて短い。少なくとも昨日まではそうだった。なのに今、肩を越えて胸元まで流れ落ちているこの色素の薄い茶髪は、一体全体どこから湧いて出たというのか。

 

 慌てて身体を起こしきると、胸元に僅かな違和感を感じた。恐る恐る視線を下げれば、パジャマの胸元が、ほんの少しだけだが膨らんでいる。

 

「いや、いやいやいやいや……えぇ?」

 

 混乱のあまり声を上げて、さらに混乱が深まった。声が、高い。地声でこんな透き通った声が出るはずがない。三十四年間、この喉と付き合ってきた僕が言うのだから間違いない。

 

 転がるように布団から抜け出し、洗面所へと駆け込んだ。途中で何度も足がもつれそうになったのは、身体のバランスがまるで変わってしまっていたからだ。

 

身長が縮んでいる。それも、かなり。

 

ドアノブの位置が妙に高く感じられて、嫌な予感は確信へと変わっていく。

 

 洗面台の鏡の前に立った。

 

 そこに映っていたのは、見慣れたアラフォー手前の草臥れた男、英輝夜(はなぶさ かぐや)のものではなかった。

 

 色素の薄い茶髪は腰まで届く長さで、癖のないストレート。肌は透き通るように白く、瞳は明るい赤茶色。顔立ちは幼気で、どこか子供っぽい印象を与える……。

 

客観的に見て、目を瞠るような美少女と言って差し支えない女の子だった。

 

 そして、その美少女は僕のくたびれたパジャマを着ていて、僕と全く同じ動きで鏡の前に立ち尽くしている。

 

「…………」

 

 右手を上げてみる。鏡の中の少女も右手を上げる。頬をつねってみる、痛い、鏡の中の少女も顔を顰めている。

 

「夢、じゃないよな……」

 

 呟いてみても、返ってくるのは少女の声だけだ。

 

 

「朝おんかよ……。くっそ美少女やんけ……」

 

 

─────

 

 

 それから三十分ほど、僕は自室のソファで呆然としていた。

 

 何が起きたのか、さっぱりわからない。転生でも憑依でもない、少なくとも僕の記憶は昨日までの英輝夜のものだし、ここは間違いなく僕の住んでいるワンルームのアパートだ。

 

 寝て起きたら美少女になっていた、というあまりにも荒唐無稽な状況を、どう受け止めればいいのかわからなかった。

 

 窓の外では、秋口の東京の朝が始まろうとしている。遠くに見えるビル群の合間を、自動運転の車両がスムーズに流れていく。世界はいつも通りに回っているのに、僕だけがその流れから弾き出されてしまったような、そんな孤独感が湧き上がる……。

 

 しばらくぼんやりしていると、ふと現実的な問題が頭をよぎった。

 

 僕は、社会的に存在しなくなったのではないか……?

 

 慌ててスマホを手に取り、銀行アプリを開いてみる。

 

生体認証、通らない。

 

顔認証も指紋認証も通らない。当然だ、顔も指紋も変わってしまっているのだから。パスワードを手入力してなんとかログインすると、口座自体はまだ存在していた。ただし、本人確認が必要な操作は全てブロックされている。

 

 これはまずい。非常にまずい。

 

 戸籍上の「英輝夜」は三十四歳の男性だ。今の僕がどう見ても十代後半にしか見えない少女である以上、本人だと証明する手段がない。つまり、僕は戸籍も住所も実質的に失った、無一文の「女の子」になってしまったということだ。

 

「おおぉ……」

 

 頭を抱えた。文字通り、頭を抱えてその場にうずくまった。

 

 どうすればいい、誰に相談すればいい、そもそもこんな話、誰が信じてくれるというのか……。

 

 絶望的な気分で床に敷かれたカーペットの縫い目を眺めていると、ふと一つの顔が思い浮かんだ。

 

 千賀理珠(せんが りず)

 

 大学時代の後輩で、僕の数少ない友人の一人だ。今は生命科学の分野で高名な科学者として活躍していると、数年前にニュースで見た記憶がある。

 

 ブラック企業に勤め始めてからはすっかり疎遠になってしまっていたが、彼女なら、もしかしたら、話を聞いてくれるかもしれない。

 

 いや、聞いてくれないかもしれない。むしろ警察を呼ばれる可能性の方が高い。見知らぬ少女が突然に現れて「僕は英輝夜です」なんて言い出したら、普通は不審者か異常者だと思うだろう。

 

 でも、他に頼れる相手がいない……。

 

 天涯孤独の独身男性の僕には、家族も親戚もいない。職場の同僚はみんな疲弊しきっていて、プライベートで付き合いのある人間なんて一人もいなかった。千賀に頼る以外に、選択肢がないのだ。

 

「よし」

 

 まずは落ち着いて、できることから始めよう。

 

 

─────

 

 

 最初にやったことは、近所のコンビニのATMで現金を引き出すことだった。

 

 幸いにも、キャッシュカードと暗証番号があれば現金の引き出しは可能だった。生体認証が通らなくても、旧式の認証方式が残っているATMを使い、とにかく下ろせるだけのお金を下ろした。一日の引き出し限度額いっぱいまで。

 

 五十万円、これが僕の全財産だ。

 

 次の問題は、服だ。

 

 僕の手持ちの服は全て男物で、しかも今の身体にはサイズが合わない。仕方なくダボダボのTシャツとスウェットを着て外出したが、さすがにこの格好で千賀の家を訪ねるわけにはいかない。かといって、この見た目で男物の服を買いに行くのも妙な話だし、試着室で着替えるのも気が引ける。

 

 結局、自宅で通販を利用することにした。

 

 最近の通販の配送は驚くほど早い。都内であれば注文から数時間で届くことも珍しくない。

 

僕はスマホで手早く女性用の服と靴を着払いで注文した。

 

 女性者の服のサイズ感の見当はつかなかったが、今の身長は百五十センチ程度で華奢な感じ、といったところだったので、取り敢えずSサイズを頼んだ。

 

 白いブラウスと紺色のジーンズ、シンプルなカーディガン。それに歩きやすそうなスニーカー。下着は……サイズ表を見ながら適当に小さいのを選んだ。多分、合っていると思う。たぶん……。

 

 配送を待つ間、僕は千賀の連絡先を探した。大学時代に交換した連絡先は残っていたが、今も使っているかどうかはわからない。

 

 ただ、住所については比較的簡単に見当をつけることができた。彼女は研究者としてそれなりに名が知られているから、所属機関の情報から居住エリアを推測し、後は公開されていた、自宅でのインタビュー記事の背景に映り込んでいた風景から、おおよその場所を特定した。

 

 我ながらストーカーじみた行動だと思ったが、背に腹は代えられない。

 

 

 夕方頃に届いた服に着替え、鏡の前に立った。

 

「…………」

 

 見慣れない少女が、見慣れない服を着て、そこに立っている。長い茶髪が背中に流れ、白いブラウスとカーディガンが華奢な身体を包んでいる。

 

「すっごい美少女……」

 

 可愛い、と思った。客観的に見て。

 

 同時に、猛烈な違和感が押し寄せてきた。

 

 しかし、現実として、今の僕はこの姿なのだ。受け入れるしかないのだ、少なくとも、当面は。

 

 深いため息を吐きながら、僕は家を出た。

 

 

─────

 

 

 千賀の自宅があると思しきマンションの部屋の前に着いたのは、夜の七時を過ぎた頃だった。

 

 当たりをつけた高層マンションの二十三階。郵便受けから部屋の特定をし、オートロックを突破する方法を考えていたところに、ちょうど住人らしき人が出てきたので滑り込むことに成功した。普通に犯罪だが背に腹は代えられない……。

 

 インターホンに指を伸ばして、止まった。

 

 今更ながら、不安が押し寄せてくる。

 

 千賀は僕のことを覚えているだろうか。覚えていたとして、この突拍子もない話を信じてくれるだろうか。信じてくれなかったら、僕はどうすればいいのだろう。

 

 でも、立ち止まっていても仕方がない……。

 

「ふぅ……」

 

 意を決して、ボタンを押した。

 

 呼び鈴が鳴り、数秒の沈黙の後、スピーカーから声が聞こえた。

 

『はい、どちら様ですか』

 

 千賀の声だ。少し低めの、落ち着いた声。記憶にあるのと同じだが、どこか疲れたような響きが混じっている様に感じる。

 

「あー、えっと、僕、英輝夜なんだけど」

 

『……は?』

 

 当然の反応だった。インターホンのカメラには、見知らぬ少女が映っているはずだ。その少女が「男のはずの英輝夜」を名乗っているのだから、訝しげな声になるのは無理もない。

 

「いや、あの、嘘じゃなくて。本当に英輝夜なんだ。その、事情があって……見た目が変わってしまったというか……」

 

『何を言っているのかわかりません。帰ってください』

 

 まずい……このままでは駄目だ。このままでは本当に追い返されてしまう……。

 

 僕は必死に頭を回転させた。千賀に僕が本物の英輝夜だと信じてもらうには、どうすればいい。僕しか知らないことを言えばいいのだ。僕と千賀しか知らない、そんなことを……。

 

「……千賀さ、大学三年の時に同人誌作ってたよね」

 

『…………』

 

 スピーカーの向こうの空気が、凍りついた。

 

「僕、見せてもらったことあるだろ?ほら、えっと、なんとかっていうアイドルの……えーと、推しカプがどうとかって」

 

『待って。待ってください。何故あなたがそれを』

 

「だから、僕が英輝夜だからだよ。大学の研究室で徹夜した時に、酔っ払った千賀が自慢げに見せてきただろ。次の日の朝、死ぬほど後悔してたけど……」

 

 沈黙。

 

 長い、長い沈黙。

 

 そして、ガチャリと、ドアが開いた。

 

 そこに立っていたのは、記憶にあるより少し大人びた千賀理珠だった。癖のない黒髪のセミショート、どこか真面目な印象を与える整った顔。ただ、少し痩せたようだ。目の下に薄い隈があり、全体的に窶れた印象を受ける。

 

「……中に」

 

 それだけ言って、千賀は部屋の奥へと歩いていった。

 

 僕は彼女の背中を追って、部屋の中へと足を踏み入れた。

 

 

─────

 

 

 リビングの椅子に座らされ、僕は事情を説明した。

 

 朝起きたらこの姿になっていたこと。戸籍も銀行口座も実質的に使えなくなったこと。頼れる相手が千賀しかいなかったこと。全部、正直に話した。

 

 千賀は、テーブルを挟んで向かいの椅子に座り、腕を組んで僕の話を聞いていた。その表情は終始硬く、眉間には深い皺が刻まれている。当然だ。こんな荒唐無稽な話、すぐに信じろという方が無理がある。

 

「……にわかには信じられません」

 

 僕が話し終えると、千賀は低い声でそう言った。

 

「うん、そうだよね。僕だって信じられないもん、こんなの」

 

「ただ……」

 

 千賀はじっと僕の顔を見つめた。観察するような、探るような眼差し。

 

「同人誌の件は、私と先輩しか知らないはずです。あと、話し方や雰囲気が……確かに、先輩に似ている」

 

「だから、本当に僕なんだって」

 

「しかし、科学者として、原因不明の肉体変容というのは到底受け入れられません。でも……」

 

 千賀は深いため息をついた。

 

「でも、目の前にいるあなたが英輝夜先輩である可能性を、完全に否定することもできない」

 

「じゃあ……!」

 

「だからといって、すぐに信じるわけでもありません」

 

 ぴしゃりと言われて、僕は口を閉じた。

 

「いくつか質問させてください。先輩しか知らないはずのことを」

 

「いいよ。何でも聞いて!」

 

 それから、千賀による尋問が始まった。

 

 大学時代の思い出、大学の研究室での出来事、二人で行った居酒屋の名前、千賀が論文で躓いた時に僕が相談を受けた時のこと……。ありとあらゆることを聞かれ、僕は一つ一つ答えていった。

 

 途中、千賀が酔っ払って、ある告白をしてきた時のことも聞かれた。

 

 あれは大学四年の冬、試験の打ち上げの後だった。ベロベロに酔っていた千賀は、自分がバイセクシャルであること、可愛い系の人が好みだということ、そしてこれは僕には関係ないが、最近気になっている人がいるということ。全部、酔った勢いで告白されて、翌朝「忘れてください」とメールが届いていた記憶がある。

 

 もちろん忘れていなかったが、聞かなかったことにしてあげるのが優しさだと思っていた。

 

 一時間ほどの尋問の後、千賀はようやく肩の力を抜いた。

 

「……信じます。あなたが先輩であることを」

 

「よかったぁ……」

 

 僕は心底ほっとして、椅子の背もたれに身体を預けた。

 

「それで、先輩は私に何を求めているんですか」

 

「あー、うん、そのぉ……」

 

 ここからが本題だ。僕は居住まいを正して、千賀の目を見つめた。

 

「僕を、ヒモにしてください」

 

「……はい?」

 

「だから、ヒモ。無職の居候。養って下さい、お願いします」

 

 千賀の表情が、見たこともないほど険しくなった。

 

「先輩、正気ですか」

 

「……だって、他にどうしようもないんだよ。戸籍がない、住所がない、お金もほとんどない……。この状態で自力でどうにかしろって言われても無理だって……」

 

「だからといって、いきなり居候なんて……」

 

「ちゃんと家事はするから!僕、料理はそこそこ得意だし、掃除もできるし……。あと、お菓子も作れるよ?ほら、千賀、甘いもの好きだったでしょ?」

 

「そういう問題ではありません」

 

「お願いだよ……。他に頼れる人がいないんだ。千賀だけなんだよ、僕が頼れるの……」

 

 僕は必死だった。ここで断られたら、本当に行く宛がない。路上生活なんて冗談じゃないし、この見た目で外をうろうろしていたら、それこそ補導されかねない。

 

 千賀は腕を組んだまま、難しい顔をしていた。眉間の皺が一層深くなっている。

 

「……一つ、条件があります」

 

「何? 何でも言って」

 

「家事は完璧にこなしてください。私は研究で忙しくて、家のことに余り手が回らないんです。掃除、洗濯、料理、買い物、全部。それができるなら……考えます」

 

「やる!絶対やる!完璧にやるから!」

 

 僕は勢いよく立ち上がって、千賀の両手をしっかり握り締めた。千賀が少し引いているのがわかったが、構ってなどいられなかった。

 

「……本当に完璧ですよ。手を抜いたらすぐに追い出します」

 

「わかった、わかったから!ありがとう千賀、本当にありがとう!」

 

「…………はぁ」

 

 千賀は深々とため息をついた。その目は半ば呆れているようで、そしてそれは、少しだけ懐かしい表情でもあった。

 

「先輩、昔から押しが強いですよね」

 

「え?そうかな」

 

「そうですよ。大学の時から全然変わってない」

 

 そう言って、千賀はほんの僅かに口元を緩めた。笑ったわけではないが、少しだけ表情が柔らかくなった気がした。

 

「とりあえず、今日は客間を使ってください。荷物を整理したら、明日から家事の引継ぎを……」

 

「待って、今日からでもいいよ。夕飯、まだでしょ?作ろうか」

 

「え?」

 

「キッチン、借りていい?冷蔵庫に何があるか見せて」

 

 千賀が何か言う前に、僕は立ち上がってキッチンへと向かった。こういう時は勢いが大事なのだ。

 

躊躇したら負けである。

 

 冷蔵庫を開けると、中はほとんど空っぽだった。野菜室には使い残りのレタス、後は賞味期限ギリギリの小分けパックの豆腐、あとは調味料がいくつか……。

 

「……千賀、ちゃんと食べてる?」

 

「……研究が忙しくて」

 

「だめだよ、ちゃんと食べなきゃ。肌荒れてるし、隈もできてるし」

 

 振り返って言うと、千賀はばつが悪そうに目を逸らした。

 

「大きなお世話です」

 

「世話を焼くのが僕の仕事でしょ、これからは。うーん、今日はこの材料だと……あ、乾麺とかある?」

 

「パスタなら……」

 

「よし、ペペロンチーノにしよう。にんにくと唐辛子とオリーブオイルはあるね。レタスはサラダにして、豆腐は……冷奴でいいか」

 

 僕は手早く調理を始めた。久しぶりにキッチンに立つが、自然と身体が動く。料理は昔から好きだったのだ。会社に勤め始めてからは、コンビニ弁当とかカップ麺ばかりだったけれど、案外身体が覚えてるものだ。

 

 

 ニ十分ほどで、簡素だがそれなりの食事が出来上がった。

 

「……美味しい」

 

 一口食べた千賀が、小さく呟いた。

 

「でしょ?僕、料理は自信あるんだ」

 

「先輩が料理できるなんて、知りませんでした」

 

「言ったことなかったっけ?大学の時は外食ばっかりだったからなぁ……」

 

 向かい合って食事をしながら、僕たちは少しずつ会話を交わした。千賀の研究のこと、僕が勤めていた会社のこと、疎遠になっていた数年間のことを。

 

 話しているうちに、少しずつ昔の感覚が戻ってくるような気がした。

 

 

「やっぱり、先輩は先輩ですね」

 

「え?」

 

「見た目は変わっても、中身は変わってない。……その……少し、安心しました……」

 

 そう言って、千賀は小さく微笑んだ。

 

 

 こうして、僕のヒモ生活は始まったのだった。




【英輝夜/先輩】
 三十四歳独身TS美少女(朝おん型)。
長年のブラック企業(2053年基準)勤めで、ちょっとだけ双極障害気味。中学時代から一人暮らしをしているので料理は得意。趣味も料理。
初恋は中学時代、最後の恋も中学時代の恋愛クソザコ初心者。
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