TS→後輩(天才女)のヒモ   作:鰻重特上

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帰還仮説

 

 出張三日目の夜、私は筑波の宿泊施設の一室で、デスクに向かっていた。

 

 共同研究先のラボは設備も人材も一流で、プロジェクト自体は順調に進んでいる。日中はデータの解析と議論に集中できるし、夜は論文の執筆に充てられる。研究者としては理想的な環境のはずだった。

 

 はずだった、のだが。

 

 "何かが足りない"。

 

 デスクの上にはノートパソコンと資料が広げられていて、コーヒーの入ったマグカップが半分ほど冷めている。

 

 足りないものの正体はわかっていた。わかっていたが、認めたくなかった。

 

 この部屋には先輩がいない。朝起きても朝食の匂いがしない。帰ってきても「おかえり」の声がないし、昼食はコンビニの弁当だ。

 

 夕食には先輩が作ってくれた冷凍おかずを食べれる。でも、温めたタッパーを一人で食べる夕食は、どこか物寂しかった。

 

 先輩との同居生活が始まって二ヶ月と六日。私はいつの間にか、先輩がいる生活を「普通」だと認識するようになっていた。朝食のある朝、花が飾られたリビング、夕方六時頃に漂い始める夕食の匂い、ソファの隣にいる小さな気配……。

 

 それらが全て「普通」で、それが欠けた今の環境が「異常」に感じられる。

 

 冷静に分析すれば、これは環境の急激な変化に対する心理的反応だ。二ヶ月にわたって一定の環境に適応した人間が、その環境から切り離された場合に生じるストレス反応。ホメオスタシスの乱れ。特別なことではない。

 

 ……特別なことではない、と思いたかった。

 

 私用のタブレットを開くと、先輩からのメッセージが届いていた。今日の夕食の写真と、「ちゃんと作ったよ!」というコメント。写真に映っていたのは、一人分のペペロンチーノだった。

 

『美味しそうですね。ちゃんと食べていて安心しました』

 

 送信してから、もう一行追加した。

 

『私は、作っていただいた肉じゃがを食べました。美味しかったです』

 

 先輩からの返信は、すぐに来た。

 

『よかった! 帰ってきたらまた、何時でも作るから、食べたくなったら言ってね』

 

 その文面を読んで、思わず口元が緩んだ。先輩のこういう優しさが、私には心地よい。真面目一辺倒な研究生活の中で、先輩の言葉は、私の肩の力を抜いてくれる。

 

 大学の頃からずっとそうだった。

 

『ありがとうございます。これだけ美味しいご飯が作れて、家事もできて。先輩はよいお嫁さんになりますね』

 

 送信してから、少し後悔した。

 

 これは、冗談のつもりだ。冗談のつもりで書いたはずだが、読み返すと冗談にしては少し踏み込みすぎている気がする。もう少し慎重であるべきだった。

 

 先輩の返信が来た。

 

『任せてよ旦那様♡。 千賀のことは僕がしっかり面倒見るからさ!』

 

 軽い調子の一文だった。先輩にとっては何気ないやり取りの延長なのだろう。けれど私は、その文面をしばらく見つめていた。

 

 「面倒見る」。普通なら、それは私の台詞だ。

 

 先輩の身元を保証し、生活の基盤を提供しているのは私なのだから。なのに先輩は当然のように「僕が面倒見る」と言う。料理を作り、掃除をし、洗濯をし、弁当を持たせ、作り置きを冷凍して出張先にまで送り出してくれる。

 

 先輩にとって「面倒を見る」とは、そういう日常の一つ一つの積み重ねなのだろう……。

 

 しかも、「旦那様」なんて言い回しで……。

 

 

 タブレットを閉じて、窓の外を見た。つくばの夜景は東京より静かで暗い。自宅の窓から見える夜景とは全く違って。

 

 やっぱり、寂しく思えた。

 

 

─────

 

 

 出張五日目、木曜日の夜。

 

 共同研究のミーティングを終えて、研究棟の休憩室で夕食を取っていた。先輩の作り置きはもう残り少なくなっていて、今日は鶏そぼろと、大根と人参の甘辛煮、甘い卵焼きの最後の一つだった。

 

「主任、その弁当、いつ見ても手が込んでますよね」

 

 共同研究先の若い研究員が話しかけてきた。彼は出張初日から私の弁当に注目していて、何度かこうして声をかけてくる。

 

「同居人が作ったものです」

 

「その同居人さん、プロとかですか?」

 

「趣味だそうです。……ですが、確かに腕前は玄人並みかもしれません」

 

 先輩の料理を褒められるのは、不思議と悪い気がしなかった。むしろ、少しだけ誇らしいとすら感じている自分がいた。

 

「主任、失礼ですけど」

 

「はい」

 

「同居人さんのこと、話す時だけ少し表情が変わりますよね」

 

 コーヒーを飲む手が止まった。

 

「……どういう意味ですか」

 

「いえ、悪い意味じゃないですよ。普段の主任て、すみません、ちょっと隙がないっていうか。でもお弁当の話をしてる時だけ、少し、何というか、柔らかくなるなって。その、雰囲気が。……すみません」

 

 若い研究員は何の気なくそう言って、自分の夕食に戻っていった。

 

 

 私は黙って食事に戻った。

 

 柔らかくなる。他人から見てわかるほどに、私は先輩の話をする時に表情が変わっているらしい。

 

 先輩のことを考えると表情が変わる。先輩の料理を褒められると誇らしい。先輩のメッセージが届くと安堵する。先輩がいない部屋は物足りない。これらの事実を一つ一つ並べていけば、導き出される結論はひとつしかない。

 

 けれど、その結論を口にすることには、まだ躊躇があった。

 

 先輩は元男性で、今は女性の身体になっている。

 

 先輩の精神はどうだろうか。少しずつ変化しているのは確かだ。以前の先輩にはなかった仕草や感情表現が増えている。けれど先輩の中核にあるもの、あの世話好きで押しが強くてお人好しな性質は、変わってはいない。

 

 私が惹かれているのは、その変わらない部分と、変わりつつある部分の両方だ。

 

 大学時代に好きだった先輩の優しさも。今の先輩の、あの幼い顔で笑う笑顔も。両方が混ざり合って、私の中で一つの感情になっている。

 

 

─────

 

 

 土曜日の夜。出張最終日。

 

 明日の午後には帰れる。荷物を整理しながら、私はそのことを考えていた。一週間の出張は予定通りに進み、共同研究の成果も上々だった。研究者としては満足のいく一週間だったはずだ。

 

 しかし正直に言えば、この一週間で最も鮮明に記憶に残っているのは、研究の進捗ではなく、毎晩の先輩とのメッセージのやり取りだった。

 

 金曜の夜、先輩からのメッセージが少しだけ遅かった。いつもは九時頃に届くのに、その日は十時を過ぎても来なかった。

 

 たかが一時間の遅延なのに、私はスマホを何度も確認していた。結局、先輩は「ごめん、お菓子焼いてたら夢中になっちゃって」と謝ってきた。夕飯用の材料を買いに行ったら、製菓材料コーナーに目が行って、フィナンシェの型を衝動買いしたらしい。帰宅した私に食べてもらうのだと言っていた。

 

 一時間メッセージが来なかっただけで落ち着かなくなる自分に、私は気づいていた。気づいていて、もう目を逸らすのは無理だと思った。

 

 

 これは、恋だ。

 

 先輩のことが、好きだ。

 

 大学の頃の片想いが、形を変えて蘇っている。あの頃はただ漠然とした好意だったと思う。

 

 けれど、今のこれは違う。

 

 先輩の作る料理が好きだ、先輩の笑い方が好きだ、先輩が三つ編みの毛先をいじる仕草が好きだ、先輩が私を見上げる上目遣いの表情が好きだ。

 

 先輩が私のために花を飾ってくれることが。

 

 先輩が私の食生活を心配してくれることが。

 

 先輩が私の弁当に温め時間のラベルを貼ってくれることが。

 

 そのどれもが、好き。

 

 認めてしまえば、驚くほどすっきりした。科学者にとって、仮説が実証されることは本来喜ばしいことだ。自分の感情について長らく保留していた仮説に、ようやく結論を出せた。

 

 ただし、結論が出たからといって、それをどうするかは別の問題だ。

 

 先輩は今の自分の感情をどう認識しているのだろう。先輩は私の前であざとい仕草をしたり、からかったりしてくるが、それは計算であって恋愛感情からのアプローチではないだろう。

 

 先輩にとって私は「今、唯一頼れるの友人」であり、「生活を共にする同居人」であり、それ以上ではないのかもしれない……。

 

 この感情を伝えることが、今の関係を壊すリスクを孕んでいることは明白だった。先輩には私しかいない。私との関係が崩れれば、先輩は文字通り行き場を失う。そんな状況で私がこの感情を告げることは、先輩にとって一種の圧力にすらなりかねない。

 

 だから……今は、まだ。

 

 荷造りを終えて、最後に先輩にメッセージを送った。

 

『明日、予定通り夕方に着きます』

 

 返信は数秒で来た。いつもより速い。

 

『やった! おかえりのご飯、ロールキャベツとフィナンシェ用意して待ってるから! あ、千賀お土産とかいらないからね。手ぶらで帰ってきて。早く帰ってきてくれるのがいちばんのお土産だから』

 

 長いメッセージだった。先輩はいつも短文でやり取りするタイプなのに、今日は文章量が普段の三倍はある。感嘆符が多い。テンションが高さが伝わってくる。

 

 "早く帰ってきてくれるのがいちばんのお土産"

 

 先輩は、こういうことを平然と書くのだ。本人にとっては何気ない一文なのだろう。なのに、読んだ私の胸の奥は、じわじわと熱を持つ。

 

『わかりました。出来るだけ早く帰ります』

 

 少し迷ってから、もう一行加えた。

 

『夕飯。楽しみにしています』

 

 送信して、スマホを枕元に置いた。明日の帰宅が、出張中のどの研究成果よりも待ち遠しいという事実を、私はもう否定しなかった。

 

 

─────

 

 

 日曜日、午後五時四十分。

 

 マンションのエレベーターを降りて、自宅の前に立った。鍵を取り出す前に、廊下にまで漂ってきた匂いに気づいた。トマトの柔らかな酸味とコンソメの香り。ロールキャベツの匂いだ。

 

 ドアの向こうから、かすかに水の流れる音が聞こえる。先輩がキッチンに立っているのだろう。

 

 鍵を開けて、ドアを開けた。

 

「ただいま」

 

 その一言を口にした瞬間、自分でも驚くほどの安堵が胸に広がった。

 

 奥からばたばたと足音が聞こえて、先輩がキッチンから飛び出してきた。エプロン姿で、手には鍋つかみをはめたままで、三つ編みが揺れている。

 

「おかえり、千賀!」

 

 先輩が笑っていた。赤茶色の瞳が輝いていて、頬が上気していて、額にうっすらと汗が浮かんでいる。キッチンに立ちっぱなしだったのだろう。

 

 その笑顔が、一週間分の思い出と感情を一気に引き連れて、私の視界に飛び込んできた。

 

「……先輩、ただいま帰りました」

 

「おかえり! ね、ご飯もうすぐできるよ。着替えてきて。あ、その前に……」

 

 先輩が鍋つかみを外して、私の手からキャリーバッグを取った。小さな手で大きなバッグのハンドルを握って、よいしょ、と引っ張る。小柄な身体に対して明らかにバッグが大きすぎて、少しよろめいている。

 

「先輩、いいです。自分で」

 

「いいから。千賀、疲れてるでしょ。座ってて」

 

 押しの強さは相変わらずだった。先輩はバッグをリビングの隅まで運んでから、ぱっとこちらに向き直った。

 

「千賀、痩せた?」

 

「……一週間は痩せるほどの期間ではないと思いますが」

 

「顔色がちょっと悪い。ちゃんと食べてた? 作り置き足りた?」

 

「先輩の作り置きのおかげで、まともな食事ができていました。ただ、まぁ後半は少し……」

 

「足りなかったんだ。やっぱりもっと作っておけばよかった」

 

 先輩が眉を下げて、本気で悔しそうな顔をした。一週間分の食事を冷凍して持たせてくれただけでも十分すぎるのに、それでもまだ足りないと感じているらしい。

 

「先輩。十分でした。ありがとうございます」

 

「ほんとに? ……うん、なら良かった。とにかく、今日はたくさん食べてね。ロールキャベツ、張り切って作ったから」

 

 先輩がキッチンに戻っていく背中を眺めながら、私はリビングを見回した。

 

 部屋は完璧に片付いていた。一週間不在にしていたとは思えないほど清潔で、窓際の花瓶には新しい花が生けられていた。この花は……アネモネだったろうか? 先輩が私の帰りに合わせて新しい花を買ってきてくれたのだと、すぐにわかった。

 

 ソファに座ると、ブランケットが畳まれて端に置かれていた。その上に、小さなメモが載っている。先輩の字だ。

 

『おかえりなさい、千賀。お疲れさま。ゆっくり休んでね。先輩より』

 

 メモ書きの「先輩より」という署名に、少しだけ笑ってしまった。先輩は自分のことを「先輩」とは呼ばないのに、私に合わせてそう書いたのだろう。

 

 食卓にはランチョンマットが敷かれていて、二人分の皿とグラスがセッティングされていた。中央にはキャンドルまで置かれている。いつになく凝った演出だった。

 

「はい、ご賞味、あれ!」

 

 先輩がキッチンから、少し重たそうに鍋を持ってきた。蓋を開けると、トマトソースの鮮やかな赤の中に、丁寧に巻かれたロールキャベツが四つ並んでいる。さらにはバゲットと、グリーンサラダまで追加された。

 

「あと、デザートのフィナンシェは食後にね。焼きたてを出すから」

 

「先輩、このキャンドルは」

 

「あ、それ。百均で買ってきた。なんか、おかえりっぽい演出あった方がいいかなぁ、って」

 

 先輩が少し照れくさそうに頬を掻いた。百均のキャンドルでも、先輩がそういう気持ちで用意してくれたことが、私にとっては何より嬉しかった。

 

 ロールキャベツは絶品だった。キャベツが柔らかく煮込まれていて、中の肉だねにはナツメグとセロリが効いている。トマトソースは甘みと酸味のバランスが絶妙で、バゲットに浸して食べると最高だった。

 

「美味しい」

 

 先輩が顔を輝かせた。

 

「ほんと? 初めて作ったんだけど、上手くいったかな」

 

「初めてでこの完成度は、驚異的です」

 

「えへへ。千賀が帰ってくるから、気合い入れた」

 

 先輩が嬉しそうに笑う。その笑顔を見ていると、一週間分の疲労が溶けていくような気がした。出張中に食べた食事のどれよりも、この食卓は温かい。

 

 料理の温度だけではない。向かいに先輩がいて、先輩が私の食べる様子を見ていて、私が「美味しい」と言うと嬉しそうに笑うその時間そのものが、温かいのだ。

 

 食後、先輩がフィナンシェを持ってきた。バターの焼ける香ばしい匂いが漂ってきて、焼きたての小さな金色の菓子が皿に並んでいた。

 

「焼きたてが一番おいしいんだって。はい、千賀」

 

 先輩が皿を差し出してきた。受け取ろうとした時、先輩の指が私の手に触れた。温かくて柔らかい指先だった。一瞬のことだったが、先輩は手を引かなかった。

 

「千賀の手、冷たい。部屋、寒かった?」

 

「……少し」

 

「ごめんね、暖房つけてあったんだけどな。千賀、末端が冷えるタイプでしょ」

 

 先輩が私の手をそのまま両手で包んだ。小さな手のひらが、私の指を挟むようにして温めてくる。

 

「先輩」

 

「ん?」

 

「……手を」

 

「あ、ごめん。嫌だった?」

 

 先輩がぱっと手を離した。嫌ではなかった。全く嫌ではなかった。むしろ離してほしくなかった。けれどそれを口にすることはできなくて、私はフィナンシェを一口齧った。

 

「美味しいです。これも初めて作ったんですか」

 

「練習はしたよ。型を衝動買いしちゃって、千賀に怒られるかなと思ったんだけど」

 

「怒りません。とても美味しいので」

 

「やった」

 

 先輩がまた手を叩いて喜んだ。

 

 嬉しそうに笑顔で手を叩く先輩、先ほど私の手を温めようとしてくれた先輩、花を飾って、メモを書いて、おかえりのキャンドルを用意してくれた先輩。

 

 私は、この一週間で出した結論が正しかったことを、改めて確認した。

 

 

 好きだ。

 

 この人のことが、本当に、好きだ。

 

 

 片付けを終えた後、先輩が紅茶を淹れてくれた。ダージリンのストレート。温度も濃さも、いつも通りだった。

 

「千賀、出張どうだった? 研究の方」

 

「順調でした。共同研究の成果はかなり良いものになりそうです」

 

「さすが千賀。でも無理してないよね? ちゃんと寝てた?」

 

「……概ね」

 

「概ねってことは寝てないんでしょ。千賀の『概ね』は僕の知る限り『半分くらい』って意味だよ」

 

 先輩が半眼で私を見た。核心を突かれて言葉に詰まる。先輩は私の言葉の裏を読むのが、いつの間にか上手くなっているような気がする……。

 

「今日は早く寝てね。明日からまた仕事でしょ」

 

「……はい」

 

「よし。じゃあ髪乾かしてあげるから、先にお風呂入っておいで」

 

 一瞬、耳を疑った。

 

「先輩が、私の髪を?」

 

「うん。前に僕の髪乾かしてもらったでしょ。そのお返し。千賀の髪はセミショートだからすぐ乾くと思うけど、今日は僕にやらせてよ」

 

 断る理由が見つからなかった。正確に言えば、断りたくなかったともいう。

 

 風呂から上がると、先輩がソファの前でドライヤーを準備して待っていた。

 

「はい、座って。僕の前に背中向けて」

 

 言われるまま、ソファに座った。先輩がソファの背、私の後ろに回る。ドライヤーの温風が首筋にあたって、先輩の指が髪を梳いていく。

 

 私の髪は、先輩の腰程までの長髪とは比べ物にならないほど短いから、乾かすのに大した時間はかからないはずだ。なのに先輩はゆっくりと丁寧に、毛先の一本一本まで乾かすように手を動かしている。

 

「千賀の髪、さらさらだね。黒くて綺麗」

 

「……ありがとうございます」

 

 先輩の指が、耳の後ろの髪を丁寧に持ち上げた。指先が耳に触れて、背筋に微かな電流が走った。先輩は気づいていないだろう。こちらの心臓が跳ねていることにも。

 

「はい、おしまい」

 

 先輩がドライヤーを止めた。立ち上がろうとした私の肩に、先輩の手がぽんと置かれた。

 

「……おかえり、千賀。一週間、お疲れさまでした」

 

 先輩の声は柔らかくて、少しだけ甘くて……。

 

 ……その声の中に、一週間分の「寂しかった」が透けて見えた気がした。

 

 先輩はきっと、「寂しかった」とは言わないだろう。けれど、この一週間の先輩のメッセージの行間に、この部屋の隅々にまで行き届いた掃除に、花瓶の新しい花に、ブランケットの上のメモに、ロールキャベツとフィナンシェに……先輩の寂しさは全部、そこに滲んでいた。

 

「ありがとうございます、先輩」

 

 肩に置かれた先輩の手の温度を感じながら、私は静かに目を閉じた。

 

 帰ってきた、と思った。

 

 ここが、帰る場所なのだと。先輩がいるこの部屋が。

 

 その仮説が、私の中で、ひとつの確かな結論として証明された瞬間だった。




【千賀理珠/千賀】
 ずっと保留にしていた問に答えを出した。
合理的な言い訳で誤魔化しているが、きっと本音は怖いだけ。
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