「………よし、ここもオッケーだな。」
俺は道端に落ちていた黒ずんだカケラを拾い上げ、手元のメモにチェックを入れた。見た目はただの瓦礫のようでも、アビスの影響を受けた残滓は放置しておくと碌なことにならない。もっとも、ここまで来ると危険というより、厄介なゴミ拾いに近い作業ではあるのだが。
「はあ……そろそろ、こっちの調査も終わりかな。」
誰に向けるでもなくそう呟き、自然と溜息が零れた。空気は穏やかで、風に揺れる草の音がやけにのどかだ。少し前まで、ここがアビスの影に侵されていたとは思えないほど平和である。
アーミタイルとの対話から、すでに数ヵ月が経過していた。あの一件以降、俺はこうして時折テイワット各地を巡り、点在するアビスの残滓を回収しては処分する役目を担っている。英雄的な戦い、というよりは地味で地道な後処理だが、誰かがやらなければならない仕事だ。
アビスに関しては、正直言ってまだまだ問題だらけだ。原因も全容も完全には掴めていないし、厄介事が再燃する可能性だって否定できない。それでも――いや、だからこそ、だろう。
「まあ、みんなの為だしな。」
小さく肩をすくめながら、集め終えたカケラをひとまとめにする。袋に入れるのも面倒になり、俺はそれをそのまま天に向かってぶん投げた。
「……よし、納品できた。」
宙に放られたカケラは淡く光り、そのまま霧散するように消えていく。何度見ても、実に雑で、そして便利な処分方法だ。最初にこのやり方を思いついたやつは、たぶん性格が大雑把に違いない。
「んんっー!仕事終わり!終わった終わった……」
俺は大きく伸びをして、凝り固まった背中をほぐす。その拍子に、思わず笑みがこぼれた。世界の危機だの、深淵だのと騒いでいた頃が、少し遠い昔のことのように感じられる。
こうして平和な後片付けができる日常も、悪くない。
――次に呼び出されるまでは、しばらくゆっくりするとしよう。
そう心に決めながら、俺は軽い足取りでその場を後にした。
ナシャタウンに戻ると、港町特有の賑わいが目に飛び込んできた。商人の呼び声、行き交う人々の笑い声、そしてどこか潮の香りを含んだ風。ついさっきまで一人で残滓を拾っていた身には、少し眩しいくらいの活気だ。
そんな中、人混みの向こうから聞き覚えのある快活な声が飛んできた。
「お、玄鳥じゃないか!久しぶりだね。」
振り向くと、そこには見慣れた赤と黒の装い――煙緋さんが、書類を抱えながらこちらに手を振っていた。相変わらず元気そうで、表情も明るい。
「煙緋さん久しぶり!……って、なんでナド・クライに?」
思わずそう聞くと、煙緋さんは当然だと言わんばかりに胸を張る。
「私は法律家だよ?各地に呼ばれたりするさ。」
その言い方があまりにも堂々としていて、妙に説得力があった。
「あー……」
俺は短く相槌を打ちながら、なんとなく納得する。そういえばこの人、書類と法規さえあればどこにでも現れるタイプだった。
「そういえば、胡桃とは会った?」
ふと思い出したように煙緋さんが続ける。
「最近会ってなくてさ……元気にしてる?」
その問いに、俺は少しだけ微笑みながら頷いた。
「みんな元気にしているよ?ただ……君が居なくて、結構寂しがっていたけどね。」
「……そっかぁ。」
思わず間の抜けた声が出る。胸の奥が、ほんのり温かくなるのを感じた。
「仕事も終わったし、今日戻ろうかなって思ってたんだ。」
そう言うと、煙緋さんの表情がぱっと明るくなる。
「それはいい!きっと彼女達も喜ぶよ。それに――」
彼女は少し意味ありげに言葉を区切り、
「もうすぐ海灯祭だからね。」
その一言で、頭の中に明かりが灯った。
「あ、海灯祭……」
思わず呟く。
そうだ、あの賑やかで、少し切なくて、でもどこか温かい璃月の祭り。
――すっかり忘れてた。
気付けば季節は巡り、もう海灯祭の準備が始まる頃合いなのだろう。忙しさにかまけているうちに、そんな大事な風物詩まで記憶の隅に追いやっていたらしい。
「伏龍先輩から聞いたよ。色々あった事は。」
煙緋さんはそう言って、少しだけ声の調子を落とした。からかうような軽さはなく、どこか案じるような視線が向けられる。
「……うん。」
短く頷くしかなかった。細かい説明をしなくても伝わってしまう辺り、話はもう一通り共有されているらしい。
「君はまだ子供なんだ。ずっと戦いの事ばかり考えていたらダメだよ?」
諭すような言葉だったが、押し付けがましさはない。むしろ、年長者としての素直な心配が滲んでいた。
「理解はしてるよ。」
反射的にそう答える。自分でも、いつもの返しだという自覚はあった。
「……君はそう言って、上手くはぐらかすのが癖だっていうのもね。甘雨先輩から聞いたよ。」
「うっ……」
思わず言葉に詰まった。まさかそこまで把握されているとは思わなかったし、しかも情報源が甘雨さんとなると、否定の余地が一切ない。
――やっぱり仙人って、なんでもお見通しってやつなんだな。
内心でそうぼやきつつ、俺は観念したように肩を落とした。
「……分かった。みんなに顔、見せてくるよ。」
そう言って背を向けると、煙緋さんは満足そうに頷いた。
「それでいい。ちゃんと“戻る場所”があるって、忘れちゃいけないよ。」
その言葉を背中で受け止めながら、俺は急いでナシャタウンを後にし、璃月港へと駆け出した。
とにかく、今は早くみんなの顔が見たかった。
考えるより先に体が動き、気付けば息を切らしながら走り続けていた。
結果――普段ならもう少しかかる距離を、約二十分で踏破。
「ふう……帰ってきた。」
港の景色を目にした瞬間、自然と零れたのはその一言だった。倉庫の並ぶ岸壁、行き交う船、聞き慣れた喧騒。どれもが懐かしく、胸の奥にじんわりと染み込んでくる。
深呼吸を一つして、俺は気持ちを切り替えた。
「まずは……胡桃に顔見せないと。」
そう呟き、足取りを少しだけ軽くして、俺は璃月港の街へと歩き出した。
「ふんふんふ〜ん♪」
港の通りを歩いていると、聞き覚えのある軽やかな鼻歌が耳に入った。間延びした調子で、いかにも気分が良さそう……なのだが、よく観察するとどこか上の空にも見える。
視線の先には胡桃がいた。いつものように楽しげに歩きながら、時折立ち止まっては考え込むような素振りを見せている。
「この後どうしようかなぁ……行秋坊ちゃまに会って話でもしようかな……」
独り言とはいえ、声量は相変わらずだ。
「…………はあ……なんだかイマイチ頭が冴えないなぁ……」
珍しい弱音に、思わず足が止まる。
胡桃が“頭が冴えない”なんて口にするのは、そうそうあることじゃない。
「珍しいじゃん。胡桃、いっつも頭冴えてるのに。」
気付けば、俺は自然と声を掛けていた。
「そうだよ〜……いつもはこんな調子じゃ――」
そこまで言いかけたところで、胡桃はぴたりと動きを止めた。そして、ほんの一拍遅れて、ゆっくりとこちらを振り向く。
その目が、俺を捉えた瞬間。
「……玄鳥ぇ!?」
驚きで大きく見開かれた瞳。
どうやら、いつの間にか隣に並んでいたのが完全に不意打ちだったらしい。
「やっほ。久しぶりに帰っ――」
そう言いかけた瞬間だった。
ぎゅっ。
言葉の続きを封じるように、胡桃が勢いよく抱きついてきた。しかも、想像以上に力が強い。軽く受け止めるつもりが、思わずよろける。
「ちょ、ちょっと胡桃!?強い強い!」
抗議する暇もなく、彼女はそのまま離れようとしない。
「もうっ……遅いよ!どこ行ってたのさ!」
声は明るいのに、腕に込められた力がやけに本気だ。
……なるほど、頭が冴えなかった理由は、どうやらこれだったらしい。
俺は小さく苦笑しながら、されるがまま抱きしめ返した。
「ええっ、お仕事が思ったより早く終わったの!?」
胡桃は目を丸くして、信じられないものを見るようにこちらを見上げた。さっきまでの抱きつきは一旦落ち着いたものの、今度は両手を胸の前で組み、興味津々といった様子だ。
「うん。本当なら十年ぐらいかかる仕事だったらしいんだけどさ。結果的には一年ぐらいで片付いたんだって。」
自分で言っておいてなんだが、改めて聞くと無茶な話だと思う。運も、協力も、色々と噛み合った結果だ。
「……それ、玄鳥が頑張ったからだよ。」
胡桃はそう言って、にやっと得意げに笑った。
「流石、私の幼馴染〜♪」
その言い方が妙にくすぐったくて、俺は視線を逸らす。
「ていうかさ……」
胡桃は少し声のトーンを落とし、指折り数えるように続けた。
「玄鳥が、去年の海灯祭の後に離れてから……もう一年経つんだね。」
「……うん。」
短く答える。
一年という時間は長いようで、振り返るとあっという間でもあった。
すると胡桃は、急に俺の正面に回り込み、両腕を大きく広げた。
「どう?一年経って、私もかなり“なあすばでー”になったでしょ?」
どこで覚えてきたのか分からない謎の発音とポーズ。
勢いだけはやたらある。
俺は一歩引いて、胡桃を上から下までじっと眺めた。
――確かに十八歳にはなっている。
……が、見た目の印象はそこまで劇的に変わったようにも思えない。
「うーん……分かんね。」
正直な感想を口にした瞬間だった。
「玄鳥は乙女心が分かってない!」
胡桃はむっと頬を膨らませ、腕を組む。
「えー……だってさ。藍硯とか、蛍とか……」
比較対象を出したのが、明らかに悪手だった。
「…………」
一瞬の沈黙。次の瞬間。
「いっ!」
胡桃の拳が、遠慮なく脇腹に入った。
「痛っ……!?」
「他の子の名前出すとか、そういう所だよ!」
胡桃はぷいっと顔を背ける。
……結構本気で殴られた。地味に痛い。
俺は脇腹を押さえながら、小さく溜息を吐いた。
「……やっぱ、変わってないな。」
そう呟くと、胡桃は一瞬だけこちらを見て、にやっと笑った。
「それでいいの。」
その一言が、妙にしっくり来た。
「とりあえずー……」
胡桃はわざと間を空けるように言ってから、少し照れたように、けれどいつもより柔らかな声で続けた。
「おかえり、玄鳥。」
その言葉は、港の喧騒の中でも不思議とまっすぐ耳に届いた。
「……うん。ただいま。」
俺も短く、けれど確かにそう返す。
二人の間を、潮の匂いを含んだ風がすっと吹き抜けた。胡桃の髪がふわりと揺れ、夕暮れの光を受けて柔らかく輝く。その横顔は、いつもと同じようでいて、どこか少しだけ違って見えた。
――言葉にはしなかったけど。
ふざけ方も、笑い方も変わらない。
けれど、背伸びをしなくても立てるようになったその姿に、確かな時間の積み重ねを感じた。
……大人になったな。
そう心の中で静かに思いながら、俺はもう一度、帰ってきた景色を噛みしめていた。
シリアスはできるだけ無いような作品にしたいです。
コミカルにしようにも癖でシリアスになる事多いので…