思いつきの見切り発車。
続くかもしれないし続かないかもしれない。
マンハッタンカフェは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐……とまではいかなくとも凶悪なカロリーをしたメニューを除かなければならぬと決意した。
カフェには需要が分からぬ。カフェは、コーヒー好きである。コーヒーを飲み、最愛の人と共にアスリートとしての三年間を駆け抜けた。
引退後のカフェはアスリートとしての経験……ではなく好きなコーヒーを仕事にしようとした。野を越え山越え、トレセン学園から十里は離れた田舎の片隅に店を構えた。
ここまでの前提を踏まえて、だ。
彼女が構えた店はコーヒーから始まった喫茶店だった。勿論、コーヒーに合うような軽食としてサンドイッチやパスタ等のメニューも用意していた。
そこに一切の妥協──いやコーヒー以外はそこそこ妥協したような気が──とにかく妥協はなく、自画自賛になるが最愛の人と作り上げた味も申し分ないと思っていたのだ。
結果は閑古鳥の大合唱。多分夏のセミくらい鳴いてる。
トレセン学園から十里(約40km)も離れたとはいえそうはならないだろう、というのは甘い考えだった。
都会の喧騒を遠くから眺めるような田舎は、時に排他的なコミュニティとして成立していることがある。
そこに如何にも都会から来ました、という風貌の店を構える新参者はどうしたって多少の偏見が付きまとってしまうもの。好き嫌いに関わらずやや遠巻きにされるようになってしまった。
まあ要約すると『何も考えずにマンハッタンカフェの趣味に合う場所で趣味丸出しの店を開いて赤字に悩んでいる』ということになる。人の心。
まだここまではよかった。いや良くはないんだけど。
カフェは勿論のこと、最愛の人……元トレーナーもこの状況を黙って傍観することはできなかった。
愛する者が夢を叶えて作り上げたこの店を、何も成すことなく終わらせるのはあまりにも心苦しい。何とかしてやれないだろうか。
元トレーナーが悩みに悩んで、時々『立地から間違えてない?』というもっと早くに言うべきだった意見も飲み込んで、ようやっと出した結論。
──メニューを増やさない?
それは客層の拡張だった。
現在、ここ『喫茶まんはったん』はコーヒーや軽食といったものを中心に取り扱っている。
これが都会であればオシャレなカフェとか落ち着ける空間としての需要が見込めたのだろうが、生憎自然豊かな田舎では落ち着ける空間なんてそこら中に転がっている。
ならばそれ以外の客層、それもオシャレさなんて欠片も求めちゃいない人種をまず引き込んでみようということだ。
己の趣味嗜好で店の赤字経営を生み出している自覚があるカフェはすぐに頷いた。少なくとも、このまま終わるよりは何倍もマシだと思っていた。
そうして『喫茶まんはったん』に新メニューとして追加されたのがカツ丼であった。飛ばしすぎでは?
コーヒー、サンドイッチ、パスタ。そこにいきなり超重量級の和食の超新星。ナリタタイシンの追い上げくらいいきなりヤベーのが出てきた。
どう考えても『喫茶まんはったん』の迷走第一歩にしか見えなかったカツ丼という三文字だったが、どこぞのサトノのご令嬢のようにそんなジンクスを粉砕した。
【朗報】カツ丼がコーヒーより売れる
なんということをしてくれたのでしょう。ぶっちゃけ大赤字の元になっていたコーヒー豆の仕入れを大きく上回る売上をたたき出した。カフェは泣いた。
というのも、やはり田舎。デスクワークよりも肉体労働が多い地域において食事のボリュームとは正義なのだ。サンドイッチとコーヒーでは腹の足しにもならぬ。
故に、一人目の客がカツ丼の美味さを知ればそれが広まるのも道理。二人、三人と客が増えていきカツ丼もまた二つ、三つと売れていく。
「……どうして、こんなことに」
そして現在、カフェが夢見たオシャレな喫茶店はどこへやら。カツ丼を筆頭に増えていったガッツリお食事メニューの美味しそうな匂いが充満する『まんはったん食堂』となっている。
いや店名は変わってないんだけどね?客層が客層だし、メニューがメニューだし。丁寧に注いだ熱々のコーヒーより、仕入れたままをコップに注いだだけの冷たい麦茶が選ばれてる現実から目を背けてはならない。泣くのは許す。
初めはカツ丼だった。それから唐揚げ、メンチカツ、エビフライと揚げ物の定食メニューが充実していき、カレーライスやラーメンなんかを追加した時にはもう手遅れだった。
開店から五年。最早この店を喫茶店と認識している客が何人いるか。多分アンケートを取ったら回答する前に『え?ここ喫茶店だったの?』と返ってくること請け合いである。
素敵なコーヒーの匂いはどこへやら。揚げ物が上がる音と注文を読み上げる店員らの声、そして腹を空かせる美味そうな匂いが漂うばかりだ。
「カフェ、カツ丼大盛りと唐揚げ定食できたよ!お願い!」
「あ、はい」
おかしい。カウンターでお客さんとにこやかに会話しながら、コーヒーを広めたいだけの人生だったのに。何がどうしてこうなった。
カフェの心境を知ってか知らずか、夫は真面目に愚直に食事を提供し続けている。揚げ物の腕前も上達した。何でや。
今日も今日とて大盛りいっぱい召し上がれ。そんな『喫茶まんはったん』の一日は過ぎていく。
「……貴方、それは?」
「ああ、これ?新メニューに加えてみようかなって」
「…………麻婆豆腐、を?」
「食べてみて!」
「……………………美味しい、です」
日に日に喫茶店から遠のいてる気がする。