翌早朝。
日課で目が覚めてしまったボシュは、まだ暗いうちから外へ出て鍛練を始める。
酒場の裏手に程よい空地があったのだ。
「ここなら邪魔にならないだろう。これからは剣の鍛錬もしないと。時間がいくらあっても足りない…。はっ!やっ!」
「こんな時間から精が出るね、若者よ!」
「あ、オーヴァさん、おはようございます」
現われたのは女主人オーヴァだ。
「良く休めたかい?」
「はい!妹もサチもまだぐっすりです」
「そりゃ何より。お前達、すぐに発つのか?」
「そうですね、あまりのんびりはできないかと。サチが急いでいるようなので!」
「そうか。…ああ、邪魔しちゃ悪いね、オレは退散するよ、ごゆっくり!」
「ありがとうございます。少し場所をお借りします」
全然構わないよ!と声高らかに答えて、オーヴァは店に入って行った。
その後も延々と剣の素振りをしていたボシュだが、如何せん一人では張り合いがない。
結局走り込みに出る事にした。
「剣は相手がいなきゃ勝手も分からない。やはり俺はこっち派だな!」
相手、すなわちサチである。
何だかんだと言いつつも、サチとの剣術稽古は気に入っていた。
大分空も白み始めた。林に差し掛かると、木々の隙間からぼんやりとした光が現われたり消えたりしている事に気づく。
「こんな時間に…まさか魔物か?」
ならば剣の練習相手にちょうどいいと、気配を消して足を踏み入れる。
進んで行くと、薄暗い空間に人影が見えた。どうやら魔物ではなく人間のようだ。
「何だ残念、練習台にしようと思ったのに!」
「…誰!?」
ボヤいた瞬間に気が緩み、相手に気取られた。
「悪い、怪しいもんじゃないんだ、が…」
「あなた、昨夜の?ボシュ君、だっけ」
「リリさんか!こんな時間にこんな所で何してるんだ?」
そこにいたのは、杖を手にしたリリであった。
大きな雲の形をしたヘッドが目を惹く、かなり大型の杖だ。
「何って、見て分からない?」
「もしかして魔法の修業とか」
「もしかしなくても修業よ。ちなみに言うけど、踊りの方も練習したからね?その後に時間が余ったからやってただけ」
「そんなに念を押さなくても!魔法使いは地味だって罵りながら練習してたとしても、俺は別に気にしない」
「しっかり指摘してるじゃないっ…もう、何で見られちゃうかなぁ、超アンラッキー!」
リリは不貞腐れ気味に杖を振り下ろした。
その瞬間、魔力が発動されたのか、強い風が杖の軌道に沿って吹き抜ける。
林の木々がざわめき、ボシュに悪寒が走る。
「何だ今の…そんなに怒るなよ。ちょっとした魔力見せつければ、俺が怯えるとでも思ったか?」
「え、ゴメンなさい、魔力を使ったつもりはなかったんだけど」
「マジか?危なすぎだろ、アンタっ!」
「昨夜聞いてたでしょ。これが話してたヤツ、雨雲の杖。確かに強力なのかもしれない。だけどアタシにどうしろっていうのさ?」
「そんなの、その婆さんとか母親とかに聞けばいいじゃないか」
「聞きたいけどもういないの。で、継承者はアタシだけとか言われてもねぇ」
「…それは、済まん」
「いいよ、別に。だからアタシが拒否したら、これはただのゴミになるってワケ!」
「だが、魔物の手に渡ったらどうする?」
「困るよ、困るから困ってるんじゃん!」
リリの悲痛な叫びに、ボシュはしばし沈黙する。
一旦背伸びをして、大きく息を吸い込んで吐き出す。
「ここの空気は綺麗だな。まだ魔物に蝕まれてない証拠だ」
「そうでもないよ。最近は、ちらほら見かけるようになった」
「これ以上、アイツらに好き勝手させたくない。俺はその一心でサチと行動しようと決めた」
「あの子、不思議よね。抗えない魅力があって。何か惹き付けられちゃう」
「否定はしない」
「ねえ。ボシュ君ってさ、相当な照れ屋だよね!昨夜聞きそびれたけど、君いくつなの?」
「あんたよりは下、とだけ言っとく」
「え~何でよ教えてよ!妹さんもお酒飲んでたから二十歳は過ぎてるよね。サチは21でしょ、なら…」
「詮索するなっ。なぜそんなに年を気にする?」
「だ~って。一緒に旅をするなら、もっとお互いの事知り合う必要があるでしょ?」
ポロリと口にした一言に、ボシュは時間差で気づく。
「…今、一緒に旅をするって言ったか?」
「ええ」
「魔法使い、嫌なんだろ?」
「ええ嫌よ。でも、魔物にいいようにされるのはもっと嫌って分かったの」
「あんたが自分で決めたなら、それでいいんじゃないか?サチも喜ぶ」
「こうしてここで君に会ってしまったのも、運命だったのかもね」
リリがどこか吹っ切れた美しい笑みを向けた。
すでに日が昇り始めており、木々の隙間から朝日が差し込む。
これまで意識しないで済んだリリの見事なプロポーションが、ボシュの目に否応なく飛び込んで来る。
「っ!」
途端にそっぽを向いたボシュに、リリが首を傾げる。
「ボシュ君?どうかした?」
「なっ、何でもない!アイミーも起きてる頃だ、早く戻らないと。じゃあな!…あ、今日中にはこの村を出ると思うから、早めに支度して来いよ!」
慌ただしくそう告げて、ボシュは走り去った。
「…何?あの子!アタシの事まともに見れないとか、どんだけ女慣れしてないワケ?これは面白くなりそうっ」
踊り子として舞台に立ち、心地良い優越感に浸る毎日はとても充実している。
自分はこれで満足だ。そう思っていた。サチ達に出会うまでは。
自分のなすべき事については薄々分かっていたが、ずっと見ないようにして来た。
その家に生まれたからといって、自分のやりたい事を我慢してまでやらなければならないのか?
それは違う。昔とは違って、選ぶ権利は誰にだってあるはず。
頑ななリリの心を変えたのは、サチ達の存在だった。
・・・
「あ、お兄ちゃん帰って来た!朝ご飯できてるよ」
「済まん、走り込みに少々時間を食った」
「熱心ね~、いい事だわ」
「ってサチ!もう食べてるし…」
「ゴメン、お腹空いちゃって。美味しいよ、二人も早く食べよ!」
マイペース・サチは今日も全開だ。
「俺も腹減ったー。ところでジョニーは?」
「この町の顔なじみに会って来るって。出発までには戻るそうよ」
「で、いつ出発するんだ?」
「決まってない」
口をもごもごさせながらサチが答える。
ここでボシュはリリの決意を伝えるべきか思案する。
出発時間を決め兼ねているのは、リリの事があるからと思ったのだ。
同じ事を思ったのか、アイミーも話題に出す。
「リリさん、来るかな」
「酒場の踊り子の出勤は夕方なんじゃない?」
「出勤って…誘った側の言い分それかよ!まさか酔って覚えてないとか言わないでくれよ?」
「リリ姉を誘ったのは覚えてるよ。でも待つ気はない。ここでこれ以上時間を取れない」
「なら何で今すぐ出発しない?」
「オーヴァさんが、お弁当用意してくれてるの!出来上がるまでもう少し時間欲しいって言われてて」
「どこまでも食い意地の張った奴め…」
「そんな事ない!ありがたいよ、旅で一番困るのは食料だし。腹ペコになるとこの人が使い物にならなくなるしね~」
「それは言えてるな」
「腹が減っては戦はできぬ!」
これがリリが来るまでの時間稼ぎであると気づいたのはボシュだけだ。
オーヴァの心遣いはまさに親心である。
両親亡き後、オーヴァはリリを本当の娘のように見守って来た。
その娘の、旅立ちの日なのだ。
一方、酒場の厨房では。
「全く何をモタモタしてるのかね、あの娘は!早くしないと弁当が出来上がっちまうよ?おい、もう少しゆっくり作らないか!ほらお前、詰めるのが早い、もっと時間掛けろ」
こんな指示に首を傾げる作り手の面々であった。
しばらくして、リリが店の裏口から顔を出した。
「オーヴァ!話があるの!」
「遅かったね、待ちくたびれたよ」
「…え?」
「あの子達と一緒に行くんだろ。弁当もちょうど出来上がったよ。持って行きな」
「どうして…」
「一番人気の踊り手にやめられるのは正直痛手だけどね。それは店側の言い分だ」
そう言うと、オーヴァはリリを力強く抱きしめる。
「よく決心したね。これはお前の人生の岐路だ。選択は自分でしなきゃならない。選んでくれて、本当に安心した」
「オーヴァ…アタシっ」
「泣き虫は嫌いだよ。お前は笑ってる方がいい。つらい時こそ笑うんだ。立派な魔法使いになった暁には、また顔見せに来ておくれ」
「…はいっ、今までありがとう、オーヴァ」
熱い抱擁を解くと、リリは笑顔でこう告げた。