魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~ 作:柳沢紀雪
第一話 The Last Calm
「それじゃあ、最後の確認だ」
昼下がり、人流れもまばらとなった食堂でクロノはまじめな表情を崩さずに正面に座る四人の表情を一人ずつ確認した。
「うん」
フェイトの頷きに続いてアルフ、ユーノ、そしてアリシアが無言で頷き返した。
「被告人のフェイトはそこに置いてある資料の通り、検事からの質問にはそこにかかれてあるとおりに答えること」
フェイトはそう言うクロノの言葉に従い、目の前に置かれたモニター端末に目を向けた。
「一応、私の方でも確認したけど記載事項には漏れはなかったし、事件資料も完璧に証拠物件として成り立ってるから安心していいよ」
アリシアは嫌みのないカジュアルな眼鏡のフレームを持ち上げながらフェイトにそう告げた。
アリシアはこの半年ですっかりと近眼になってしまったため、プライベート以外では眼鏡を装着するようになっていた。
「アリシアも資料作りに関わってたんだ」
その隣に座るユーノはそういうアリシアに疑問を投げかける。アリシアは、「うん」と言って肯き、
「リンディ艦長が色々と仕事を回してくれたから。おかげで半年間退屈しなかったよ。そのおかげで目が悪くなってしまったんだけど」
と笑うアリシアにフェイトとアルフも苦笑を浮かべた。
「話を戻すぞ。判決はほぼ確実に無罪ということで決着はつくはずだ。判決文を確認するまでは分からないが、おそらく3年から4年間の保護観察処分ということになる。もっとも、これはフェイトの労働評価が高ければもっと短く済むし、逆なら長引く」
クロノの少し意地の悪い物言いにアリシアは肩をすくめる。
「だが、フェイトはアリシアとは違って真面目だからな。おそらく処分は1年は短縮されるはずだ」
「ちょっと待ってよ、ハラオウン執務官。私はこれでも結構真面目に仕事をしていたと思うけれど?」
アリシアはクロノの物言いには流石にカチンと来たのか、それほど声を荒げることなく抗議した。
この半年間で随分言葉遣いが柔らかくなったなとクロノはリンディとエイミィによる教育に密かに嘆息した。
「冗談だアリシア。いちいち反応していると本当に不真面目だと思われるぞ」
「まあ、クロノに比べると不真面目だろうけどね。あいにく私には仕事を麻薬のように扱う趣味はないから」
アリシアはクロノと同じ職場で働きながら彼の仕事量を見て、間違いなく彼が仕事中毒だとことあるごとに口にしたものだ。
「まあいい。続けよう」
クロノはアリシアの皮肉を聞き流し、しばらく裁判に関する説明を行った。
その説明自体、アリシアが引いたシナリオに基づくものだった。
アリシアはその説明を右耳から左に流す程度に聴きながらこの半年間のことを思い出していた。
ジュエルシードの事件。現在ではプレシア・テスタロッサ事件と称されるあの事件が終わった後。
フェイトはなのはとの別れの後、管理局本局の裁判所に身柄を移され、本局保護施設に入れられた。アリシアはこの事件の被害者という立ち位置で処理されることとなっていたので、被疑者であるフェイトとはなかなか顔を合わせることが出来なかった。
それでも、アリシアはリンディとクロノから貰った翻訳の仕事の傍ら、事件資料の作成や裁判のシナリオの作成に関わることができ、実質的に裁判のスケジュールをずいぶんと早めることに貢献したのだ。
特にジュエルシード関係の資料としてスクライアから提出された資料の中には古代ベルカ語や古代ミッドチルダ語、それ以外の難解な文字でかかれたものも多く存在し、そこでもアリシアの翻訳技術が大いに役にたった。
ただ一つ、アリシアは最後まで首謀者であるプレシアへの処置に関して納得ができなかった。
それは、この事件に関してプレシアに本来かかるべき酌量が、アリシアの存在によって完璧に消滅してしまうこととなった。
プレシアは自分の娘を蘇らせるためにあの事件を引き起こしたそれが真実だ。しかし、そうするとアリシアという存在がイレギュラーとなってしまう。
死者復活は過去現在未来においても実現されない、実現してはならない技術である。死者復活の技術は命を軽くする。そんなものが認められてはならない。
しかし、アリシアの存在が明るみに出ればその原則が崩壊し、生命というものの唯一性が失われることとなる。それだけは絶対に避けなければならない。
故に、アリシアはプレシアの研究の犠牲者としなければならなかった。狂気の科学者プレシアは自分の娘さえも実験材料とし、その予備として作成したフェイトを使い捨てのコマとして利用した。
そのため、プレシアは26年前アリシアを実験材料とするため、偽の死亡診断書を作成し、アリシアを事実上死亡したと偽装。その後、アリシアをそのままの状態に保存し身体の成長を止めた。
そして半年前、生命の神秘の解明とその超越のためプレシアはジュエルシードを実験材料にする方法を思いつき、たまたまスクライア族が発掘したジュエルシードを輸送船ごと襲撃し、その奪還に乗り出した。いや、あの輸送船の事故自体はプレシアによるものかどうかは不明のままではあるが、なし崩し的にプレシアの罪状に加えられることとなってしまっていたのだ。
そして、その実験中、制御を失ったジュエルシードのためにプレシアは虚数空間に落ち命を終える。
それが、アリシアが血を吐く思い出作成した事件のあらましだった。
「……るのか……シア……。聞いているのか? アリシア」
ふと感傷に浸りかけたアリシアを呼び覚ましたのはクロノの少し憮然とした声だった。
「ひょっとして寝てた?」
隣りに座るユーノも少し呆れ気味にアリシアを見る。
「え、えっと。ああ、ごめん。昨日は眠らせてもらえなかったからね。やー、執務官の精力には完敗だったよ」
はははとフランクに笑うアリシアにクロノは焦った。
「アリシア、下品な冗談を言うんじゃない。昨日遅かったのは聖王教会からの案件を処理するためだっただろう。時間配分を疎かにした君の責任だ」
「つれないなぁクロノは」
この半年間でクロノをからかう楽しみがなくなってしまったとアリシアはがっかりと肩を落とした。
クロノはそれを無視して話を締めくくり、改めて何か質問はないかとアリシア以外のメンバーに聞いた。
「僕の方は大丈夫だ。証言も記憶したし、イレギュラーにも対応できると思う」
ユーノは自信満々に答えた。ユーノの記憶力は誰もが認める所であるため、クロノも特に心配はしていない。
「私も、大丈夫だと思う」
「あたしもだよクロノ」
フェイトもアルフも問題ないと頷き、裁判に関する最終確認は問題なく終了した。
「それじゃあ、僕は艦長に報告してくるから。四人はこのままゆっくりしていてくれていい」
クロノはんそういって端末の資料をまとめ電源を落とした。
「お疲れ様クロノ」
フェイトも端末から資料の入ったデータチップを抜き取り、端末をクロノへと返却した。
「ああそうだ、クロノ。艦長に伝言をお願いしたいのだけど」
アリシアは、支給された自分の端末を脇の手提げ鞄に仕舞いクロノに声をかけた。
「ああ、別にいいがなんだい?」
「例の教会からの案件なんだけど、昨日上げた資料にちょっと穴があったから差し押さえておいて欲しいんだ。改正稿はもうできあがってるけど、もう一度校正がしたいから少し待っていてもらえませんかって」
クロノはさっきの話かと頷き、
「まあ、事情が事情だから仕方がないか。とりあえず了解した。一応こっちとしては善意でやってもらってることだから大きな声では言えないけど。、これからはこういう事のないようにしてくれ」
「そう思うなら、勝手にスケジュールを繰り上げた先方にいってよね。今回ばっかりは流石に無理があったよ。今日の明け方までに初稿が提出できただけでもほめて貰いたいんだけど?」
アリシアの憮然とした口調と表情にクロノは肯かざるを得なかった。何より、今日のアリシアの言葉にいつもの張りがなかったのは、貫徹の疲労のためのようだ。しかも、明け方に提出した初稿の訂正稿がもう出来上がっているとすると、この少女はいつ睡眠を取っているのだろうかと心配になる。
特に今回の依頼に関しては、依頼を受けた時点での重要度は"ゆっくり調べてくれていい"という程度のもののはずだった。しかし、昨日の昼過ぎ時点で急に連絡が入り"大至急、直ちに"と重要度が一気に最大になってしまったのだ。その重要度から言えばその日の内に提出する事となるのだが、流石のアリシアでも日付変更に間に合わず、クロノとリンディが何とか先方をなだめすかし何とか明日、つまり今日中にという事に改めさせたのだ。
「すまない。先方は僕らにとっても重要な方達だったから断り切れなかったんだ」
クロノは素直に謝り、アリシアは「まあ、いいけどね。間に合いそうだし」と呟き大口をあけて欠伸を一つ吐いた。
アリシアも今回の依頼主、聖王教会のグラシアという名前はよく知っており、それが聖王教会の重役でありハラオウンの重要な友人であることもだ。今回の用件自体、ハラオウンがグラシアにアリシアのことを紹介したことがきっかけとなって発生したもので、アリシアもグラシア家に対する挨拶がてらという事で了承したものだ。
しかし、今回のことを考えるとグラシアとの付き合い方は少し慎重にならざるを得ないとアリシアは思う。
「あんたも、結構大変だったんだねぇ」
アルフはクロノとアリシアのやり取りを聞いて素直な驚きの声を上げた。
「まあ、そこまで大変でもないけどね。全体の仕事量はリンディ提督やクロノとは比べものにならないし、本を読むだけでお金がもらえるから楽と言えば楽なんだけど。さすがに今回ばかりはくたびれたよ」
アリシアはそういって笑い、もう一度あくびを付いた。しかし、その笑みを見てもアルフとフェイトは笑えなかった。
食堂を後にするクロノを見送り、アリシアは「さてと」と呟き、同じく食堂に留まった三人に目を向けた。
「私はこのまま自室に戻るけど、三人はどうする?」
「アリシアはこの後仕事?」
ユーノは先ほどの会話を思い出しそう聞いた。
「うん? 仕事は今終わったよ」
「え? だけど、さっきは……」
眼鏡を外し、眉間をもみほぐすアリシアにフェイトは問いかけるが、アリシアはしれっとした表情で、
「ああ、あれは半分方便だよフェイト。修正稿は提出するけど。本当は、修正するところなんてないしね」
「えーっと、どういうことだい?」
ユーノは「なるほど」と肯いていたが、アルフとフェイトは腑に落ちなかったようだ。
「つまり、警告みたいなものだね?」
「ご明察。さっすがユーノ」
アリシアはユーノの答えにニッコリと笑いフェイトとアルフのために説明を始めた。
「つまりね、これ以上の無理はきかないよっていう警告みたいなもの。突貫作業で作った資料には欠陥があるとみせておいて、今後はもっと余裕を持ってお願いしますっていうアピールさッ」
これで味を占めて貰ってはこっちが困るんだよと笑顔で肩をすくめるアリシアにフェイトとアルフは、すごいものを見る表情で感心していた。
「それじゃ、この後は暇なんだ」
フェイトの問いかけにアリシアは頷き返した。
「部屋に戻って休憩しようか。公判まで後三時間もあることだし。お茶でも飲みながら積もる話でもどう?」
フェイトは嬉々として肯いた。
結局ユーノとアルフもアースラに宛がわれたアリシアの自室におじゃますることとなり、アリシアはひとまず昨晩入り損ねた風呂に入り、一息つこうと冷たい飲物を用意した。
それからしばらく裁判が始まるまで、アリシアは眠気を押さえるために濃い珈琲をたらふく飲み。久しぶりに三人と会話に花を咲かせ、それぞれの半年間を語り合った。
その話の主眼はやはりアリシアのアースラでの半年間と、ユーノの地球での半年間にあった。
特にフェイトはユーノの口からなのはの名前が出るたびに頬を緩ませ、「早く合いたいな」と口にする。それは、フェイトの半年間の口癖になってしまっていたものだ。
そして、それはもうすぐ実現する。
フェイトは身からあふれ出さんばかりの幸福に酔いしれ身体をぎゅっと抱きしめていた。
かくしてその日、フェイトの裁判は終了し、一つの節目が訪れた。
そして、彼らとは遙か遠く、次元世界の彼方に住まうもう一人の重要人物に訪れる一つの始まりが確定した日だった。
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ユーノが本局に旅立って一月が過ぎた。高町なのははこの一ヶ月間を思い出し、木々の狭間から吹きかける冷涼な風と共に感じる寂しさに身震いをする。
《そう言えば、昨日でしたね。バルディッシュのマスターの最終公判は》
外界を温度と光、魔力等の情報でしか捕らえられないレイジングハートはなのはが息するたびにはき出す白霧をモニターしつつ、そう言えば冬も本番ですね、とデバイスらしからぬ感想を漏らした。
「うん、もうすぐフェイトちゃんと会えるんだね。楽しみだよ」
フェイトに出会うよりも前から訓練所にしている山の中腹の自然公園に立ち、なのははDVDレターでしか顔を合わすことが出来ない遠い友人の事を思いやった。
《その割には寂しそうにしていますね。やはりユーノがいないと調子が出ませんか?》
「え、あ……うん……」
レイジングハートから胸の内を言い当てられ、なのはは頬を染めながら俯いてしまった。
《連絡は取り合っているのでしょう? それだけでは足りませんか?》
「そんなことないけど……。ねぇ、レイジングハート。私ってこんなに寂しがりやだったのかなぁ。ユーノ君とたった一ヶ月会えないだけでこんなになっちゃって……。なんだかね、フェイトちゃんと再会できるよりもユーノ君が帰ってくる方が嬉しく感じちゃうんだ。私、薄情者なのかなぁ。ユーノ君とフェイトちゃんは同じ親友なのに」
《同じというわけではないのでしょう。マスターは一度ユーノとの関係を見直してみるべきだ。おそらく、答えはそこにあると私は思います》
「私とユーノ君の関係かぁ。友達で、大親友で、魔法の師匠でパートナーで……」
《少し訂正しますと、初めての男友達という事ですね。マスターの兄君と父君が目を白黒していたのが懐かしいです》
レイジングハートはメモリーに残されたその時の様子を軽くロードしていた。
あの事件が終わった後、ユーノが人間の姿で地球の日本に住むことになったと聞いたとき、なのはは本当に嬉しかった。
『これからはずっと一緒にいられるんだね?』
というある意味愛の告白のような言葉でユーノに抱きつき、彼女は無意識のうちに涙を流してしまっていた。それほどその喜びは深いものだった。
しかし、その後、ユーノが高町家を出て一人暮らしをすると知ったなのはは、そこから180度態度を反転させ、ユーノの家出(?)を断固反対したものだった。
なのはの部屋に結界を張り、朝から晩まで口げんかのような議論を交わし、ようやくユーノがなのはを説得出来たのはユーノの結界がひび割れるほどの砲撃が飛び交った後だったとレイジングハートは記録している。
なのはもその時のことを思い出し、頭に血が上るあまり実力行使に出てしまった当時の自分を恥ずかしく思った。
今から考えると自分は随分ユーノに失礼なことをしていたのだなとなのはは思う。
ユーノはフェレットの姿でなのはの前に現れた。
当初なのはがユーノをペット扱いしていたのはユーノの説明不足ということで決着がつく。しかし、それから暫くしてユーノが人間だと分かった後でも、なのははやむなくフェレットの姿をしていたユーノをやはりペットとして扱ってしまっていた。
ユーノは、フェレットの姿はエネルギー効率がいいからかえって楽だと笑っていたが、それを自分に当てはめてみると笑い事ではないということがよく分かる。
なのはは、いくらエネルギー効率がいいからと言ってフェレットの姿で何日も何週間もペットとして扱われるのなんて無理だとようやく気がつくことが出来た。
その後なのははユーノに必死に謝っていたが、ユーノは笑って許してくれた。
兎も角、今のなのははユーノをフェレットだと認識しておらず、ユーノにフェレットの姿になることを請うこともしない。いや、確かにフェレット・ユーノの抱き心地やら撫で心地など、あの金色に近い滑らかな毛並みの感触を思い出すとつい身体の芯がゾクゾクしてしまうが、思い出しさえしなければ我慢することが出来た。
「はぁ……」
やっぱり勿体なかったかなぁとなのははため息をつき、「会いたいなぁ」と空を見上げた。
そして、しばらくの後レイジングハートの「訓練を開始しましょう」という言葉に頷き表情を引き締めた。
「それじゃあ、いつものシューティング・コントロールやるね」
《OK , My Master》
レイジングハートの威勢のいい答えになのはは気分を良くし、先ほど飲み干したココアの空き缶を取り上げ目を閉じた。
「リリカル・マジカル」
その言葉と共に想像するのは聖なる光、創造するのは意識ある光。それを想像の中で練り上げ形作り、球体として形成したそれを指先へと創造する。
(私の呼び声に答えよ。私の声は言葉に、私の言葉は祈りに、私の祈りは願いに、私の願いは力に。私の力は聖なる光となり、そのすべては私の意志に従う)
瞑目し意識を深淵へと誘いながら、なのはの足下に桃色の円陣が光となって出現しその願いを刻み込みながら回転する。
魔法学の第一原則。魔法は力であり、力は願いによって導かれる。願いは祈りによって成就し、祈りは言葉によって形を得る。言葉は声によって発生し、すべての原則は請い願う呼び声にある。
「福音たる輝きこの手に来たれ。導きのもと鳴り響け。」
その言葉と共に掲げられた彼女の左腕の手の平に福音たる輝き、桃色に輝く光の球体が出現した。
《モニタリング・スタート。カウント・ゼロ》
レイジングハートの準備も整い、いよいよなのははその呪文を解き放つ。
「ディバイン・シューター、シュート!」
その言葉と共に放り上げられた空き缶に向かい、なのはの最も得意とする制御弾頭魔法【Divine Shooter(神聖なる射手)】の一撃が放たれた。
「Control start. Self homing set. Mode shilt to ASS(Accelerate Snipe Shooting)」
なのはのその言葉と共に【Divine Shooter】の弾頭は直線射撃より高加速度精密手動誘導方式にシフトし、彼女が思い描く目標軌道に対して僅かな誤差もなく追従する。
弾速は速い。そして、それが空中の空き缶を地上に落とすことなく着弾し、そして刹那の時を置いて反転。まるで空き缶を上へ上へと持ち上げていくように弾頭は舞い上がる。
《………Sixty、Sixty One、Sixy Two………》
それに呼応し、レイジングハートが読み上げる数字も加速度的に向上していく。
「………くっ………」
目を閉じ、左腕を空を舞う目標に合わせながらなのはは苦悶の吐息をついた。季節は冬。本来なら雪が降り出してもおかしくない寒気の中、なのはの額にはじっとりとした汗が浮かび上がっていた。
ユーノによって提案されたデバイスを用いない魔法訓練はこれで既に3ヶ月以上続けていることだった。ユーノの言葉を借りるなら、なのはは莫大な魔力量と高性能なデバイスを持つが故にその魔法の術式構成がとても荒いのだというらしい。
それまでの戦いは殆どがむしゃらに食らいつくように戦ってきたため、そのあたりを矯正する機会が得られなかった。ユーノはなのはの魔法教習の基礎過程の終了の折りに次の段階の鍛錬としてデバイスを用いない魔法訓練を提案した。
そして三ヶ月、それも土日祝日を除けば殆ど毎日眠い眼を擦りながらなのはは頑張って訓練を重ねた。
今となっては【Divine Shooter】の一発をここまで高速に精密に制御できるようになり、そのおかげもありデバイスを持った際、魔法制御に対する余裕が出てくるようになったのだ。
《Ninety-Nine,One-Handred……Last One!》
弾頭が飛翔体を叩く回数が100に至ったところで、なのははようやく制御の力を抜き、ターゲットである空き缶はそのまま重力に従い徐々に速度を増しながら落下する。
なのはは再び腕を掲げ、墜ちてくる空き缶を逃すまいと睨み付けタイミングを見計らう。
「ラスト!」
そのかけ声と共に空中に待機していた【Divine Shooter】は再び滑空を始め、なのはの脇を通りそこに至っていた空き缶を正確に捉え、遙か前方へとそれをはじき飛ばした。
カーンという軽快な音を立てて放物線を描く空き缶はそのままその先に設置された金網状のくずかごにホール・イン・ワン、と行きたいところだったが、それは果たされず籠の縁に着弾したままそのまま外へとはじき出されてしまった。
「ありゃぁ……」
再び甲高い音を立てて地面に落ちる空き缶になのはは情け無い声を漏らして落胆した。
《マスター、お気になさらずに。終わりよければすべてよしです》
「あはは、ありがとうレイジングハート……って、終わりがダメだったら問題外ってことじゃない!」
《それがマスターの実力ですよ、胸を張りなさい》
「それって慰めてるのか貶してるのか、どっちなのかなぁ? レイジングハート?」
《さて、何のことやら》
「後でお仕置き」
《楽しみにしておきます》
―――――――なのはとレイジングハートはまるでにらみ合うように互いに口を噤んだ。
そして、その緊張は突然わき上がったなのはの笑い声で終了を迎えることとなった。
「とまあ………」
一通り笑い終えたなのはは一息ついた。
《冗談はここまでにしておきましょうか》
とレイジングハートも穏やかに光を明滅させる。
「そうだね。お疲れさまレイジングハート」
《どういたしまして、マスター。随分射撃制御がうまくなりましたね。ですが、最後の最後で集中力を切らしてしまったのが残念でした》
「やっぱり詰めが甘いなぁ。つい安心しちゃうんだよね」
《良くない傾向ですね。これから改善していきましょう》
「そうだね、これからもよろしくねレイジングハート」
《Me too, Master》
ようやく東の空高くに登り始めた太陽を背にして一人と一つは、まるで家族のようなうち解けた雰囲気で言葉を交わしつつ、山道をゆっくりと下っていった。
『そういえば、今日はフェイトちゃんからDVDが届く日だったね』
帰り道、まばらではあるが人通りのある道路でなのははそうレイジングハートに念話を向けた。
『《その予定になっています。楽しみですか、マスター》』
『うん、とっても楽しみだよ』
『《良かったですね、マスター》』
地球に住むなのはは、遙か時空間の彼方に去っていったフェイトとお互いにDVDを用いて交流を続けている。それが始まった切っ掛けは、確かユーノの提案だったと思うが、それを実行段階まで持って行けたのはクロノとリンディの尽力の賜物だと人づてに聞いていた。
なのはは月の初めの日にユーノ、アリサ、すずかと共にフェイトに対するメッセージを動画で収録し、その様子をDVDに編集したものをフェイト宛に送っている。
その送り先は、イングランドの少し田舎の方の住所だとなのはの代わりにエアメールを出す父士郎が言っていた。
どうしてイングランドに送ったエアメールが時空管理局の方に届くのだろうかとなのはは不思議に思っていたが、結局今になってもその謎は解けずじまいだった。
ひょっとすれば、イングランドの方に時空管理局が密かに設立している支部があるのか、そこにどこかの世界への中継点となるトランスポートがあるのか。おそらくそんなところだろうとなのはは想像していた。
ともかく、そのレターによればフェイトは問題なく元気にしているらしい。また、裁判の方も殆ど無罪の判決が出るだろうと時々DVDに登場するクロノやリンディ、本当のたまにしか姿を見せないアリシアから聞いている。そのためなのははフェイトの裁判に関しては全くと言っていいほど心配はしていない。
ただ一つあれば、直接会えないのが寂しいということだけだった。
「おはよう、なのは」
部屋で朝の身だしなみを整え、フェイトから貰った黒い髪紐(リボン)を結んだなのはは朝食のためにリビングに姿を見せた。
「おはよー、おにーちゃん。おとーさんも、おかーさんも、おねーちゃんもおはよー」
なのはは兄恭也からの挨拶に朗らかな笑みでおはようと返した。
「おう、おはようなのは」
「おはよー、なのは」
「おはよう、なのは」
父、姉、母からも同様の返事を貰いなのはは家族がそろっていることの幸福をかみしめながら既に朝食の用意されているテーブルの席に腰を下ろした。
少し前まで、兄の恭也と姉の美由紀はイギリスに住んでいる世界的な歌手の娘のボディーガードの仕事のためにしばらく家を留守にしていた。どうやら、その歌手は父士郎の代から交流がありその娘は恭也や美由紀のお姉さんのような存在だとなのはは聞いていた。
その娘もまた歌手の卵として世界各国を回ってコンサートを開き、今回日本において難民支援チャリティーコンサートを開いているらしい。
兄と姉は強い剣士だと言うことを知っていたなのはは、家にいない二人をそこまで心配はしなかった。しかし、家族がそろっていないことに不安を感じていたことも確かだった。
さらにここ一月ほどはユーノがいないという寂しさも相まって少し気分が落ち込んだ期間だったようだ。
「あ、そうだ、なのは。エアメールが来てるぞ。差出人フェイト・テスタロッサ」
「フェイトちゃんから!?」
なのはは兄から手渡されたエアメールの梱包紙を胸に抱き、「わぁ……」と歓声を上げ頬を染めた。
「そういえば、その文通もかれこれ半年以上か。結構長く続いているんだな」
席に着きながら新聞を読んでいた士郎は毎月の終わり頃かはじめの頃に送られてくるそれに喜ぶ娘を見て頬をゆるませた。
「フェイトちゃん、今度会えるんですってね。それにフェイトちゃんと一緒にユーノ君も帰ってくるんでしょう? お母さん、目一杯歓迎しちゃう」
「うん、アリサちゃんとすずかちゃんも歓迎パーティーをしようって言ってくれてるの」
「ほう、そうか。だったら家の店でやったらどうだ? 一日ぐらいは貸し切りにしても良いよな? 桃子」
士郎は、なのはの母桃子にそう目を向けた。
「もちろんよぉ。ぱーっとやりましょう」
家族みんなが笑顔でいられる。なのはも、部屋でゆっくり自己メンテナンスをしているレイジングハートも、皆この幸せをかみしめている。
――そして、なのはは振り向いた。
リビングの日だまりの一角。ただぼんやりと妙に明るい木目調のフロアになぜかヒタと一粒の水滴が落ちる音がした。