スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら   作:石田フビト

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三十二話 成長 1

 第二階層へと降り立った僕がまずしたことは、洞窟の観察であった。

 眼球を右へ左へ、上下も忘れずに注意深く見ていく。

 ……第一階層との違いは、あまりないか。

 

 次いで、壁を慎重に触る。

 ゴツゴツとした固い触感に、ざらついた岩肌。仄かに光る灯り。これらもまた、第一階層のものと酷く似ている。

 

「……とりあえず、異常はないかな……?」

 

 ここまでは事前に調査した迷宮の特徴通りだ。

 何をそんなに警戒している、と馬鹿にされるかもしれないが。なにせスライムが宙を舞い、骨を折ってくる世界だ。

 僕は今この瞬間、映画で見るような大きな岩が転がってきても驚かない自信がある。

 

 最悪の想定をしろ。

 まず水責めはやばい。僕は泳ぎがそこまで得意じゃないのだ。装備のこともあるし、大量の水が流れてきたら溺れて死ぬ。

 あと、さっき言った岩も普通に詰む。今はまだ階段が近いから逃げられるが、もし道半ばで転がってきたら……ぞっとするね。

 

「落とし穴、矢、上から降ってくる槍……考えられるのはこれくらいか。どうしよう、全部詰むんだけど」

 

 僕の身体能力は未だ人間の域を出ない。

 いや、何なら平均以下の雑魚である。普通の冒険者が軽傷で済む攻撃が、僕にとっては致命傷になりかねないのだ。

 

 とはいえ、ずっとこのまま観察しているわけにも……はぁ、辛い。

 

「大丈夫……慎重に、慎重にだ……」

 

 油断なく刀の柄を握りながらゆっくりと歩きだす。

 厚みのある靴底から感じる、地面の凹凸。加えて僅かに響く音、匂い、肌から感じる空気の流れ。

 その一つ一つにすら注意を払って進み続ける。

 とんでもなく集中力のいる行動だ。 

 

 もしかしたら今日は、扉にも着けないかもしれない。

 そう、思っていたのだが。

 

「……?」

 

 不思議なことに、疲労感はさほど感じなかった。

 まるでそれが自然な習慣のように。警戒をしつつ歩くという行動が、体に染みついているようだった。

 はて、僕はこんなに器用だったろうか。

 

 心の中で頭を捻りながらも警戒は一切緩めていない。

 穏やかに、されど僕ができる最大限の注意を払っている。それが何とも、違和感を覚えさせた。

 

「……まぁ、いいや」

 

 だからといって困ることでもなし。むしろ現状を鑑みれば、好都合というものだろう。

 

 一歩、二歩と。

 視線を細かく移しながら、静かに歩みを進めていく。

 遅くもなく早くもない。極めて一定のリズムで地を踏みしめる。

 

「……」

 

 ……それから数分、いや十数分歩き続けただろうか。時間の感覚が曖昧だ。

 心穏やかな集中状態は時の流れを忘れさせる。

 

 とにもかくにも、僕は『扉』の前へと到着した。

 一面にびっしりと広がる岩の壁に、場違いな現代風の扉が埋まっている。

 第一階層の扉は全て年季の入ったものだったが……これはあまりに新しい。

 

「……異常として、引き返すか。それとも進むか……」

 

 扉が新品のように見える。

 それだけで異常だと判断するのは、神経質すぎるだろうか。いやしかし、ここではほんの少しの油断が命を刈り取る。

 考えろ。

 この場における最適解はなんだ。

 

「……ふぅー」

 

 煮えたぎった脳みそを冷やすように、息を深く吐く。

 

 落ち着け、今回の目的はなんだった。

 攻略じゃなく……様子見だって言ったろ? なにも焦る必要はないんだよ。

 今はとにかく情報を集めることが大切だ。

 命を懸けた攻略は、その後でいい。

 

「……うん」

 

 決めた。

 一応、ここまで来たから扉は開けるけど、スライムとの戦闘はしない。

 あくまで扉を開けた先の状況を知ることを第一優先として進もう。

 進む距離も、十歩だけに限定して引き返す。

 これなら迷うことなく帰還できるはずだ。

 

「扉を開けて十歩だけ、扉を開けて十歩だけ……」

 

 ぶつぶつ呟き、右手でゆっくりと扉の取っ手を掴む。

 金属の冷たい感触。そのまま捻ると、僅かな抵抗を残しつつもカチャリと開く音がした。

 

「……」

 

 数秒待って、腕に力を込めて押し出す。

 扉はやはり新品の如くスムーズに開いた。キィ、と接続部が擦れる音が静かに響くだけで、抵抗はほとんど感じなかった。

 

 奥に開いた扉の隙間から、その先をじっと見つめる。

 なにか異常はないか。なにか違っている点はないか。瞳を忙しく動かすものの、特に違和感はなかった。

 

「……すぅ、はぁ」

 

 深呼吸の後に、ごくりと唾を飲み込む。そろそろ行かねば。

 持っていた扉の取っ手を突き放すように離し、扉を完全に開ける。

 

 キィ、ィ……。

 

 慣性のまま動く扉を静かに見つめ。

 念のため、右手は刀の柄に添わせ、左手はいつでも鯉口を切れるよう鍔に親指を乗せる。

 これで準備は整った。

 

「……」

 

 ドクン、ドクンと心臓が高鳴っている。

 どうしてだろうか。何故か、胸の中がざわついている。

 緊張とも異なった、怖気の走るような感情の発露。それが何なのかも分からず、僕は溢れ出る何かを必死に押し留めた。

 

 まずは、一歩。一歩だけ前に出よう。

 

 右足を音もなく上げ、そっと前に落とす。これで半歩。僅かに体が前進した。

 

「ふぅ、ふぅ……」

 

 続いて、少し開いた右足の後ろに、左足を拳一個分開けて近付ける。これでようやく、一歩。

 所謂、摺り足というやつだ。

 左足は決して前に出さず、右足を常に先頭に置いて進む歩法。

 

 更に三歩、四歩。

 扉を通り抜け、注意を払いつつ地面を踏みしめる。

 洞窟の中は何も変わらない。第二階層は、記憶にある第一階層と瓜二つの内装だった。岩肌も、その色も、洞窟の大きさも。

 

 事前に本で調べた情報と同じだ。

 変化するのは、出現する魔物の強さだけ。今までが異常だったので半信半疑であったが、ようやく正誤がはっきりした。

 とりあえず、現時点においてこの情報は正しい。

 

 これで槍とか大岩が降ってきたら、僕はもう何も信じられなくなるけど、その時はその時だ。

 警戒は怠らずに進むことにしよう。

 

「……っと、止まってる場合じゃないな」

 

 考察に割いていた意識を現実に戻し、摺り足を再開する。

 えーと……何歩進んだっけ。たしか四歩を、進もうとしたんだっけか。それとも次が五歩目かな。六歩ってことはないだろうけど。

 

 まぁ、いいや。一歩少なかったところで問題はない。

 両足を静かに動かし、五歩目の前進を終える。あと、半分か。

 

「くぅ、きっついなぁ……」

 

 この緊張感の中で、あと五歩。流石に扉を開けた後だと疲労感が凄いな。

 なんで十歩とか言ったんだろう。

 馬鹿なのか?

 

 とはいえ今後は第二階層を中心に潜るのだ。

 今のうちに、この感覚に慣れておかないと大変なことになる。

 全身に小さな針が刺さっているような、この感覚に……。

 

「……」

 

 六歩、七歩。

 終わりが近付いている。だのに、緊張感が増していくのはどういうことなのか。

 何か僕は、重要な見落としをしている気がする。

 ピリピリと肌が焼ける感覚。

 さっきから嫌な予感が止まらない。

 

 八歩目。

 

 恐ろしい。怖い。

 今にすぐにでも逃げ出したい。

 嫌だ、怖い、恐ろしい。もう無理だ。次で引き返そう、何かとても、嫌な感じがする。

 

 そして九歩目――

 

 

「――ぁ?」

 

 

 それはまるで、背筋に氷柱をぶち込まれたような。底のない海を見てしまったような。

 全身が酷く粟立ち、警鐘という警鐘が大音量で脳みそに伝えた。

 

 避けないと――死ぬ。

 

 

「っ!? ぁ、あ!?」

 

 やばいやばいやばいやばい。

 何がやばいか分からないが、とにかく不味い!

 避けろ、何から? どうやって、避けるって何を。

 

 いいから避けろ!

 

「ぉ、おおおっ!!」

 

 本能に導かれるまま。

 僕は思考する暇もなく、思いっきり前転をした。流動する視界。背中を伝う岩の感触。

 

 そして……轟音。

 

 圧倒的な振動の嵐。空気を震わす、絶望の到来。

 

「――はぁ!?」

 

 転がりながら、思わず困惑の叫び声を上げる。

 まさか。

 まさかまさかまさか。

 

『ピ、ギ……』

 

「ふざ、けんなよ……! くそっ!」

 

 スライムだ。

 姿勢を整えて、後ろを振り返った先にはスライムがいた。

 バスケットボール大の、青色のぽよぽよ。我が愛すべきクソ野郎。

 

 何故、どうして、どうやって。

 そんな思考は奴の姿を見た瞬間葬り去られた。

 

 少しでも気を抜けば、殺られる。

 

 数多のスライムを倒してきた僕だから分かる。

 このスライムは……明らかに、今までの奴らとは違う。

 

「はぁっ、はぁっ、はっ……!」

 

『ピ、ピ、ピ……ッ』

 

 削ぎ落とせ。

 戦闘に必要なもの以外、全て捨てろ。

 

 恐怖、困惑、驚愕、慢心、疑問。全ていらない。

 代わりに思考を回せ。考えろ。どうやったら逃げられるのか、全力で考えろ。

 

『ピッ……!』

「っ!」

 

 しかしその時間を、スライムが与えてくれるわけもなく。

 突進の予備動作を確認した僕は、ポーチの中に手を突っ込んで、魔石袋二号を放り投げた。 

 

 その場凌ぎだが仕方がない。

 今はとにかく、時間を稼がねば……!

 

 右へ飛んでいく魔石袋二号。この間、僕は一切動かない。

 今までの経験上、スライムはより動きのある物体を狙う習性がある。

 賢い個体はそれがダミーだと気付くこともあるが、初見で見破られることはまずない。

 とりあえず、壁に突っ込んだ隙に逃走。もしくは攻撃を……。

 

『ピ……ギ、ィ』

 

「……は?」

 

 戦闘中にも関わらず、間の抜けた声が口から洩れた。

 

 振動が……止まった?

 いや違う、こいつは、止めたんだ。自分の意志で、突進を止めた。

 突如分かれた魔力の動きに疑問を感じて。

 

 罠の可能性を()()()、止まった……!

 

『ピピ……ッ』

 

「や、ば……っ!」

 

 再び振動を始めるスライム。

 どうする、動くべきか。いや、まだ罠を見破られているかは分からない。ここで動けば、確実にバレてしまう。

 じゃあもし、罠だと勘付いていたらどうする?

 棒立ちの僕はいい的だ。確実に頭を吹き飛ばされて、死ぬ。

 

『ピ、ピギ、ギ……!』

 

「~~!!」

 

 どちらにせよ、扉に近づかなきゃ逃げられない!

 この溜めの長さからして、攻撃する場所は顔か胴体だと仮定! もう一度前転して、なんとか躱すしかない!

 

『ピギィッ!』

 

「っ、ぉおおっ!」

 

 左斜め前方。

 頭を抱えるように体を丸め、被弾面積を限りなく減らしながら前転をする。

 頼む、避けてくれ……!

 

 スライムの体から解放された暴力の嵐が、空気を震わす。

 間髪入れずに、着弾。

 洞窟内が揺れたと思うほどの衝撃。

 

 ……僕は、無事だった。

 

「よ、っし……!」

 

 無茶な姿勢で前転をしたため、背中が少し痛むが問題はない。

 素早く周囲の確認をする。距離が離れているなら、このまま逃げて……。

 

「……?」

 

 しかし見渡しても、スライムの姿は見当たらなかった。

 あの轟音からしてどこかに着弾したのは確実。だのにどうして、見つからない。

 焦りと共に、じっとりと嫌な汗が背中を流れる。

 

 ふと、僕は最初の状況を思い出していた。

 突如として現れたスライム。あれは一体、どこから来たのか。

 否、一体どこに潜んでいたのか。

 

 答えは、その突進によってひび割れた地面が教えてくれる。

 

「……そう、か」

 

 まるで蜘蛛の糸のように陥没した地面。

 それはスライムが、真下に直撃したということを表している。

 つまりスライムは……。

 

『ピギ、ギ……!』

 

 最初から真上に潜んでいた。

 そして今、この時も。奴は上に張り付いている。

 

 僕は心の中で失態を悟った。

 こいつは、一番確実で堅実な方法をとったんだ。罠の可能性のあるどちらかに突っ込んで、距離が開くのならば。

 真上に飛んで、対象が動くのを確認しようと。

 

 だが僕にとっての失態はそこじゃない。

 僕の一番の間違いは、今、走り抜けなかったことだ。スライムの位置関係を把握しようと、探してしまったことだ。

 今までの経験が、かえって足を引っ張った。

 

「……あぁ、くそ」

 

 悪態をつく。

 おかげで僕は、スライムに与えてしまった。ほんの数秒、されど致命的な、溜めの時間を。

 

 ここまで頭の回るなら、それをしないはずがなかった。

 最も堅実で、最も効果的な戦略。

 それは……。

 

『ピギッ!』

 

 天井からスライムの姿が消え、青色の軌跡を描きながら()()()()着弾した。

 斜め下に突撃したその粘性を含んだ体は、ボールが弾かれるように前へと進む。

 二回、三回。

 勢いよく跳ね回ったスライムの終着点は。

 

 開いたままの、扉であった。

 

「そうだよね……そりゃ、そうするわ」

 

 ダン、とスライムの突進を受けた扉が強く閉まる。

 これで逃走は極めて困難になった。あの扉を開けるにはスライムに背を向けて、なおかつ数秒間無防備な姿を晒さねばならない。

 そんな隙、殺してくれと言ってるようなものじゃないか。

 

 青色のぷよぷよが、目の前で蠢く。

 かつてないほどの強敵。力、速さ、賢さともに尋常ではない。

 

「……あー」

 

 こりゃ、詰んだか。

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