スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら 作:石田フビト
「はは、ははひひ、ははああ……」
笑みを浮かべ、地面に両腕を突き立てる。
未だ激痛が走るものの、傷は大方治ったと見ていい。僕も大概、ふざけた回復力だった。
「ん、べっ」
びしゃ、と口の中に残っていた血液を吐き出す。
そういえば人間は何リットル血を失うと不味いのだったか。以前どこかで読んだ気がするが、忘れてしまった。
ポーションは失った血まで補填してくれない。
おかげで頭がくらくらするが、まぁ大丈夫だ、体は動く。
僕はまだ戦える。
「ふっ……ぐ、ぅ。あ゙ぁー、きっつ……」
膝を体の内側に丸め、腹部の前に空間を作る。
ここまでくれば立つことは容易だった。渾身の力を込めて、ふらふらと上体を起こす。起こして、見つめる。
『ピ、ピ……!』
「……なんだ、君も存外、親切だなぁ……待ってくれるなんて、ね……」
靴で地面を踏みしめ、膝に手をつきながら立ち上がる。やはり失血の影響か、視界がぐにゃりと歪んだが問題はない。
眼前で小さく震えるスライムを睨めつけながら、左腰へ手を伸ばす。
今が好機だ。
ここで仕留める……。
「……? あ、やべ。そういえば刀どこいったっけ」
虚しくも空を切った右手。
焦って周りを見渡せば、ついさっき壁に衝突した際に落としたのか、壁付近に刀が転がっていた。
もう一度スライムの姿を見る。
先程より、明らかに振動が大きくなっていた。突進まで残り数秒ってところか。
「ちょっ、待って待って。お願い、刀だけ拾わせて」
『ピ、ピピ……!』
「っ、やっば」
もはや猶予はない。
僕は壁に向かって走り出し、飛びかかるように刀へ手を伸ばした。
『ピギィッ!』
少し遅れて、スライムという名の弾丸が発射される。
壁を打ち付ける超高速の死球。どうやらあの一撃に味を占めたらしい。
刀を手にしたまま一回転。被弾まで残り数秒。
さて、どうする。
しゃがむか、前に避けるか、迎撃するか。
脳がかつてなく回転する。極限環境の中、死を自覚したことで、更に集中が一段階深みへと到達した。
どうすればいいか。その答えはとうに出ている。
生きるためには、死に近づかなくてはならない。
なら、僕が取るべき最善策は……。
「っ、ぁ、あああ゙っ!」
我武者羅に振った刀。型もなければ体勢も悪い。
不格好で下手糞な一振り。
故に体を反転させながら放ったそれは、スライムを捉えることはなかった。
振るのが早すぎたのだ。
そして当然のように、被弾。
『ピ、ギュッ!』
「ごっ!?」
左肩が弾け、再度壁に叩きつけられる。
今度は頭を打つことはなかったが、代わりに背中の負担が増した。しかしそれでもいい。背骨がいかれなければ、問題なしだ。
激痛に歯を食いしばり、左肩の損傷を確認する。
脱臼したのか、ぶらりと下がったままで動かすことができない。
戦闘継続不可能。
判断は一瞬だった。
ポーチに右手を突っ込み、まだ中身が残っているポーションを口に含む。
今度は全てではなく、三分の一程度。頼む、治ってくれ……!
「っ、ん、ぎぃ!? あ、がああああああっ!?」
ゴキュリ、と骨と骨が擦り合わされる音が肩から聞こえる。
折れた足の骨が治った時もそうだったが、どうやらポーションは骨格に至るまで修復してくれるようだ。
それは素晴らしいが……この痛みは、なんとかできないものか。
顔中に脂汗をかき、涙が頬を伝う。
気が狂いそうになる痛みの濁流に、僕は縮ませながら耐えるしかなかった。
「ふぅ゙ーっ! うううぅ゙ーっ!」
歯が折れそうなほど食いしばる。
このままでは折角治った歯も台無しだ。いい加減、早く収まってくれ……。
「っ、あぁ゙ーっ、はぁーっ……ん、っく、あぁ……っ」
背中を壁にぴったり付け、這い上がるように体を持ち上げる。
左肩の痛みは酷いものの動けないわけじゃない。右手は無事だし、足も動く。
顔を横に向ければ、スライムが次弾の準備をしていた。
今、ここで攻めないとまた突進がくる。
動け、動け、動け。
戦え!
「ぉ、お、おおおおおおおお゙ぉぉぉ゙っ!」
『ピ、ピ……!?』
聞くに堪えない蛮声を張り上げながら、刀を右手に構えて突撃する。
こんな姿勢でまともに刀が振るえるわけがない。それがどうした。不格好なのは今更だろ。
お互いの距離は数メートル。
スライムの突進よりも、僕の一振りのほうが早い。
「づぁっ!!」
『ピッギィッ……!』
そう思ったのも束の間。
眼前でスライムが弾け、青色の軌跡が直線を作る。
少し遅れて、ガギン、と刀が地面を斬った。刃こぼれなど気にしない。
それよりもスライムだ。振り下ろす瞬間、左へ飛んで逃げた。
左へ顔を向け、血眼になって探す。
『ピ、ピギ……!』
「……そこ、か……」
刀を振り下ろした体勢から、ゆらりと状態を起こす。
左肩の痛みが引いてきた。これなら、両腕で刀が握れる。より速く刀を振れる。
「しぃ、いいいっ……!」
喉を締め、体を前へ倒すようにして駆ける。
刀はまだ振り上げない。ただ、スライムとの距離を詰めることだけを考える。
一直線に接近する僕に対し、スライムは再度振動した。
その溜めを見て、今回は攻撃してくると判断。走る速度を僅かに緩め、スライムの動きに注視する。
間近で見たときのことを思い出せ。スライムの突進、その振動が最高に達した時の、瞬間を。
まだだ。
まだ、まだ……!
『ピギギィッ!』
「っ、はぁっ!」
突進の刹那、僕は横っ飛びに地を蹴り、刀を振るった。
横一直線の一刀。
手応えは……ない。
「ふぅっ、ふぅっ……くっそ……っ」
スライムの軌道が見えない。これじゃあ核を捉える前に僕がやられる。
横跳びの勢いで壁に激突した肩を抑えながら、更に思考を回す。
問題なのはやはりあのスピードだ。突進する瞬間が分かっても、どこに飛んでくるかが分からないと意味がない。
それにタイミングも重要だ。スライムが飛んできて、丁度そこに刀を当てる。
言葉にすれば簡単だが実行は極めて難しい。
さあ、どうする。
スライムは壁に跳弾せずに飛んだから距離はある。よって追撃は不可能。
もう一度接近してくるのを待つか? それともこちらから近付いて、さっきと同じように横跳びで躱して……。
「……あ」
そっか。スライム、今あっちにいるんだよな。
僕は視線を左に向け、扉を見た。
扉までの距離は十数メートル。思いっきり走れば逃げ切れるだろう。
あんなに待ち望んでいた逃走経路が、今僕の目の前にある。
「……」
僕は、右へ足を進めた。
気付いたのだ。今回の冒険で、思い知らされたのだ。
ここで逃げても仕方がない。今逃げたら、僕は一生、あのスライムに勝てない。
きっと何かと理由を付けて逃げてしまう。
だから、今、ここで。
戦うんだ。たとえそれで、僕の命が尽きようとも。
僕は僕のために、戦わなくちゃならない。
「準備をするなんて、欺瞞だ……僕はただ、怖かった……」
呟きながらスライムとの距離を詰める。
魔石袋で囮にしたのも、塩を撒いたのも、全部怖かったからだ。
自信がなかった。こんな自分が、何かを真正面から倒すなんて。そんなこと、できるはずがないと高を括っていた。
挑戦もしないで、諦めていた。
僕の失敗は準備に手をかけたことじゃない。準備すること自体は、とても大切なことだ。
そうか、ようやくわかった。
僕の一番の失敗は、自分を信じなかったことだ。
怯えて、怖がって、挑戦しなかったことなんだ。
「僕は、君を倒す……倒して、次に進む……」
小細工なんていらない。
僕は真正面から、この理不尽を斬り開く。
いつの間にか僕は走っていた。
あれだけ怖がっていたスライムへ、全速力で向かっていた。
「は、はは……!」
何だかおかしくて笑みが零れた。
もう迷いはない。
洞窟内の景色が視界を流れる。中心にいるのはスライムのみ。
見る、見る、見る。
スライムの振動、その大きさ、音、色。
瞬きを忘れ、全てを残さず観察する。脳が今にも焼けて溶け落ちてしまいそうだ。
ああ構わない。どうなってもいい。
『ピ、ギィッ!』
「ぉ、おお゙っ!」
刀を両腕で振り上げ、またもや一直線に向かってきたスライムを迎える。
今度は僕も横跳びなんかしない。
さっきよりも距離があるため、見る余裕がある。
弾丸のように飛来するスライム。
僕はその姿を捉え……!
「――が、ふっ」
しかし刀を振りぬくことができなかった。到来したのは、腹部の熱、衝撃。
体がくの字に曲がり、後方に吹っ飛ぶ。
ごろごろと転がる僕は血反吐を吐きながら、取りこぼしそうになる刀を必死に握り続けた。
「か、ひゅっ、げふっ、ぉ、え゙っ」
内臓がぐちゃぐちゃになった気分だ。実際、そうなのかもしれない。
痙攣する手で、なんとかポーチを開けようとする。
「ふっ、ふっ、ふっ……! ごほっ、が、ぁ」
二回、三回。ポーチのボタンを開けるのに失敗し、四回目にてようやく成功する。
取り出したのは、まだ新品のポーション。
できれば先程の飲みかけがよかったが、四の五の言ってられない。
震える手で蓋を開け、飲む……のは、少し難しそうだ。最悪、胃が壊れているかもしれない。
だからお腹に振りかけた。
これで丸々一本。残りのポーションは……確か、五本だ。
空になった試験管。また激痛が始まる。
「あ、がぁああああああ! ぅ、ごぽっ、げぇえええ……!!」
体の内側が蠢く感覚を、なんと評すればいいのか。
端的に表すなら最悪だが、そんな二文字でこの不快感を表したくはない。尋常ではない気持ち悪さだ。
風邪の時の吐き気を、百倍酷くしたような辛さ。
「けほっ、ぉえっ、ああああぁぁぁぁ……」
ひくひくと喉が痙攣し、開いた口から胃液と血が垂れ流れる。
正に悪夢としかいいようがない。
だが、心なしか。回復の速度が上がっているような気がした。無論、僕がそう思いたいだけという可能性もあるが。
ぐちゅぐちゅ、ぎゅるぎゅる。
体内から鳴る不快な音を耳にしつつ、僕は立ち上がる。
「はぁーっ、はぁーっ……まだ、ま、だ……」
刀の持つ手が震えている。
痛覚の信号が馬鹿になって、神経全体に影響を及ぼしているのかもしれない。
いやでも、それならポーションが治すか。
じゃあこれは心理的なものだろう。あぁ、分かっている。もう嫌だよなぁ。
「あ゙ー……ぁ゙ー……」
幽鬼の如く、おぼつかない足取りでスライムに近づく。
既に振動は大きくなっており、突進までの時間はあと僅かであった。
当たり方の問題、かな。
僕が衝撃を吸収したから、スライムはさほど吹っ飛ばされずに済んだんだろう。羨ましいね、まったく。
「……こい、よ」
力なく刀を構える。
瞬間、僕の言葉を聞いたわけではないだろうが、スライムの体が弾け、突っ込んできた。
視界に収めていた青色の球体が消える。
ふざけた速度だ。こんなの、どうやって防げば……。
「――ぁ?」
――右、足?
「――」
僅かに、重心をずらす。
ほんの僅か、数センチ程度の傾き。スライムからすれば誤差の範疇。
そして、被弾。
右膝に信じられない衝撃と痛みが走り、僕は前へ回転しつつ、左へ吹き飛ぶ。
「ぁ、ぎゃっ!」
背中、顔、腕、足、そこら中が壁だか地面だかにぶつかり、倒れこむ。
今、何回転したんだ……?
視界が目まぐるしく回って、気持ち悪い。痛みはもう、ずっと続きすぎてよくわからない。
「ぅ、うぅ……ってぇ」
頭も強く打ったのか、視界がぼやけている。
ポーションを飲まなくては……ええと、どこだっけ。
手の感覚だけを頼りに探すと、少し硬めの感触が伝わってきた。
ポーチだ。
震えた手ではボタンを開けるのが難しいだろうが、今回は比較的軽傷である。
足が折れた程度じゃ、もう驚かなくなってきた。
はは、やばいね……。
「……?」
そこで違和感に気付く。
ポーチのボタンを開けようとしたのに、既に開いていた。
……そういえばさっき、閉めたっけ。
「ぅ……まじ、か……」
背中に嫌な汗をかきつつ、ポーチの中に手を突っ込む。
明らかに、試験管の数が減っていた。
感触的に残っているのはあと二本。手探りでそれらを取り出すと……。
「……く、そ……っ」
一本は既に、半分から下が割れていた。軽くなった試験管の一つを放り捨て、もう片方の蓋を開ける。
幸いにも、一本は無事であった。
もし帰ることができたら、試験管の耐久性について文句を言おう。
そう思いつつ、ポーションを飲む。残りは一本しかないので、半分だけ。
この量でも治るのかと少し心配だったが、それは無用だったらしい。
すぐに地獄の痛みが僕を襲ってきた。
「ぃ゙、っでぇえ……! あぁ゙っ、もう、いやだぁ、ああぁっ……!」
ミシ、ギチ、ボギュ。
反対方向に曲がっていた右膝が、異音を立てて再生する。
神経をすり潰すような激痛。これで今日、何回目だ? あまりの痛みに記憶すら曖昧になっていく。
「ふぅ゙ーっ、ぐ、うぅ……っ!」
混濁する意識、摩耗した精神。
そんな中でも一つだけ、鮮明に覚えていることがある。
……さっき、僕は。
間違いなくスライムの動きを見た。
否、見ただけではなく、どこに当たるのかも予想できた。タイミングまでは分からなかったが、確かに分かった。
「はぁ、はぁっ……は、ははは……ひひひひ……」
涙と鼻水と血で濡れた、ぐちゃぐちゃの顔のまま笑う。
希望が見えた。
それがこの極限状態で生み出された賜物なのか、それとも当てずっぽうが当たっただけなのかは知らないが。
それでも、有難い。
おかげでまだ、立ち上がれる。
「やれる……僕、は……まだ、やれる……」
四肢に力を込めて、ゆっくりと立ち上がる。
スライムはどこだ。今回は片足だけだから、そのまま後ろに通り過ぎたのかもしれない。
僕は左の壁に手を付きながら注意深く辺りを見渡す。
「はぁ、はぁ……そこ、か……」
見つけたのは、それなりに離れた、反対側にある壁の近くだった。
そうか……僕がちょっとずれたおかげで、スライムも横に逸れたんだな。
あんな足掻きでも、意味はあったんだ。
少し、嬉しい。
「ぅ、っぐ……そろそろ、決着……つけようか……」
刀の柄を握りしめ、ふらりふらりと前へ進む。
目が霞んできた。流石に血を失いすぎたか。お願い、もうちょっと持ってくれよ。
もうちょっとなんだ。
何か、掴めそうな気がする。
あとちょっと。もう少し。何かが手に入りそうなんだ。
「ふぅ……ふぅ……」
『ピ、ピ、ピ……ッ!』
右手の力を極限まで抜く。左手は包み込むように右手の下へ、握りこぶし一個分開けて、横に構える。
水平より少し下がった刀身が、洞窟内の淡い光に照らされる。
不思議だ……。
こんなに疲れているのに。こんなに辛くて痛いのに。
心はまるで、ぬるま湯に浸かっているが如く澄んでいる。
「すぅ、はぁ……すぅ、ぅ……はぁ、ぁ……」
『ピ、ピギ……! ピギギ……!』
スライムの体が揺れ、鳴き声のようなものが洞窟内に響き渡る。
恐れはなかった。あるはずもない。
そんなものを感じている余地はないのだ。あるのはただ、純粋な感情のみ。
たぶん、スライムもそうだった。
僕たちは今、ようやく同じ立場になったのだ。
生と死。女神はどちらに微笑むのだろう。
一歩、踏み出す。
そこはもう奴の間合いだ。
『ッ、ピギュッ!』
放たれる暴虐の弾丸。
蓄えられていた莫大なエネルギーが、一方向に向かって炸裂する。
それに対し、僕は――。
「――ぁ」
――頭だ。
あれは、およそ一秒の半分で到達する。斬れるか? いや違う。
斬るんだ。
斬る、斬る、斬る。
斬る――!
「は――」
もはや点と点だけで支えられている刀を、下から掬い上げるように振り抜く。
無駄のない一連の動作。
だが、足りない。まだ数瞬、スライムの方が早い。
ならば。
「――ぁ、あ、あ゙っ」
更に足の力を抜き、腰を沈める。
大きく後方へ傾く上半身。その回転の勢いを、刀に乗せる……!
そして、ついに。
――剣先が、触れた。
「捉、えた、ぞ……!」
『ピギギギギ!?』
捉えた。
確かに、核を捉えた!
あの、スライムを! 絶対に不可能だと思われた、あの突進を!
真正面から迎え撃った!
「ぐっ、らぁあああああっ」
『ピギィッ!?』
渾身の力を振り絞る。
足から腰へ、腰から肩へ、肩から腕へ。自分の全てが刀に集約されていく。
心の底から叫んだ。
「くだ、けろぉおおおおおお!!」
膝を折り、地面につきそうなほど上体を反らして。後方へ飛んでいこうとするスライムのエネルギーすら、利用して。
半月を描くように刀を振り抜く。
「終わり、だ」
『ピギ』
ガァアアアアンッ!
叩きつけるように、地面へスライムを堕とす。
尋常ではない衝撃が腕に走った。ぶちぶちと、血管が千切れる感覚がある。
どう、だ……!
「はぁっ、はぁっ、ぅ、はぁっ、はぁっ!」
『ピ、ギ……ピ……ピ……』
刀に押し潰されたスライムが、うぞうぞと蠢く。
しかしそこに力はない。やがて糸が切れたように、その体は弛緩した。
眩む視界の中、僕は僅かに顔を動かして、覗き込む。
「はぁっ、はぁ、はぁ……はぁ……はは、はははは……」
赤色に輝く宝石は、真っ二つに割れていた。
……僕は、勝った……のか。
勝った……真正面から、ちゃんと戦って、勝った……。
「あぁ……なんだ……」
やれば、できるじゃないか。
こんな僕にでも。何もできない、役立たずな僕にもできた。
そうだ……誰だって、そうなのだ。自分には無理だと、悲しみ、諦める必要なんかなかった。
「意思が、あれば……ほんの、ちょっとの、勇気があれば……」
僕たちはどんな理不尽にも打ち勝てる。
溢れ出る達成感と疲労感に包まれながら。
僕は目を閉じ、倒れこむ。
こうして僕は、第二階層にて。
正々堂々、スライムに勝利し……かけがいのない、証明を手にしたのだった。
ソレはいつ、どこで生まれたのか分からない。
気付けばここにいたし、ずっと昔からここにいたような気もする。
ソレは何も分からない。
暗闇の中、ただずっと佇んでいた。ソレはそういうものだったし、ソレもまた、疑問には思わなかった。
『……ァ、ア』
ただ、渇く。
ソレはずっと何かを待ち望んでいた。
ソレはずっと、自分を終わらせる何かを望んでいた。
それだけがソレの全てだった。
血に濡れた甲冑に、刃こぼれの酷いロングソード。
失い続けた騎士はずっと、あの日からずっと待ち望んでいるものがある。
『アア、ァ……?』
永劫に等しい暗闇の中。
ふと、何かがソレを呼んでいる気がした。冷たい闇には場違いな、温かくて優しい音色。
どこかで、自分は、これを聞いた気がする。
一体、どこだったろうか。
『……ァ、アァ』
錆色の騎士は、その音色に導かれるまま、歩みを進める。
運命が交差するまで、あと少し。
一筋の光も通さない暗闇に、ソレは消えた――